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岡崎評定

 岡崎に到着すると、龍興一行は丁重に迎え入れられた。……というか、応対に出てきた武士は少なくとも表向きは丁重なのだが、それ以外の者は遠巻きに不躾な視線を送ってくるのみで近づこうともしなかった。なんともギスギスした空気であったが、龍興は内心安堵していた。


――良かった。まだまだ簡単にはまとまりそうにないな。


彼にしてみれば、既に同盟が纏まりかけているところに入れてもらうという形よりも、斎藤氏が加わることで松平もその気になるという流れが望ましいのだ。


だが会談の刻限となって広間に向かうと、驚くべきことに上座に男が座っていた。おそらくは元康(後の家康)であろう。両脇には松平家臣が並び、完全に上位者が下位者を迎える形だった。

しかし正式な守護にして官位官職を持つ龍興に対して、名目上元康は国人に過ぎない。事実においても今川の被官であった。

どうしたものかと龍興が立ち尽くす間に木下藤吉郎が慌てて前に進み出て跪いた。


「蔵人佐(元康)様、お久しゅうございます。織田上総介が家臣、木下藤吉郎にございます。

 こちらにおわすのは美濃守護(◆◆◆◆)一色(◆◆)右兵衛大夫様にございまするっ!」


その言葉を聞いて一同ぎょっとして龍興を見た。そしてそれを見た龍興は悟った。彼らは龍興を下に見ようとしたのではなく、そもそも龍興が来ることを知らなかったのだ。


――叔父の誰かと混同されたかな?


信長の手前、敢えて「斉藤」を名乗っていたので、松平へも「斉藤右兵衛大夫」として知らされたのだろう。そして織田家には道三側についた叔父達が何人かいたはずだった。きっとその誰かと勘違いされたのだと思ったのである。

しかし実はこれは、龍興が光秀と二人だけで岡崎に行くと聞いた信長が、「また身分を隠していって吃驚させる算段か」と早合点したのが原因だった。そのため信長は松平には敢えてぼかして伝え、軽輩だが機転の利く木下藤吉郎と十人ほどの腕の立つ護衛だけを付けて送り出したのであった。


いずれにせよここで龍興が松平の過失を責め立てたところで得るものは何も無い。そこで彼は相手が動揺している間に広間に踏み込んだ。


「やあやあ、初めてお会いしますな。斎藤右兵衛大夫龍興にござる。そこもとが松平蔵人佐殿でよろしいか?」


鷹揚な振りをして厚かましく割り込んで行くふてぶてしさは、放浪している間に磨いた(?)特技である。ズンズンと上座に迫ると、当然という顔をして勝手に元康の横に腰を下ろした。これで松平は対等な座を用意して待っていたことになる。ちょっと左右対称じゃないけど、そういうことになった。最上位者の龍興がそう決めたのだ、問題ない。


「ああ……いや、これは失礼致しました。松平蔵人佐(くろうどのすけ)元康にござる。……ございます」

慌てる元康に対して龍興はあくまでも鷹揚だった。


「おやめくだされ。某は若輩者にござる。それに濃尾三の三国で五分の同盟を結ぶのですから、我らは対等にござろう?」


「は? 濃尾三? 三国?」


当然だが元康も松平家臣団も何のことか分からなかった。


「おや? 織田と松平で同盟を結ぶと聞きましたが、違うのでござるか? 我が斎藤も織田と同盟を結ぶ故、合わせて三国の同盟になるかと思っておったのですが?」


「な、なんですとっ!? 斎藤と、織田が、同盟っ!?」


織田と斎藤が同盟を結ぶなどという話は寝耳に水であった。一同の目が今度は藤吉郎に向けられた。


「はあ、その、何だか分からん内にそうなりました」


正直な話、彼としても当惑しきりである。なんでそうなったのか分からないけど、なんでかそういうことになっていたのだ。殿様はなぜか御機嫌で、なんでか藤吉郎が盛大に褒められた。


