95. 移ろい往くもの…Ⅲ
「それでは修二君、ご馳走になります。 クスクス…」
「どうぞ召し上がって下さいませ…」
放課後、お店で藍沢さんと落ち合った俺は、彼女にリクエストされた商品を贈呈した。って言ってもただのハンバーガーセットを奢ってあげただけなんすけど。
だが、彼女はきっちりお礼を述べてくれると、明るい笑みを浮かべながら嬉しそうにそれを頬張り始めた。俺もそんな彼女の雰囲気に感化され、ちょっと楽しい気分でハンバーガーに噛り付く。
「うふふ… でも、1年の時は本当に色々やらかしてくれたよね。お陰で私まで先生に注意されちゃうし…」
「あはは… すんません」
ハンバーガーを頬張りながら昔話を始めた俺と藍沢さん。
その内容はと言うと……まあこんな感じ。どれだけ当時の記憶を思い起こしても、俺が謝罪するような出来事しか浮かんでこない。自分で言うのもなんだが、あの頃の俺は高純度のクズだった。
「あっ、思い出した。そう言えば文化祭のときだって………」
まー、でてくるでてくる。
後悔先に立たずと言うが、彼女と昔話などすればこーなる事など分かっていたのにね。
だが、迷惑話をする彼女の様子は少しだけ意外って感じだった。
時折ちょっと怒った顔を見せては俺がしでかした過去の悪行を責めるのだが、その後にプッと吹き出して愉快に笑う。それはまるで楽しかった思い出でも語っている様であり、そんな彼女の様子を見ていた俺は、何だか妙に楽しい気分になっていった。
「でも… 2年生になって色々と変わったよね」
過ぎ去れば全ては懐かしい思い出……そんな感じで昔話を愉しんでいた藍沢さんだったが、話題が2年生である現在のものへと変わると、彼女は少し遠い眼をしながらぼんやりとそう呟く。
「まあ、流石に2年生にもなれば……」
俺も彼女の言葉に同感だった。
まだ何も知らず、中学生気分が抜けていなかったあの頃に比べれば、この1年間で誰もが大きく変化しているような気もする。だが……
「クス… 修二君ったらまるで他人事みたいに言っちゃって」
彼女に同意する言葉を出した俺に対して、藍沢さんは不敵な笑みを浮かべながら、無自覚な俺をまるで窘めるかのようにそう言った。
「………はい?」
「まったく… 一番変わった本人が良く言うよね?」
「おれ?」
「君に決まってるでしょ?」
「そっかな?」
「あれだけ好き勝手やってたのにさ、2年生になって今のクラスになった途端に大人しくなっちゃって…」
「そ、そうだっけ?」
などと言ってはみたが、本人思いっきり納得。
絶交した幼馴染といきなりのエンカウント。その状況で能天気に暴れられます? 無理ですよね? 普通に。
これ以上追及されたらヤバし。
そう思った俺は必死に誤魔化す理由を考え始めた。だって、本当の理由なんて言える筈も無い。しかし、彼女は俺を追及するではなく、いきなり自分の事を語り始めた。
「クスッ… でも、そう言う私も変わったのかな…」
「藍沢さんも?」
「うん…」
なんだか落ち着いた雰囲気でそう言った藍沢さん。
その言葉を訊いた俺は、少しホッとする気分になると同時に、彼女の様子が気になりだした。
「でも、まあ考えればそうじゃないかな。今はもう委員長じゃないんだし。責任感から解放されて気楽になったとか……」
俺は当たり障りのない言葉を彼女に向ける。だが……
「あはは… それは確かに。でもね、このクラスになった事が一番大きい理由かな…」
彼女から返ってきた答えは何処か意味ありげなものだった。
彼女の言葉に含められた深い意味……俺にはそれが理解できた。1年生の最後に告白を断られた彼女にとって、2年生になり、仁志と同じクラスになった事実は彼女を変化させるのに十分な理由だ。
俺が今ここにいる理由、それは正にこれ。
これから隣人として過ごしていく彼女の気持ちを俺は知りたかった。まあ、知ったところで今更応援などできる筈も無いが…。だけど、何も気にしないって訳にはいかない。
俺は彼女の言葉に注意を払った。これからの失言は彼女の心を大きく傷つけてしまう。
「そう言えばさ、修二君……」
「ん? なに?」
「私はどうして『修二君』って呼んでるんだろうね? クスクス…」
「………へ?」
「だって、1年生の時はずっと『本郷君』だったでしょ?」
「確かに…」
「あの頃ってさ、今よりもはるかに話す機会も多かったのにね…」
そう言って藍沢さんは無邪気に笑う。
