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安藤守就

遅くなりました。


書いてるうちに半兵衛の設定というか性格が変わってしまいました。

本編のプロットも若干変えざるを得ない・・・・・・


 主君一色(斉藤)義龍の死は想定されていたことだった。病死なのだ、準備をする時間も覚悟を決める猶予もあった。しかし失ってみるとなんとも心許なかった。

義龍には道三のような力強さは無かったが、その代わり家臣・国人達には気を配ってくれていた。……それは弱さの裏返しだったのかもしれないが。

それになぜか室町の公方からの信頼が篤かった。守護職はもちろん、一足飛びの御相伴衆(注1)入りと名門一色姓の許しなど、誰も予想も出来なかった厚遇ぶりであった。


 だから……六人衆に名を連ねる重臣、安藤守就にとっては望ましい主君だったのだ。


先に嫡男菊千代が亡くなっていたのは幸か不幸か。浅井の血を引く幼君が立てば、同盟を結ぶ六角と血縁のある浅井の争いに巻き込まれていたかもしれない。


――まさか六角が浅井に敗れるとは。あの時、六角の勝利を危ぶんでいたのは婿殿だけだった。


野良田の戦いの当時、一色家と六角家は新たな婚姻の問題がこじれて同盟が途絶えていた。しかしこのまま六角家との縁が切れるのは好ましくない。そこで大勢力ばかりの西美濃でもっとも小さく、それでいて戦上手な竹中家に白羽の矢がたった。美濃守護一色家としては出兵しないが、一国人である竹中家が六角家に協力して勝手に(◆◆◆)援軍を出す……ということにしたのである。


当時、それを伝えるために菩提山城を訪れた守就に対し、敢然と反対を唱えたのがまだ若い半兵衛だった。



--------------------


「六角が負けると申すか」


その時守就は、さては出兵を嫌ってゴネているのかと思った。


「確かにまともに戦って浅井が六角に勝てるわけがありません。されど浅井は離反した。勝てる見込みがあったからです」

「高野瀬が調略に応じたからではないか?」


当時、浅井に呼応して六角家傘下の肥田城主高野瀬備前守も離反していた。


「むしろ逆です。勝てる見込みがあったから調略をかけたのです。もし備前守が『これでは勝てぬ』と思えば六角に密告したことでしょう」


浅井の挙兵と高野瀬への調略のどちらが先かは定かではないが、挙兵前に気脈を通じていたと考えるのが妥当だろう。もしそうであれば、高野瀬を説得できるだけの材料が無ければ謀反の発覚を恐れておいそれと調略などかけられなかっただろう。


「……つまり、浅井単独でも勝てる見込みがあると?」

「少し違います。浅井単独でないからこそ、勝てる見込みがあるのではないかと」

「……朝倉かっ!」


 土岐家の家督争いでは越前朝倉の兵が美濃に侵入し、守就自身も戦っていた。しかしあの時は遙かに山々を越えての越境だったからか、兵数そのものはそれほど多くはなかった。あくまで土岐家内の争いに介入した形であり、もともと美濃国内に点在する味方から協力が得られることを前提とした侵攻だったのだ。

しかし北近江と越前敦賀郡は物流の大動脈である。軍勢の往来も容易い。朝倉がその気になれば容易に万の兵を出せるだろう。


「しかし朝倉に何の利がある? 浅井を服属させる気か?」

「それでは浅井に利がありません。朝倉の狙いは敦賀郡の……というより若狭への陸路の安全でしょう」

「若狭?」


意外な地名が出て守就は戸惑った。


「若狭武田の家督は義統が継ぎましたが、まだまだ反乱の火は燻っています。そして朝倉家当主義景の母は若狭武田の一族です」

「介入する大義名分があるか……」

実際、朝倉は土岐家の内紛に介入してきた。美濃に比べれば遙かに小さく、往来の容易い若狭は手頃な餌ではある。


「しかし一方で、若狭武田は公方様の縁戚でもあります」

「公方様? ……そうか、公方様の妹御が嫁いでいたのであったか」


若狭は近江の隣国とはいえ、感覚的には京の更に先の先、といった印象だ。遙か遠国のこととして意識の外にあった。。


「公方様が御不快に思えば、六角を動かして敦賀郡に侵攻する可能性もあります」

「ふむ。だが国境で守ることは出来るのではないか?」

「刀根坂で防衛することは可能かもしれませんが、そのための兵を出し拠点を作れば六角との間が緊張してしまいます。それでは若狭どころではなくなります。やぶ蛇であり、本末転倒です」

