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粘膜特急  作者: 佐野和哉
5/6

5.粘膜大巨人

「むちゃああああああああ」

 目も鼻も口もない肉塊人にくかいびとが低くはらわたまで響くような雄たけびを上げた。文字通り筋肉の塊が盛り上がった腕の先端がバールのように変形しており、この湾曲した前腕を肉の床に突き刺した。お互いの気持ちを言外に確かめ合った僕とポリ子ちゃんは口づけを交わそうとしていたが間一髪それをかわして、前転受け身のち体勢を立て直してこの肉塊人を睨みつけた。ポリ子ちゃんは一歩下がって、ワゴンにしがみ付きながら固唾を飲んで戦況を見守っている

「む、む、むぐ」

 突き刺さったバールのような腕を引っこ抜き、粘っこい血潮が糸を引く。それと交換するように反対側の腕も振り回し、両腕で僕の首を刈り取ろうと迫って来た

「む! む! むぅ!」

 わあ!

「ウノさぁん」

 顔面狙いの斬撃の中に、足払いを混ぜて来やがった。モノの見事に引っ掛かり、足を取られて肉の床に転がった僕を見てポリ子ちゃんが悲鳴を上げる。ヒロインの黄色い悲鳴を浴びながら戦うなんざ気分いいや

「アジなことしやがる、肉のくせに」

 さあ来やがれ。お前の攻撃なんざお見通しさ

 素早く起き上がって、再び振り回してきた肉塊人の左腕を取って片羽に極めながら背後に回る。案の定、背中はガラ空きだ。左腕をチキンウィングに固めたまま胴体に手を回す。僕より少し背が高く手足の長い肉塊人は重心も高かった。思いのほか軽く持ち上がったところでヘソに乗せてそのまま

 ブリッヂ!!

「もぐゅぅぶ!」

 ドスン! と、ぶづん! が同時に響いた。ハーフチキンウィングスープレックス、とでも呼ぼうか。モノの見事に後頭部から投げつけられた肉塊人の片腕がもげた。ただしロックしてない方の腕だ。フリーのまま落下したせいで自分の身体に巻き込まれてしまい、そのまま全体重がかかった時にぶづん! と鳴った。でも、そんなの全然関係なさそうだ。肉塊人はピクリとも動かず、あっという間にシュウシュウと黒ずみながら乾いて行った。酷い悪臭をまき散らかして

「すごぉーい」

 ポリ子ちゃんが真っ黒なアイセンサーを白黒させて、口元に手を寄せて感嘆の声を漏らしている

「いやあ、昔とった杵柄さ」

 意味は分からんが多分そんな感じの事を言ってみた

「じゃじゃじゃ、じゃあ、アイツも楽勝ですわね!」

 引きつった笑みを浮かべたポリ子ちゃんが指さす先には、身長2メートル23センチ体重200キロはありそうな大巨人。もちろん肉塊。肉塊・ザ・ジャイアントが立っていた

「ウッソだろ……アンドレじゃねえか」

「あんどれ? 井上陽水がお好きですの?」

「今ここで氷の世界を歌ってどーする」

「んごぉおおでぃのぜがあああああいいいいぃいいいい!」

 もはや雄叫びなんてものでもない、完全な咆哮だ。どっちがよりデカくて強いのかはわからんがコイツは多分さっきみたいには行かないだろう。幸か不幸かジャイアントの両手には五本ずつ指があった。が、その巨体からは想像もつかないほどの素早い動作で僕の額から頭蓋骨を丸ごと包み込むように

 むんず

 と握り締め、猛烈な力で締め付けて来た。やっぱりド不幸だった!

「いででででででで!!」

「ウノさあん!」

「いっでえええ」

 メキ、メキ、とイヤな音がする。まあ大体骨がメキメキ鳴ってる時はイヤな音に決まってる。この世で心地よいメキメキなんてトム・ジョーンズの歌ぐらいのもんだ。だんだん意識が遠ざかって、ズキズキする痛みまで薄れていくようだ。ぶっふっふっふ、と口も鼻も無いのに何処から漏れているのかジャイアントがほくそ笑んでいるのがわかる。このデカブツめ、どうしてくれよう……あーいだだだだ!

