13. 美月Ⅲ
美月をぶん投げてただいま足のマッサージ中…。
普段正座なんかしない上にもう立派な大人の美月の頭を膝枕で載せていたからもう足がパンパン。
「ちぇッ…… もうちょっと甘えさせてくれてもいいでしょ~」
「お前には仁志という最高の癒しマシーンがあるだろうが?…」
「だってアレ…… 最近つかえないもん…… ふんッ!」
アレつかえないって…… 兄ですよ?… あなたの。しかも大好きな…。
だが美月の言っていることは分かる。
仁志も最近になって現状がガチでヤバくなっていることに気付き出し、妹排除作戦を実行していると言っていた。
お願いだ、美月……粘るんだ、そしてもう少しだけ仁志を困らせろ! お前の健闘を祈っているぞ。
ちょっと拗ねているような表情をして不貞腐れている美月。
だが、急に少し元気をなくしたような……何かを気遣うような切ない感じで……
「―――修二は……もう本当に大丈夫? やっぱりまだショックなの?…」
流石に2回連続相手に浮気されたことを気に病んでか、美月は真面目にそう訊いてきた。
いつも俺をからかうように悪態を垂れるが、それは美月の照れ隠しのようなもので、本当の美月は思いやりが深い。
「ははは…… もう大丈夫だよ。今回のはちょっと訳ありだったし… 俺も悪かったんでね…」
「じゃあさ、……最初のやつはどーなの?」
「―――あれもさ、……もう吹っ切れたって言いうか……もう恨んだりとかは全然ないよ」
「―――どうして?」
「色々考えることがあってね…… もう彼女に嫌悪を感じなくなったんだ… 彼女を見ても今は大丈夫って感じだよ」
「……ふうぅ~ん… そーなの……」
腑に落ちない……そう言った感情を顔に浮かべていた美月。
だが、いきなりその表情を変化させる。それは俺も今まで見たことも無いようなもの……
「―――ま、まさか!!……あの女とまた会ってるとかじゃないでしょうね!!!」
叫ぶようにそう言った美月の表情は、目が吊り上がり、まるで親の仇でも睨みつけるような鋭いものだった。怒りや憎しみだけを湛えたその表情はしっかり俺に向けられている。
「それは無い。多分会うことはもう無いと思う…」
美月の気迫に圧倒されながらも俺は本当の気持ちを言った。 だが……
「……うそでしょ!? 本当はまた会うつもりなんでしょ!? なに考えてんのよ、修二!!」
俺の言葉を全く聞こうとしない美月…。
美月は全く信じてくれない。そんな美月の気持ちは痛いほどよく分かる。だけど信じてもらうしかない。
俺の本当の気持ち……それを何回でも言うしかない。
「俺はもう彼女のことを何とも思っていない。 ……会ったとしても俺は彼女に愛情を向けることはもう絶対に無い…」
「うそだ! そんなこと言って誤魔化して……」
「本当だよ。それに裏切った彼女の所へ戻るぐらいだったらさ、……俺はお前に彼女になってもらうよ」
「――本当なの? 絶対嘘じゃないんだよね?」
「ああ、だからもう絶対に会わないって美月と約束できるよ…」
「―――ダメだからね… 本当に会ったらダメなんだからね……」
そう言った美月の眼にはうっすらと涙が浮かんでいた。
美月は俺の胸にそっと頭を付け、下を向いたまま動かなくなった。
―――ごめんな、美月。 変な心配させちゃって…。
美月を慰めるためにそっと手を頭に置いて撫でようとすると……
いきなりパッと俺から離れた美月はいつものようにニヤニヤした笑いを浮かべながら…。
「修二はやっぱり私のことが好きだったんだ。仕方ないな~ ま、考えてあげなくはないよ。えへへ…」
そう言い残して逃げるように部屋から出ていった。
……ん?…なんで俺が美月を好きなことになってんの? 俺なんか言ったっけ?
