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93. 移ろい往くもの…Ⅰ



 夏休みも終わってはや1か月。暦は10月を迎え、日差しもすっかり柔らかなものとなった。開け放たれた教室の窓からは、心地よい風に乗って秋の芳香が運ばれてくる。


………やはりこの席は素晴らしい。


 まったりとした秋の雰囲気を最も愉しめるのは窓側の席を置いて他に無いだろう。午後の気怠さを感じながら、頬杖をついて眺める外の景色には何とも言えぬおもむきがある。


 だが、それだけじゃない。この席には季節とは関係なく、初めからプレミア的な付加価値が付いている。それが故にクラスの男子共は俺の席の事をこう呼ぶ。―――「神の前席」と。


 まあ神が誰であるかなど言うに及ばず。わがクラスの大天使様である蝶野さんに決まっている。彼女の周囲の席は全て神席認定されるので、俺も立派な神席の住人なのである。


―――「蝶野さんの前なんぞに座りやがって羨ましい……」


 下人からそのような嫉妬混じりの羨望をよく受ける。ついでにパンチもよく受ける。


 まあそいつらの気持ちはよく分かる。言っていることも正しい。

だが、それ以外の事を全く言ってこない。この席の価値をその部分のみで推し計っている。


 そいつらを見てると、俺は落胆する想いでついこの言葉を言ってしまいそうになる。……「テメェらの眼は節穴か?!」


―――「江藤さんの後なんぞに座りやがって羨ましい……」


 何故この言葉が出ん? おかし過ぎるだろ?


 小柄な体を覆いつくす穢れなき清楚なオーラ。そして愛玩動物をも凌駕する愛らしいお顔。更にはツインテールに眼鏡という萌えオプションも完全装備。この世の萌えを全て凝集させたような江藤さん。彼女はもはや妖精を具現化した存在ともいえる。


 わざわざ探さなくても毎日お気軽に妖精を観察できるこの環境……なぜこれを羨ましいとは思わんのだ? 俺にはさっぱり理解が出来ん。


 だがまあいい。

妖精の存在が広まり、彼女を穢しに来る輩が発生するのは困る。江藤さんには永遠にその清らかな輝きを失って欲しくないものだ。……まあ、んなこといってもいつかは彼氏が出来るんでしょーけどね。(涙)


 だが、……


………「前面の妖精」「後面の大天使」


 この二つの存在に挟まれるなどもはや僥倖としか言いようがない。しかも、である。今やただのご近所様って訳ではない。気軽に話しかけられる程度には仲の良い関係を結ぶことが出来ているのだ。


 ふふふっ… ではその証明をお見せしよう。



「江藤さんってさ、やっぱり本が好きなんだね…」

いつものように読書に耽る江藤さん。俺はその尊き後ろ姿にやんわりと声を掛けてみる。


「うん? ああ修二くん…」


「今日はいつもと違って何だか凄く楽しそうに読んでるね?」

「うふふ… そうなの。この本なんだけどね、とっても面白いんだ」


 不意に声を掛けられ、少し驚いた様子を示した江藤さんだったが、話し掛けたのが俺だと分かるとにっこり笑顔で応えてくれた。……ほらね? 俺は既に妖精とのアクセス権をGetしているのだよ。さて、折角だからこのまま妖精との会話を楽しみませう。



「へ~え… そんなに面白いんだ。だったらそれってコメディー的な小説?」


「うん、そうなの。もう主人公の男の子がとっても面白くって……」


「ホントに? え、江藤さん、それってどんな本?」


 とても面白いコメディー小説……

それを聞いた俺はいきなり目の色を変えた。妖精と戯れるために何となく声を掛けたのだが、コメディー小説と聞いて放っておける訳がない。ギャグの天才を自称する俺としては、是非ともその本の中身を知りたくなった。



「ちょっとまってね、修二くん……」

そう言って彼女は丁寧にブックカバーを外していく。


「えっとね、タイトルはこんな感じだよ」

彼女が俺に向けた本の表紙には、このようなタイトルが記されていた。

 


―――『幼馴染はガチのクズ』―――


「ちょっとだけネタバレしちゃってもいい?」


「あ、ああ…」


「美少女のヒロインとダメダメな主人公の男の子が幼馴染なんだけどね、その主人公がほんとにも~うダメダメなの。ヒロインには迷惑ばかり掛けるし、いつもサボってばかりだし、それにちょっとエッチだし…」


