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77. 恋する資格…Ⅷ



 今の佐藤は病を抱えている。心の奥底に大きなしこりが出来てしまっている。それが自浄作用により治癒が可能かと言うと、佐藤の場合は困難だと言える。


 友人を裏切り、自分本位に他の男性へと走った友人の彼女。

佐藤はその彼女に対して義憤を覚えているのは確かだろう。それどころか怨嗟の念を抱いていてもおかしくはない。


 だが、佐藤はそれらの感情を表す言葉を何一つ吐かなかった。彼女に対して。


 彼女の取った不誠実な行動を「仕方のなかったこと」として諦め、それにより自分の感情を抑え込んでいる。即ち、その事実を肯定してしまっている。



 美貌を有する彼女達は大きな権利を有し、普通の男子である自分たちにはその権利が無い。―――だから仕方ないんだ。



 心に巣食うしこり……その正体はこの歪んだ感情が原因だ。

歪んだ感情を基調として物事を推し計れば、それが最善に行きつくことなど有り得ない。歪んだ感情からは歪んだ思考しか生まれないものだ。……俺はその事を知っている。


………釣り合いが取れていない。

彼女は眩いぐらいに美しく、自分は平凡でしかない。彼女の価値は非常に高いが、自分はそうでは無い。………こんな自分から、いつか彼女は離れていくのではないのだろうか?



―――そんな姿を見せられるぐらいなら、いっそ自分の方から…。



 ほんと、懐かしい。

かつて中二病を拗らせて、そんな思考に陥った馬鹿でマヌケなヤローを俺はよく知っている。


 そいつはあろうことか、美しい彼女から逃げたことすら自覚しないで、愛すべき娘を自らの力だけで得たと豪語していた。そしてその結果、そいつは豪語していたその娘に裏切られた挙句、関係のない美しい彼女にまでやりきれない怒りをぶつけた。



 本当のクズだ。全く救いようがない。



 今の佐藤はあの頃の俺と似ている気がする。

外見や他者による評価ばかりを気にして、歪んだ価値観に囚われていた昔の自分に。


 だからなのか、佐藤の歪みに対して、それをすぐさま真っ向から否定することを俺は躊躇った。それよりもどこか懐かしさを感じ、その感情を汲み取ってやりたいとさえ思ってしまった。


 だが、それは最悪な行為だ。

感情に動かされ、誤った考えに理解を示すなど愚行としか言いようがない。佐藤のためを思うのならば、誤りを正してやらねばならない。


 歪みを正さなければ幸せな未来など絶対にやってこない。このままでは佐藤が絶対に幸せを掴めないことは、俺が一番よく分かっている。


………佐藤、俺はもう昔の俺じゃない。変わることが出来た。だからお前も…。


 頑張ってみろ。

その考えがどれだけ無意味なものか、後で気付けば結構笑えるぞ。ほんとにな。




 さてさて、冥界にも似たこの場の空気。これから処理を始めようか。


 眼の前に見える佐藤の姿。

背中を丸めて項垂れ、顔には生気の欠片も見られない。はっきり言って陰気臭いったらありゃしない。先ずはこれから払拭しませうか。じゃないと女神様だってぜったい降臨してくれないもんね。


 では、参ろう。


「佐藤、鬱を愉しんでる所申し訳ないがな、お前に一つ訊きたい。お前ってさ、その女に一言でも何か言わなかったのか?」


「………えっ?」


 予想外の言葉に意表を突かれて驚きを見せる佐藤。

加賀美に対する苦しい想いをぶちまけた佐藤にとって、俺の投げかけた質問は大きく的を外したものに思えたのであろう。



「だからさ、お前はその女に何か文句の一つも言わなかったのかって聞いてるんだよ?」


「も、文句? そんなの言ってない。それに僕には言える訳もないよ」


「どうしてだ?」


「だ、だって… 僕とは直接関係の無い人だし、それに……」


「それに?」


「僕なんかと比べものにならないぐらい人気者で、大きな価値を持つ人だから…」


「お前はそう思ったのか?」


「う、うん……」


「そうか。 だが、俺はそうは思わない。俺ならその女にこう言ってやる」



『自分の勝手な都合で俺の大切な友達を傷つけやがって。二度と俺と友達にその汚い面を見せるな!――このクソ女が!』



「ホントだったらケリの一発でもお見舞いしてやるところだな。流石に女子相手に暴力は振るえんからやらないが…」


「………」


 俺がそう言い終えてから佐藤を見ると、佐藤は口を大きく開けて、ただ唖然としながら俺を見ていた。



「佐藤、どれだけ美しかろうがな、価値が高かろうがな、人としての道を踏み外したらそれはただの外道だ。その女はお前の友達を裏切ったんだろ? 汚いことをしでかしたやつは、汚い言葉で罵られて然るべき……俺はそう思うが」


