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粘膜特急  作者: 佐野和哉
3/6

3.粘膜ナイトメア~序曲~

可愛かんわいいなあ~~」

 紆余曲折の末に僕と行動を共にすることとなったのは目の覚めるようなピンク色のおかっぱ頭に水玉リボン、上半身は夏物のセーラー服で下はスクール水着に黒タイツという出で立ちのポリ子ちゃんだ。こう見えて女性ではないのだが、別にどうということはない。可愛ければカンケーないのだ。透き通るような白い素肌にぽてっとした唇、まあるいお尻。

 そして目がある場所には黒い長方形のアイセンサー。これがPOLYSICSのサングラスみたいだから、僕がポリ子ちゃんと名付けた。

可愛かんわいいなあ~~」

「あの」

「ん?」

 つい口を突いて出た感嘆に困ったような顔をしてボックス席の対面にちょこんと座るポリ子ちゃんが呟く。

「もう百十二回目ですよ、あたくし、そんな」

「可愛い人は何度でも可愛いと言いたいんだ、ポリ子ちゃんは本当に可愛い」

 百十三回目の可愛い、を漏らしたところでふと車窓に目を向けると、さっきの夕暮れとはまた違った様相を呈していた。いや、赤いことには赤いのだが、爆発するような明るい赤とオレンジと金色と暮れてゆく空の闇が混じった夕暮れの赤さではないというか。

 もっとこう、肉々しいどす黒い赤さに見える。

 耳鼻科に行って、喉の奥を見ている時のような。自分の身体に潜り込んで筋肉の内側から透かして見ているような。そんな赤みの差した空に骨だけになって光る太陽がプカり。飛行機雲の靱帯が伸びて、雨雲のように血膿が溜まる。やがて脂の雨が降り、粘膜質で肉色の地表を濡らしてゆく。薄黄色の凝固濃脂雨ギョーコノーシウは降るというより垂れてくるといった塩梅で、肉色の地表すべてをぬらぬらと光らせてゆく。骨から直接毛の生えたような木立も、乳房を八対並べた直立乳房仙人掌モドキも、掌をハドーケンの形に組んだドクテノタケも。

 何もかも脂の雨が沈めてゆく。


 にゅるち、にるにるにる……。

「うわっ!」

 突然、車窓にもたれた肘から前腕にかけて猛烈な不快感が襲ってきた。例えるなら窓サッシが脂の雨でぬっとり濡れたことに気付かずにもたれかかってしまったような。

「ウノさん……これ」

「……っげ!」

 肘を持ち上げて窓枠を見ると、そこもすでに粘膜と粘液で覆われていた。銀色に鈍く光るサッシではなく骨を繋ぎ合わせた窓枠に薄い筋膜が伸びて、その上を濃い黄色のべとついた極薄い膜が覆う。そんな感じ。

「こ、これは」

「ああっ!」

 ポリ子ちゃんが悲鳴を上げて、両手で顔を覆って伏せた。さっきまで殺風景で無骨な国鉄車両そのものといった感じの車内までもが、肉と骨と粘膜に覆われた臓物空間として変わり果ててしまっていたからだ。しゅうしゅう、と微かに息遣いのようなものが聞こえるたびに不気味な車両内部がうねうねと蠢く。まるで生きているみたいに。

 ぐしゅーーっ……!

 ひと際大きな呼吸音が響いて、肉洞と化した車両内部がぶるぶると震えた。

「うっ……!」

「な、なにこれぇ……」

 そして肉洞車両の収縮と呼吸音に合わせるかのように、じめっぽくて生臭い異臭が辺りに充満し始めた。例えるならばナマモノが腐った臭いにアセチレンやアンモニアを混ぜたような、不快感と刺激臭のツープラトン攻撃だ。しかしポリ子ちゃんは別の感想を持ったようで。

「洗ってないときのにおいみたい……」

 と、ボソっと呟いたのを僕は聞き逃さなかった。


 改めて見渡すと、そのあまりの変貌に言葉を失いそうになる。心なしか厚みを増したように見える内壁には赤と青の管が縦横に走り、中でも太いものは微かではあるがどくり、どくりと脈動を繰り返している。

 床も肉になり果てているから、強く踏むと弾性を感じる。ぐっと押し返してくるような感触が何とも気色悪い。人間の手のひらに乗せられた大きめの甲虫は、こんな感じの足取りなんだろうか。また踏んだところが傷になったりバランスを崩して強く踏みしめると痛むのか、何処からか

 グシュシュシュウシュウ……

 と薄気味の悪い音がする。残念ながら椅子もすっかり粘膜で覆われてしまったので座っているわけにもいかなくなった。かといってどうすることも出来ず、僕とポリ子ちゃんはしばらくの間茫然と立ち尽くしているしかなかった。

「あれ? そういえばポリ子ちゃん」

「はい、あたくしが何か……?」

 こちらを見上げて首をかっくん、と傾ける。ピンクのおかっぱがふわりと揺れて可愛いのなんの。

「君の押してきた、そのワゴンは無事みたいだね」

「ホントですわね、どしてかしら」

「そうか、電車と繋がってないからか」

「備品はセーフってことですか」

「おそらく……」

 何か武器になりそうなものは……限界までカッチカチになったアイスクリーム、煮えたぎる苦汁、丸めた古雑誌……くらいのものか。

「よし行こう」

「行こうって、何処へですの?」

「こいつの本体を探すのさ、どうせそう長いことは無いしな。十両編成の列車の、ここは三号車だろう? どっちかに進めば必ず心臓部があるはずだ。それに数を数えるのに初めの方をアタマからというくらいだし、一号車を目指してみればいいんじゃないかな」