「へ、へ~え…」


「でもね、それだけじゃないの。主人公は勘違いって言うか…凄く痛い人なの。自分はギャグの天才って自負してるんだけどね、彼のギャグは滑ってばかりって言うか…うん、ただひたすら寒いって感じかな…」


「そーなんだ」


「でもね、なんて言うか… 勘違いばかりしてる主人公の空回りが凄く面白いの。悲しいぐらい自分を分かってないんだけどね、もうそれが普通じゃ無さすぎるってレベルで……とっても痛々しいんだけど、逆にそれが面白いって感じなんだよね。クスクス…」


「あ、あはは… ほんと、クズだね…」


「そんな主人公の様子がヒロインの視点で書かれてるんだけどね…… その表現が秀逸過ぎるって感じ。もう思わず笑っちゃいそうになるの。『クズな幼馴染をもって苦労してます』って感じが滲み出てるんだよね…」


「そ、そりゃそーだ。確かにそれは苦労するわ。あははは…」


「だから本当に面白いんだ。この本」


「そ、そうだね。何か聞いてるだけでも楽しくなっちゃうよ…」


「あ、そうだ。なら、この本読み終えたら先に修二君に貸してあげよーか?」


「―――いいえ結構です」


 何故だろう?

無意識にそんな返事が俺の口から秒で出ていった。不思議だ…。



「そう? 凄く面白いのに…。なら予定通り恭子ちゃんに貸してあげ………」

「江藤さん、是非その本を修二君に貸してちょーだい。ほんとお願いします」



 間一髪でセーフ!

修二君は潜在的な危機を回避することに成功したのであった。


 こんな有害図書を恭子の眼に晒すことなんて絶対ダメ! これ読んでもし恭子が現実世界に気付きを得たらどーしてくれんの? ダメダメ絶対ダメ! そんなの修二君が許しません!


 と、取り敢えず、俺が暫く借りて恭子には俺から渡すってことにしておこう。んで、時期を見計らって恭子に渡すことなく俺が江藤さんに返却。これで全てが丸く収まる。



 偶然話し掛けたことにより事なきを得た俺。妙なドキドキ感を味わって呆然としていると、江藤さんがにっこり笑顔を俺に向けてくる。そして何とも言えぬ優し気な表情で話しかけてきた。


「この席になってほんと楽しかったな。修二くんがいてくれたから皆とも凄く仲良しになれたし…」


 なんだかしみじみとそう語る江藤さん。彼女の言葉を聞いて嬉しくなると同時に、思わず疑問が浮かび上がる。……「楽しかった…な」?


「あ、あのさ、江藤さん… 何故に過去形なわけ?」


「あれ? 修二君は知らなかったの? 今日の放課後に席替えだって……」


………なんですと?


 そんなのオラ聞いてねー。初耳もいいとこ。

席替えってことは……俺はこの神席を失うってことなのか? やだやだ~ 修二くんそんなのやだ~!


 いや、まてよ? だったらなぜ他の周りの者は何も言ってこない? もしかしたら江藤さんの勘違いとか? よし、こーいう時はこいつに聞いて確かめるのが一番だ。


 俺はいきなり体の向きを変えて、隣にいる奴の腕をつかむ。そして…


「忠司! 今日の放課後に席替えって本当か?!」


 食って掛かる勢いで問い詰めるように忠司に聞いてみた。


………ベシッ!


