43. 私と彼…Ⅰ
本郷修二君……か。
彼は掴みどころがない。何を考えてるのか、どう思っているのか想像がつかない。それなのに私は彼を良い人だと思っている。彼を信頼できる。これって完全に矛盾している。
謎だらけなのに何の根拠があって信頼出来るというのか、自分自身が出した答えなのに笑いたくなっちゃう。でも根拠はないが、彼を信頼できると自信を持って言える。―――私はどうしてそう思ってしまうんだろうか?…
私は最初から彼に少し興味があった。
そんな彼が偶然私の前の席にやってきた。……ちょうどよい機会。じっくり観察しちゃえ。
そう思っていたのだが、実際には観察するまでもなかった。行動的な彼の態度は嫌でも目に入ってくるぐらい。それにわざわざこちらから調べようとしなくても、勝手に向こうからやってくる。彼に話し掛けられ、色々と訊かれているうちに私は感じた。
これって観察されてるのは私の方じゃないの?…
でも彼と話していると楽しい。不快な思いなど微塵も感じな…い……ごめん、ギャグだけは無理です。(キッパリ!) でもはっきり言って居心地はいい。
言葉遣いも雑で適当なのに、どうしてか話を素直に聞くことができる。彼の言葉には確かに嫌みがない…だからなのだろうか?
いったい本郷君ってどんな人なの?…
あの明るさは何処から来てるの?… どうして誰にでも簡単に話しかけることができるの?… どうやってみんなとすぐに仲良くなってるの?…
彼と親しくなればなるほど彼への興味は膨らんでいく。
彼を見ていると不思議であり、楽しくもあり、…だから興味が尽きない。次に彼はどんなことをするのか?…ワクワクといった期待が込み上げてくる。
だが、ある時私は彼のことに関して新たなことを知ることになる。
―――彼は彼女と別れた。原因は彼女の浮気?…
別れる原因の中でも最も酷いパターンだ。こんな事されたら彼氏は凄く傷つくに決まっている。
………でも、…あれ? …おかしくない?
これって彼氏にとっては最大のダメージだよね?… なんで本郷君は楽しそうに笑っていられるの?
本郷君の様子は全く変わっていない。注意深く見ても変化を見つけることができない。
だが、あまりにも妙だと思って本郷君にそれとなく尋ねてみると、やはり何かを悩んでいるようだった。
そりゃそうだ。全く何も感じないなんてこと有り得ない。もしかしたら彼は結構前からそのことを知っていて、とっくの昔に彼女のことを諦めてたのかな? 心のけじめは既に済ませていたんだろうか?……
そしてその日の放課後に本郷君から悩みの内容を聞かされた。
―――初恋の人に裏切られた現場を目の当たりにした…と。
その時の彼の表情に笑みは無かった。いや、怒りも悲しみも何もない。感情というものが何も見られなかった。話し方にもいつものようなふざけた感じはない。彼から感じられるのは明るさではなく深い絶望だけ…。
―――この人はいったい誰なんだろうか?…
思わずそんな言葉が出そうになった。
本郷君は私に尋ねる。「どうして彼女はそのようなことをしたのだろうか?」…同じ女性としての意見を訊いてみたいと…。
意見を訊きたいと言われても、想像をはるかに超える事実をいきなり聞かされて、私に答えれるものなど何一つない。
だが、最初から抱いていた違和感はある。私はその事と今聞かされた話を並べて考えてみた。
私が抱いていた違和感、それは彼が最近別れた彼女のことを一切口にしない事…。感情的になりながら語っていたのは初恋の彼女のことだけ。
客観的に言って、初恋の彼女も最近別れた彼女もやったことは同じ。しかも本来なら気にするべきは最近別れた彼女の方だ。
なぜならそれには大きな理由がある。
もし本郷君の心の中に、2年前に別れた初恋の彼女のことがそれ程大きく伸し掛かっていたのなら……
………なぜ次の彼女と付き合ったの?
そうなってしまう。
吹っ切れたから新しい彼女と付き合ったはず。ならば全力で向き合うのは新しい彼女でないといけない。昔の彼女のことなどとうの昔に忘れ去っていなければいけない。
本郷君は最近別れた彼女が昔の彼女と同じ様に浮気をしたのに、それを知っても何も動じていなかった。
……つまりそれってさ、その人のことはどうでも良かったってことなの?……
もしそうなら、それはかなり酷い事だ。
本郷君は基本的に悪い人ではないと思う。だけど彼にはちょっといい加減な面があるようにも思われる。
本郷君はしっかり彼女のことを見ていたの?… 彼女の声を聞いていたの?… どうしてそうなる前に何の手も打てなかったの?
