35. 恭子と二人でⅣ
「恭子……」
そっと耳元で囁いてみたが反応なし。どーやらぐっすりと眠りに入ったようだ。具合が悪くなった恭子を慌てて連れて帰ったのだが、恭子が眠って落ち着くと俺も素に戻ったって言うか…。
すっかり女子高生の部屋に変わり果てた恭子の部屋にいると、なんだか落ち着かない。
かといって勝手に帰る訳にもいかんし… どーしましょ?
仕方がない。こーいうときは……こーいう時にしかできないことをするのが正しい選択だ。
………あッ! いまエッチなこと考えたでしょ?…そこのお兄さん。
恭子が臥せっているこの隙に「恭子の下着チェック!」なんてね、そこまで鬼畜で外道なことなど……
当然するつもりだったが、万が一見つかった時のリスクを鑑み5分前に思いついたが4分55秒前に諦めた。俺はこう見えてもリスクマネージメントには気を遣っている方だ。
暇なんで部屋の中をぼんやり眺めていると、ちょっと目に留まったものがあったので、静かに立ち上がると物音をたてないようにゆっくりそちらへ近づいた。
「へ~え… やっぱりこんな感じか。しっかし……あいつの趣味はホント変わんねーんだな…」
俺の眼の前にあるのは恭子の勉強机。
そこには女の子らしく可愛いグッズや小物などが奇麗に並べられてある。
普通に女の子っぽい感じなのだが、ちょっと趣味に偏りがあるって言うか…特徴的って言うか…。
懐かしさが込み上げてきて思わず笑ってしまいそうになったが、ふと目線を変えたときに机の右上の壁に掲げられたコルクボードに気が付いた。ベッドの傍でいたときには死角で見えなかったのだろう…。
そこには恭子にとって思い出が詰まった写真が沢山貼られていた。その殆どは中学の時のテニス部関係のもの。
仲の良い友達とじゃれ合いながら明るい笑顔で写っている写真、必死に頑張っている試合中の写真……
そして……女子テニス部の全員が写っている集合写真。
―――へぇ~え… やっぱり可愛いじゃねーか……今見ても。
本当に久しぶりに見た。 ……俺の初恋の人。
客観的に見て可愛いと思った。…そして懐かしいと思った。
………ただそれだけだった………
確かに感情が微妙に揺れるところはある。だが、深い想いはもう何も感じない。
多分このような感覚を覚えるときにこの言葉を使うのだろう。
―――袂を分かつ
互いに全く異なる道を進むことになった二人…
彼女は彼女が決めた人生を歩んでいるのだろうし、俺は俺の決めた人生を歩んでいく。
この先に二人の人生が交わることはもう二度とない…。
それを納得したうえで明確に理解できている今は、彼女の顔を見ても深い感情を抱くことはもうない。
それに………
今、この瞬間があるのは彼女と離れたおかげ。彼女と離れなければ恭子の傍でいる今の俺は存在し得ない。恭子が俺の彼女になることは無くても、もう一度、昔のような関係に戻れたことは俺の人生にとって糧となる。
そして別れたことから学んだことは、この先の選択に生かすことができる。
今が幸せか?… そう問われれば俺はこう答える。
………十分幸せだ。
それはなぜ?…
………俺を支えてくれる大切な人達がいるから。
彼女もいないのに?…
………この先、最良と呼べる彼女を見つけ出す自信はある。
こう思えるようになったこと、そう気付けるようになったこと、それは今までの経験のおかげ……。後はこの経験を最大限に生かせばいい……。
それにしても…… やっぱスゲー美人だな、…恭子は。
他の女子部員と比べてみても、何といいますか…もうため息が出そうなほどに違いが明確だったりする。
なのにどーしてこいつは今まで彼氏をつくらなかったのだろーな?… 全く持って意味不明。
だが、今はしっかり意中の人がいるみたいだけどね…(推定仁志)
コルクボードに貼られた写真を眺めながら感慨に耽っていたが、一番下のすみっちょに貼られた写真にふと目が止まった。
―――懐かしい……だが、かなり恥ずかしい…。
その写真に写っていたのは、中学の入学式の後で記念に撮られた俺と恭子が並んでいるツーショット。
そこには初々しい美少女中学生と、何が気に食わないのかこの世の全てを恨んでいるようなクソガキが写っている。
はぁ~… あのさ、……
おめーがそんなんだから恭子を彼女に出来なかったんだよ! すぐ隣に最高の女の子がいるだろーに、気付けボケ!