「ちょっと修二、いきなり私の忠司に何するのよ!」


 速攻で加賀美に殴られたのだがそんな事気にしてる場合じゃない。俺は祈るような思いで忠司の返事を待った。


「………修二君、もしかして聞いて無かったの?」


「何を?」


「今朝のHRで担任が話していた内容…」


「―――忠司」


「なに、修二君?」


「俺が担任の話をまともに聞くと思うか?」


「うんそうだね。聞いた僕が馬鹿だったよ…」


 忠司の言葉に俺が絶望を感じたのは言うまでもない。

青天の霹靂とはまさに。今の神席を失うことなんて俺は露にすら考えたことなど無かったのだ。



「でも… 席替えってくじ引きだし。どーなるか分かんないよね…」


「うん、そうだよね。僕もそう思うよ」


「私はね、また皆と近くになれたらいいなって思ってる…」


「僕も江藤さんと全く同じ」


 江藤さんと忠司の言葉を聞いていた俺は、ちょっと胸が熱くなった。ただの偶然から寄り集まった俺達なのに、今では最高の関係を築けている。


「ねえねえ、みんな何話してるの?」


 さっきまで友達とお喋りしていた蝶野さんがいきなり話に割り込んできた。


「今日の放課後の席替えについて話してたんだ。皆でもう一度集まりたいなって感じで…」


「あーっ! 私もそれに賛成!」


 蝶野さんは忠司の言葉を聞くと、間髪入れずに手を上げて満面の笑みを浮かべる。そして…


「修二君も私と同じだよね?」


 明るい笑みを俺に向けるとすぐさま同意を求めてきた。


「―――そんなの、当然に決まってますよ」



………ほんと、この席になれてよかった。


 ただそれを実感した。


 ここはまごうことなき神席。これ以上の席など何処を探しても見つかる筈など無い。




ー◇ー◇ー◇ー




 運命の放課後がやってきた。

最後の授業が終了するや否や、箱を抱えた担任が教室にやってきて、席替えの儀式が厳かに行われる。


 箱は生徒たちによって順番に回されて行き、生徒は箱から1枚だけ紙をつかみ取っていく。その紙には数字が書かれており、黒板に貼られた座席表と示し合わせれば、自分の新たな座席の位置が判明することになる。


 緊張の面持ちを見せるクラスメイト達。

それも当然。時期的に考えて多分これが最後の席替え。次の新しい席が2年生最後の座席となるのは誰しもが自覚している。


 それぞれの想いが交錯する中、やがてその結果は明らかとなった。



 結果に従い民族大移動が始まる。

自分の荷物を全て抱えながら右や左へと移動していくクラスメイト達。やがて新たな隣人が判明すると、あちらこちらから歓声が湧き起こってくる。そのような中で、ざわつく教室内にひときわ大きな声が上がり始めた。


「やったぜ! も~う最高! 蝶野さん、これから宜しくっす」

「お、俺も俺も。蝶野さん、宜しく頼みます」

「やったぁ~ 麗香の隣をGet! これでこれからはゆっくり話せるね、麗香」


 大盛況を呈する蝶野さん付近の新たな住人たち。

ついでにもう一つ。


「高科さん、よろしくっす!」

「いや高科さんの近くってマジ最高!」


 恭子の席の近くとなった男子達も浮かれまくっている。まあ美少女の隣人となれたことを喜ぶのは健全な男子高校生なら当たり前。浮かれる気持ちもよく分かる。それはいい。―――だが、


「いや~ 恭子ちゃんの隣ってガチ幸せ。もう最高! 恭子ちゃん、これからは何でも俺に相談してね。修二みたいなクズより俺の方がよっぽど頼りになるんだからさ♡」


………森田、お前だけは絶対に許さん!


 必ず彼女にチクってやる!



 そんな訳で、結果発表といきませう。


 先ずは蝶野さん。

彼女の新しい席は窓側列の後から2番目。はっきり言って前よりも少しだけ後ろに下がっただけである。


 次に忠司と加賀美。

なんとこの二人は真ん中の列で前後の関係に。前から3番目が忠司で4番目が加賀美。まあ加賀美の執念がこの結果をもたらしたのは言うまでもない。


 そんで恭子。

恭子はなんと加賀美の右隣。だから加賀美は二重の幸運って感じでむっちゃ喜んでる。ちなみに、恭子の右隣になった森田はむっちゃデレていやがる。


 最後に俺と仁志。

俺の席はなんと廊下側列の一番後ろ。まあ軽く島流しって感じ。そんな流刑を喰らった囚人…もとい修二くんを監視するかの如く、鬼の門番って感じで仁志が俺の前方に居座っていやがる。


―――うん、俺の楽しかった教室での日々はオワタ。


 妖精と天使に挟まれたあの至福の日々。それは儚く潰えた。夢の時間は終わりを迎え、その代わりに厳しい現実が目の前に現れる。それが世の理だと知ってはいるが……なんで妖精から一気に鬼の背中に変わるわけ? ねえちょっとこれって酷くない?


