53. 変化…Ⅵ
取り敢えずいつもの体制 (主人と下僕の位置関係)は整った。さて、話を始めようか…。
「美月、話があるんだろ? 聞かせてくれるか…」
頼れる兄がどんな話でも聞いてやるぞ……
ちょっと兄貴風を吹かせるって感じで、俺はちょっとだけ偉そうに言ってみた。
そんな俺の言葉を聞いた美月は少しの間、じっと押し黙って俺の顔を見つめている。
じっと見つめている………刺すような目つきで。
「……お願~い美月ちゃん、お話を聞かせてほちいな。修二くん、とぉ~っても聞きたいの…」
自己防衛本能が働いた俺は慌てて言葉を改めた。
赤ちゃんはなぜ可愛い姿をしているのか?…それは危害を加えられぬための自己防衛本能に根差しているという話を聞いた覚えがある。 なるほど、確かに……俺はその話を聞いて大いに頷いた。
―――可愛い修二君に変身しろ!……危ねーぞ!
いつにもない真剣な表情で、刺すように俺を上から目線で見続ける美月に気付いた瞬間、俺の心はそう叫んでいた。
あの鋭い目つき……間違いない! あれは敵を本気で屠るときの眼だ。
ベッドの上に勝手に座っていたのがそんなに気に障ったのか?……でもさ、いつものことだろ? いつも一発殴る程度で許してくれてたじゃないか? どうして未だにそんな目で俺を見る? 俺は他にも何か美月の怒りを買うようなことをしたのか?
心に一物を抱いている―――それがありありと伺えるような美月の冷静な表情を見て、俺の心は恐怖に支配されていく。
美月を本気で怒らせちまう覚えか―――。
後ろから抱き付かれたときに背中でおっぱいを堪能したアレか? それとも誕生日の日にウンコのスタンプを連打で送り付けてやったアレか? それとも………
―――だめだ、いっぱいあり過ぎて絞り込めない。
俺は過去における自分の行動を思い出し、戦々恐々となって震え始めた。身に覚えがあるというより、身に覚えしかない。
だが美月はそんな俺を見ても眉一つ動かさず、表情を変えないで黙ったままだ。それが余計に怖い。
―――俺の人生もここまでか…。
そんな想いが脳裏をよぎる。
………そうか、……美月め、上手くやりやがったな。
俺はこの状況を鑑みてようやく悟った。 恋愛の相談ってのは俺をおびき出すための罠だったんだと…。
恋愛の相談を受けたと思った俺が、何も警戒することなくホイホイ部屋にやってくる。―――そこを狩る!
ふッ…見事な計略だ。俺の性質を見抜いた見事な作戦……美月、お前の勝ちだ。
俺は死を覚悟した。
―――恭子たん……先立つ幼馴染を許してちょーだい。
何故だか恭子の顔が頭に浮かんでくる。理由は分からない。
………黙って逝くのは幼馴染としてさすがに失礼だろう。
そんな想いが俺に恭子のことを思い出させたのかも知れない。
恭子との楽しかった幼い頃の思い出が、走馬灯のように俺の脳裏を駆け巡る。……あの頃、俺は幸せだった。
恭子への別れを済ませた俺。 もう思い残すこともない。
―――いつでもいいぞ…美月。覚悟はできた。
俺は冷静を取り戻した。
するとそれを見計らったかのように美月が話し掛けてくる。
「ねえ、修二………」
「なんだ、美月……」
死の恐怖を乗り越えた人間だけが到達できる領域……俺は今そこにいる。もはや達観の極みに達している俺は美月から漂う無言の圧力に動じることもなく、冷静に美月の言葉に耳を傾けた。
―――「ねえ、修二……」 修二……この三点リーダーに入る言葉は「死んでちょーだい」なんでしょ? おれ知ってるもんね~
美月のセリフを先読みして身構えていた俺。だが美月が俺に言ってきた言葉は意外なものだった。
「修二ってさ、どうして初めての彼女と付き合おうと思ったの? 」
……………はい? 何のこと?
