89. 美月の憂鬱…Ⅰ
「さぁ~って、今日も一緒に勉強頑張ろうね、美月」
「そーだね…」
壁に掛けられた時計を見ればもうすぐ午前9時。今日もこれから塾の特別講習が始まる。
中学生最後の夏休み。ほんとだったら思い出が残るような事を一つでもやりたいとこだけど、今の私にはそんな余裕など1ミリも無い。修二と同じ高校に通うためには受験当日まで絶え間ない努力が必要だ。
………それは分かってるんだけど。
講習が始まってはや2週間。
私のフラストレーションは溜まる一方。とてもじゃないが明るい気分になんてなれない。
受験生に待ち受けるのは灰色の日々。
噂に聞いて知ってたけど、まさかこれ程とは思ってもいなかった。まあ元を質せば今までのほほんと過ごしてきた自分が悪いと言われればそうかもだけど… でも、つくづく世の中は理不尽だと感じさせられることだってある。
………はぁああ ほんと、気分が滅入る。
「どーしたの美月? 元気ないけど。宿題でも忘れてきた? なら大丈夫だよ。私がやってきたのを見せてあげるから。それに分からない所があれば何でも聞いて。私が全部教えてあげるからね…」
憂鬱な顔をしていると、右隣の席に座る親友の小百合が私を気遣って声を掛けてくれた。
「ありがとうね… 小百合」
元気のない私はボソッと呟くような声でお礼を述べる。
「も~う。そんな他人行儀なお礼なんて言わなくていいから。私と美月の仲でしょ?」
「そ、そーだね……」
元々が明るい性格の小百合。だが、講習が始まってからその明るさに拍車がかかっているようだ。元気のない私とは対照的に明るさを増していく小百合を見てると、ちょっとだけ恨めしい気持ちになってしまう。
………ほんと、世の中は理不尽だ。
全く憂いの無い笑顔を私に見せる親友の小百合。
小百合は学年でもトップクラスの成績であり、常に10番以内にその名を連ねる。だから受験の心配など彼女には存在しない。こうやって一緒に塾に通っているのも私との付き合いだからって感じなのだ。しかも小百合は私と同じ高校に行くと言って受験する高校のランクを1つ下げている。そんな状態なのだから、そりゃあ心配事も無くて毎日が楽しいでしょうって思っちゃう。
「まあ勉強のことなら私に任せて! なんせ私って勉強に関しては出来る子なんだから」
「う、うん……」
「も~う、そんな暗い顔して。元気出さないと志望校に合格できないよ?」
「そーだね…」
「どうしたの美月? なんか悩み事? 相談に乗ろうか?」
「ううん大丈夫。……じゃないけど大丈夫だから。気にしないで、小百合…」
私の返事を聞いて小首を傾げながら不思議そうな表情をする小百合。
だが、私が授業の準備に取り掛かると、小百合も鞄からプリントなどを取り出して授業の準備を始めた。
私は支度を終えると、溜め息を一つ零してから何気に左隣の席へと視線を移す。
そこには、あどけない顔で小百合を呆然と見つめる少年がいた。どこか切ない表情をしたその少年からは言い知れぬ哀愁を感じてしまう。
やがて、その少年の視線はゆっくりと私に向けられる。
視線を交差させる私と彼。私の眼には彼の瞳がくっきりと映る。まるで何かを哀願するかのような彼の切ない瞳。その瞳に見つめられた私には彼の悲しみがひしひしと伝わってくるようであった。
………あ、あははは。
分かってるってばさ、ユウ。
そんな眼で私を見ないでちょーだいって。あたしまで悲しくなっちゃうでしょ。
―――もうやだ。こんな生活。
「相談に乗ろうか?」・・・親友の小百合はそう言ってくれたのだが。
相談も何も私の悩みの全てはあなたですってば。
小百合に対する悩みに比べたら受験の事さえ些末なことに思えちゃうって。
あ~あ……
ほんと、藪なんか突くんじゃなかったな…。
私が抱えている悩み……
その全ては私の左隣に座る少年の相談を受けたことから始まった。
神崎優弥・・・通称「ユウ」。
クラスメイトで私の友達。
ある日、ユウに呼び出された私は彼から相談を受けた。
「実は僕、小百合ちゃんの事が前から好きで………」
ユウは優しい好青年。だから相談を受けた私は親友である小山内小百合とユウが付き合えるように全面的に協力すると即答した。
私はそれからユウと小百合をくっつけるための作戦を考え始める。
先ずは現状の確認。
ユウと小百合はよく知った間柄。しかも小百合はユウに対して高評価を与えている。そして今現在小百合には彼氏はいない。これは親友である私が一番よく知っている。………うむ、上手くいく可能性は非常に高い。よしよし。
だが、唯一の気懸かりがある。
小百合はクラスでも有名な「わざといガール」。彼女はいつもわざとあざとい行動を取って周囲の男子達を翻弄する。ただでさえ小柄で可愛い彼女がそんなことをするもんだから、当然というか彼女に告白してくる男子は多い。だが、小百合は一度たりとも告白を受け入れたことは無い。
この現実から考えうること……それは。
彼氏に対してエベレストよりも高い理想を掲げているか、もう一つは―――心に決めた男子が既にいるか。
理想が高いだけならまだしも、既に好きな男子がいる場合は非常にまずい。もしそうであればユウと上手くいく可能性は限りなく低くなってしまう。
―――これは訊かねばなるまい。
私は決心した。
取り敢えず最初にここをはっきりさせなければ私はユウとの約束を果たせない。
………でも、小百合が片思いする相手なんて?