「ど、どうしよう……あたくし、あたくしどうしたら」

「があーーっ!」

「ウノさああん!」

 なんて馬鹿力、僕の頭を掴んだまま片手で持ち上げて来やがった。宙ぶらりんで寄る辺を失くしたために頭の締め付けがよりキツく感じる。踏ん張って力を逃がせないんだ、くそお、お、お……!?

「ぶふん!」

「うぉわーっ!」

 ジャイアントが片手で掴んだ僕の頭を、まるでボールでも放るかのようにポーンと投げ捨てた。ゴトゴトと振動を伝える粘膜特急の内壁に勢いよく激突したが、肉壁になったお陰でかえってダメージは少なかった気がする。ばちゃっと嫌な音がして粘液が飛び散ったのが顔にかかってしまったのか、ポリ子ちゃんが透明のネバネバしたものを頬から拭っているのが目の端に映った。グッジョブ粘液

 粘膜もたまには良いものだ

「ウノさん、何かおっしゃいまして?」

「ポリ子ちゃん、大丈夫だよ。こんな奴すぐに片づけるからね!」

 やましい気持ちを振り払うように、再び肉塊・ザ・ジャイアントと向かい合う。拳を握って腰を落とし、右足を前に出したまま全身の力を抜いて軽く後ろに下がる

 ジャイアントが僕を捕まえようと前かがみになり、両手を伸ばしたその瞬間

 粘膜特急の肉床を僕のブーツが勢いよく蹴った。両脚のバネに溜まった力をグンと受けて、僕の体は弾丸のように飛び出した。そのまま左膝を前に突き出して全身でジャイアントのモアイ像のような顔面めがけてガキッ! と激突した

 カ、カテエ……!

 まるで冷え固まったマグマのように固いジャイアントの骨! もはやモアイ像そのもののように、岩みたいな固さだ。ぶつかった膝がビリビリと痺れている。それなら、と痛む膝ではあったがジャイアントの膝の裏にバシッ! と蹴りを見舞ってみた。と、こっちは効果があったようでジャイアントの動きが少し鈍った。そこへ畳み掛けるように左右の蹴りを次々に見舞う。膝、太腿、脹脛がみるみるうちに赤黒く変色し破れた粘膜質の半透明な皮膚から薄黄色や赤色をした体液がダラダラと漏れている

「ぶもぉあああああお……」

 バシッ!

 最後に一発、膝の裏にマトモに入った。足の甲がめり込んだ拍子に筋繊維と軟骨が弾けて折れて砕けた感触がじわっと伝わったぐらいだ

「ぉぉぉおがああああ!」

 大巨人が地響きを立てて崩れ落ちた。膝をつき、ガックリと項垂れて、それでもその頭の位置が僕の胸辺りにあった。僕は躊躇うことなくその頭をガッチリと左わきで抱え込み喉元に前腕を滑り込ませて、テコの原理で一気に絞め上げた。そのまま背中から肉床に倒れ込んでジャイアントの脳天をDDTで叩き付ける。肉の床は固くはないが、首を垂直にめり込ませつつ頸動脈を更に絞め上げるための勢いを付けたかったのだ。コイツに頸動脈なんてモノがあれば、のハナシだが

 みち、みちみちにち、にゅち……

 粘膜質の皮膚の上を前腕の尺骨が滑ってゆくような感触。ジャイアントの背中に力が漲り始めている。首を持ち上げようとする圧力も凄まじい。まずい、と思った瞬間、僕は思いっきり跳ね上げられていた。脈打つ肉天井すれすれまで舞い上がって、そのまま緩やかに回転しつつ背中から肉床に叩き付けられた。ちょうど骨組みのある辺りに落ちたらしく思った以上に背中を打って息が詰まった。油断した、と思った更にその次には

 どおーん!

 と轟音と共に僕の目の前が真っ暗になり、遠くでポリ子ちゃんのキャー! という悲鳴だけが聞こえて来た。ジャイアントが飛び上がって、僕の腹の上に全体重をかけて圧し掛かって来たのだ。目の前が暗くなったのは巨大な肉塊の影ではなく、僕が失神寸前のダメージを食らったからだ、と何故か必死で格闘している自分自身を斜め上から見下ろしながら気が付いた

 僕はジャイアントの下敷きになってしまい、文字通りの肉布団からはみ出したように右足だけが飛び出して見えた。ドクドク流れる血、ピクピク痙攣する右足、ああーアレは死んだな。と思って戻ろうとしても体はどんどん遠ざかる。肉天井に背中がぶつかってしまうはずなのにぶつからないで、どんどん車内が広くなる。そしてジャイアントがぐったりした僕を引きずり起こして逆様に担ぎ上げた。ちょうどトランプの柄みたいに胸と胸をくっ付けるようにして立ったジャイアントが、そのまま肉床に膝をついた

 ドスン!

