52. 変化…Ⅴ
会話に齟齬があった―――そんな可愛いレベルの話ではなく、もはや金星人と火星人の会話をしていた俺と仁志。
「美月から相談された」…仁志のこの言葉を聞いて、てっきり美月が恋愛の相談を仁志にしたと思い込んでいた俺は、必死になって仁志を説得していた。―――『愛の力さえあれば何でもできる』って。
客観的に考えてみようか…。
妹の受験について大事な相談を親友にしてみた。するとその親友からこんな言葉が返ってきた。
「愛さえあれば何でもできる!」
―――イタすぎんだろ、その親友。
ヤクでもキメてんですか?…ってレベルだよね。通報されても文句言えねーわ。
しっかし、相も変わらず仁志は言葉が足りんっていうか…。もっと細かく説明しろってんだよ。
俺の勘違いが解消されてから、仁志は美月との揉め事について詳しく語りだした。
事の発端は先週行われた美月の中学での三者懇談。そこで話し合われたのは当然進路希望についてである。その懇談で美月が希望した進路先の高校、それは当然俺達がいる高校だった。
だが担任の先生が言った言葉は「厳しいから違う学校を目指した方がいい」というものだったらしい。美月の場合は内申点が低いため、当日の試験でかなりの高得点をとらないと合格が厳しいといった感じなのだ。
だが美月は担任の先生の言葉を全く聞く気もなく、絶対に志望校を変えないと言い張っている。そんな様子を親から聞いた仁志は、美月が受験について相談してきたときに、「諦めろ、お前には無理だ」と言って美月を説得した。
大好きな兄と同じ高校へ行きたい……そう思って兄に相談してみたら、あっさり諦めろと言われた。それで美月はキレてしまい、仁志を無視するようになっちゃた……だいたいこんな感じのようだ。
よく考えれば確かに……そう頷いてしまうところはある。
美月が俺達のいる高校を目指すのなんて初めっからわかってはいたが、目指したところで必ず合格できる保証なんて何処にもない。
かく言う俺も高校受験の時、必死に頑張った覚えがある。曲がりなりにも進学校であるうちの高校は、そう簡単に入れる訳ではない。
きっと美月ならうちの高校に来るんだろう、……そう簡単に思っていたんだが、俺は美月の成績なんて何も知らなかった。
お土産のケーキを持って部屋に行ったときに勉強をしていた美月。どうしてこんな時期にと思ったのだが、仁志の話を訊いてなるほどと納得ができた。
美月の成績やうちの高校に合格できる可能性を仁志に詳しく訊いたのだが、現段階で合格できる望みは30%程度らしい。
その状態で受験するのはもはやギャンブルのようなもの。 そんな危険なことは止めさせたい……仁志はそう考えて美月に違う学校を受験しろと説得した。―――そりゃそうだよね。俺だって自分の妹が高校受験に失敗する姿なんて見たくねーよ。
だが相手は美月、仁志と一緒で意志が強いというか頑固というか…。最愛の兄である仁志の言う事すら聞きやしない。そんな訳で現在、仁志と美月は冷戦状態に陥っているといった感じだ。
『寝耳に水』とはよく言うが、美月の恋愛話も成績の話も俺にとってはまさに寝耳に水。想像すらしたことのない事柄だ。だがどちらも美月の人生にとって大事な場面。そして俺は今、それらの話について相談を受けている。
美月からは恋愛の相談、そして仁志からは美月の受験に関する相談。
俺は仁志から美月の受験に関する話を聞き終えた時に相談を持ち掛けられた。
「修二の口からも美月を説得してくれ。無謀なことは止めろと言ってやって欲しい…」
真剣な顔でそんなことを頼んできた仁志。