どうして彼女がこんなことを言い始めたのかは分からないが、呼び方が変化した理由については簡単に答えることが出来る。だから俺はそれを述べた。
「まあ、呼び方が変わったのは全て恭子のせいだから。あいつがクラスで『修二』ってバンバン連呼するからさ、皆も面白がって俺のことを名前で呼び始めて今に至る…って感じだね」
「クスクス… そうだね。 全ては高科さんが原因。彼女の言動から君の呼び名が変わっちゃった。そう考えると、やっぱり高科さんの影響力は凄いって感じちゃう…」
まるで達観したかのように藍沢さんはそう語る。
彼女がそう言ったことに俺は疑問を感じなかった。恭子が大きな影響力を持つことなんてクラスの全員が周知の事。だから彼女が冷静にそう語るのにも納得がいく。だが、なんだろう… 彼女を見てると何かが違うって感じてしまう。
「ふふっ… やっぱ高科さんは凄いや。 私なんか全然敵わない…」
憂いを顔に浮かべながら、藍沢さんはポツリとそう呟く。
「敵わない? どうして?」
「だってさ、もう半年近く彼女を見てきたけどね、私が彼女に勝てるとこなんて一つも無いんだもん…」
「い、いや、そーじゃなくって。どうして藍沢さんは自分と恭子を比べたりなんかしてるの?」
「どうしてって… 比べるのが普通じゃないのかな?」
「普通?」
俺は彼女の言葉を理解しかねた。
藍沢さんは確かに人気のある女子。そんな彼女が自分と恭子を比較すること自体は普通ならあってもおかしくはない。だが、彼女は人気などの尺度を全く気にしない人物なのである。
俺は疑問を浮かべながら彼女を見つめる。
彼女は、そんな俺に応えるかのように、ゆっくりとした口調である言葉を述べる。
「だって、―――恋のライバルと自分を比較するのって、普通の事でしょ?」
そう言った彼女の表情には、一切の疑念すらなかった。まるでそれが確証のある真実であるかのように…。
「あ、あのさ… 藍沢さんもクラスでの噂は訊いてるよね? 仁志と恭子は恋愛関係じゃないって? それにさ、仁志の親友である俺から言ってもそれは違うって思うけど…」
2年生が始まった当初ならまだしも、今のクラスで恭子と仁志の関係をそんな眼で見ている者など誰もいない。2人はただの友達……2人の行動を見てきた誰もがそう言っている。
「あのさ、修二君……」
「なに?」
彼女は徐に俺の名を呼ぶと、そこで数舜沈黙した。そして、何処か醒めた表情で俺を見つめると、少し厳しい口調で言い放った。
「―――君は本気でそんなことを言ってるの?」
彼女の厳しい視線が俺に突き刺さる。
「―――ごめん」
俺は、彼女に降伏した。
「君と沖田君の関係を私はよく知っている。あの気難しい沖田君の事を誰よりも理解してるのは修二君以外にいない。そんなあなたが気付いていないなんてこと、絶対にあり得ないでしょ?」
「………」
「1年生が終わる頃、私は沖田君に想いを告げた。結果はダメだったけど、幸運にも2年生では同じクラスになることが出来た。諦めきれない私はそれからずっと彼の事を見つめてきた。だから理解できたの。沖田君の瞳に映っているのは高科さんだけだって事が……」
気付いてる筈など無い。
俺の心にはそう言った慢心している部分があった。それは俺でさえこの事実に気付けたのが少し前だったから。誰よりも仁志を理解していると自負している俺でさえ、最近までこの事実に確証が持てなかった。
「修二君… 私に誤魔化しなんて通用すると思う?」
「あはは… ごめんちゃい」
「クス… うむ、分かればよい。 あははは…」
全てを看破された俺は、ある意味清々しい気分になった。
流石に藍沢さん。…もう感嘆するばかり。彼女が聡明なのは分かり切っていたが、まるで俺の心の内を見透かしたような物言いをされると、俺はただただ恐縮するばかりである。
「でもさ、藍沢さん…」
バレちまったもんはしょうがない。開きなおった俺は疑問を全て彼女へぶつけることに。
「どうしてそんなに冷静ってか、落ち着いてられるの? 恭子に勝てないって自分で言ってるのに。やっぱりもう諦めちゃったとか?」
本当なら絶対に踏みこんで聞けないような事柄だが、はっきり聞くには今しかないと俺は感じていた。今後の事も含めて、彼女の本心を知っている方が良いに決まっている。
「クスクス… どうして私が諦めないといけないのよ、修二君?」
「はい?……」
予想外の反応にちょっと驚いた俺。
状況を考えれば、彼女にとって明るい兆しなど何も無いのに彼女は楽し気に微笑んでいる。