あーむかつく… マジで過去に戻れるんだったらいっぺん絞め殺してやりた………
…あッ、無し無し…今の。それやったら今の俺まで消滅しちまう。
でもさ、…もうちょっと素直になろーよ、ボクゥ~。意地張るなんてね、子供のすることなんだよ~。
ダメだ… もう写真を見るのは止めよう…。
写真を見れば見れるほど、だんだん踏切の真ん中で立ち止まりたい衝動に駆られてきた。
―――あそこに立てば本物の天使に会えるかも……
いやいやダメだろ… よく考えろ、おれ。
学校にも天使はいるんでそれで我慢するんだ。
―――それに…… 目の前にもう一人の天使がいるんだし……。
そう思って視線をベッドに向けると、天使はすやすやと安らぎの中で眠りに就いている。
俺はベッドの傍に静かに戻ると、それから少し恭子の顔をじっと眺めていた。
よし、幼馴染の特権発動だ……これくらいはご愛嬌ってことで…
恭子の頭を撫でてみた。柔らかくてサラッとした髪の感覚が手に感じられて何とも心地よい。
そして髪の毛がさらさらと揺れるたびに何とも言えない良い香りが漂う。
そう言えば恭子の頭を撫でたことなんてあったっけ? かなり小さかった時にはあったような……
恭子の頭を撫でてたらなんだかこちらが癒されて、知らぬ間に俺もうとうととなり頭に手を置いたままベッドに凭れてうっつらと……。
意識が薄らぎ消えかけていた時、俺の手に柔らかくて温かいものが触れたような気がした。少しだけ意識を取り戻し、温かく感じるものを見て見ると、それは俺の手に重ねられた恭子の手…。
「―――修二… 傍でいてくれたんだね…」
「あたりまえっしょ…」
恭子が眠りに就いて3時間ほど… 目を覚ました恭子の顔色は少し良くなっていた。
「ごめんね… 我がまま言って…」
「気にすんなって。嫌々やってるわけじゃないんだから…」
「―――本当に?」
「失礼な。具合の悪い大切な幼馴染を放っておくほど俺は人間が腐ってませんってば。それよりのど乾いてないか? ちょっと待ってろ、持ってきてやるから…」
そう言って俺はさっき買ってきたスポーツドリンクをしまい込んだ冷蔵庫へ向かう。かつて知ったる恭子の家っ…てな感じで、勝手に冷蔵庫を使っている俺。俺の母さんと恭子の母さんはママ友。だから小さいときは、よく母さんに連れられて恭子の家に来ていた。
冷蔵庫からドリンクをもって恭子の部屋に戻ると、恭子はベッドの上で身を起こしてぼんやりしていた。
「ほらっ、冷たくて気持ちいいぞ…」
そう言ってドリンクが入ったペットボトルを恭子に渡すと、恭子はそれを顔に当てて、
「ほんとだ、…冷たくて気持ちいい…」
そう言って少し微笑んだ。
その後は恭子をベッドに寝かせ、俺はその傍でいるといった感じで、二人で他愛もない話などをしながら過ごしていたのだが、時間が経つごとに恭子も少しずつ元気を取り戻したようで…。
なにかに不満があるのか、徐々にふくれっ面になり…
「はぁ~あ… どーしてこんな時に具合が悪くなっちゃうんだろ…」
溜め息交じりに愚痴などが飛び出してくる。
「仕方ないだろ? いつ調子が悪くなるなんて誰にも分かんねーよ」
「……でも、なにも今日じゃなくても…」
確かにね。わざわざ買い物に出掛けた日にそーなるのはちょっとついてないって言うか…。
「確かに運が悪いけどさ、…別にいいじゃん。また出掛ければいいんだから…」
