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64. 変わりゆく関係…Ⅶ



―――その日の放課後。


 期末試験まで残り1週間を切っていることもあり、授業が終わるとみんな慌ただしく荷物をまとめて帰宅していった。普段は教室に残り、少しおしゃべりに興じてから帰る面々も、この時期だけは皆と同じように早々にクラスを後にする。


 俺と仁志、そして恭子の3人も皆と同様で、放課後になると直ぐに下校した。

帰りがけ、昼休みの事が気がかりだった俺は恭子が何か言ってくるのではと思っていた。だが、恭子はいつものように楽しげな表情で俺や仁志と話すだけで、何かを気にしている様子は一切伺えなかった。


 やがて俺達の乗った列車は地元の駅に到着し、そこで仁志と別れて俺と恭子はいつものように二人並んで歩きはじめる。恭子は相変わらず上機嫌って感じで俺にあれやこれやと話し掛けてくるのだが、その殆どは蝶野さんに関係するものであった。


 恭子は蝶野さんとのランチを振り返りながら、楽しかったことを自慢げに俺に聞かせる。はっきり言って蝶野さんとの付き合いは俺の方が長いのだが、今の恭子にとっては彼女をもっともよく知る人物は私をおいて他にいないと自負している感じにさえ見える。



 蝶野さんか……。

恭子の話を聞きながら、俺は仲睦まじく楽しそうにしていた二人の姿を思い出していた。


 まるで旧知の仲であるかのような今の恭子と蝶野さん。

客観的に見て、二人は気が合いそうな気はしていたが、今の二人の様子は俺の想像をはるかに超えている。


―――恭子もそうだが、蝶野さんも意外だな…。



 俺は恭子の性格をよく知っている。

恭子は礼儀正しく温厚(但し、俺以外)なので昔から友達が多かった。だが、親友と呼べる人物は本当に少ない。安易に他人を信用しない恭子の慎重な性格がその理由なのだが、そんな恭子がこの短期間で蝶野さんだけには全幅の信頼を置いていることに俺は驚いている。


 そして蝶野さん。

彼女はあの容貌にして明るく元気な性格……なので当然というべきか、皆にとってカリスマ的存在である。そのため彼女の元には自然と多くの人が集まるのだが、彼女はそんな人達と満遍なく仲良くする。人気者であるが故に、自分から友達を作りに行く必要はないといった様子なのだが、裏を返せばそれが足枷となり、自由気ままな交友関係を構築しづらいのではないか………俺にはなんとなくだがそんな風に思えていた。


 彼女と席が近くなってもう数か月が経過したが、彼女が特定の人物を気に入って、その人との関係のみを深めていったのを俺は見たことが無い。


 彼女は自席で佇んでいる事が多い。休憩時間も昼食の時も…。その理由は勝手に集まってくる皆に対して、その対応をしないといけないから…。 そんな彼女が唯一、気軽に自分から話しかけられるのは近くの席にいる俺達だけ。何となくそれが理解できてきた今の俺は、言い方はちょっと変だが同情にも似た感覚を彼女に抱いている。


 だが、そんな彼女が恭子に対してだけは、今まで見せたこともないような態度を示した。恭子だけを優先し、恭子のためだけに何かをしてあげようとする。


………本当に意外だな。

周囲とのバランスも意に介さず、自分の意思を優先させる蝶野さんを見て、思わずそう思った。



 恭子と蝶野さん。

二人にとって互いは信頼の置ける人物であり、心を許して話す事の出来る貴重な存在なんだろう。……今の二人の態度を見ていてそれを強く感じる。


 蝶野さんならきっと……

恭子にとって、良き理解者になってくれることは間違いない。俺にとっての仁志のように、恭子にとって蝶野さんはきっと心強い味方になってくれると思う。



………良かったな、恭子。 素敵な親友が出来そうで。


 蝶野さん、恭子の事をよろしくたのんます。あいつはちょっと意地っ張りだけど、めっぽう優しくてホントいい奴だから。 ……俺以外の人にはね。(笑)