「だって、現状が答えでしょ?」
「今の状態が?」
「そう。簡単な話、高科さんが沖田君の事を好きならさ、もうとっくの昔に二人は結ばれているよ…」
確かに。それは納得って感じ。
「私にとって高科さんはライバル。だから私は高科さんの様子もずっと見てきた。だから何となくわかるんだよね…。私と彼女は同じ女性であるし、それに……」
そこまで来て、急に言い澱んだ藍沢さん。
俺がそんな彼女を不思議そうに見つめていると、彼女もしっかりと俺の方を見つめてくる。そして……
「ねえ修二君、… 高科さんの好きな人って誰なんだろうね? 沖田君じゃないのは確かなんだけど…。 君はどう思う?―――一番付き合いの長い幼馴染の君としては?」
少し身を乗り出して、彼女は興味深げに俺に訊ねてきた。
「さあね。そればっかりは俺にも分からん。恭子には恋愛の経験ってもんが無いからさ、あいつが誰を好きなのかって俺にも分かりにくいんだよね…」
俺は自然と本心を語った。俺は今まで、恭子が誰かの事を好きになった姿など見たことが無い。だから恭子が恋に落ちた時、あいつがどのような態度を示すのかなど想像もできない。
「クスッ… 流石の修二君でもそうなんだ。一番付き合いが古いのに…」
「そりゃそーでしょ? だって、見たことないものなんて分かる訳ないよ」
「ふぅ~ん、そっか。 まあ、確かに君は男の子だしね…」
「そーそー。俺には女子が何を考えてるかなんてさっぱりって感じ…」
「クスクス…」
「どうしたの?」
「うんん、なんでも。 やっぱ修二君だなって思って…」
「………どーいうこと?」
「どー言う事って… 言っていいの?」
「はい? 別に全然かまわないけど……」
「なら言わせてもらうね」
「ああ」
「修二君……」
「なに?」
「―――君は本気でそんなことを言ってるの?」
「………」
その言葉と共に彼女の眼差しを受け取った俺は、何も言い返すことが出来なかった。
「大切な人を見つめるその瞳には深い想いが籠っているもの。言葉では嘘を出せても、その態度には嘘を出すことはできない。それが人間だと私は思う。………高科さんが見つめるその先にいる人物、それは誰なのかしらね? 修二君」
「………藍沢さん」
「クスッ… 勿論これは私の勝手な推察。根拠なんて全く無い。でも、自信はある。私の女の感は鋭いんだから…」
そう言って彼女は屈託のない笑顔を浮かべる。
俺は彼女の笑顔を見ながら、肩の力が思いっきり抜けるのを感じた。
「沖田君は… 君の気持ちを知っているの?」
「まあね。相変わらず何も言ってこねーけど、もうとっくに知ってると思うよ」
「でもさ、どうして君は高科さんに何も言わないの? 今ならきっと……」
「まあ… 事情は色々ありまして。俺には抜け駆けできない理由があるというか…ね。最終的には仁志と正々堂々と勝負するしかないって感じ」
「でも勝負って言ったってさ、高科さんが好きなのは君………」
「それでも最後はどうなるか分かんない。だってさ、恭子は仁志の気持ちに全く気づいて無いんだから…」
「………あのさ、修二君」
「なに?」
「君達3人ってどんな関係? 私には理解できないんだけど…」
「さあね。複雑になり過ぎて最早俺にもよー分からん」
「あっそ……」
藍沢さんは何処か白々とした眼で俺を見る。
ちょっと不満そうな顔で俺を見つめる藍沢さんに、俺は掛ける言葉が何もなかった。はっきり言って、もう隠していることなど何もない。それに、この先どうなるのかなど知る由もない。
最早話す事も無くなった俺はぼんやりと彼女を眺めていた。
彼女も同様って感じで俺を見つめていたのだが、何を思ったのかいきなり彼女の気色が変化する。
「でもさ、修二君……」
「ん? どしたの?」
「頑張ってね。私は修二君を応援してる」
「………それってやっぱり?」
「えへへ… 実は私も悪い女の子なもんで…」
「まあ、最善は尽くさせて頂きます…」
「頑張ってね!」
そう言って藍沢さんは満面の笑みで俺の両手を鷲掴みにした。
俺はそんな彼女を黙って見つめる。
………むっ茶可愛い♡
藍沢楓花……やはり只者ではない。
ツンデレをやらせれば彼女の右に出る者は絶対いないだろう。
なんか知らんけどすっごく得した気分。彼女が正気に戻らぬうちにもうちょっとだけ楽しんじゃおっと。
その後すぐに店を出た俺と彼女は、駅で別れてそれぞれ帰宅の途に就いた。
………仁志が誰を好きなのか? 恭子は誰が好きなのか?