 と物凄い音がして、僕の首が肉床に5センチぐらいめり込んだのを、僕は5メートルぐらい上空から成す術もなく見ていた。さっきのDDTのお返しが巨体の落差を利した

「肉塊墓石脳天逆落とし(ツームストーンパイルドライバー)」

だったとは……! 肉塊脳天を食らった僕の両足が犬神家の一族よろしく宙空に向かってピーンと伸びて、頭を支点に力無くパタっと倒れた。仰向けになった僕にポリ子ちゃんが駆け寄った。ああ、あの子の顔があんなに近くに。だけど僕はこんなに遠くに……

「ウノさん! ウノさあん!」

 ポリ子ちゃん、その手に持ってるのは、なあに? え、それ、さっき僕が飲んだ煮えたぎる苦汁だよね。え、ワゴンからそれ持ってきたの?

 どーすんの?

 おい、やめろ!

 そんなものチョクで人の口の中に注ぐな、おい! やめろって!!

 ポリ子ちゃあああああん!

「さあ、早くこれを!」

「むごぉおおおおおおああああむちゃあ」

 迫るジャイアント、懸命なポリ子ちゃん、注がれる苦汁、そして全身を貫くような熱湯の刺激!

「あっづうううううううい!」

 あっ! 戻った!!

「もぉあああああああ!」

 ズズーー……ンン……

 謎の沸騰した苦汁を口の中に注ぎ込まれた瞬間に意識と体がくっ付いた! そして間一髪トドメのジャイアントプレスをかわし、そのまま前転しつつ反転しジャイアントの方を向きなおる。若いころ散々ぱら練習した「トレス・クアトロス」という動きで、受け身の基本技術が役に立った

 ポリ子ちゃんに注ぎ込まれた苦汁は吐き出す間もなく喉から胃袋、そして体の奥底から全身に回り染み込んでいった。すると瞬く間に苦み、熱さ、青臭く生臭い芳香が駆け巡ると共に、何だかわからないが力が漲って来た。まさに血沸き肉躍るとはこのことで、ハラワタの底から沸々と湧き上がる正体不明の莫大なエネルギーを感じる……これは、一体……!?

「ウノさん! さ、もうひと頑張り!」

 ポリ子ちゃんが両手を胸の前でギュっと結んで黄色い声援を張り上げる。黒いアイセンサーにピンク色のハートマークが点滅している。そこを新幹線の電光掲示板ニュースよろしく流れてゆくオレンジ色の

「FIGHT!!」

 の文字。ポリ子ちゃん、そのアイセンサーどーゆー仕組みになってんの?


「もーーあああーー!!」

 言ってる間にジャイアントの追撃が始まった。だが僕は何時の間にか、このデカいうえに何故か素早かった動きが一つ一つスローモーションというか解析が済んでるというか、不思議な感覚で捉えることが出来るようになっていた。振り上げた右腕を頭蓋骨めがけて豪快に振り下ろしながら実は腰を引きつつ回転させた勢いで左手を頬に直撃させる二段攻撃を、僕は二歩半下がって重心をやや後ろへ下げた右足に傾けつつかわし、ジャイアントが左手を引き戻す際に一瞬だけ空いた左の脇腹へ向かって爪先立ちで踵を浮かせた左足を素早く力いっぱい振り上げた。よく引き付けた太もも、そして膝から下がカクン! と跳ね上がって僕の爪先がジャイアントの肋骨を幾つか直撃しつつ粘膜質の肉体にめり込んていった。ゴキバキ、と骨が割れて砕ける音がした。どうもやはり人間とは構造からして違うらしい。プレートのようになってジャイアントの内臓を守る肋骨が割れ砕けたことで逆に内側から内臓に突き刺さった。うずくまり苦悶の声を漏らすジャイアント

「こ、これは……!?」

 崩れ落ちたジャイアントが四つん這いのまま呻き声を上げている。ガックリ項垂れた頭から半透明の赤い粘液がポターッ、ポターッと垂れている。全身が小刻みに震えている。恐らく怒りに燃えている

 今しかない!

