8. 蝶野さんⅢ
6時限目終了。ってことで放課後。
「それじゃ行こう~」
蝶野さんは上機嫌。ニコニコしながら一緒に教室を出てそのままお気に入りの喫茶店へと向かった。足取りも軽くルンルンといった感じでまるで子供のように燥いでいる。少し大人びた美貌の少女が幼い子供のように燥ぐ表情はもう反則的に魅力的。仕方ないので俺は2歩後退して少し離れて歩く。
あの学年で一番の美少女と喫茶店に…… なのだが、蝶野さんと外で食事するのは初めてではない。前に何度か皆でハンバーガーを食べに行ったりなどしたことがある。
蝶野さんのコミュ力は絶大で、自分の席付近の人を誘って皆で寄り道しようって感じでたまに音頭をとる。そして蝶野さんに誘われると誰も断らない。
ただ、二人でっていうのは流石に初めて。ちょっと緊張。(ポッ) …してる場合じゃねーよな。
「そう言えば蝶野さんて家はこの辺り?」
「うん。学校まで徒歩で通ってるよ。 本郷君は?」
「住んでるのはここから電車で2駅行ったところ」
そんな会話をしていると、
「あッ、あそこに見えるお店。あれが目的のお店だよ」
そう言ってさされた指の先を見て見ると、こじんまりとしたログハウス風な造りの喫茶店が見えた。
「早くいこ」
そう言って彼女は歩く速度を上げて元気に向かっていく。
やがて店先に着き、扉を開けるとカランコロンと鈴の音が鳴り響き店員さんが出迎えてくれた。
席に案内され二人で対面に座りお水とおしぼりを渡されると、蝶野さんは早速メニューを開いて思案を始めた。
よく目が♡になると言うが、蝶野さんは既に目がケーキになっている。
「ん~… どれにしよう… いつも悩んじゃうんだよね~…」
眼を大きく見開いて一心不乱にケーキを選んでいる蝶野さんは本当に嬉しそう。
学校で見せる笑顔とはまた別の笑顔で微笑んでいる彼女はいつもよりさらに可愛く見える。
「よし、決まった。今日はこれで行こう…。本郷君は?」
「大丈夫、もう決まってるよ」
そんな訳でご注文。
結局蝶野さんはフォンダンショコラとミルクハーブティー、俺はホットのカフェオレ。
注文を済ませて少し落ち着くとニッコニコの笑顔で彼女が言ってきた。
「さあ本郷君、何でも相談してくれたまえ… なんちゃってね…」
どうやら蝶野さん的には5時限目に続き、恋バナ第2ラウンド開始といった感じ。
相談したいのはやまやまなのだが、やはり内容的にちょっと言いにくい。なにか別のことを少し話して雰囲気を和らげてから…… そう思ったので、何か適当な話題がないかと考えていると、ふと思いつく。
「そう言えばさ、ちょっと気になったんだけど……訊いていいかな?」
「ん?… どんなこと?」
「蝶野さんが言ってた『もう彼氏はつくらない』っていう理由……」
―――どうだろ? やっぱ訊かれたくなかったかな?
ちょっと不安になっていると、
「ああ、それね……。 私がね、もう彼氏を…………」
蝶野さんは何も気にしない様子でそこから淡々とその理由を語り始めた。
「私ね、中学2年の終わりごろに初めて男の子と付き合ったの。相手はもともと仲の良かった友達の男の子でね、優しい人だったしこの人ならいいかなって思って…」
「それで付き合い始めて最初の頃は良かったんだけどね、だんだんその彼が変わってきちゃって…。私の事にいちいち干渉するようになってきて…。毎日一緒にいるようになって私の時間を束縛するの。以前のおおらかで優しかった彼とは随分と変わっちゃって…。それからも彼はどんどん変わって行っちゃってね、……終いにはちょっと他の男の子と喋ってるだけで『浮気はするな』って言いだして。私はそんなに監視されなくても他の男の子を好きになったりしないのに…」
話しているうちに蝶野さんの表情が少し沈んでいっているのが分かった。冗談っぽく言ってはいるが、笑顔がだんだん曇ってきている。だが彼女はまだ話を続ける。
「そしてね、ある時その彼が私に言ったの…」
『俺はお前のために何でもしてやっている。それなのにどうしてお前は俺の言うことが分からない?… 俺はお前の彼氏だろ?… お前は俺のものだ。だから俺の言うことを聞け……』
「私はその言葉を聞いた時に別れる決心をしたの。もう付き合うのはムリだって感じて……」