 俺の隣では蝶野さんとの仲の良さを自慢げに語っている恭子がいる。

無邪気な顔をして雄弁に今日の出来事を俺に語り聞かせる恭子。二人の様子を近くで見ていたんだから、俺にも二人がどれだけ仲がいいのかなんて分かっている。


 恭子は嬉しそうに自慢する。

   「麗香ちゃんとは本当に気が合うの。ど~してなんだろうね? クスッ…」

   「私には何でも話してくれるんだよ? ねぇ修二、凄いでしょ?」


 そして俺はちょっと大げさにこう答える。

   「へぇ~、そうなんだ…」

   「いや、ほんとにすごいな…」


―――すると恭子はしたり顔になり、満面の笑みを浮かべる。



 恭子の顔には俺に言って欲しいセリフが書いてある。だから俺はその通りのセリフを言ってやる。まるでお芝居がかった演技の様だが、それでいい。これくらいのことで、こんなに幸せそうな恭子の笑顔を見られるというのなら安いもんだ。



 蝶野さんと出会えてよかった。……本当に。

彼女と出会えたから、俺は恭子との関係を再び取り戻すことが出来た。

彼女がいてくれるので、俺はこのような恭子の笑顔を見ることが出来ている。

なんて言えばいいのか…… 彼女には感謝以外の言葉が見つからない。




 尽きることのない恭子の自慢話を聞かされながら、二人で楽しく家路に向かっていた俺達だが、そんな楽しい時間はあっという間に過ぎるものであり、気が付けばもう家のすぐ傍まで来ていた。


 楽しそうな笑顔でいる恭子。そんな恭子とお別れするのはちょっと名残惜しい気もするが、いつもの場所までやってきた俺達は、いつものようにそこで立ち止まった。


―――「じゃあまた明日。ちゃんと遅れずに迎えに来てね。 クスクス…」


 恭子はこの場所まで来ると、いつもこのセリフを残して俺に手を振りながら家に戻っていく。そして俺はそんな恭子を最後まで見届けてから自宅に入る。これが俺達の日常ってやつ。


………さて、いつもの言葉を待ちますか。


 そう思って恭子からの言葉を待っていると、


「修二… あのさ、………」


 そう言って恭子はちょっと真面目な顔をして俺を見つめたまま立ち止まっている。さっきまで笑顔だった恭子の表情、それが今は何故か少し厳しいものに変わっている。


「どした? 恭子…」


「修二はさ、蝶野さんと勝負するんだよね……」


 恭子が言わんとすることが何となく分かってきた。


「あ、あはは… もう約束しちゃったしね…」

「まったく…… 直ぐ調子に乗っちゃうんだから… 修二は…」


 冗談ぽく笑って答えてみたのだが、恭子の反応は水の凝固点をはるかに下回るものだった。今は7月なのになぜか背中がうすら寒い。


………恭子たん、やっぱ怒ってたのね。


 学校帰り、恭子は始終上機嫌であった。お昼休みに説教されたのだが、帰りの様子からして恭子はもう呆れてるもんだとばかり思っていた。 「どーせ負けるのに… 勝手にすれば?」…って感じで。 だから俺はちょっと安心してたのだが…。



「普通に考えてボロ負けしちゃうに決まってるでしょ?」

「………ええ、まあ ……はい」


 あ~あっ… やっぱね。

3時間ぶり2度目となる恭子の説教が今まさに始まろうとしている。


 恭子は昔から俺のいい加減な態度に対してだけは手厳しい。特に勉強に対してはそれが顕著に表れる。普段は俺に対して優しい分、いきなり牙をむかれるとそのギャップの大きさで、余計に俺の心はえぐられてしまう。


―――今から5分の勝負だな。


 恭子の説教は約5分でその活動限界を迎える。(修二君による経験則)

この間、俺の心がどこまで耐えられるかが勝負だ。


 うむむ、なにかこう…心に強靭な壁をつくる方法って無かったかな? 全てのものを排除し、自分とは異なるものを完全に拒絶する分厚い壁。 確か…以前にシンジ君から教えてもらった気がするのだが…。 そ、そうだ! 思い出した。


 修二……孤独だ、孤独を感じろ。そして他人を拒絶するんだ!


