84. 閑話 「ワクワク Work…Ⅰ」
夏休みに入り、2週間目が過ぎようとしていたとある日。
「これが英語、そしてこっちが数学……… うん、これで全部そろってると思う」
「いやほんと有難い。すまんな、恭子。わざわざ持ってきてもらって…」
「うふふ… いいのよ。だって仁志君の妹さんなんだし。それに修二がお世話になってるんだからね。私が協力するのも当たり前だよ」
「そう言って貰えると助かる。まあお礼はそのうちにするから… リクエストがあったらまた言ってくれ」
「うん、わかった。楽しみぃ~ えへへ…」
午前中にいきなり俺の部屋にやってきた恭子。
部屋に入ると持ってきた大きなカバンから、高校受験の時に使っていたノートや参考書などを机の上に広げ始めた。「私も協力する」……恭子はその言葉通り、受験時に使用していた全てのものを部屋から探し出し、わざわざ俺の部屋まで持ってきてくれたのだ。
目の前に置かれたノートを手に取りパラパラとめくってみた。
相変わらずの綺麗な文字。とても読みやすい。それに、単元ごとに重要となる部分が上手くまとめられており、要点が一発で探し出せるようになっている。……流石は恭子といった感じだ。これを使えば確実に勉強が捗る。
それから恭子はノートを使いながら勉強の効率的なやり方を俺に伝授してくれた。所謂「方法論」というやつなのだが、聞いていて思った。本当に恭子は頭がいい。
「一つ一つの単語をバラバラに覚えるのではなく、すべての事象を繋げながら覚えていくの。そうして納得することが出来ればしっかりと記憶に残っていくからね…」
流石だなって思わず感嘆してしまう。ほんと、恭子たんは凄い。
テーブルを挟んで俺と向き合い、恭子は真剣な表情をしながら事細かに説明を加えていく。だから俺も真剣になって恭子のご高説を拝聴していた。すると……
ブブゥ~ ブブゥ~ ……
俺のスマホがテーブルの上でいきなり踊り出した。そして……
『 お兄ちゃ~ん。あさだよぉ~ はやくおきてぇ~ じゃないといつものように舞子のおっぱいを吸う時間が無くなっちゃうよぉ~♡』
大音量で鳴り響く「いかがわしさ」MAXの目覚ましボイス。
がっつり見つめ合う俺と恭子。
………ふっ、舞子。お兄ちゃんを困らせないでくれ。
目の前に恭子たんがいるんだからね。ちょっと空気読んで。
俺が顔面蒼白になりながらすぐさま目覚ましを止めたのは言うまでもない。
「―――修二」
「なぁ~に? 恭子たん…」
「美月ちゃんの事を『妹のように』思ってるんだったよね?」
「う、うん。そーだお。美月はぼくちゃんの妹だお…」
「妹にエッチなことなんて……普通はしないよね?」
「あ、あったりめーじゃん。そ、そんなことする奴は人間のクズだ」
「だよね~ 修二はクズじゃないもんねぇ~ そ・う・よ・ね?」
「あ、あはははは… と、当然!」
「クスッ… 修二がシスコンなんて有り得ないよね。 ごめんね、修二。『変なこと』訊いちゃって」
恭子は穏やかな表情で微笑みながら俺に謝った。
ただ、目尻はつり上がっていた。口元はプルプルと震えていた。そして、頬はピクピクと動いていた。……微笑みっていったい何なんだろうか?
クーラーの温度も変えてないのに一気に凍りつく部屋の空気。真夏だというのに全く温かさを感じられない。訝しさを目一杯含んだ恭子の笑顔は三流ホラー映画よりも真の恐怖を俺に味わせてくれる。
恭子、そんなに怪しげな表情で俺を見るんじゃない。言っておくが「妹」という言葉に萌えるのは俺だけじゃない。世の中の男子の50%……(ごめんなさい盛りました)……30%はその言葉に萌えるのだ。……それは男の悲しい性。だから理解してくれ。(絶対無理だと知ってるけどね)
妙な空気が部屋を流れる。もう居心地悪いったらありゃしない。
だが、そんな空気を読まないかの如く、俺のスマホが再びメロディーを奏で始める。
「………修二、鳴ってるよ」
暗く沈んだ声でボソッと恭子が呟いた。もはや作り笑顔で装うこともやめたみたい。
俺はどぎまぎしながらスマホの画面を確認した。
………ったく。こんな時にかけてくるんじゃねーよ!