いないような気がした。あれだけモテる小百合だし、それに「あざとさ」という最大の武器を彼女は持ってる。そんな彼女がただぼ-っとしたまま好きな相手に対して行動を起こさないことなんて…普通に考えられない。
いやでも…… もしかしたら……
私の頭にはある人物が思い浮かぶ。
もし小百合が私の想像した人物に片思いをしていたのなら……小百合が手をこまねいてじっとしている理由にも十分頷ける。
まあ考えたってしょうがない。取り敢えず訊こう。
私は小百合に直接聞くことを決心した。
一抹の不安はあるが、多分小百合には好きな人なんていないと思う。小百合と常に一緒にいる私の客観的な意見としても、そういった人物の顔は思い浮かばない。
―――うん、きっと大丈夫。小百合が片思いしてる人なんていないだろう。
そんな想いを胸に秘めて、私はユウから相談を受けた数日後に小百合に話を持ち掛けた。知りたいことはただ一つ。小百合に好きな人がいるのかいないのか?……ただそれだけ。
昼休み、お昼ご飯を食べ終えた私は小百合を誘ってぶらぶらと散歩に出かけた。
そして、人気の少ない校舎裏に辿り着いた時、私は何気ない感じを装って小百合に探りを入れてみた。
「ねえ小百合。小百合にはさ、好きな人とかっていないの?」
「どしたの、美月? 珍しい…」
普段恋愛話など殆どしない私と小百合。
だからいきなり恋バナを切り出した私に対して小百合は不思議そうな顔を向ける。
「い、いやね… ほら、私達も今年で中学終わりだし。 だからクラスでも記念カップルが増えてるでしょ? それで小百合はどーなのかなって…」
「あははは… 確かにね。そういやあちらこちらでよく恋愛話が聞こえてくるよね」
「で、どーなの? 小百合にはそーいう人っていないの?」
私はちょっと喰い気味に小百合に迫った。
ユウの期待を背負っている私としてはどうしても力が入ってしまう。
「クスッ… ちょっとどーしちゃったのよ? 美月。 いきなりそんなに真剣になっちゃって……」
「え? い、いやその… ちょっと訊いてみたくなったというか…」
背負うものがある私は質問をしている側にも関わらずちょっと焦り気味って感じ。それに対して質問をされている側の小百合は動じる様子を微塵も示さない。
だが、私はそんな小百合の様子を見て少し安堵する想いだった。
こんな質問をされてこれだけ冷静にいられるという事は……小百合に好きな人はいない。いれば少しぐらい動揺を見せる筈だ。
よし、最終確認を取ろう。
「で、どーなのよ、小百合? 小百合には好きな人っていないの?」
「好きな人ね~………」
………むふふ。 またまたぁ~ キャワイイ顔して考え込む振りなんかしちゃってぇ~
どーせ誰もいないんでしょ? 私は知ってるよ♡
「―――いるに決まってるでしょ。もうずっと前から」
「うんうん、だよね。そんなのいるに決まって…………って???」
なんですと? 今なんておっしゃいました???
「私の気持ちは中学1年の時からずっーと変わってないよ?」
………ど、どーいうこと?
私は思いっきり狼狽する。
小百合は私にとって一番近しい友達。学校でもいつも一緒に行動している。だから私は何となく思っていた。小百合にはこれと言って特別好きな人はいないって。だって、私が知る限りでは小百合が特別な想いを抱いていそうな男子なんて思い浮かばないのだから。
余りにも予想外の言葉に少しだけ頭が混乱した。
だが、小百合の口から出た言葉の一部分が妙に引っかかる。
―――「中学1年の時からずっと」
その言葉から想像できることが一つだけあると言えばある。
「あ、あのね、小百合… その人って… もしかして私も良く知っている人?」
「うん、もちろん。関係大ありだよ」
―――あっちゃー。
もしかしたら……そう思った私の予感は的中しちゃった。
私は直ぐにその人物が誰であるのかが分かった。
小百合が中学1年からずっと片思いしてる相手、その人物は間違いなく………お兄ぃだ。
お兄ぃは中学でも伝説となったイケメン。
私と仲良くなった小百合は必然的にそんなお兄ぃを近くから見ることが多かった。そして友達になってから何度も家に遊びに来るようになったし。それに不愛想なお兄ぃも小百合には何かと気を遣っていたっけ。更に言えば今ではお兄ぃと小百合は結構な顔なじみ…。
―――そっかぁ~。 小百合はずっとお兄ぃのことを…
ふむ、まあこれはしょうがない。よく考えれば当たり前の事だ。
だって、―――お兄ぃに惚れない女子なんていないのだから!(自慢!)