 僕は素早くジャイアントの背中に飛び乗って、左腕を取って思いっきりねじり上げた。肘が真っすぐ完全に伸びてビチッと鳴った。靭帯が切れた、でも、全身が靭帯やら筋組織剥き出しだから何処が切れたか良くわからない! でも、効いている!?

「ウグォオオガァァァァァ!」

 残った右腕と両膝では自らの巨体を支えきれず、激痛にもがきながらジャイアントはうつ伏せに潰れ落ちた。さらに左の手首を肘の外側に回して上から押すようにして極める。逆小手・裏固め(ぎゃくごて・うらがため)という技だ。そのまま肩を支点に肘と手首、そしてさっき砕かれた脇腹を同時に攻め立てる。じたばたと巨大な手足が空を掻く

「こんの野郎!」

 さらに僕が体をのけぞらし、今度こそこの腕を引きちぎってやろうとした瞬間!

「アアアアグアァ!」

 バサッ!

 という音が素早く連続して鳴り響いたと思ったら、ジャイアントの背中が裂けて背骨に沿うような形で鋭い骨棘が飛び出した。あと数センチ後ろに頭を出していたら即死だったに違いない。思わずジャイアントの背中から飛び退いて、再び身構えて奴を睨む

 ジャイアントはゆっくり起き上がると、長さがそれぞれ1メートルから2メートル少々ある骨棘をゴジラの背びれのようにひらひらさせてグッフッフと不敵に笑った

 コイツ、楽しんでやがるな……?

 みちみち……にちにち……不気味な音が静かに響く。なんだ、と覗き込むとジャイアントの背中に生えた骨棘と骨棘が薄くやわらかな粘膜で繋がって本当に背びれのようになった。赤く半透明のビニールを張ったようだ。背びれが生えたのが嬉しいのか自慢気に軽くバタバタさせながらジャイアントもコチラを睨んでグルルルと唸った

 こうして目の前に聳え立たれると本当に巨大な怪獣のようだ。幾ら力が漲っているとはいえマトモに戦い続けたらいずれ圧殺される。どうにか一発で、それもコイツが味わったことのないようなダメージを与えないといけない

 どうする……このままじゃ……関節技も、絞め技もダメ……ヘタすれば圧殺だ……圧殺……あの巨体の重圧ったらない

 重圧……?

 そうか、重さだ!

 奴の自重を使うんだ、それしかない。このパワーがいつまで続くのかもわからない、イチかバチか……やってみるか!

「もがあああああ!」

 両腕を伸ばしコチラに掴みかかってくるジャイアントの股を潜り抜け、ふくらはぎをわざと軽く蹴る

「ホレ、どうした! ゴジラごっこはオシマイか!?」

「もぬぅ……!?」

 言葉が通じているのか、ジャイアントから発散する気配がぐっと赤黒く強く分厚くなった。ただし動く時に一瞬だけ、やや左側をかばっている。さっきの蹴りと腕固め+逆小手が利いているらしい。僕は左へ、左へを動き回ってジャイアントを挑発し続けた

 やがて怒りが頂点に達したジャイアントがその場に仁王立って

「むぉがああああああ!」

 と咆哮し、目にも留まらぬ素早さで僕の頭上から覆い被さるように掴みかかって来た。あまりの速さと重さにそのまま潰されそうになったが、僕は逆にジャイアントの胴体をクラッチし両腕で強く締め上げた。背中に回した左腕で粘膜背びれをバツン! と突き破り、そのまま密着する。

 僕が顔をしっかりつけて腕を回した位置が、さっきから散々に痛めつけた左脇腹。粘膜質でぬるぬるねちゃねちゃだったが、この際だ言ってられん。滑ってしまうのを衣服で摩擦しガッチリと痛む場所に前腕の固い尺骨を食い込ませた。すると

「ブギャアアアアアアアアォアアアォアァオアオオアァ」

 ちょうどそこが、さっき割れ砕けた肋薄膜横三枚包鎧骨ろっぱくまくよこざんまいほうがいこつの部分で、僕の腕によって締め付けられると割れた骨の欠片が奴の内臓に突き刺さってしまうのだ。よし、骨の部分が凹むことで、腕がクラッチ出来る!