「何だそれはっ!?」

「ちゃんと説明せいっ!」


松平の家臣達は小身の藤吉郎相手なら遠慮も要らないとばかりに怒声が飛んだ。しかしそれが藤吉郎の気に障った。


「あ? 分からんもんは分からんのじゃ!」


顔を真っ赤にして叫ぶ彼の顔は、確かに猿っぽくも見えた。


「知り合いに呼び出されて訪ねたら、昨日まで無かった城が出来とって、『織田の殿様に贈り物じゃ』言うて押し付けられたんじゃ! 分かるか? 分からんじゃろっ!?」


その勢いに押されたのか、松平家臣団も押し黙った。単に何を言ってるのか本当に分からなかっただけかもしれない。


「織田家の嫡男奇妙丸殿を俺の養子にすることにしたのだ」


龍興の発言に、皆がはっと顔を向けた。


「時間を掛けて織田家と斎藤家を融合させる。まあ、織田家家臣の中には美濃で所領を得たいと思っておった奴もいるだろうから、皆が賛成しているわけではなかろうがな。だが、そこはそれ……」


龍興は浮かべていた笑みを消して、松平家の面々を眺めた。


「……美濃兵とともに美濃以外(◆◆◆◆)の土地を奪い取れば良いことだからな」


露骨な脅しに元康たちの顔が引きつった。


「……我らの城で、我らを脅されるか」


「脅し? 人聞きの悪いことを。織田と結ばぬというのであれば、今川の手先を続けるということであろう? ならば当然戦いになる。

 水が高きから低きに流れるように、これは自明のことである。脅しでもなんでもなかろう」


「…………」


あくまでも他人事のように言う龍興に、元康たちはぐうの音も出なかった。

今川にとって織田は親の仇だ。今川の傘下に居る限り織田との戦いは避けられない。では織田と戦いたくないからと言って今川の傘下から出ればどうなるか? 見せしめとして今川が攻めて来るだろう。

では今川と協力して織田と戦うのか? 今川は関東に手一杯で兵の一人も送ってこない一方で、織田は斎藤と合わせて100万石を超えるというのに?


「……悪い冗談じゃ」


思わず元康は吐き捨てていた。


彼が駿府にいた頃、今川は巨大な山のように見えた。昨年尾張に攻め込んだ折には、織田家は風前の灯火に思えた。

だが一夜にして大山は崩れた。今では援軍の一人も寄越せぬと言う。


――義元公が亡くなったのだ。北条のこともある。時間が必要というのも分かる。だが……


元康は龍興の顔をじっと見た。憎しみでも畏れでもなく、ただただ不思議そうに。


「……なぜ、あなたは平気な顔をしていられるのですか?」


あいまいな質問に龍興は首を傾げた。遠回しな脅しだろうか?


「なんで恐がらないかということか? それは松平殿が今更俺を殺しても何にもならんからだが?」


実は龍興が言うほど盤石というわけではない。そもそも養子縁組自体が済んでいない。もしここで龍興が死んだら、美濃は四分五裂して大騒動になるだろう。結局信長は兵力で持って征服することになるが、松平と同盟を結ばないこともあり、やはり4~5年はかかるのではないか。まあ最後に濃尾統一の総仕上げとして、総力を挙げて松平を族滅させることになるだろうが。


しかし元康の聞きたかったことは違った。


「そうではありません。御自分の生まれ育った美濃が織田家の属国になるのですよ? なぜ平気な顔をしていられるのですか」


「ああ、そういうことか……」


言われてみて龍興は首を捻った。彼が織田家の支配を不安視していない理由は、夢の中で美濃が栄えていたからだ。信長が本拠地を稲葉山城に置き、城下に配下の武士達の屋敷を置いたことで巨大な町になった(伝聞)という。美濃の国人たちも古参として扱われ、所領安堵どころか他国に新領を与えられる者も多かった。だからこのまま龍興が大名として支配するより、さっさと信長に任せた方が美濃の人々のためになるという確信があった。だがそれを元康達に説明することはできない。したところで信じられないだろう。


