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妄想論

自分の現実にない願望2

作者: とびうお君

 願望充足についてどうも一番伝えたいことが伝えられなかったと思う。前回なろうも外、主に漫画アニメもそう大差ないって話をしたと思う。今回はじゃ何故なろうだけが強く嫌われるのか?について触れたい。何度も書いてるがなろう批判はノイジーマイノリティの可能性がある。ごちゃごちゃネットに書き込むような人は種類が違うと書いてきた。


 何も言わないサイレントマジョリティの意見を無視してないか?になる。配信のランキングなどを見ると平均的に順位がなろうアニメは悪くない。もう1つ書くとBDの売り上げはひどいのだが、BDの売り上げは特殊層に人気があるか?でこれがたまたまメジャー層と一致するケースがちらほら過去はあったとなるだけになる。今はかなりこの差が広がっていて、BDの売り上げは女性が好むキャラやキャラが可愛いと言う刺激以外ほとんど当てにならない。


 本当になろうが嫌われてるのか?はかなり怪しい。だが敢えてネットで嫌われる書き込みが多いのは事実なのでそれにのかって書く。大半の漫画アニメが願望充足の要素を含むのに何故なろうだけが強く嫌われるのか?でまず批判側の願望充足なんてのは幼稚だからつまらないって意見自体が間違ってるかも?って視点になる。


 それを前回書いた。今回は願望充足をさらに突っ込んで書いてみたい。前回はアクセルブレーキに分けて、ブレーキの感受性の違いは多く言われるが、アクセルにも違いが大きいって点が足りなかったと思う。それを一応追加しておく。仮にアクセル5ブレーキ5段階の差があるとすると、ブレーキだけでは5しか違いがなかったのに、アクセルが加わると10近い開き生じる。


 好みの問題なんじゃないの?ってつまらない話になってしまう。そこが幼稚だとか劣っているとかの基準を実際は作れないって話になる。でもここで大半の漫画アニメが願望充足なら好みは同じでは?になる。アクセル側になる。これはキャラが可愛いとか俺TUEEEとか刺激の質が違うって書いてきた。


 そもそもなろうもモテモテになるって点でキャラ可愛いが関わっている。じゃ何故アニメ漫画と大きく異なるのか?これに関してはBDの売り上げがあてになると思う。はっきりいって男性キャラもそうだがなろうはキャラの刺激が弱い。モテモテになるって状態だけが重視されて、厳選された可愛いキャラが少ない。


 悪く言えば安っぽい女でなろう読者は満足してしまう。これは質の違いじゃない量の違いになる。この違いはキャラ可愛いの基準はあるが、一定以上を満たすとなろう読者は満足してしまいそれ以上を求めない。それに対してアニメ側は最高のキャラの可愛い刺激を求めてると言える。これについては漫画レベルだとなろうと変わりがないのでアニメと漫画でそもそも違うのでアニメについての批判が多いので、キャラ可愛いはこの差が大きい。漫画におけるなろう批判ってあまりない。


 漫画となろうはとても似ている何故か?それは多分有料になる。同じ有料でBDと単行本の方が似てるのじゃないか?ならむしろ無料のなろうの方に似ている。それはなろうが文字だからだと見ている。有料であるためのハードルが文字であるためのハードルと似ていると感じる。これが今回の主題の重要な前提となる。


 ハードルがあるから受け手はそれを乗り越えるための強い目的意識がある。アクセルに関して何かしらの強い物を持っている。ただ単純に願望充足が満たされればいいというわけじゃない。むしろそれが補助的じゃなくて強く感じられるものが良いとなる。これが今回の主題になる。なろうは願望充足が満たされやすい内容になっている。


 ご都合主義が露骨なんじゃないか?と見ている。通常の感覚ならへたくそとなる強引な展開が多いのかもしれない。通常の漫画アニメで言うご都合主義の否定的な基準が多分間違っていると思う。言ってみればなろう以外の願望充足は回りくどいんじゃないか?と見ている。ご都合主義がどうやって発生するか?は


 甲田拓秀さんの”「ご都合主義」とは「都合の良い展開」ではなく「作者の怠惰」がそうさせている!”を読んでもらいたい。そこでわかるのは、ご都合主義っぽく見えないのは、ゴールに至る過程がごちゃごちゃしてくるとなる。目的となる願望を満たしたいんじゃ!とご都合主義が悪いなこれを見えたくないんじゃ!が拮抗してるのが分かる。


 本来は願望充足に従って書けばいいのだが、それを邪魔するのものが多々ある。分かりやすい例がブレーキとなるリアリズムなどになる。これはブレーキだけじゃなくて実はアクセルもかかわる。根本の願望がリアルから発生してる以上全くリアリズムと無関係な事柄は書けない。違和感のリアルと願望の土台のリアルは簡単には分けられない。


 その辺りを失敗するとただただ回りくどいだけの作品になってしまうケースが多い。通常の基準からは悪いとされるだけのご都合主義もそう単純に言えるのか?となる。もっと複雑だと私は見てるんだ。


 なろうとその他の大半の漫画アニメに共通する願望充足はご都合主義に関して多分違うんじゃないか?と見ている。そのため外で嫌われてしまうんじゃないか?と見ている。単純に描写が多くて回りくどいからダメってわけじゃない。根本の願望充足を目的とする受け手がハードルの高さで絞られるために強く能動的な受け手にしぼられるせいじゃないか?と見ている。


 なろうは願望充足が強く読者がいると言うよりも、願望充足を求める読者の平均値が高い可能性がある。一人一人の強さが高すぎるんじゃない。全体の集団の質が願望充足に対して均一だろうと見てるんだ。アニメでは多い批判が、何故漫画だとあまりないのか?で漫画となろうの受け手の質が似てるんじゃないか?


 特になろうの漫画買う人ってそもそもなろうの読者なんじゃないの?って点。それだとおかしな点があるのは間違いない。転スラの漫画読者は小説読者の規模とまるで違う。明らかに層の違いが分かる売り上げになってる。それは有料の小説との差のレベルじゃない無料のなろう読者とも差があると感じている。


 だがそれは例外的じゃないか?大半のなろう漫画はなろう読者が支えてるのじゃないか?と思う。目的をもってハードルを乗り越える受け手はそうじゃない受け手に対して性質がかなり異なるのじゃないか?と見ている。


 単純に目的に至る描写がくどいを差にしたくない。具体的にどんな差があるか?は不明だが、願望充足に対してなろうとアニメの受け手では、内容にかなり差があるのじゃないか?と見ている。どうやって差がついてるか?はそれぞれの人が探せばいいんじゃないかな?と見ている。大事なのはなろうが不当に批判されている可能性について書いている。


 なろうの受け手にとっては良いものがアニメの受け手にとって良いものじゃない。それをアニメの受け手の批判に従って改善すべきなのか?


 何度も書いてるが私はなろうは改善しなくちゃいけない点があると書いてる。世代交代になる。だがそれがアニメの批判に従ってなされれば成功するとはみじんも思ってない。その理由の1つが今回の事になる。的外れな点を悪いと言ってるからになる。


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