意味が分かんねーぞ。
余りにも漠然とした質問に、何を答えればいいのかも浮かんでこない。
美月の言った言葉の意味っていうか真意が解せなくて首を傾げていたら、美月はもう一度訊いてきた。
「どうしてさ、『友達』から『彼女』にしたいって修二は思ったわけ? 修二には他にも女の子の友達っていたよね? なのにどうしてその女の子だけは彼女にしたいって思ったの?」
少し身を乗り出すようにして、真剣な表情でそう尋ねてきた美月。
今の質問が美月にとって、とても重要であることはその様子から容易に伺えた。
―――どうしてその女の子にだけは、友達よりも一歩進んだ関係になりたいと思ったのか……つまり、
どうして俺はあの娘を選んだのか―――。
その理由を訊きたいってことか。
なるほどね…。
美月が俺に訊きたいと思っていることの本質が理解できた。
友達と恋人の境界線……何が切っ掛けでその境界線を越えようと思ったのか?
その切っ掛けの部分を美月は知りたがっているのだろう。
どうして付き合おうと思ったの?―――
そう訊かれれば、殆どの人は「相手の事を好きだと思う気持ちが膨らんでいってね……」こんな感じの答えを出すと思う。
確かにそれが事実なんだが、それはあくまで結果論っていうか、相手に対する気持ちの変化を語っているだけだ。
美月が訊きたいのはそこじゃないんだろうと思う。もっと本質的な部分―――
「なぜそこまで相手の事が好きだと思うようになったの? どうして?…」
どうしてその人だけをそこまで好きに思うようになったのか、何故その人だけが特別だと思えたのか、……その理由が訊きたいんだろう。
なぜ俺はあの娘を選んだのか―――他の女の子では無くて。
一言で言うと、俺は初めてその娘に恋をしたから。……恋心を抱いたからだ。
美月が言うように、あの当時の俺には女の子の友達が結構いた。恭子と一緒にいたこともあり、小学生のころから俺には女子の友達も多かった。
だけどその女の子達の誰に対しても特別な感情を持つことは無かった。
―――彼女達の中に可愛い子がいなかったから?
それはない。はっきり言って俺の初恋の彼女より美少女と呼べる女の子もいた。
だが俺はその女の子達に対して、友達以上の関係を求める気持ちが起こらなかった。
仲良くしてくれる普通の友達。それで良かった。
どうしてそうなのか? ……その理由は単純だ。
俺には恭子がいたからだ。
俺にとって恭子は特別な存在。他の女の子には抱かない様々な感情を恭子だけには抱いていた。
恭子に対してだけ抱く特別な感情、様々な想い……
その中には自分でもまだ気付けていなかった感情があった。
恭子に対する憧れや淡い恋心―――
今なら確かに俺は恭子に対してそんな感情を持っていたと認めることが出来る。
だが、それ以外の感情も俺は持っていた。
どれだけ頑張っても何一つ敵わないという劣等感、何の努力も無しに人気者になっている事への嫉妬、そして、まるで俺の保護者でもあるかのように俺に注意ばかりしてくる態度への反発心。
最愛の幼馴染。
そんな幼馴染の傍で居ることのできる自分を普通は幸運だと思うのだろう。
だが全てにおいて完璧すぎる恭子の傍で居た俺は、いつしか幸運よりも苦痛を感じるようになっていった。どうあがいても何一つ恭子に勝てない。そんな恭子の傍で居れば居るほど俺の自信は崩壊していく。自分の存在価値の低さをまざまざと見せつけられている想いになる。
だが恭子はそんな気持ちでいる俺を放そうとしない。―――
決して恭子が悪い訳ではない。恭子からすれば俺がそんな気持ちでいたなど想像すらしたこともないだろう。
だが俺はそんな恭子の態度に苛立つばかりだった。
そして苛立つ度に感じていた。……自分の惨めさを。
やるせない気持ちに心が支配され、出口の見えない迷路を彷徨っているような感じがしていた。 ダメな自分に気付かされるたびに自信が崩壊していき、心が折れそうだった。
そんな時に俺はあの娘と出会った。
そして俺はその娘が好きになった。………その娘に恋をした。
友達ではなく彼女にしたい、自分の恋人にしたい―――初めてそんな感情が生まれた。
なにが自分の心をそう変化させるのか?
