第90話 大岩
花粉症には辛い季節です。
「隊長、この横穴……」
バネットの視線の先、通路の上部には斜め上方向に伸びる穴が見える。
「この上は……さっきの落とし穴の部屋か?」
私のマッピングに狂いが無ければこの穴はおそらく――
「あのガキはここに落ちてきたってことになりますね」
ジフテルの意見に頷く隊員達。
やはりそうだ。アルド君はあの後ここに来たのは間違い無い。
しかしここまで来るのに分岐らしい分岐は無かった。それにも関わらず彼の姿を見かけなかったということは……
「更に先に進んだというのか……」
あの後、段差だらけの通路を進むこと30分程。
やけに暑い通路の後には肌寒い通路が続いていた。そして今我々は再び暑い通路を進んでいる。こうなればここのダンジョンマスターの意図は完全に理解できる。明らかに我々を疲れさせることを目的とした造りだ。もうしばらく進めばまた寒い通路を進むことになるだろう。人間の体の仕組みをよく研究している。
我々は耐性ポーションの効果でかなりマシになっているが、その恩恵を受けられていないアルド君は相当辛いはず。彼の身体能力は見たところ従騎士に成りたての若い隊員と同じ程度、であればこの通路に多数存在する段差を越えて進むのはかなり体力を消耗するはずだが……
「あのガキに魔物が集中した可能性もありますよ。魔物にやられて既に吸収されちまった後かもしれませんね。それならこの魔物の少なさにも説明が付きます」
ジフテルの意見も尤もだ。予想した飛行系や虫系の魔物どころか、魔物の影すら無いというのはいささか不自然だ。こんな絶好の襲撃の機会に魔物が襲って来ないというのは、既に魔物が何者かの手によって倒されたと考えるべきであろう。
(私が思っていたよりも彼は強いのか? いかんな……今は使命を果たすことだけ考えるべきだ)
「確かにそうだな。いずれにせよ進んでみれば分かる。バネット、この先は?」
「相変わらずですね、通路全体から罠のような気配はするんですけど……」
「危険な感じではない、か」
「はい」
「それならいいが、何なら少し休むか? この調子なら今後もしばらく続くぞ」
斥候として警戒をしてくれている彼女は常に緊張状態が続いている。
「大丈夫です。問題ありません」
見習いじゃあるまいし変な見栄を張って強がるような我々ではない。
彼女がこう言うのだから大丈夫なのだろう。
「わかった。では先に進もう」
――その後。
横穴の発見から約1時間程度は経っただろうか。
予想通り、暑い通路、寒い通路を3回程繰り返したところで、我々の耳にあまり聞きたくない音が聞こえてきた。
少し先の曲がり角から先を窺っていたバネットがこちらに戻ってくる。
「扉があります。その先から聞こえてきますね」
「そうか。ここまで扉を通過する毎に通路の温度が切り替わっていた。それでいけばその扉を越えればまた環境が変わると考えるのが妥当だが……」
「これは大岩の罠の音ですよね」
バネットが指摘する通り、聞こえてくるのはゴンッという鈍い音。そしてその音と同じタイミングで体に伝わる振動。これは今までに何度も経験がある。
「この衝撃音と振動、間違いあるまい。セレナ、道順はどうなっている?」
「残念ながらあの扉の方を指したままですね……しかし一体どういうことでしょう、この音が聞こえてくる間隔……10秒も無いような……」
大岩の罠は長い坂道を大岩がで転がってくるという物だ。教会が保有する記録の中にはスイッチを押したり踏んだりすると岩が転がってくるという物もあるが、今回のように一定間隔で常に岩が転がってくるタイプの物も数多く報告されている。
そして、一定間隔の場合は必ず坂の途中に退避場所が設けられており、そこに逃げ込みながら通過するというのが攻略法なのだが。ここまで間隔が短いのは聞いたことが無いな。
「考えていても仕方が無い。開けてみれば分かることだ」
