7. 蝶野さんⅡ
「―――ホントのこと言うとね、私はもう彼氏は作らないことにしてるんだ…」
蝶野さんのどこか不明瞭な答えを気にしていると、いきなり蝶野さんはそう言ってペロッと舌を出しおどけたような表情になった。
彼氏をつくらない…… 即ち誰とも付き合わないということなんだろうが、……何かあったの?
当然理由はあるんだろう。だが流石にこれ以上突っ込んだ質問は出来ない……というかやらない方がいいと感じた。
あまり幸せな理由でそんなことを思い始めたのでないことは簡単に想像できる。
確かに蝶野さんがこの学校に入学してから誰かと付き合ったという噂は聞いたことがない。告白しに行った者が玉砕した話は聞いたことはあるが…。
そろそろ話題を変えた方がいいか…… そう思い何か無難な話題でもと考えていると、
「ねえねえ、そう言えばさ、本郷君って沖田君と仲いいでしょ? 実際噂のあの二人ってどーなの?」
そう言って蝶野さんは噂の二人の方をわくわくした表情で見ている。
噂の二人、今うちのクラスで最も話題を集めているカップル…… それは親友の仁志と俺達と同じ中学だった高科さん。
参考までに今の座席を言っておくと、俺は窓側列の前から4番目、その後ろが蝶野さん。仁志は廊下側の最後尾。その前の席が高科さんだ。仁志と高科さんは1年の時も同じクラス。今は席も前後でいつも仲良く話している。
どうしてここまでこの二人が注目されるのか?
それは当然二人が超イケメンと超美少女だから。容姿的には完璧に釣り合いのとれたベストカップル。
ただあともう一つ。仁志は前にも言ったが本当に誰に対しても気を遣わない。たとえ相手が美少女でも平気でズケズケものを言う。ただ一人の例外を除いて…。その例外が高科さんだ。仁志は高科さんに対してだけ時別に気を遣う。だから余計にこの二人は周囲の注目を集めることとなっている。
「女子の間でもね、結構噂なんだ。沖田君と高科さん。もう凄い美男美女の組み合わせでしょ? みんなキャアキャア騒いじゃって…。なんか1年の時も同じクラスでその頃からいい感じって言われてたみたいでね。やっぱり付き合ってるのかな? ねえねえ、…本郷君は知ってるんでしょ?」
まるで幼い少女のように眼をキラキラとさせて訊いてくる蝶野さん。もう完全に女の子モード。
あの二人の事か…… 知っていると言えば知っている。仁志が俺に嘘を言ってないのであればあの二人は付き合っていない。尤も嘘を言っているなら話は別だが…。
「俺は仁志から彼女が出来たって聞いてないから… 多分付き合っては無いと思うよ…」
「………ふう~ん、そーなんだ…」
ちょっと期待外れのような、面白くないような表情の蝶野さん。
期待外れの答えでごめんなさい。死んでお詫びします。(嘘です)
でもさ、高島さんを凄い美少女って…… 蝶野さん、…あんたの方が凄いから、はっきり言って。
取り敢えず蝶野さんってこんな感じ。
髪は綺麗なアッシュブラウンでセミロングの外ハネボブ、その髪色と色白の肌のコントラストがとても美しく見える。シュとした頬から顎の美しいラインをたどると紅くて潤ったやや薄めの唇があり、その上には細く美しい鼻梁、そして彼女の最大の魅力である美しい瞳が皆を魅了する。笑うと目尻の下がった細目となり可愛く、普段はやや細めで何とも言えない美しさを見せ、驚いた時には猫のように大きな瞳となり愛嬌がある。どちらかというと西洋人っぽい感じの顔。
今俺はこうして前後の席の距離で喋っているが、この距離で直視されると10秒後に俺の体は真夏のバターのように完全に溶ける。
「そーいえばさ……」
蝶野さん解説をしていたらいきなり彼女は俺の方を振り向いて凝視…… カウント10までに逃げないと…。
「なんで本郷君は高科さんと喋らないの? 喋ってるとこ見たことないんだけど…」
「見てわかる通りあちらは凄い美少女様。あまり縁も無かったしね…」
「でもあれだけ沖田君と仲いいのなら普通は本郷君とも喋らない?」
「そーなんだけどさ、…なんか仁志の邪魔にならないかと思って気を遣っちゃって…」
「そっかー、本郷君って空気読むんだ」
「あいつは全く読まないけどね。俺は気を遣ってるよ…」
俺がそう言うと蝶野さんはクスクスと楽しそうに笑っていた。