発信者の名前を確認した俺は、腹立たしさを覚えながらも少しだけ安堵した。……ほんと、美月じゃなくてよかった。
そして、電話をガン無視した。
「ちょっと修二… 鳴ってるって。出ないとダメでしょ?」
「あっ、これ? いいのいいの。 『御利益のある壺買いませんか?』ってやつだから…」
「………ほんとに?」
「ほんとほんと……」
怪しさMAXで俺を見つめる恭子。俺はスマホを自分の右隣に置き、鳴り止まぬスマホをそのまま放置していた。
「ねえ修二、そこにある私の鞄を取って」
恭子は俺のスマホから視線を切ると、恭子が持ってきた鞄を見つめながらそう言ってきた。俺は言われた通りに鞄を取ろうと左側に体を向ける。そして鞄を取った俺は向きを変えて恭子にそれを渡そうとした。
「………あれ? 『本郷 修』ってさ、……確かあの『修おじさん』だよね?」
振り向いて俺が見たもの、それは俺のスマホを手に持ち何やら呟いている恭子の姿だった。
………恭子、俺達はもう高校生なんだぞ。流石にそれは勘弁してくれ。
いくら幼馴染とはいえ俺達はもう大人だ。だから個人のプライバシーってものを考えてだな……
「はい、もしもし。久しぶりです、修おじさん……」
ってちょっと聞いてます、恭子さん? なに勝手に電話に出てんの?
『 ん? あれ? これって確かに修二の電話番号だったと………』
「あっ、ごめんなさい。私が勝手に電話に出ちゃったんです。おじさん、覚えていますか? 小学生の時にスキーを教えて頂いた修二の幼馴染の恭子です…」
『 きょうこちゃん? 小学生の時にって…… あっ! 思い出した! 修二の向かいの家に住んでいるあの恭子ちゃんかい?』
「そうです。思い出してくれましたか?」
『 いやぁ~ 懐かしい。思い出すなんてもんじゃないよ。今でもはっきりと覚えてるって…』
「クスッ… 本当に覚えててくれたんですね」
なんかよう分からんが、それから二人の会話は盛り上がっていった。
まったく、恭子も恭子だが、夢中になって喋る叔父さんも叔父さんだ。そもそも俺に用事があって電話してきたんだろ? 完璧に目的を忘れてるよね?
それから暫く、っていうか10分以上も修叔父さんと恭子の会話は続いていった。
………。
「はい、わかりました。多分大丈夫だと思います。それでは、また……」
長らく会話を続けていた恭子はそう言うといきなり電話を切る。
あのさ、………おかしくね? 叔父さんが用事あったのは俺だろ? なんで電話を切る?
それにさ、何の用事だったのか大体見当はついてるんだが、……なぜあの叔父さんが俺と話す事も無く電話を切ったのかが……
―――はっ! ま、まさか!
「お、おい、恭子… お前いったい何を喋って………」
「修二、来週から叔父さんのところでバイトだよ。分かった?」
………や、やっぱり!
「お、お前なにを言ってるのか分かってるのか?」
「うん、分かってるよ。っていうよりさ、修二は約束してたんでしょ? 今年もバイトに行くって?」
「た、確かに去年はそう言ってたけど……」
「叔父さん怒ってたよ? 電話しても絶対にでてくれないって……」
「はぁあ~あ……」
もうね、ため息しか出ない。
何で俺が電話に出なかったと思う? そこには深~い理由ってもんがあるんですよ、恭子ちゃん。
「溜息ついてないで着替えとかの準備とか始めたら? それと、勉強道具も持っていくんだよ? 向こうでは私と一緒に勉強するんだからね?」
「いや… 勉強道具ってさ……って、 き、恭子! お、お前今なんて言った?」
「え? 向こうでは私が勉強を教えてあげるって言っただけだけど…」
「いやいやいやいや… おかしいだろ? 何でお前が向こうに………」
「だって、……叔父さんが私にも来て欲しいって言ってきたんだもん」
「………それで?」
「もちろん『いいですよ』って答えたけど?」
「お、お前、両親に相談しなくてもいいのかよ?」
「それは大丈夫。だって小学生の時に3年間もお世話になった叔父さんだし。母さんも修叔父さんの所でバイトするって言っても絶対に反対なんかしないと思うよ」
「で、でもな………」
「うふふ… 大丈夫だって。それに、修二も言ってたでしょ? 『 暇ならバイトでもすれば? 』って。でも、バイトかぁ~ 初めての経験だ。 クスッ… 楽しみ」