 俺の言葉に佐藤は躊躇の色を浮かべた。その言葉に同意する自分と、否定する自分が葛藤を繰り広げているのだろう。


 やがて……


「やっぱり僕にそれは………」


 弱々しい声音で佐藤はボソッと呟く。

どーやら否定する自分が勝ったようだ。ほんと、佐藤らしいわ。優しさが邪魔をして他人を批判できないってか。でもな、それは違うぞ。


「あのさ、お前に言いたいんだが、お前のそれは優しさでも何でもないぞ。ただ臆病なだけだ。悪いことをした者を非難してやることこそ優しさだろ? そうしないとそいつは自分の悪さに気付かない。一番悪いのは無視することだ。無視すればそいつは悪いことを繰り返していってしまう」


「で、でも… 僕にはそんなこと言う権利が…」


「あるじゃねえか。傷つけられたのはお前の大切な友人だ。それにお前は間違ったことをしていないだろ? だからお前にはその女を非難する権利がある。ってか、その女をお前意外の誰が非難するんだ?」


「………ううん、 やっぱり僕には」


「そうか。お前はそのクソ女をそれでも認めるんだな。ならわかった。俺はお前の友達をやめるわ。明日からは他人だ。もう俺に喋りかけてくるんじゃねーぞ…」


「ほ、本郷君! そ、そんな……」


「俺はな、自分が信じられると思える奴しか友達にしない。間違いを間違いだと指摘できないような臆病者を俺は信じることはできない。そんな奴はいずれ裏切る。俺は誰かを裏切るのも、誰かに裏切られるのも大嫌いだ」


 俺がそう言い終えると、佐藤は悲壮な表情をして俺を見つめていた。

いきなり友達の縁を切ると言われたのだからそうだろう。戸惑いの表情を浮かべるのにも納得できる。だが、俺の狙いはこの先にある。



 暫くすると、佐藤の表情から戸惑いは消え、やがて冷めた視線を俺に向けた。そして…


「本郷君には… 僕の気持ちが分からないよ。やっぱり本郷君は僕と違ってた。はっきりとそう思う。本郷君は明るくて、誰からも声を掛けられて、そして友達も多い。それに沖田君や高科さん、それに蝶野さんとも凄く仲がいい。力のある人達に囲まれてる。だからそんなことが言えるんだよ。それに比べて僕にはそんな友達がいない。だから僕が偉そうなことなんて言ったら……逆に僕の方が皆から非難されちゃう。結局、僕と君とは住む世界が違うんだ。だから君には僕の気持ちが分からないんだ……」


 ついさっきまで、佐藤は楽しそうな笑みを俺に見せていた。

一緒にゲームをやり、それに熱中し、楽しい時間を共有していた。

だが、今の奴にその笑顔は無い。それどころか大きな壁の向こうから俺に向かって話し掛けている。



 クククッ…

はいよくできました、佐藤くん。ようやく本音が言えましたね。怒りの矛先をそのクソ女にではなく俺に向けてきましたね。それでいい。修二君はこれを待ってましたよ。


 いいか、佐藤。

思っていることははっきりと言え! そしてムカついたら怒りをぶつけろ! 黙ってたっていいことなんて何もないんだからな。



 さてと、では仕上げと参りましょうか。


「いや~ 厳しいこと言ってくれるね、佐藤くん。俺はそんな事これっぽっちも思ってなかったんだけど。確かに、俺に敵対する奴は仁志も同じようにそいつを敵だとみなす。同じ様に仁志の敵は俺にとっても敵だ。だがな、俺は佐藤に対しても同じように考えてたんだけど。―――佐藤の敵は俺の敵でもあり、そして仁志の敵でもある。俺と仁志はとっくにそう思ってたんだが、お前はそうじゃなかったんだな…。 残念だよ、佐藤くん」


 佐藤はその言葉を訊くと見る見る青ざめていった。

半開きになった口は何か言葉を出そうとしているように見えるが、一言も言葉を紡げないでいる。


「佐藤、よく訊け。お前は既に俺にとっても仁志にとっても親友だ。お前が困ってたら俺達が助けてやる。だから勇気を持て。外見やカーストなんて気にするな。俺も仁志もそんなところに価値観など微塵も持ってない。だから佐藤、もう一度だけチャンスをやる。俺や仁志と親友でいたかったら、この言葉を叫べ…「クソ女」って」


