第29話 不穏な空気
アデレードはスッと音もなく立ち上がると、ニコラオにお辞儀をした。
「ご不快な思いをさせてしまい申し訳ございません。これ以上お目汚しをしないよう本日はこれにて下がらせていただきます。ごきげんよう」
「あ、いや、待ってくれ」
ニコラオが引き留めようとするが、アデレードはさっさと退出してしまった。
ニコラオは己の失態を顧みることなく、いら立って悪態をついた。
「なんだあいつは!オレが声をかけてやっているのに!婚約したらオレの言うことを聞かせなくては」
その場にまだ残っていたメイドたちは鼻白んでニコラオを白い目で見た。
もちろんそれにもニコラオは気が付かない。
アデレードは自室に戻ると、共をしていた年かさの侍女に言った。
「ばあや、わたくし、あの方が嫌いだわ。わたくしの髪を気持ち悪いと言ったわ。そういうことを陰で言っている人がいるのは知っているけれども、面と向かって言われたのは初めてよ。もうお会いしたくないわ。結婚なんてしたくない」
「姫さま、ばあやは姫様の髪の毛が大好きですよ。とても美しいと思います。結婚がお嫌なら御父上に相談をされた方がよろしいですわ、きっと御父上も考え直してくれるはずです」
「そうね…。父に話をしてみます。取り次いでもらえるかしら」
「かしこまりました。お待ちくださいませ」
アデレードの父であるマドラ国王弟ルシュイは、様々な人と会って人脈を広げていたが、今なら時間が作れるというので、アデレードはルシュイの部屋を訪ねた。
「アデレード、ニコラオ王子とのお茶会だったのではないか」
「お父様。ニコラオ様にわたくしの髪の毛は気持ち悪いと言われました」
「なに?このようにかわいらしいアデレードに向かって気持ち悪いだと?ふざけた奴だ」
「わたくし、あの方が嫌いです。政略結婚なのは承知していますが、どうしてもいやなのです」
「しかしなぁ、軍事的な支援を取り付けるためにお前の結婚が必要なのだ」
「わかっています。ですが、白い髪は病気なのかと、病気持ちが嫁いで来るのかと言われたのですよ。病気でないなら呪いかと」
「なんだと!あの小僧…!」
「どんな方でも結婚したら愛し、支えようと思っていました。ですが、あの人は生理的に無理」
「そうか。では第一王子はどうだ。お前が第一王子の方が良いと言うのであれば、そちらでも構わん」
「まだお話をしていないのでどういった方かわかりませんが、第二王子よりは優しそうで好きです」
「では明日以降は第一王子と交流を図りなさい」
「わかりました」
すぐにアンダレジア王ドミニクのもとへ、アデレードが貶められたことへの抗議と婚約者変更の要望は届けられた。
ドミニクは激怒してニコラオとアルフォンソを呼び出した。
「ニコラオ、アデレード姫に対して悪態をついたと言うのは真か」
「悪態?そんなことはしておりません」
「では髪が気持ち悪いだの、呪いだのとは言っていないのだな?」
「それは言いましたが、悪態などではありません!」
「言ったのか?」
「言いました。お父様だってあのような白い髪、気持ちが悪いでしょう?」
「この、馬鹿ものが!!髪の色などどうでもよいわ!もうよい。アデレード姫との婚約はアルフォンソと進めることになった。アルフォンソ、よいな」
「はい、かしこまりました」
「な!そんな馬鹿なこと!父上!お待ちください。私がアデレード姫と婚約するはずではありませんか!」
「馬鹿はお前だ!友好のために招いた隣国の姫に気持ち悪いなどと暴言を吐いて、どうして婚約できると思うのだ。同盟を破棄されてもおかしくなかったのだぞ。もうよい、下がれ!」
アルフォンソはお辞儀をして執務室から退出した。
諦め悪くニコラオは父上、父上、と叫んでいたが、側仕えの者たちが暴れるニコラオを抱き上げて連れ去って行った。
「まったく…。あいつの側仕えの者たちを変えなくてはならないな。わがままを許さない気骨のある奴を見つけておけ」
「はっ」
その時、執務室の外が騒がしくなり、バンと乱暴に扉が開けられた。
キーキーと甲高い声を発する正妃が鼻息荒くやって来たのだ。
王の護衛騎士も侍従も、正妃を引き留めはしたものの、力づくと言うわけにはいかずついに執務室への侵入を許すこととなってしまった。
「あなた!ニコラオがアデレード姫の婚約者から外されたと聞きましたわ!一体どういうことですの!」
ドミニクはうるさそうに王妃を見た。
「どうもこうもない。ニコラオが姫に悪態をついたせいで、向こうから断られたのだ」
「何ですって!ニコラオが悪態などつくわけがありません。言いがかりでしょう!」
「しかし、本人が認めたのでな」
「まぁ!…それでしたら婚約はやめてもかまいません。同盟も結ばなければいいではありませんか。だいたいこの度の同盟はマドラ側にしか利がありませんのよ。ニコラオが気に入らないと言うのなら破棄すればよいのです。なぜアルフォンソとの婚約になるのです!」
「馬鹿を申すでない。同盟を結ぶと国同士で約束したのだ。それをこちらの悪態が原因で破棄になどなれば世界中からの信頼を失うのだ。仕方があるまい」
「なんてことでしょう!わたくしは絶対に認めません!」
「うるさい!お前が認めなくてももう決まったのだ。下がれ!」
これまで後ろ盾のなかったアルフォンソに隣国マドラが立つとなれば、反正妃派の連中がアルフォンソを王太子にと推す声が大きくなるに違いなかった。
いくら側妃のミランダとアルフォンソが否定しても、王妃の猜疑心はとどまらなかった。
(女狐とその息子に、王位を渡すものですか!)
王妃は不穏な空気を纏って部屋へと戻った。