「……でもさ、………」
「恭子が行きたいときにさ、いつでも一緒についてってやるから。俺は暇なんだし…」
「―――そっか、…そーだよね。また行けばいいんだよね、一緒に…」
「そうそう、別に焦る必要なんてねーよ…」
そんな話をしていると、恭子の表情もかなり良くなってきた。結構元気になってきたようで、明るい笑顔で笑っている。
それから少し二人で話していたら、恭子のスマホに着信が入る。掛けてきたのは恭子のお母さん。どうやらあと30分程度で家に戻ってくるとのこと。
時間を見ればもう夜の7時前、恭子の両親が帰ってくるのならばと思い、俺もそろそろ家に帰ることにした。
「恭子、それじゃあ俺はそろそろ帰るぞ。もう大丈夫だよな?」
「うん、…ありがとうね…修二」
そう言った恭子の顔は、ちょっと寂しそうで…… 体調が悪いときは気持ちも沈んでしまうよな…
―――そうだ、忘れるとこだった!
「恭子… はい、これ…」
「……えっ? なにこれ… 修二…」
「見ればわかるよ…」
「いったいどーした……の……………」
袋から中身を取り出した恭子は………それをしっかりと抱きしめていた。
何も言わずに顔を埋めてしっかりと抱きしめている…。
「恭子にも勉強のお世話になっただろ? そのお礼だよ…」
俺が渡したものは、恭子の好きそうなぬいぐるみ…。
恭子は『はじっこクラブ』なるキャラクターに嵌っているようなので、その中で最も恭子が好きそうなものを選んできた。多分正解できてると思う。机を見たときにそう感じた。
「―――どうして…… これが好きだって知ってたの?」
あの…ちょっとさ…… 感激し過ぎじゃありません?…恭子さん。
どーして恭子は涙ぐみながら訊いてくるの? そんなに大げさにしないでちょーだいって…。値段と感激のバランスが合ってないってば。なんだか俺が詐欺ってるような感じがしてビミョーな気持ちになっちゃうんですけど…。
「だってさ… 恭子だろ? ならそれしかねーじゃん…」
俺がそう言うと、恭子は肩を震わせてさらに激しく泣き始めた。
お~い……恭子ちゃ~ん… 出来たら泣かないでほしーなー。
なんかね、体調の悪い女の子にさ、さらに追い込みかけてるとんでもねー奴って気がしてくるよ……。
「と、とにかくそれで良かったんだよな?」
「……うん、本当に嬉しい……」
まだ涙は残っているが、にっこりと笑顔で答えた恭子の顔を見てちょっと安心できた。
「そっか、それは良かった。 そしたら俺はもう帰るからな。 寂しかったらそいつを抱いてやってくれ…」
「修二…… 本当にありがとう…」
「別にいいよ。それは俺からのお礼だから…」
それから俺は自宅に戻った。といっても目の前にある家なのだが…。
ま、恭子の具合もマシになったみたいでとにかくよかった。それに、恭子と一緒に過ごせて楽しかったし…。
だが、……いつかは正直に言わねばいけないんだろうなと強く感じた。
このままじゃいけないだろう。 恭子にとって重要なことだと思うから…。
恭子、あのさ、……
―――その趣味は止めた方がいーぞ、絶対に!
どーしてお前はビミョーなキャラばかりを好む? もっと可愛いのがあるだろ?
恭子が大好きになるもの……それは俺が一番ビミョーだと感じるものである法則。
今日だってね、それを買うとき店員さんにね、悲しそうな眼で見られちゃったんだぞ…。




