第51話 執事にはもう戻れない
アンダレジア王宮の一室。
リアムは執務机に着いて次々と仕事をこなしていた。
第一王子付きとして新たに任命された文官たちは、その処理の速さに舌を巻いた。
この者たちは元王太子だったニコラオの下で働いていた者たちで、実はとんでもなく優秀である。
自分で物事を考え処理できないニコラオを上手に使いながら、実際に施策を動かしていた者たちである。
ニコラオを王と仰ぐことに不安ばかりが募っていたものだが、それでも一応は国として回っていた。
それが、突然ニコラオが排除されたばかりか、第一王子がぽっと現れその下で働けと命じられる。
ずっと行方の知れなかった第一王子にどう応対してよいのか心が決まらないうちに配属され、初日からリアムの能力を目の当たりにし、あっという間に心酔し、自分たちも目まぐるしく働いている。
王宮は傾きかけていた屋台骨がよみがえったようであった。
とにかく次から次へと案件が持ち込まれ、ものすごい速さで処理されていく。
文官たちも矢継ぎ早に各部署への指示を出しに頻繁に部屋を出入りし、休む暇なく一日が終わる。
リアムが王宮に戻ってからの一か月休みもなく毎日この激務であった。
そこへ舞い込んだ一通の書状。
「アルフォンソ殿下、先日王宮を発たれたオーウェルズ国ナリス第二王子より書状が届いております」
リアムは目を落としていた文書から顔をあげてやや怪訝そうに取次の武官を見た。
ナリスはオーウェルズ国内での人身売買にからむ賠償問題の話を詰め、ほんの数日前に王宮を去ったばかりである。
「ナリス様から?用件はなんだ」
「この書状を持って来た者をアルフォンソ殿下に面会させるように、とのことでございます」
「誰が持って来たのだ」
「は、オーウェルズ国スチュワート伯爵令嬢様と伺っております」
リアムはガタッと音を立てて席を立った。
部屋にいた文官全員の視線がリアムに向く。
「ご令嬢はどこに?」
「応接間に通されております」
「わかった。すぐ行く。皆はその間休憩を取ってくれ」
「「「かしこまりました」」」
文官たちは礼儀正しくリアムの退出を見送ったが、姿が見えなくなると気が抜けたようにソファーに座り込み、若手が用意したお茶を飲みながら、令嬢の正体を噂しあった。
「あの殿下がすぐさま駆けつけるとは、相手のご令嬢はまさか恋人か?」
「しかし、殿下にはアデレード様がいらっしゃるじゃないか」
「そうだよなぁ。アデレード様が相手では、他のご令嬢は太刀打ちできないだろう」
「昔の恋人ってところかな」
「そんな過去の女が会いに来たからって、出向くと思うか?」
「合理的じゃないことはやらなそうだよな」
「まあ、誰でもいいけど、頻繁に会いに来てくれたら、俺たちも休憩できるぜ」
「それは言えてるな」
「「ははははは」」
そんなことを言われているとはつゆ知らず、リアムは武官に案内され足早にルシアの待つ部屋へと向かった。
武官がノックし扉を開けると、すぐにリアムは中に入った。
部屋にはステラを伴ったルシアが不安そうな表情で椅子に座っていた。
リアムの姿を見つけると、ルシアはほっとしたような、それでいて泣き出しそうな顔をして立ち上がった。
「ルシア様、どうされたのです。こんな所までお越しになって」
「ごめんなさいっ!お邪魔してしまって」
「邪魔などでは決してありませんが、一体何があったのかと心配しています」
「わたくし、どうしてもリアムに会いたくて来てしまいました」
「私に会いに?」
「ええ」
「では緊急で何かあったわけではないのですね?」
「…ええ、ごめんなさい」
リアムは少しほっとして、あらためてルシアを見た。
そして優しくほほ笑むと、歩み寄り、そっとルシアを抱きしめた。
「あやまらないで。嬉しいから」
「リアム!」
ルシアは涙をこぼしながらリアムの背にぎゅっと腕を回した。
「リアムがいなくなってしまって、わたくし、とても悲しくて。それで、今までリアムにどれだけ甘えて来たかもよくわかって、ちゃんとリアムにありがとうとか、ごめんねって伝えてなかったから、きちんと伝えたいと思ったの」
「俺がいなくなって悲しかったの?」
「ええ、もう死んでしまった方がいいと思うほどに。わたくし、あなたがいなくなるなんて思いもしなかった!なんて傲慢だったのだろうと反省したわ。リアムがいなければ、わたくし生きていけそうもないわ」
「それは、プロポーズなの?」
「えっ!!!」
ルシアが目を真ん丸にしてリアムを見上げる。
自分が言ったことを思い出して、顔を真っ赤に染めた。
「そ、そんなつもりではなかったの…」
「じゃあどんなつもり?」
「え?どんなつもり?え、わたくしはただ、自分の気持ちをきちんとリアムに伝えて戻って来てほしいと思って」
「じゃあ、執事に戻ってくれってこと?」
ルシアは口ごもった。
リアムはルシアの涙を指でそっとぬぐって、そこに口づけを落とした。
「今まで黙っていてごめん。俺、アンダレジアの王子なんだ。だからルシアの執事にはもう戻れない」
ルシアはそれを聞いて、胸がずきりと痛んだ。
「そうよね…。王子様が執事なんて…」
俯きかけたルシアの頬に手を当て、リアムは顔をそっと上げさせた。
「ルシアは執事が必要なの?それとも俺?」
「それはリアムに決まっているわ。執事じゃなくても、リアムが必要なの」
「なんで?」
「…リアムのことが、好きだから」
リアムはルシアの唇に口づけた。
そっと唇を離すと、満面の笑みを浮かべた。
「俺も好きだよ、ずっと。やっと言えた。もう離さないよ」
「リアム!」
二人は強く抱きしめあった。
ルシアが抱えていた不安も、リアムの口づけ一つでスッと消えてなくなった。