あの当時の俺にはそれを上手く言葉で表現することなどできなかったと思う。
だが時間が経って、色々な経験を重ねてきた今の自分には、なぜ自分がその娘にだけ恋心を抱いたのかがはっきりと理解出来ている。それを説明できる。
だから俺はそれを美月に伝えてやろうと思う。
本当の意味で誰かを好きになる、恋人にしたいと思うのには明確な理由がある。
だが、誰もがその理由に気付いたうえで行動しているのではない。理由も分からず本能の赴くままに行動し、恋人を得た後でそれに気付く人も多いだろう。―――実際、俺もそうだった。
でも美月には自分の気持ちをしっかりと理解したうえで恋をして欲しいって思う。自分の感情を誤って理解して、意味のない恋の経験をして欲しくはない。無意味に心が傷つくような体験などさせたくない。
なぜ恋に落ちてしまうのか、それは自分のどのような感情から来るものなのか、それを美月には理解して欲しい。
さて、これから美月に話さないといけないのだが、……話し方が非常に難しい。
これから話すのは俺の初恋の話。その結果がどうであったのかは美月も良く知っている。それに美月は俺の初恋の彼女に嫌悪感を抱いている。その彼女との馴れ初めのような話を美月に聞かせるのもどうかと思うところはある。
さらに厄介なのは、俺の体験談って言うのは失敗した過去の歴史。全てが参考になる訳ではない。これから話す話には大事な部分と訂正しなければいけない誤りの部分の両方が含まれている。それらを上手く美月に伝えることが出来るのかちょっと不安なところもあるんだけどね…。
だが失敗の経験こそ良いものを学ぶための糧とはなる。美月に大事なことを分かってもらうには俺の初恋について語るのがやはり一番手っ取り早い。
美月……俺がどうしてあの娘に恋をしたのか、美月には話したことが無かったよな? 美月は聞きたくないかもしれないが、俺はお前にそれを話そうと思う。
なぜあの娘だけが特別だと思えたのか、なぜあの娘をそこまで好きになってしまったのか……
………なぜ俺は恋に落ちたのか
それにはね、ちゃんと理由があるんだよ。
その理由……それはあの娘が持っていたからなんだ。
―――俺が最も望むものを
あの娘はそれを俺に与えてくれたんだ…。
嬉しかったよ―――本当にね。
だから俺はあの娘に惹かれた。もっとそれを欲しいと望んだ。
やがてこう思うようになった。
―――あの娘を自分のものにしたいって
友達と恋人の境界線……
それは相手に望むものが有るか無いかの違い。
自分が望むものを相手が持っていなくても友達にはなれるが、決して恋人にはなれない。
自分の欲するものを相手は持っている。それをどうしても得たい。自分のものにしてしまいたい。そのためには自分の全てを相手に委ねることだって厭わないぐらいに…。
だから相手に約束して欲しいと願ってしまう。―――ずっとこのまま自分と一緒にいて欲しいって…。
やがてその願いが言葉に変わる。
―――自分と付き合って欲しい。自分の恋人になって欲しい。
誰かの事を本気で好きになる、それはその相手に自分が望む何かを見つけた時だと思う。その望むものの価値が大きくなればなるほど、その人から離れられなくなる。だからその人を自分のものだけにしたいと思うようになる。
今の美月にそのような実感があるのかどうかは分からない。
ただ、自分が相手の事をどう思っているのか確かめたいのならば、これを考えればよい。
―――自分はその人に何を求めてるのか、それがどれくらい大切なものなのか。
そこから自ずと答えは出てくるのだろうと思う。