 誰も他人の気持ちなんて分かろうとしない。人間なんてみんな一人ぼっち。だから僕は孤独でいい。……誰かに分かってもらおうなんて思わない。

父さんなんて……大嫌いだ。 よし、今だ!

 ―――『 ATフィールド全開! 』―――



「修二、真面目に聞いてる?」

「聞いてますはい。それはもうしっかりと……」


 恭子の浸食により、俺のATフィールドは秒で破られた。

俺の魂に完璧にシンクロしてくるあたり、さすが恭子といった感じだ。伊達に幼馴染をやっていないってことを痛感させられる。


 心の盾を失った俺。当然だが恐怖におののく。いわゆるガクブル状態ってやつね。

そんな訳で、これからどれだけ心を折られるか指折り数えようとしていると……


「んっとにも~ しょうがないんだから… 修二は…」

―――おや?


「うん… 仕方ないよね。 ちょっと麗香ちゃんには申し訳ないんだけどさ…」

―――おやおや?


「私が修二の勉強を見てあげる。試験が終わるまでずっと一緒に勉強してあげるからね…」

―――おやおやおや?


「クスクス… これで結構いい勝負になると思う、うん。 だから一緒に頑張ろ、修二…」


 鞄を後ろ手に回し、くるりと俺の方に振り向いた恭子は何とも言えない優しげな表情で、そう言って俺を温かく見つめた。


 中学生だった頃、恭子はこんなことを俺に言ってきたことなどない。

不真面目な俺を叱るばかりで、俺の手を握って励まそうなんてことはしなかった。試験の時も手助けはしてくれるが、それはあくまでも仕方ないからって感じで…。


 だが今の恭子は昔と違う。

温かい気持ちで俺に手を差し伸べてくれている恭子の想いが十分に伝わってくる。


………恭子


 心が熱くなった。

昔、俺が一番望んでいたもの…… それは多分これだったのかもしれない。

俺は一番欲しかったもの、望んでいたをようやく与えて貰ったような気がする。

今になって… ようやく…。



「クスクス… 私が修二の傍についててあげるからね…」

「………」


「そうだ! ねぇ修二、今から始めちゃわない? これから一緒に勉強しよ?」

「恭子……」


「うん、そうしよ。 このまま私の部屋に来る?」

「あのさ……」


「ん? どーしたの、修二?」



「ごめん。気持ちは有難いんだけどさ、………おれ、一人で頑張ってみるよ」


「―――えっ…」



 驚き、いや、驚愕といった言葉が正しい気がする。

恭子はあまりにも予想外の返事に一瞬言葉を失ったようであった。



「ど、どうして? 私と一緒にやった方が絶対点数だって………」

「ごめん、恭子。今回は一人でやってみたいんだ…」


「な、何考えてるの、修二?」

「い、いや… ちょっとね……」


「どうして一緒にやったらダメなの? ねえどうして? ……修二」

「………」


 理由は……ある。確かなものが。

でもそれは決して後ろめたいものじゃない。逆に前に向かって進もうと決心したから、俺は自分の力だけでやろうと決めていた。数日前から…。


 恭子が怒るのはもっともなことだと思う。せっかくの思い遣りを無下にされたのだから…。でもこれは俺が望むこと。こればっかりはいくら恭子の要望とは言えど、それに応える訳にはいかない。