本音を言えばダメだと分かっていても頑張ろうとする美月を応援してやりたいと思う。美月の願いが叶うこを当然ではあるが俺も望んでいる。
だが、現実を踏まえて、さらにシビアに美月の人生をも踏まえて考えると、無謀な挑戦なんて止めた方がいいとしか言いようがない。
ダメだと分かっていながら受験した結果、やはり不合格という結果が出た。―――仕方がない、諦めよう…。
人間ってさ、そう単純に現実を受け入れられないよね。絶対に挫折感を覚えてしまい、後々の人生に悪い影響を与えかねないと思う。
そう考えれば俺も仁志と一緒で、美月に諦めさせた方が良いと思う。
美月の願いに対して、俺だって少しでも力になってやりたいとは思うのだが、こればっかりはどーしようもない。
さてさて、俺は美月に対してどう対応すればいいのやら……だよな。
そもそも恋愛の相談だけでも結構気を遣う話。俺のちょっとした一言で美月がへそを曲げちまうことだってあるだろう。
俺はその辺を理解してるんで、出来るだけ美月の神経を逆撫でしないように気を付けようと思っている。だから美月も冷静に俺の話を聞いてくれるとは思うのだが、……話が受験のこととなるとそれは無いと思う。
「うちの高校の受験を諦めろ」……その言葉は美月の意思を正面から否定するようなもんだよな。そんなことを言おうもんなら誰が相手でも美月が激オコになるのなんて目に見えている。仁志の話さえ聞かない美月が、果たして俺の話に耳を傾けるのか?…。
―――いったいどーすればいいんでしょうかわたくし……。
などと言っている間に美月の部屋の前に到着してしまった。
「夕食を食べ終えたら部屋に来て」…美月から送られてきたラインの指示に従って俺は今、美月の部屋の前まで来ている。
美月の相談だけならいいのだが、仁志からも相談を受けている俺は美月の部屋を訪ねることに躊躇してしまう。
―――ま、取り敢えずは美月の話を聞くか。受験の話はその後だな…。
受験の話の事を考えると憂鬱というか仏滅というか、心に鉛でできた重しを乗せられてるような気分になる。だが辛気臭い顔して美月の相談を受ける訳にもいくまいし…。
美月の部屋の前で暫し立ち止まり、少し逡巡してから意を決した俺は明るい感じを装って、いつもと変わらない様子で美月の部屋の扉をノックした。
扉越しに声を掛けてから美月の部屋に入ると、美月はやはりというか机に向かい勉強に勤しんでいた。
どーしても大好きな兄さんのいる高校に行ってやる!……そんな想いをばねにして努力している美月の姿を見ると、何とも言えない気持ちになってしまう。
これだけ頑張っている美月に「諦めろ」って言葉を俺は言えるのか?……はっきり言って自信がない。
「美月、勉強してるんならもう少し後にするか?」
「ううん、大丈夫。もうちょっとで終わるからその辺に座って待ってて」
「そっか… なら座って待っとくわ」
俺に一瞥をくれることもなく頑張って勉強に集中している美月。
俺は部屋の奥に進むと座って腰を落ち着けた。そして頑張っている美月の姿をぼんやりと眺めていた。
―――さて、美月の恋愛相談が終わった後にどうやって進路の話を切り出したらよいものか……。
やがて美月は勉強にひと段落が着いたようで、ゆっくりと俺の方に向かってきた。未だ良い考えが浮かんでこない俺は、近付いてくる美月に意識を向けることもなく思考を重ねていた。
だが、ふと気配を感じて横を向くといつの間にか美月の顔がすぐそこにあった。俺に寄り添うようにピタリと側に座っている美月。その顔にはいつもの無邪気さは無く、美月の綺麗な瞳は真っすぐに俺を見つめている。
―――いったいどうした?