恭子はそう言うと目をキラキラと輝かせながら俺を見た。
「初めてのバイト」……恭子はそこに何かしらの淡い想いを抱いているのかもしれんが、世の中そんなに甘くはない。
あの叔父さんの所で働いたら「社畜」という言葉の意味をよく理解できるようになると思う。まあ、確かに恭子には良い勉強になるかもしれんな。世の中がいったいどれ程の人々の犠牲によって成り立っているのか…それを学べるって意味で。
本郷 修………4つ年上の親父の兄であり、本郷家の跡を継いでいる。
親父が生まれたのは上越地方のとある都市。元々がちょっとした地主だった本郷家を今は叔父さんが継いでいる。別に働かなくても生きていけるご身分なのだが、何を血迷ったのか数年前から持っていた土地にコンビニをオープンさせた。そんで俺が高校生になるといきなり電話がかかってきて、「高校生なら働かせてもOKだよな?」ってな感じで去年の夏は叔父さんに拉致られた。
生粋の昭和生まれで根性論の信奉者。おまけに体育会系。
雇っているバイトの学生にはそこまで無理を言わないが、身内の俺には限界まで無理を言ってくる。バイト料は確かに多く頂いた。だが、あそこで働いていたたった1か月で、俺は人生のロウソクを1年分削ったような気がしてる。
そんな修叔父さんを恭子が何故よく知っているか?
それは俺と恭子が小学4年生から6年生までの間、冬休みになると一緒に叔父さんの家に行ってスキーを習っていたからだ。叔父さんはガチの体育会系。スキーの指導員の資格も持っている。
小学4年生の冬が始まった頃、叔父さんから連絡があった。
………「そろそろ修二にスキーを教えてやる」
うちの両親は当然の如く、俺に「行ってこい」といったのだが、俺の母さんが恭子の母さんにそれを伝えると、「うちの恭子も是非」ってな感じで二人で行くことになった。それから小学校の6年生まで、毎年冬休みになると、俺と恭子はスキーを習うために叔父さんの家に行くようになった。
ほんと、あの頃を思い出す。
俺は恭子の運動神経の良さに驚かされたもんだ。あいつは最初の年で上手に滑れるようになりやがった。叔父さんもそれに驚いて滅茶苦茶恭子を可愛がっていたっけ。あれから5年近くも経っているが、叔父さんが恭子の事をよく覚えているのにも頷ける。
「クスッ… 修二ってさ、去年は夏休みの間、殆ど叔父さんの所でアルバイトしてたんだね?」
「ああ、そうだよ」
正確に言えば社畜として飼育されていたんですけどね。
「なら修二は私の先輩だね。向こうに行ったら色々と仕事を教えてね、…『修二先輩』」
そう言って恭子は屈託のない笑顔を俺に見せる。
ったく、勝手に決めやがって。
悪魔の巣に自ら向かうようで全く気が進まない。だが、恭子が行きたいというのなら仕方ないな。
………ならば準備でもするか。
そんな訳で、俺と恭子はそれから数日掛けて遠方でのバイトに行く準備を行った。
期間は2週間程度。お盆休みをとっているバイトの人達が戻ってくるまでの間である。去年に比べれば期間も短いし、これといった準備も必要ないのだが、俺にはこのことを伝えておかなければならない人物がいる。
俺はラインを使ってこのことを美月に伝えた。
『 暫く親せきの家の仕事を手伝うことになった。だから2週間ほど家庭教師には行けない。 』
するとすぐに美月から返信が来た。
『 そっか。ならしょうがないね。 頑張ってね、修二…』
さすが俺の妹。しっかりと兄を励ましてくれる。お兄ちゃんガチ感動。
『 追申。お土産はバイト代の一割程度のものでいいからね 』
ふざけるな美月。法外な土産を請求するんじゃない。
でも、まあ今は美月も頑張ってることだし、土産ぐらいは奮発してやるか。
美月は夏休みに入ってから塾の特別講習に通っている。
塾嫌いで今まで通っていなかったが、流石の美月もそうは言っていられないようで、今は友達と一緒に講習を受けている。だから今は俺がいなくてもきっと大丈夫だろうとは思う。
そして数日後。
「そんじゃ、行こうか。恭子」
「うん。いよいよ明日からバイトだね。何だかワクワクしちゃう…」
俺と恭子は大きなキャリーバッグを引き摺りながら、一緒に駅へと向かう道を歩き始めた。