………俺にイラついてもいい。ムカついてもいい。だが、昔言えなかった本音をここでぶちまけろ!…佐藤。



 放心状態だった佐藤の表情に生気が戻ってきた。

やがて…


「………く、くそ」


 真剣な表情で必死にその口から何かを吐き出そうとし始める。


「ん? どーした佐藤。声がちいせーぞ。そんなんだったら気持ちが伝わらんだろ? もっと大きな声で言え。 まあ確かにクソは上品なお前の口からは出にくいか? だったら『うんこ女』でも勘弁してやるぞ…」


「……ぷぷっ う、うんこって… 意味変わんないでしょ?」


「そうか? 微妙に上品でマイルドな感じになると思うんだけどな?」


「あはは… 本郷君らしいや」


「佐藤…」


「なに?」


「俺は本郷君じゃない…」


「―――そうだね、修二君」


「そうだ、忠司」


「言うよ… 修二君」


 忠司はそう言うと大きく息を吸い込み、こちらを見ながら力強く言葉を吐き出した。



「あいつの気持ちを踏みにじりやがって! お前なんか本当に最低だ! このクソ女!」



 目一杯の感情を込めて忠司はそう叫んだ。

叫び終えた後の奴の顔、そこに憂いなど全くない。今まで心の奥に溜めこんでいた嫌な気持ちが全て発散出来たのであろう。その笑顔からは一切の陰りが見られなかった。



「本当に… 本当に… あんなことしやがって… お前のせいで…………」


 笑顔を覗かせたのはほんの一瞬。直ぐに忠司の表情は歪んだ。

肩を落として男泣きに崩れる忠司。俺はそんな忠司をただ見守った。昔、仁志が俺に対してそうしてくれたのと同じように…。



 心に歪みを生じさせていた忠司。

そんな奴に加賀美との関係を説いたところで何の意味も無い。歪んでしまった土台を矯正しなければ何も変えることが出来ない。俺自身がそうだった。歪みを無くすことで今の俺は恭子をしっかりと見ることが出来ている。多分それは忠司も同じだろう。歪みさえなくなれば、きっと加賀美の想いを正面から受け止められるはずだ。



 穿ったものの見方、そしてそこから生じる歪んだ考え。何故そんなものが生じるのか、それは自分の心の弱さが原因になっていると俺は思う。卑屈な考えなど不必要だ。俺は最近になってようやく自分に自信が持てるようになってきた。今の俺は、たとえ相手が蝶野さんであっても恭子であっても、その横で堂々と立つことが出来る。きっと忠司だって、近いうちにそうなれると俺は思う。



 それから、俺と佐藤は二人で床に寝ころび、部屋の電気を消して夜話をした。

まるで中学の時の修学旅行のようなその光景に二人して笑っていた。それから互いに今まで語ったことのない昔話をした。そしてもう一度、クソ女の事を罵り合って二人で笑った。


 忠司はすっかり元気を取り戻していた。声にも張りが戻ってきて、平気でクソ女といえるようになった。その様子を見て、俺は第一段階が成功したことを確信した。だから俺は第二段階へと移行する。



「忠司、お前に俺のとっておきの話をしたい。訊いてくれるか?」


 暗闇の中、顔の見えない忠司に向かってそう呟いた。


「あはは… いいよ。是非訊かせてほしいな…」


 忠司は喜んで了承してくれた。


「よし。なら始めるぞ……」



俺はそれから語り始めた。―――ある愚か者の人生を。





 ここまでが第二段階。

さて、次は第三段階へと行きますか。………





 翌日、お世話になった忠司の母さんに丁寧にお礼を述べた俺は佐藤家を後にする。


 忠司は駅まで見送ると言って一緒についてきてくれた。やがて駅に到着した俺達は別れの挨拶を交わす。


「修二君の言いたいことは分かった。僕はもう一度しっかり考えてみる」


「そっか。そう言ってくれると俺も嬉しいな。失敗しないようによく考えるんだぞ」


「それは大丈夫。僕の気持ちはスッキリしてるから。それよりも修二君………」


「なんだ?」


「………ううん、なんでもない。じゃあ、気を付けて…」


「ああわかった。それじゃな…」



 忠司に手を振り、俺はホームへと向かった。そしてやってきた電車に乗り込む。


 結局、あの後俺達は朝方まで話し込んでいた。だから列車に乗り込み座席に落ち着くと、途端に睡魔が襲ってきた。暫し眠ろうかとも思ったが、俺は眼を擦りながら大切なメッセージをラインで送り届けた。


 数刻後、地元の駅に列車が到着したのに気づき、俺は慌てて列車を降りた。それから何気にスマホを確認する。


―――よし、第三段階開始だな。



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