俺はそれを知っている。そして、俺の気持ちも多分仁志は知っている。全く何も知らずに毎日を送っているのは恭子のみ。
駅から家に向かう道の途中、藍沢さんの言葉が思い浮かんだ。
………どうして高科さんに想いを伝えない?
今はそれが出来ない。
俺が恭子を突き放した後、恭子の面倒を見ていたのは仁志。だから仁志には恭子を求める権利がある。そんな仁志の想いを無視して、俺が勝手に恭子を得ることなどできない。俺が恭子を求める時、それは仁志と同時でなくてはならないのだ。
二人で恭子を求め、恭子に選ばれた者が恭子を得る。
そうしないと、俺と仁志、それに恭子との関係を続けていくことなどできない。だから、俺と仁志は正々堂々と勝負する必要がある。
だが、今はその時ではない。
大切な美月の受験を控えた今の時期に、実の兄ともう一人の兄が女子を巡ってバトルなどやっている場合じゃない。大切な妹の面倒を見終えた時、その時を待たねばならない。まあ、そう思っているのは仁志も同じだとは思うが…。
はっきり言って中途半端な状況の俺達3人。
でも、今はそれでいい。中途半端ではあるが、それは楽しくもある。もう少しすれば嫌でも何かしらの変化が俺達には訪れる。それは季節が移ろうのと同様に、決して逆らえないことだろう。だからこそ、今のこの状況を俺はもう少しだけ楽しみたいって思う。
考え事をしながら歩いていると、気付けば俺はもう自宅の前まできていた。
時刻はもう6時過ぎ。
夏場とは違い、この時間になると外の世界は既に夕闇に包まれている。
俺はふと立ち止まり、振り返って視線をある方へと向けた。温かい感じがする見慣れた光が柔らかく辺りを照らしている。その光を見た俺は、言い知れぬ安堵感を抱きながら自宅の扉を開けて中に入った。
………ブブッーッ
部屋に入って明かりをつけると、少しして、まだポケットの中にあったスマホが震えはじめた。スマホを取り出し、俺は画面を確認する。
『もう帰ってきた?』
タイミングの良すぎるメッセージが目に入った。
『今帰ってきたとこだよ』
知ってるくせに。
『友達って言ってたけど… 誰だったの?』
それは… 流石に言えません。
『1年生のときにお世話になった人』
これは間違いない。
『ふぅ~ん… で、楽しかったの?』
『そりゃあもう…』
『あっそ。良かったね…』
ほんと、お前ってやつは……
『あのさ、恭子…』
『なによ?』
『―――お前は俺の彼女か?』
テンポの良かった会話がいきなりここで中断する。 少しして…
『私は昔から修二の保護者です。だから心配するのが当たり前…』
『そーいやそーだったな…』
『あのさ、修二……』
『なに?』
『明日は一緒に寄り道して帰ろっか?』
『全然OK』
『わぁ~い…』
もうね、こんなやり取りしてたら誰だって分かりますって。しかも最近は内容がどんどん進化していってるし。
これだけやってて恭子はバレてないとでも思ってるの?
もしそーだったらさ、天然記念物並みの恋愛音痴としか言いようがない。
でもまあ、恭子からの好意を感じると俺も嬉しくなる。はっきり言って、今の恭子を俺は愛おしく思っている。
だが、まだまだ油断大敵。
なんせ仁志の存在は恭子にとって限りなく大きいもの。仁志に好きだと言われたら、きっと恭子は真面目にそれと向き合うことになるだろう。
恭子の心を揺さぶることが出来るのは俺か仁志のみ。
はてさて、最後はどっちが恭子の手を握るのやら…… 未来の姿を見たいやら、見たくないやら。