―――結局さ、男の子って女の子の気持ちを分かってあげようとしないんだね…
私の彼がそうであったように―――。
私の中の黒い何かが燃え上がってきた。自分の過去と重ねて激しい苛立ちを募らせる。
本郷君の話を聞いていてこれだけは分かった。彼と彼女は互いに愛し合っていたんだろうと…。
話の状況から考えて彼女から別の人を好きになっていったようには思えない。だったら残るはこれしかない。
………クズみたいな男子が本郷君の彼女を奪いに行った。
私はよく知っている。そんなクズみたいなことをする男子がいることを…。私にもよくそんなクズが近寄って来ていたし…。
そこからはもう止まらなかった。
勝手な解釈を進めていき、自分の言いたいことを本郷君に無理やり分からせようと、いつの間にか必死になっていた。
どうして彼女を引き留めてやれなかった? そんなのでいいのか?
―――本郷君の愛ってその程度のもの?……
全てを言い終えてからようやく我に返った。私は言いたいことを全て言った…何一つ残さず。だから私は全てを失うんだろう…。そう感じた。
………ようやく出来上がってきた本郷君との関係の全てを…。
私が話し終えた後、彼の表情を見た時に私はそれを悟った。
仕方がない。今更ごめんなさいで済む話でもない。本郷君には申し訳ないことをしてしまったと思う。でも私は我慢することができなかった。
本郷君は私のことを天使だという。本気で言っているのか彼の得意の冗談なのか定かではない。だけど私は天使などではない。―――これだけは断言できる。
私は世の中が綺麗なものだけで出来ているなど微塵も思っていない。汚いものも自分の眼で沢山見てきた。人間とは心のどこかに必ず悪を隠している。善意だけで出来ている人間などいる筈も無い。
はっきり言って私は歪んでいる。そんなものはとうの昔から知っている。
だからこそ本郷君を見ていたかった。
私には持ちえない素晴らしいものを持っている彼… そんな彼を私は羨ましく思っていた。
彼の心にも悪はあるのだろうが、彼が持っている善は素晴らしいもの…。みんなに語り掛け、みんなを笑顔に変え、そしてみんなを繋いでいく。―――何の見返りも求めずに。
なにを考えて彼がそうしているのかは分からないが、何となく彼の想いは伝わってくる。―――みんなと楽しくありたいという想いが…。
そうやって繋がった輪の中にいると凄く心地よい。一人ではないという安心感が生まれる。
でも、私はもうそのような想いを実感できることもないだろう。悲嘆に暮れる本郷君をここまで追い込んだ私。そんな私を彼がこれからも受け入れてくれることなど到底考えられない。これからはただ席が近いだけの他人、そんな関係になるんだろうな…。
―――そう思った。
私は傷ついている彼の心をさらに傷つけてしまった。こんなことをされれば誰だってもう仲良くなんてできない。明日から彼が私に話し掛けてくることはもう無いのだろう…。
そして次の日の朝、本郷君はいつものように明るい笑顔で私に挨拶をしてきた。いつもの冗談交じりの楽しい雰囲気で…。
……周りの人への体裁?
そう思った。そしてHRが終わると彼は私に話し掛けてくる。
「蝶野さん……」
いつもより真剣な彼の表情。やっぱり怒ってるんだよね…。
「―――どうしたの?」
私が返事をすると一瞬黙り込む本郷君。いつになく難しい顔をしている。
彼は何を言ってくるんだろうか? 何を言われても私には言い返せる言葉もないけど…。
「あ、あのさ……」
「…………」
「―――ごめんなさいなんでもします踏んでいただいてもかまいませんできれば踏んで…ごほん。マジで困ってるの… 英語の宿題見せて。 お願い助けて天使さま~…」
………………。
「―――――いいよ…。 クスッ…」
本郷君は……本郷君だった。
何も変わってない。私を見る目も、私に話し掛けるその表情も…。
憎めない顔をしながら必死で私にお願いをしている。
私は思わず微笑みながら、彼にノートを渡してあげた。
ノートを貸してあげると大喜び。急いで宿題を書き写している本郷君。
「いや~助かった。ホントに感謝。ありがとう蝶野さん」
写し終わるとそう言いながら私にノートを返す彼。以前にも増した明るい表情をして…。 そんな彼に私は心の中で呟いた。……こっちこそありがとう…って。
本郷君は私との繋がりを断ち切らなかった。昨日までと何ら変わらない関係でいてくれている。
―――そっか…… それでいいんだね?…
私達の関係は変わっていないんだね? 良かった…本当に。
だったら私も感謝の気持ちを込めてこの言葉を彼に…。
「………で、報酬は?…」
「ご、後日ということでよろしゅうございますでしょうか?…」
「ウフフ… いいよ」
今日はいい天気だ。窓の外には青々とした空が広がっている。
季節が夏に向かっているせいだろうか、……今日はなんだかぽかぽかと温かい。
さて、本郷君には何をおねだりしようかな?… 今から楽しみだ。