「……そこで浅井か」

「浅井が独立することは朝倉にとって望むところ。浅井単独なら越前に攻め込んで来ても撃退できます。なんなら多少支援してやって恩に着せればいいのです。六角への盾となるでしょう」

「……なるほど、あり得る話だ」


守就は納得して頷いた。


「あるいは高野瀬に対しては、一色家の名も挙げたやもしれませぬ」

「なんだと!? だが我らは……!」


思わず反駁した守就に対して、半兵衛は静かに応じた。


「だからこそ、です。仮に備前守が六角に密告した場合、六角に美濃に対する不信を抱かせることが出来ます」

「むむむっ……!」


「ですので、竹中家が出兵する意味は大きい。出兵すべきと存じます」


半兵衛の意外な結論に、守就は一瞬あっけに取られた。


「待て、いや、待たれよ。……出兵に反対ではなかったのか?」

「援軍を出すことには反対です。六角の敗北に巻き込まれては溜まりません。我らはあくまで単独での侵攻……というより陽動を仕掛けるのが良いかと」


--------------------


 結局、後に野良田の戦いと呼ばれる合戦には一色家も竹中家も援軍を出さなかった。朝倉の援軍も無かった。しかし浅井は身の丈に合わぬ大軍を揃え、六角に勝った。

朝倉から兵糧や武具などの支援を受け、更には越前国境の兵を全て野良田に送り込んだのではないか。守就はそう見ていた。


 その後六角家の疑いを払拭するため、竹中家は何度か単独で浅井に小競り合いをしかけた。六角からは感状も貰っている。骨折り損ではあるが、目的は果たしたのだ。



 この一件で守就は半兵衛を気に入り、娘の許嫁にした。同じ不破郡の不破氏と不和を抱える竹中家にとって、西美濃三人衆の一角にして一色家宿老の一人である守就が後ろ盾になる意味は大きい。それ以降、重元と半兵衛は守就と昵懇の間柄となっていった。

力のある守就と知恵のある半兵衛。互いに互いを補い合う理想的な組み合わせに思える。実際に守就は何度か半兵衛に相談事を持ちかけては助言を貰っていた。


 だから守就が重元の見舞いと称してわざわざ菩提山城を訪れたのは、不思議なことではなかった。義龍の葬儀から5日ほど後のことである。

注1 相伴衆


もともとは足利将軍が公式に守護家を訪問する際にお供する人たちだったそうです。

……あんまり偉くなさそう? いやまあそうなんですけどね。


しかし将軍と一緒に饗応を受ける役です。すると相応に偉そうにしなきゃいけないけど、軽輩が偉そうにしてたらなんかムカつきます。


信長を招待して能を鑑賞してる時に秀吉がギャハハ笑いしてたら信長ごと皆殺しにしたくなるでしょう?

きっと赤松さんもそれで将軍を殺しちゃったんですね。嘉吉の乱の真相です。(※違います)


なのでもともと良い身分の足利一族とか三管四職(超重要ポストに就ける名門7家)とか有力大名(大友とか)の一族が選ばれることになり、「相伴衆」という役職自体がブランド化してたんですね。


 そして応仁の乱以降は守護が在京しなくなっちゃったので、将軍も遊びに行けなくなって名目上の役職になっていったのです。そして「相伴衆」というブランドだけが残されました。朝廷の官位のようなものですね。


だから室町時代末期になると、無料で配れて懐の痛まない手軽な報奨と化していたワケです。一色姓もそうですけどね。

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