無言で美月に見つめられている俺は当然ながら違和感を覚える。
だが、美月の落ち着いた表情をこれだけ近くで見た俺は、改めて感嘆してしまった。
……やはり美月は美しい……
近くで見れば見るほどに、もはや造形美ともいえるその顔立ちがくっきりと浮かび上がり、思わず魅了されそうになる。………ちょっと緊張しちゃう。あんまり見つめちゃイヤ~ん。
いつもと雰囲気の違う美月に少し戸惑いを覚える俺。
だが美月はそんな俺に向かってそっと両の手を差し伸べてきた。
美月の細くて長い指が俺の頬に触れ、美月のひんやりとした手の温度が俺の肌に伝わる。……何とも言えぬ心地よさだ。俺の思考は完全に停止し、夢見心地な感覚に陥ってしまう。
「修二……わたしさ、………」
「ど、どうした… 美月…」
「前から言おうと思ってたことがあったんだよね……」
そう言ってしっかりと俺を見据える美月。
美月は俺に相談があると言っていっていた。 そして今のこの状況―――。
も、もしやお前、俺に対して兄妹を超える愛情に目覚めちゃったの? ……思わずそんな想いが頭に浮かび、緊張する俺。
いきなりのことで動揺を隠し切れない俺は、美月の視線から逃れるために顔を逸らした。 だが美月はそんな俺の態度を気にすることもなく、頬に添えた両の手に力を加え、もう一度俺の顔を自分の方へと向かわせる。
これからキスでもするのかってくらいの距離で向き合っている俺と美月。
美月が何を想ってこのような行動に出ているのか知る由もないが、俺は美月から漂う雰囲気に気圧されて抗うことが出来ない。
「―――私は修二のことがね、好き………」
そう言いながらさらに顔を近づけてくる美月。
ど、どーしましょ? 妹だと思っていた美月に告白されんの、おれ? なんかすっごい複雑な気分なんですけど…。
でもまてよ、……これってさ、妹の攻略大成功って感じなわけだよね? 妹ゲーにおいて俺はミッションコンプリートしたってこと?
そーか、そういう事か。おれはやり遂げちまったのか。俺はもはや達成者、シスコン界で神と崇められる存在となったのか。………ま、美月と付き合うとかは別にして兄は嬉しく思うぞ。
思わず込み上げてくる感動の想い。俺は暫しその感動の余韻に浸っていた。
だが、正直に告白してきた美月に対して俺はなんと答えればいいのか……迷ってしまう。俺としてはあくまでも妹として美月を愛してきた。その愛情を果たして男女の愛情に変えることが出来るのか?…不安だ。
最良の返答とはいかに?―――
俺はそれを必死で考えていた。……いたのだが、美月の言葉にはまだ続きがあったようで……。
「好きなんだけどね………」
「どーした? 何でも言ってくれ…」
恥じらいが先に立って上手く言葉が出ない?……んも~う、きゃわいいんだから美月ちゃん。 ここは修二お兄ちゃんを信頼して思いっきり自分の想いをぶつけてみろ。―――さあ、来い!…美月。
美月はそんな俺の想いを感じ取ったのか、次の瞬間、自分の想いを余すところなく俺にぶつけてきた。
俺の頬に添えられていた両手がゆっくりと動き出し、そして…………
「いっでぇ~~~!」
美月の手は俺の頬を思いっきりつねり上げ、口が裂けろと言わんばかりに限界突破を目指して豪快に頬を引っ張りやがった。
美月は全力で表現した。―――俺に対する腹立ちを。
「修二のことは好きだけどこーいう所は許せないの! なんであんたはいっつも私のベッドの上に座るのよ! 床に座りなさいってば!…床に!」
もがき苦しみながらようやく美月の呪縛から解放された俺。未だにほっぺを洗濯ばさみで挟まれている感じが否めない。
「……ったくもう… 何度言ったら分かるのよ! 私のベッドに座るんじゃないっての!」
ガチでキレていなさる美月ちゃん。
「だって……床って硬いんだもん」
ちょっと可愛くアピってみた。
「はん?……」
殺人者のような眼で睨まれた。怖かった。……ちょっと漏れた。
美月に追い立てられるようにベッドから追い出された俺は床に正座させられる。そして美月はベッドの上で座りながらふんぞり返って俺を見下している。
まるで主人と下僕といった様相ではあるが、……何のことは無い。いつもの状態になっただけのことである。
しっかし、何なんだろうか…この落ち着く感じってやつ。下から美月を見上げることに抜群の安定感を感じてしまう。
横に並ばれると違和感を覚え、下から見上げると安心する。―――こんな俺ってヤバくないっすか?