 あまりの激痛に絶叫するジャイアント。そして奴の束縛が解けた!

 今だ!!

 僕は素早くジャイアントの背後に回り込んで、背中に飛び乗るようにして立派な骨棘と粘膜背びれを一番上から順番に引っぺがした。バリバリボキボキ! と生々しい音がして、骨棘は根元から次々折れた。そして休む間を与えず背後からさっきと同じ高さで両腕をクラッチすると骨の割れた脇腹がぐにゃりと凹みジャイアントが苦痛を叫ぶ。痛みで踏ん張りの効かないジャイアントは思っていた以上に軽く持ち上がった

 そして僕は、そのままジャイアントを抱え上げてブリッヂを決めた

 格闘技の芸術品、ジャーマンスープレックスホールドだ

 空中で大きく弧を描き、ジャイアントは後頭部から列車の肉床に叩き付けられてめり込んだ。僕は僕でこの巨体を支える膝から肩へ、そして首へ、とんでもない激痛が走った。だが苦しさを超え、喜びになる。体がバラバラになりそうだ

 ジャイアントは一言「もっ、ぐふぅ」と呻いたっきり、ピクリとも動かなくなった。だが

「死んではいませんわ、気絶しているだけのようです」

 アイセンサーで生命反応を感知できるのか、ポリ子ちゃんが眼鏡をフムフムする仕草で伝えてくれる

 僕はブリッヂを解いてうっすら湿った肉床に仰臥した。ズズン、と音を立ててジャイアントも崩れ落ちた。危ないところだった……さっきの苦汁で漲ったエネルギーは、どうやら全部使い果たしてしまったようだ

「危なかった……ああ、もうダメかと思った」

「ウノさあん! おかわりも御座いましてよぉ!」

 嬉しそうにポットを掲げるポリ子ちゃんのアイセンサーには喫茶店の店先みたいにコーヒーカップの絵文字がパッパッと点滅している。ホントに電光掲示板なんじゃないかそれは

「ありがとう、でも、今は遠慮しておくよ」

 もうあんな苦くて熱い汁は御免だ、いくらなんでも……少し休めば、このくらいは

「あたくしの熱くて苦い汁、飲んでくださらないんですの?」

「えっ、あっ、いや、そうじゃないんだけど」

 てか、その言い方も、どーなんだって、いう、ね……

「ポリ子ちゃん……?」

「知りませんわ」

 ポットの取っ手を後生大事そうにキュっと抱えたままソッポを向くポリ子ちゃん。参ったな、こりゃ飲むまで機嫌も直らんぞ……

「あの、ポリ子ちゃん」

「……(つーん)」

 この子、こんなわかりやすくスネちゃうんだ。可愛いなあ

「か、可愛い、僕の可愛いポリ子ちゃん……?」

「(ピクッ)」

「あの、ちょっと、喉が渇いちゃって……疲れてるし、その」

「要らないんじゃございませんの?」

「いや、だからあの、君の顔を見たら飲みたくなっちゃって」

「うそつき」

「あ、その」

「気を使って下さらなくても結構ですわ、でも、そんなに飲みたければ差し上げますけど?」

「はい、あの、勿論です!」

「じゃあーちゃんと大きな声でハッキリと」

 ポリ子ちゃんの熱くて苦い汁をください!!

「と、仰って下さいませんと」

 アイセンサーに浮かぶ絵文字が意地悪な悪魔になっている。この子、こんなところもあったんだ。そんなところも可愛いな

「えっと、ぽ、ポリ子ちゃんのぉ」

「声が小さい」

「ポリ子ちゃんの熱くて苦い汁が飲みたいです! どうか僕に恵んで下さい!!」

 もうやけっぱちだ、どうせ誰も聞いてやしない

「んもーう、そんな欲しいなら素直に言ってくださいましぃ?」

 アイセンサーの絵文字がニコニコマークに変わった。どうやらご機嫌も直ったらしい。そしてポリ子ちゃんがワゴンからイソイソと取り出したのはヘタな安くてうるさい居酒屋の生ビールよりデカいジョッキだった

「さあー、たんと召し上がれ」

 なみなみと揺れる真っ黒い水面の向こうに浮かぶポリ子ちゃんのアイセンサーで、やっぱり悪魔が微笑んでいた


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