そして龍興はもう一つ気付いた。土岐氏の長い歴史に比べて、わずか3世代でしかない斉藤家の支配。しかもその「斉藤家」は、実質的には京からの流れ者だ。美濃の者たちはそんな者を受け容れるくらいに、土岐氏のお家争いを疎ましく思っていたのだ。だから流れ者の「斉藤」でも他国者の「織田」でも、どちらでも構わないという気分だったのだ。

しかし三河は違う。一旦は今川の傘下に入ったが、今川は属国として扱った。元康自身は人質として送られた駿河で思いもよらず厚遇されたが、残された家臣領民は文字通り属国の者として扱われたのだ。今川が織田になったところで同じなのではないか。彼らがそういう思いを持つのは、むしろ当然だったかもしれない。


龍興は威儀(いぎ)を正した。


「同盟の話と養子の話は全くの別です。織田も我らも、松平に求めるのは今川の相手のみ。兵が足りぬとあれば援軍を出しましょう。それは我らを守るためでもあるのですから。

 それに美濃は属国にはなりません。そのために奇妙丸殿を養子に迎えるのです。某の後を某の従兄弟が継ぐ。どこもおかしくはありませぬ。むしろ次の織田の当主は、側近が美濃者ばかりになるやもしれませぬぞ?」


軽く笑いを浮かべる龍興に、元康が頷いた。


「……なるほど」


少なくとも松平と織田の関係は、松平と今川の関係とは違う。斉藤と織田の関係がどうなるのかは未だ見通せないが、織田にとってより重要なのは斉藤との関係だ。両者を仲裁し得る松平を、好んで敵に回すはずも無い。


――三国になったことで、返って松平の立場が良くなったかもしれぬ


織田と松平だけであれば単純に国力が倍以上違うだけでなく、織田が手を引けば松平は今川に攻め滅ぼされるという弱みがあった。どうしても松平は従属的な立場に立たされることになっただろう。


元康が納得したと見た龍興は、トドメとばかりに楽しそうな大声を出した。


「それに松平殿と織田の叔父上は親友(◆◆)同士ではありませぬか! 幼い頃、尾張でともに遊んだと聞いておりますぞ!」


元康の脳裏に幼い頃の思い出が浮かんだ。元康の顔が引き攣る。


「……そ、う、ですな。ええ、吉法師様にはお世話になりました。あのような経験、駿河では出来ませんでしたなぁ……」


彼はなんとか声を絞り出した。嘘ではない。嘘ではないが、嘘ではないだけだ。

良きにつけ悪しきにつけ、氏真は常識的だった。うつけではなかった。ただ信長が無茶苦茶だったのだ。

するとその述懐を聞いた家臣達が目を丸くした。


「殿、そ、それは誠で?」

「なんと! 殿と織田様がそのような関係だったとは!」

「これまで苦しかったことでしょうなぁ。親友を敵にせねばならなかったとは……」

「水くさいですぞ! なぜ我らにその事を話して下さらなんだのです!」


彼らは今川にせよ織田にせよ他国者への不信感に凝り固まっていたのだ。だが元康と信長が個人的な友人だったと聞いて、「それなら悪いようにはならないよな」と短絡的に納得してしまった。なぜなら彼らの不信の根本的な原因は、他国人を理解出来ないから。正確には理解出来ないと思って理解することを諦めているから。だが「信長の親友の元康」になら、問題を丸投げできると知ってしまったのである。


「え? いや、急に何……?」


家臣達の豹変に一人戸惑う元康を置き去りにして、その日松平家は三国同盟へ参加することに決した。

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[良い点] 三河の田舎侍は単純で草
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