開けた先は安全である可能性が高いので開ける分には問題無いはず。これも記録によるもので、ダンジョンには不思議と侵入者に対する配慮と思われる造りが見受けられることが有り、この大岩の罠の場合は、坂途中の退避場所もそうだし、周辺には魔物も存在せず、終点には必ず安全地帯が存在するというのが特徴だ。
「はい。では……行きます!」
バネットは扉に近づくと恐る恐るといった様子で扉を開け中を確認する。
扉を開けたことによって衝撃音がひと際大きく聞こえる。
(扉の先は部屋になっているのか)
おそらくは10メートル四方の部屋で、天井は高め。
すぐに扉が完全に開かれると、その部屋全貌が明らかとなった。
そして部屋の奥、右から左へと高速で移動する物体が現れるや否や、バゴンッという音を立ててその物体――大岩は左側の壁に衝突すると粉々に砕け散った。
(いつ見ても不思議だな。砕け散った破片はどこに消えているのか)
「通路は右側の様ですけど……なんというか」
バネットが言葉を詰まらせる。
その理由は――
「やけに大きい岩だな。直径は……6メートル行かない位か?」
振動がかなり大きいから予想はしていたが……
転がって来ては砕け散る大岩を見ながらしばしの間立ち尽くす。
この罠はこれが嫌なんだ。当たれば即死という緊張感には慣れない。
たとえ退避場所が設けられていると分かっていてもだ。
しかし、妙だな……
「バネット、悪いが坂道を覗いてみてくれないか。岩の速度が速すぎる。どこまで走ればいいのか見てくれ」
これも不思議なことだが、大岩の罠の岩は急に現れる訳ではなく、必ずどこからか落ちてきて、それからようやく転がり始める。だが今実際目にしている岩の速度はかなり速い。正確には分からないが、通路から室内に差し掛かってから1秒と経たずに壁に衝突していると思われる。この場所でこの速度に到達するためには相当な距離を転がって来ないとこの速度にはならないはず。
「はい。多分近くに……」
そう。10秒程の間隔しか無いのにこの速度ということは退避場所が相当近くに設けられていないとおかしい。バネットも同じ考えのようだ。
彼女に付いて部屋の奥に向かう。そして彼女は岩が通り過ぎた直後を見計らって通路を覗き込むとすぐに顔を引っ込めた。
その数秒後、岩が近くを通り過ぎて行く。
「ここだと風が凄いな。で、どうだった?」
「いえ、それが……」
「どうした?」
「済みません、もう一度見てみます」
ああ、そうか。こうも時間が短ければ無理もない。だが――
「あ、あれ? そんなはずは……」
彼女は呟くと三度通路を覗き込む。
「退避場所が……無い?」
「何? そんな訳無いだろう。短い通路なのか?」
彼女の口から出た言葉に耳を疑う。
それが事実なら退避場所が必要ない程の距離ということか?
「いえ、それが……かなり長い、と思います。見ようとしても次のが来てるのでよく見えないんですけど。済みませんが皆さんも見て頂いていいですか?」
彼女の言う通りに交代しながら全員が通路を確認する。
その結果――
「どういうことだ? 本当に無いぞ。セレナ、もう一度聞くが道は合ってるな?」
「はい。私も気になって確認しましたけど、間違い無いです。見たところ遥か遠くに曲がり角みたいなのがあるくらいですが……遠すぎます」
「それは私も気が付いた。だが100メートル以上はあるぞ? 平地で身軽な服装ならともかく、上り坂な上にこれでは……」
身に着けている鎧を軽く叩きつつ皆と顔を見合わせる。
「まさか装備を外せということか? いや、それは無いか……」
そもそも坂を転がる岩は1つではない。こちら側の岩が衝突して砕け散る頃にはおかわりの岩が転がり始めている。走り抜けるのは不可能だ。それにあの大きさでは受け止めることも出来ない。
(一体どうすれば……)
思わぬ障害に私は頭を抱えることとなった。
少なくとも時速40キロメートル程でしょうかね




