第43話 そう言われてしまうと立つ瀬がない
オーウェルズ国第二王子のナリスが、ここアンダレジア国の王都に着いてから5日目。
明日に結婚宣誓式を控え、今夜は国王主催の歓迎パーティーが開かれる予定である。
ナリスは光沢のあるシルバーの燕尾服に差し色で紺色をあしらった洗練したスタイルで王宮の廊下を歩いていた。
優し気な面差しですれ違う者がみな見惚れ足を止めてしまう。
そんな視線もなれっこのナリスは薄くほほ笑みを湛えたまま、内心では遠くサガンの町で眠る伯爵令嬢に思いを馳せていた。
(ルシア嬢は目覚めただろうか)
ナイフで刺され血まみれになって倒れたルシアの姿が脳裏から離れない。
最後に見舞ったときはすっかり傷は治ったと聞いたのに、一向に目を覚まさなかった。
静かに眠っていたが、その顔は青白く呼吸をしているのかも不安になるほど弱々しい様子だ。
(執事に嫌味を言われるまでもない。私が守れなかったのだ)
護衛騎士にも罰が与えられた。
ナリスの護衛を解任され町中の治安維持にあたる衛兵隊へ異動となったと聞いた。
刺されたのがルシアでなくナリスだったら今頃は大変なことになっていただろうから、この処分は仕方のないことだった。
しかし、それもナリスには自責の念となっていた。
あの日、ルシアとの町歩きを楽しみたくて、護衛にはなるべく離れたところから見守るように命じていたのだ。
それが仇となった。
捕縛されたエジンバラ子爵令嬢アントワーヌはナリスを恋い慕う元侯爵令嬢スカーレットの取りまきだったため、ナリスも顔を覚えていた。
ナリスがルシアに興味を持ったがために標的にされたのではないかとナリスは考えていた。
女の嫉妬である。
アントワーヌ自身からナリスへの秋波を感じたことはなかったから、スカーレットに命じられての行動だろう。
(しかし、アンドレイ侯爵家は先日没落した…。いや、待て。あの没落劇にはスチュワート伯爵が噛んでいる。関係があるのか?)
関係、おおありである。
すべてリアムの仕業である。
アントワーヌはルシアが黒幕と勘違いしていたが、リアムがルシアの専属執事であることを考えればあながち間違っていない。
(早く国に帰ってルシア嬢の無事を確認したい)
ナリスは滞在期間を切り上げて帰国することも考えていた。
しかし予定は大きく狂うことになる。
考え事をしながら歩いていたナリスの正面から、ハッとするほど美しい女性が供の者を引き連れて歩いてくるのが見えた。
マドラ国王弟の息女アデレードだ。
ナリスとアデレードはこれまで会ったことがない。
しかしアデレードの容姿が特徴的なこともあり、一目見てそうとわかった。
初めてアデレードを見た大抵の者が視線だけでなく心まで囚われてしまうのに、ナリスは違った。
己も美しく、視線を集めて生きてきた側だからか。
見た目の美醜に惑わされて判断を間違うことの許されない王族だからか。
ナリスはアデレードの隣を歩く、仮面の男にすぐさま意識が向いた。
なぜ、と思った時には、ナリスの足が止まった。
アデレードはいつものように艶やかにほほ笑んで、ナリスの挨拶を受けようと立ち止った。
ところがナリスはアデレードには目もくれず、リアムに話しかける。
「君はスチュワート家の執事だろう。なぜここにいるのだ?ルシア嬢はどうした?」
アデレードはちょっとむっとして、ナリスに話しかける。
「人違いではなくて?この者はわたくしの連れです」
ナリスはハッとして、居住まいを正した。
「これはご無礼をしてしまいました。私はオーウェルズ国第二王子のナリスです。アデレード様とお見受け致します」
「ええ、わたくしはマドラ国王弟が息女アデレードです。お初にお目にかかりますわ」
「お噂にたがわず美しい方だ」
「あら、お世辞でも嬉しいわ」
「…こちらのお連れは、私の知り合いです。少し話をしても?」
アデレードはリアムを見る。
リアムは小さく頷いた。
「場所を変えましょう」
「ああ、ではそちらの談話室を借りよう」
三人とそれぞれの護衛は談話室へと移動した。
「それで?君はなぜここにいるんだ」
ナリスは性急にリアムに問う。
「ここにいる必要があるから、としか申し上げられません」
「…そうか。では、ルシア嬢はどうしたのだ?まだ眠ったままなのか?」
「いいえ、こちらにいらっしゃるアデレード様がルシア様にかけられていた呪いを解いてくださいました。今は意識が戻り、療養されていることでしょう」
アントワーヌから聞き出した情報から、ナイフを介して呪いがかけられたこと、アデレードが解呪のエキスパートであることを簡単に説明する。
するとルシアの意識が戻ったと聞いて、ナリスはあからさまにホッとした。
「そうか…意識が戻ったのか。それならば良かった。あの時は本当にルシア嬢を守れなくてすまなかったな」
「いいえ、滅相もございません。すべて私の責任です」
「そう言われてしまうと立つ瀬がないな。しかし、ルシア嬢の側にいなくてもいいのか?専属執事なのだろう?」
「私はお暇をいただきました。今はこちらのアデレード様と共におります」
「…そうなのかい?それはまた。その程度の気持ちだったのかと驚いてしまったよ」
「なんとでも仰ってください」
「ではルシア嬢のことは、今後は私が守っていこう」
「今度こそ、お守りいただければと思います」
そう言ったリアムの瞳は睨んでいると言っても過言ではないほど険しく強いものだった。
(なんだ。少しも気持ちが変わっていないじゃないか)
リアムは鼻白んだ。
「…肝に銘じよう」
これで話はおしまいだ、とナリスが席を立とうとしたのを引き留めたのはアデレードだった。