淡々と言った感じでサラッと蝶野さんはそう言ったが、……重い、重すぎる。
初めての彼氏の話でまさかこんなリア重の話を聞かされるなんて微塵も思っていなかった俺はただビックリ。
蝶野さんは超美人。だから彼氏がそんな態度をとるのも分かると言えばわかる。最低だけどね…。
だけどそんな過去をこれほどあっさり喋ってのける蝶野さんの方に俺は驚きを感じた。辛くなかったの?…って思う。
「それで結局別れたんだけど…… 別れるときも大変でね、なかなかうんと言ってくれなくて…。俺はこんなに愛してるのに何故分かってくれないって…。そんな彼を見てるとどんどん彼のことが嫌になっていってね。それで最終的には別れることはできたんだけど…」
「私は後で考えてみたんだ。友達の男の子と付き合って、その人は変わってしまって、嫌な思いも沢山して、結局はその友達を無くすことになった。最後にはその彼に罵声を浴びせられちゃったしね…。ホントろくなことが無かった」
「だからもう彼氏はいいかなって…。学校帰りにみんなでお店屋さんに行ったり、こうやって本郷君とお茶したり、これくらいで十分楽しいなって…ね。楽しく過ごせる友達がいればそれでもう十分……」
彼女はそう言って軽い笑いを浮かべている。俺は彼女の何処か達観した考えを聞いて思わず呆気にとられた。
こんな過去をちょっとした雑談程度のようにあっさり語ってしまう蝶野さんは凄い。
俺は自分が訊きたかった質問も忘れて暫く呆然としていた。
だが蝶野さんはそんな俺にいきなり訊いてきた。
「ねえ、本郷君…… 男の子からしたら彼女ってね……自分のモノなの?…」
いきなりそんな事言われたって答えられる訳がない。俺は考える振りをして黙ってた。すると……
「いくら彼女と言っても私も一人の人間。私にも自分の考えや気持ちはある。私は自分の彼氏を自分のモノだなんて思ったことはない。そんなのはその人の勝手な思い込み。彼女になることがその彼氏のモノになることなんだったら私は絶対に彼氏なんて欲しくない…」
そう言った蝶野さんの眼はいつもの優しさの欠片も感じさせないものだった。こんな真剣な彼女の顔を俺は学校で見たことなど一度も無かった。
「本郷君はどう思う?……」
「―――そ、そうだね。彼氏彼女って言っても所詮は他人なんだし… 自分が他人のモノってのもおかしな話だよね……」
咄嗟に出た心にもない俺の答え。とにかく蝶野さんを怒らせないように気を遣って言葉を選んでただ答えただけ。
そして答えながら自分を振り返っていた。
今まで自分にそう言う思い込みが無かったか?…… あり過ぎるほどある。
それに確かこの前の話で理沙子も言っていた。……修二が私のモノにならなかったって…。
それを聞いて俺は何の違和感も覚え無かった。……確かに俺は理沙子のモノになってあげられなかったって…。
ヤバい、…段々分かんなくなってきた。
「付き合うってね、相手のことを理解して上手くやっていこうってことでしょ?… それを自分のモノだっていうのなら理解しようなんて思ってないよね。ただ自分の我儘を相手に押し付けているだけ。それは勝手な自己満足で傲慢なだけだよね。それにね、彼は私のために頑張って努力してるって言ってたんだけど……私はそんな事頼んだ覚えは全くない。それにやっていることは見当違いもいいところ……」
「―――そ、そうなんだ…」
「彼は私が寂しくないようにできるだけ傍にいてやってるんだと言っていたんだ。でも私は別にそこまで彼に傍で居て欲しかった訳じゃなかった。それは彼がそうしたかっただけ。彼の望みを勝手に私の望みだと決めつけて結局は私にそれを押し付けた。それを彼は私に対する自分の思いやりだ、自分は彼女への思いやりを忘れてないと言っていた。おかしいでしょ?……」
だめだ、…もう言葉が見つかんねーよ。何を言っていいのか見当もつかん。
ここは最大秘奥義……黙秘拳を使おう。
「……(秘奥義・黙秘拳)……」
「ねえ、本郷君もそう思わない?…… 黙ってないで何か答えて欲しいな……」
黙秘拳破れたり……無念。
どーしよ? おれ何言ったらいい? なに言ったらウケる?… ウケ狙ってもだめか…。