 恭子の剣幕に押されて黙り込んでしまった俺。そんな俺を恭子はただじっと見つめていた。恭子に理由を伝えねばならないのだが、俺の事を訝しむ表情で見つめる恭子を見ると、どうしても口が開かない。……はっきり言って、俺はこのような表情で恭子に見られたことなど今まで一度もなかった。



 押し黙ったまま無言で見つめ合う二人。

だが少しして……


「―――あのさ、修二」


「………なに?」


 まるで感情のない声で俺の名を呼んだ恭子は、



「もしかしてさ… 私って…… 修二に嫌われてる?…」



 思いもしなかったような言葉を俺に投げかけた。


「きょ、恭子… お前……」


 まさかこんなことを恭子に言われるなんて夢にも思わなかった。

確かに昔は恭子にイラついていた時もあったが、今はそんなことなど微塵もない。それどころか今の俺は恭子の事を………


 人間、驚きが過ぎると呆然としてしまい、言葉さえ出なくなる。

俺はまさにそのような状態だった。いったい恭子が何を想ってそんなことを言ったのか訳が分からない。 ただ、眼に映る光景だけは理解することが出来た。俺の眼の前には悲しげな表情を浮かべている少女が佇んでいる…。



 呆然としているのに何故か体は勝手に動く。

知らないうちに俺の右手は少女の前に差し出されている。手のひらを上に向け、何かを求めるように手を広げている。


 そして、不思議なことが起こる。

俺が差し出した手に、少女は黙って自分の手を重ねた。まるでそうすることが当たり前かのように…。


 重なった手はやがてゆっくりと動きながら、互いの指を握り合う。


………繋がっている。



「恭子… 嫌いな訳ないだろ…」


「―――ごめんね 修二…」


 握った指に力が入る。………俺も恭子も。


 恭子の表情から悲しみは消え去った。

呆然としながら、ただしっかりと俺の指を握り締めている。


 俺と恭子はただ無言で互いの手を重ねていた。

なぜ俺がそうしたのか、理由なんて全く浮かばない。強いて言えば子供の時に、拗ねた恭子をなだめるために、俺はこうやってよく手を差し伸べていた気がする。


 繋がれた手を通して互いを感じ合うと、不思議と相手の気持ちも理解できる気がする。そして心は落ち着いていき、やがて冷静な自分を取り戻せる。人間ってそんなもんだろうって思う。


 そう、心が穏やかになると、人間は冷静になる……


―――おれ、何やってんの?


 一気に素に戻った。

ええそれはもう見事なほどにね。だが、俺が素に戻ったということはですね……

俺は恐る恐る目の前にいる少女へ目を向ける。


 ですよね?…って感じだった。

そこには夕日よりも真っ赤に染まっている恭子たんの可愛いお顔があった。


………やっべ! どーしましょ?


 慌てて繋いでる手を離す…… なんてできないのは皆さんよく分かりますよね? なんせ手を差し出したのは俺の方。そんな失礼なことできる訳がない。


 だから恭子が離すのを待つしかないのだが… 何故か恭子は手を離してくんない。今の恭子は蝶野さんと全く同じって感じで、照れ照れ萌え萌え状態なのだが……


 さすがは十年以上の付き合いってことなのだろう。年季が入っている分、蝶野さんとは違って反射的に離すという感覚が既に無くなっているのだと思う。



「お、おれさ、自分の力だけで、ちょ、蝶野さんに勝てるか… やってみたいかなって… あ、あはは」


「そ、そーだった…の。 う、うん。一人で頑張るのって… だ、だいじだよね… し、修二 が、頑張ってね……」


 真面目な顔してアホの子のような会話をする二人。



「ねぇ見て見て~ あのお兄ちゃんとお姉ちゃん、お手手つないでるぅ~」

「きゃはは~ ほんとだ~。 きっと仲良しさんなんだね~」


 偶然通りかかった小学生の会話を聞くまで、恭子が俺の手を離さなかったのは皆にナイショにしておこうと俺が心に誓ったのは言うまでもない。



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