たまたま自習となった数学の時間、何故か蝶野さんと恋バナで盛り上がり気が付けばもう結構な時間二人で喋っていた。
ま、こんな機会も滅多にない。この機会に話してみたいことがないかな…… そう思っているとあることが思い浮んだ。だがこれは…… 俺が今一番訊いてみたいことなのだが気を悪くする可能性が高い。
今自分が悩んでいることを女性の立場から訊いてみたい。それによって何かが理解出来たら……
そう思って少し俯きボーっと考えていると、
「どうしたの?…本郷君。 何か悩み事?」
あっけらかんと言った感じで蝶野さんが俺に訊く。
「―――いや、なんでもないよ」
「うっそ~ 絶体なんかある。言ってごらん?」
興味津々といった感じで蝶野さんは俺の顔を覗き込んできた。
凄く楽しそうな蝶野さん。色っぽいからあんまりジロッと見ちゃいやん…。
―――言ってみようか…
そう思うがなかなか言い出し辛い。
俺が訊きたいのはなぜ普通の女の子が彼氏を裏切る様な行動をとるのか……
ビッチやアバズレならともかく、普通の女の子でも裏切る。理沙子もそうだし初恋の人もそうだ。
理沙子の場合は理由がわからなくもないが、どうして初恋の人が俺を裏切ったのかは理由が全く分からない。
俺は裏切るようなことを全くしなかったし、彼氏としての役割は果たしていたと思う。俺には彼氏としての自負はあった。
過去を清算するために俺は最近このことばかりを考えている。
―――何か納得できる理由が欲しい
それが俺の望むもの。理由が分かれば対処もできる。そう考えることができればまた女の子を信用することだって出来ると思う。
一番手っ取り早いのは別れた初恋の人に直に訊けばいいんだろうが、別れてから2年間、顔を合わせた事も無ければ口を利いたことも無い。今さら彼女に“あの時どうして?”って訊いても“はぁ?”って言われるのがおちだろう。
向こうも俺と口を利きたくもないだろうしな……
だから周りにいる女子の意見を訊いてみたいのだが……なんか女子をバカにしているようで訊きづらい。
そんな感じで俺がやっぱり訊くのをやめようと諦めかけていると……
「―――もしかして本郷君ってさ……別れた彼女とのことで何か悩み事でもあるの?」
蝶野さんが痛いところを突いてきた。この人なんだかこーいうところの察しがいい。
訊きたい事がもう喉元まで出てきて思わず訊いてしまいそうな衝動に駆られていると、
「私で良かったら相談に乗ってあげるよ?……」
にこりと笑って優しい笑顔で蝶野さんが言ってくれた。
―――訊いてみようか…
よし、折角彼女がそう言ってくれてるんだし、いっちょ訊いてみるか…。
「―――蝶野さん、あのね………………」
―――キィーンコーンカァーンコーン―――
無常に鳴り響く授業終了を知らせるチャイムの音。諸行無常の響きあり…。乙。
ここでタイムアップ。 ま、世の中こんなもんですわ……。 おれ知ってたしぃ~。
「……やっぱいいわ。授業も終わっちゃったし…」
授業が終わったから話ができなくなったという教師が聞いたら怒り狂いそうなコメを俺が蝶野さんに言うと、顎に指を当てちょっと考えてから彼女は、
「……ん~、そうしたらお礼はケーキセットにしようかな…」
ってな感じで謎の言葉を喋り始めた。
お礼って何?…… あっ、思い出した。あの役に立たなかった数学のノートのことか…。
蝶野さんて、美人で明るくて楽しくて……でもキツいんすね。
あの全く役に立たなかった練習問題のノートのコピー料金はどうやらケーキセットとなったみたい。等価交換の法則から言ってなんかおかしくね?…… とは思うが、一応……
「ケーキセットって… どこかのお店で?」
「そうそう。私のお気に入りの喫茶店のケーキセット。本郷君今日は暇?」
「別に用事は無いけですけど…」
「ならそこでお礼して貰っちゃおうかな。……だったらついでに本郷君の相談にも乗ってあげれるしね…」
蝶野さんの提案を受けて俺はお財布と緊急会議を開いた。お財布大臣からはケーキセットぐらいなら大丈夫だろうというコメントが頂けた。ま、相談にも乗ってくれることだし……いいでしょう。
「ならそれでいいよ。放課後にその喫茶店に行くってことで…」
「え、いいの?…ホントに? やったぁ~ ケーキセットだぁ~」
……あの、……相談の方もお忘れなく。一抹の不安が…。