 ギャップが凄すぎるというか、天国から奈落の底へ一気に突き落とされた気分であるが、寝てても先生に見つかりにくいという特典や、加賀美に足を踏まれることも無いといった安全面から考えると、離れ小島のこの席でのんびり過ごすのも悪くはないのかもしれん。


………ふむ。まあ良しとしようか。


 まあ仁志相手ならこっちも気分は楽チンだし。こいつだけには1ミリも気を遣う必要が無いからね。それにこれからは弁当を食う時にも移動しなくていいだろう。近くに天使様もいないんで俺も仁志も女子共に席を占領されることもなくなる。


 新しい席に着き、絶望の中から微かな希望を見い出した俺は親愛なる大親友に向かって挨拶を述べた。



「よお、感動の再会だな、親友…」


「ふふっ… そうだな。修二と近くの席になるなんて中学2年生以来か…」


「そうだよな… あれからもう3年か…」


 俺と仁志が知り合った切っ掛け、それは中学二年の時に偶然席が隣同士になったからだ。思えばあの時以来、俺と仁志は近くの席になったことが無い。まあ別にそんなのどーでもいいことだが。


 久しぶりに親友の隣人となった感動など覚える筈も無く、俺はひたすら妖精と天使を失った事実に気を落とすばかりであった。そんな俺が呆然とざわつく教室の風景を眺めていると、珍しく仁志の方から俺に何やら話し掛けてきた。



「修二…」

「なんだ? 仁志」


「久しぶりにご近所になって早々なんだが……」

「どーしたよ?」


「今は秋だが、すぐに冬がやってくるよな?」

「それがどーした?」


「だからさ……」

「だから?」


「あんまり寒いギャグ言って周りを凍り付かせるのは勘弁だぞ。真冬に凍てつくようなギャグだけは流石の俺も耐えられん。ははは……」


 普段滅多に笑顔を見せない仁志が思いっきり笑っていやがる。


………何がそんなに面白い?


 俺には笑いの理由が全く分からない。ただ、笑いの分だけ苛立ちが湧き起こってくる事実だけは感じ取っている。


 ほぉ~ん、よく言ってくれたな、親友。

だがな、状況をよく考えろよ? 地の利は俺にあるんだからさ…。



「―――仁志、お楽しみのとこ悪いんだがな、俺はお前の背後にいることを忘れんなよ」


「クククッ… ま、まあ冗談だって。そうマジになるなよ、修二。 あははは……」


 冗談…ってさ。

言いながら思いっきり笑ってるよね? その笑いは本気だよね?


 アッタマきた!

俺の人格を否定する程度ならまだ許す。だがな、俺のギャグを否定することだけは絶対に許さん!



「仁志! テェっめえ~……」



「クスクスクス……」



 おんや? 笑い声が聞こえてくる。

おかしい。俺はまだ何もギャグを言っていない。それなのに何故楽し気な笑い声が聞こえてくる? はっ! も、もしかして俺って…その領域にまで達してしまったのか? 雰囲気だけで他人を笑顔に変えてしまうプロ芸人の域ってやつに?!


 俺は観客……じゃなくて笑い声を零すあるじの方へと顔を向けた。



「クス… 相変わらずだね、修二君」


「あれ? 藍沢さん…」


 笑い声の主、それは藍沢さんだった。

俺の左隣の席に座っている彼女は楽し気な顔を俺に向けている。



「もしかして… 俺の隣って」


「うふふ… そう、わたし。これからよろしくね、修二君」


「ああ… こちらこそよろしく」


 俺に向かって笑顔で挨拶をしてくれた藍沢さんは、それからゆっくりと視線を横に移した。そして…


「沖田君、これからよろしく…」


 微笑みながら爽やかにそう言った彼女の顔にはほんのり紅がさしていた。


「ああ、こちらこそよろしく」


 彼女を一瞥した仁志は、相変わらずの鉄面皮な表情でただ普通に挨拶を返す。



………ありゃりゃ。

そーいや、そーだったよな。


 この場に漂う微妙な空気。

俺はそれに心当たりがあるなんてもんじゃない。なまじ当事者なもんで。



………いやいや、今度の席は神席ではなく神の悪戯って席だな。


 俺の脳裏には一抹の不安がよぎる。


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