だけどある意味助かったかも。
見知らぬ男子を好きだと言われたらどーしようも無いが、お兄ぃを好きだというのならまあ何とかなる。だって、私の親友である小百合をお兄ぃが彼女にすることなんて性格的に絶対有り得ない。だから小百合の恋は決して実らないのだから。
まあ小百合には悪いんだけど、お兄ぃへの気持ちはただの憧れだと説き伏せて小百合の眼を現実世界へと向けさせるしかないな。
お兄ぃにいくら憧れてもその想いは絶対に成就しない。―――
親友にそんなことを言いたくはないが、これも全て小百合のためだ。敵わぬ恋を追うよりも手に入る現実的な幸せを求めた方が絶対に良い。それにユウならきっと良い彼氏になってくれるだろうし…。
私は大きく息を吸い込むと、それをゆっくりと吐き出し、呼吸を整えながら気持ちを落ち着けた。そして、心を鬼にして小百合を説き伏せにかかろうとした。
私は真剣な眼差しを小百合の方へと向ける。
………あれ?
何かが見える。 何だろう?
確かあれは…… えっと…… 電車に乗るときによく見るような……
そうだ! ……指差し呼称の手。
でもなんでそれが私の目の前にあるの? ここは学校なんですけど?
「そ、その手は何なのかな? 小百合……」
「え? その手って… この手?」
「そうそう。何で指なんて指してるの?」
「だって美月が言ったじゃん。―――『 好きな人はいないのか 』って?」
…………。
い、いやいやいやいやいや… わ、私ったらなんてことを。
思わず変な想像しちゃった。えへへへ…。
「だ、だからどーしてそのカワユイお指が私の方を向いてるのかなぁ~ なんちゃって… てへへ…」
「へ? だって私の好きな人が目の前にいるからに決まってるでしょ? 大丈夫?…美月」
なぁ~んだ。そー言うことか。私の想像は間違ってなかったんだ。
うん、なら全然大丈夫だよ、小百合。
―――な訳ないでしょ!
「あ、あのね… 小百合………」
「いや~ ほんとはずっと黙ってようと思ってたんだけど…。 でも、流石に本人から訊かれちゃったらね…」
「い、いやあの……」
「だけどどーして今頃そんなことを私に訊いてきたの? しかもこんな誰もいない場所でいきなり?………」
「そ、それは………」
「……えっ? も、もしかして…」
「………なに?」
「―――美月も私と同じだった!? 私の事が好きだから、……だから私に好きな人がいないか訊いてきた? もしかしたら他に好きな人がいてその人と付き合っちゃうんじゃないかと不安になって?!」
「ち、ち、ち、ちが………」
「キャアアア~ッ!!! だったら私達って両想いだったわけなんだ? そっかぁ~ そーだったんだね! てっきり私の片思いだと思ってた! でも、うん、大丈夫だよ、美月!安心して! 私が好きなのはあなただけ! 私は絶対浮気なんかしないからね♡♡♡」
一気にテンション爆上げとなった小百合。
私に一言の反論を許す時間も与えず猪突猛進してきたかと思うと…
……ムギュ~~~ウ……♡♡♡
思いっきりのきり私を抱きしめた。
小百合の大きな胸がこれでもかと私に押し付けられる。
………うん、思ってた通りだ。
やっぱ私より小百合の方がかなり胸がおっきいや。えへへ…
ほんの一瞬だけ冷静な分析が出来た私。だが……
直ぐに激しい眩暈に襲われ私の意識は薄らいでいく。だがそれも束の間、今度は脳髄の底から突き上げくる強烈な頭痛に襲われ… 最後は耳元で囁かれた小百合の言葉に私の全身は凍り付いた。
「―――これからいっぱい愛し合おうね、美月♡」
何て言えばいいのだろうか……。
今までに経験したことのないような悪寒が全身を駆け巡ったような気がする。
なんだろう、この感じ。
インフルエンザに罹った時より具合が悪いんですけど。寒気が酷くて体が震えてきちゃってもう耐えられない。
―――みなさん、これって倫理的ってか色んな意味でアウトなやつですよね?
大変遅ればせながら…
皆様、明けましておめでとうございます。
本年度もご愛読よろしくお願い申し上げます。