 にち。にち。カラカラカラカラ。

可愛かんわいいなあ~~」

 粘っこい足音の後ろで車輪が回る乾いた音がする。ワゴンを押しているポリ子ちゃんの後ろ姿を見ると、紺色の水着できゅっと包まれたお尻がぷりぷりして実に可愛い。黒いタイツのなかに閉じ込めた太ももから膝裏、ふくらはぎのセンも実に可愛い。

 僕たちは座席……の形をした濃暗色の隆起肉塊を縫うように歩き始めた。ボックスシートが左右に並んでいたはずだけど、ずれたり無くなってたりで乱雑な並びになっている。害があるのかわからないが、あまり触れたいものではない。一列になって進むしかないので、仕方なく僕が後ろに回ることにした。ポリ子ちゃんの背後から危険が迫るかも知れない、ポリ子ちゃんの背後を守らなくてはならない。ポリ子ちゃんの……。

「あの、ウノさん」

「なんだい?」

「変わって頂けませんか、順番……」

 ……なぜバレた?

「え、それだと背後が、いや別にいいけど」

 実はポリ子ちゃん。このワゴンがどうにも進みにくいので困ってしまってたらしい。じゃあいっそ置いて行けばいいじゃないかと思ったが

「あたくし、コレがないと落ち着かなくって……折角可愛い売り子さんになったし」

 とのこと。それなら仕方がない。

「崎陽軒のシウマイとか無いの?」

「きよ……お、けん?」

 結局、よいしょよいしょと押していくことになった。それにしても足元が悪い。ただでさえ、ぐしょ濡れの分厚いウレタンマットの上を歩いているような状態なのに、加え床に太い管が幾つも走るようになって来た。これが配管のように整然としているのではなく縦横無尽に伸び放題走っているような有様でウッカリしていると蹴躓いてしまう。だからワゴンの小さなタイヤでは引っ掛かって大変だったのだ。

 しかし、これだけ沢山の管が集まってきているということは……足元ばかりを気にしていたが、ふと顔を上げると二号車との連結部分が見えて来た。横開きの自動ドアは当然のように粘膜質の肉壁に変わっていて、中央からクモの巣のように固い腱のようなものがびっしりと張り巡らされている。

 なるほど、タダじゃ通らせてくれないってわけか。

「ウノさん、開かないみたいですね……」

「だろうなあー、じゃあ、コレならどうだ!」

 僕は助走を付けて飛び上がると、そのまま両足でドアらしき肉壁を勢いよく蹴り破った。ぐちゃっ、と、どちゃっ、の混じった嫌な音がして

 ぶぢぶぢぶぢぶぢ!

 と、何か柔らかで丈夫なものが千切れてゆく嫌な音が後に続く。しかしドアもさるもの、真ん中ぐらいまでは押し破れたが下半分は残ってしまった。蜘蛛の巣状の腱の束は力なくぶら下がって、蹴破られた衝撃でプラプラと揺れてやがる。千切れたり垂れ下がったりしたドアの断面からベロリと姿を現した管からは赤や半透明の黄色い汁がドクドクと漏れているのが見える。しゅうううううう……と肉洞列車全体が激しく収縮し振動を起こす。

「ちくしょう、残っちまったか」

「頑丈ですわねえ」

「まあいいさ、蹴って壊せるならこんなもん」

 僕は残った下半分にも執拗にストンピング攻撃を浴びせ、間もなくワゴンを押しても問題なく通れる程度には片づけた。靴も服も色んな汁が飛び散って大変なことになったけれど……。

 力無く崩れた残骸をずりゅずりゅと靴の側面で端に寄せながら僕は連結部分に半歩踏み込んだ。ガーッゴトゴトと列車らしい騒音の中に紛れてニルニルニルニルニチニチニチニチと粘着質で生々しい音も混じっている。線路と車輪まで肉になったか。

 鉄道と言えばお馴染みの連結部分の蛇腹は、そっくりそのまま喉の奥のような造りになっていた。蛇腹状の肉襞がびらびらと折り重なり、揺れながら粘液を垂らしたりじゅるじゅると蠢いたり。ごく短いその悪夢のような空間の向こうには、かろうじて「2」と描かれたドアと軟骨の中間的な物質が見えた。

が、ここを一歩踏み出すのには実に勇気が要る。意を決して踏み出した足が

 ぐじゅるっ

と踝ぐらいまで沈んで生暖かく濡れる。もう一歩踏み出すのを思わず躊躇う。背後ではポリ子ちゃんが困り果てているのがわかる。行かねばなるまい、でも、彼女は平気なんだろうか。振り向いて彼女の様子を窺う。

「ポ、ポリ子ちゃん、気を付けてね」

「え、ええ……でもウノさん」

「なんだい?」

 あれ、地鳴りのような音がするなあ、と思った時にはポリ子ちゃんが悲鳴をあげていた。

「ま、前!」

 それと同時に前を向き直ろうとした一瞬の間の出来事だった。僕たちは真っ赤な濁流に飲み込まれていた。2号車のドアをブチ破るように溢れ出した赤い粉骨砕身肉血流ふんこつさいしんにっけつりゅうが、今度は潮が引くようにして猛烈な勢いで僕たちを引きずり込んでゆく。喉のように蠢く肉襞に浮かんだ脈動する青筋が、やけにハッキリと目に焼き付いた。そしてそこで、僕の記憶は暫く途切れた。


つづく


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