………気のせいだな、うん。 悩むと禿げるから忘れよう。
美月は俺の初恋の人を憎んでいる……。
俺が裏切りの現場を見て死ぬ思いになった時、それを救ってくれたのは仁志だった。
最初、裏切った彼女は俺の家にも来た。親も当然部屋に通す。それから地獄のような全く何も話さない時間が続く。
はっきり言って、自分の家から逃げ出したかった。
そんな俺を見ていた仁志は「俺の家に来い…」そう言って俺を無理やり引っ張っていった。流石に平日はムリだが、それからの週末は殆んど仁志の家でお世話になっていたと思う。仁志がどうやって説得したのか知らないが、仁志の両親も俺に何も言わずにいつも温かく迎え入れてくれた。
ただ、仁志の家で一人だけ、面白くない顔をしていた女の子がいた。それが美月だ。
週末、一番自由な時間ができる時であり、美月は当然仁志を独占して甘えたかったのだろう。
そんな大事な時間を俺が全て美月から奪ってしまった。 仁志の傍で甘えられない美月は、家の中で俺に会ってもそっぽを向くぐらい俺のことをある意味嫌っていたと思う。
そんなあるとき、仁志が部屋から出ていった後に美月が入ってきた。
「あのさー、いつまで暗くなってるの? とっとと忘れたら? もっと男らしくしなさいよ……」
まだ中学1年生だった美月からの最初の意見だった。
当然俺は美月にそんなことを言われても何も言い返す言葉もなく、ただ黙っていた。
それからも美月は何度か俺に愚痴まがいの言葉をかけていたが、一向に元気にならない俺の姿を見て、美月の態度も徐々に変化していった。
文句を言いながらも必ず最後には「頑張れ」と言う言葉を付け加えてくれるように…。
やがて時間が経つにつれ、美月は最も俺を励ます存在となっていった。
持ち前の明るさでグイグイ俺の背中を押して、俺を前に進ませようとしてくれる。
基本無口な仁志は慰めの言葉などあまり掛けてこないが、その代わりのように美月が精一杯励ましてくれた。2コ年下の女の子に慰められるのも情けないのだろうが、その時の俺には物凄く有難かった。
あのとき、美月は俺に寄り添ってくれた。そして俺の気持ちを聞いてくれた。
だからなんだろうか……
美月は俺を裏切った初恋の人に対して敵意を持つようになった。
そして俺を慰めれば慰めるだけ、美月は彼女に憎悪を持つようになっていく。
やがて美月や仁志の世話のお陰で俺もようやくある程度は元気を取り戻すこともできてきた。
元気になれば当然今までのお礼をしたいと考える。特に美月に対しては……
そこで仁志に相談すると、美月には物凄くお気に入りのケーキ屋さんがあると聞かされた。
だったら… ということで、お世話になったお礼をしに行くときにそのお店で美月が気に入りそうなケーキを選び、美月にそれをお礼として渡してあげた。
お礼のケーキを受け取った時の美月の嬉しそうな顔……俺は今でもその顔を覚えている。
それから俺は仁志の家に泊まりに行くときには、必ずその店のケーキを持っていくことにしている。
そして美月もそれを楽しみにしてくれている。
―――俺はこの先もずっとあの時の美月への感謝を忘れない。
俺にとって美月は、親友の妹というだけでなく、俺自身の親友なのかもしれない。
だから俺の中には美月に対して様々な感情が入り混じって存在しており、どう思っているのかと言われても一言では言い表すことが出来ない。ただこのことだけははっきりしている。
―――美月は俺にとって大切な人
これだけは間違いない。最も仁志も同じように大切な人なんだけど…。
歯車が1個狂えばそれ以降の全てに対して変化を起こしていく。
今これほど美月と仲良くできているのは、間違いなくあの出来事があったからなんだろう…。
美月が部屋を出て行って暫くすると仁志がようやく帰ってきた。
「あれ、…美月はいないのか?」
「―――ああ、ちょっとね。 たぶん自分の部屋にいると思うけど…」
「そうか… 悪かったな、結構待たせてしまって…」
「……いや、…美月と遊んでたから全然……」
それから学校でのことなど二人で喋っていたのだが、話がひと段落すると、仁志は少し表情を引き締めて尋ねてきた。
「……どうだ、もうだいぶ落ち着いてきたのか?」
「ああ…。理沙子のことは俺が悪かったんだから何も引き摺ってない…」
「―――その前のことは?」
「……ちょっとな、…最近考えることがあって…。 だけど答えが出たような気がするからもう大丈夫だ…」
「答え……か…」
「―――仁志はその答えを訊かないのか?」
仁志はどうなんだ? ………いや、やはり美月と同じなんだろうな。
仁志も俺の初恋の人に対して怒りや侮蔑といった感情を持っているだろう…。
「別にお前が決めて自分の思うようにすればいいだろ。俺は失敗すると分かっててもお前を止めないぞ。自分にとって大事なことは自分で決めるしかない。失敗すればそこから学んで次に生かせばいい。お前が死んだら骨ぐらいは拾いに行ってやるから安心しろ…」
―――仁志らしいな。……流石はお前だよ。
「大丈夫だよ。死にはしないし、もう失敗もしないよ。ちゃんと学びました…。 俺はもう彼女に会う必要はないって…」
そう、俺はもう悟り切っている。
俺は今や涅槃に到達している………あれ、涅槃に到達したらいけないんだっけ?…
涅槃に行っちゃうって…俺ってもはや現世にいないってこと? ……誰かおしえて?
「そうか…… ならそれでいいんじゃないか」
「―――仁志には本当に感謝してるよ。ありがとうな……」
少し照れ臭かったが、俺は今までの感謝の気持ちを仁志に伝えた。だがそれを聞いた仁志は、俺に宿題を出した。
「俺に感謝する前にお前にはもう一つやることがあるだろ? あれはどう考えてもお前が悪い。あの時の事にけじめをつけるんだったらしっかりあの人に謝ってこい…」
―――だよな。最近俺もずっとそれを考えてた。
「分かってるよ…… そっちの方もしっかりけじめはつける…」




