箱庭の星
「なぜ龍の君が《星生みの神》だとお思いになるの? 多くの方は《星葬りの神》と思っていらっしゃるのに。」
天之御中主神の生み出すブラックホールの只中にあって、国常立尊と瑠璃の宮の姫のいる東屋は、驚く程に静謐で、穏やかな時が流れていた。
ほのかに灯るのは、色とりどりの星たちの残骸で、天常立尊が救いたいと思っている天之御中主神への捧げ物の残り火だ。
不思議そうに訊ねてくる瑠璃の宮の姫のあどけない表情を見ていると、国常立尊は龍の君がこの姫を大切に思う理由が分かった気がして目を細めた。
「箱庭の構想を聞いてから、私は箱庭の環境を整えるため、自分の管理している星を使って、様々な調整をしながら幾度となくこの計画の行く末を模擬実験してみたのです。」
「模擬実験・・・・・・。」
「ええ。」
自分たちと似たような神を作るなら、今いる楽園と似たような時空を作らねばならない。
しかし、兄の言う《楽園の星》を作るのは、時空を自由に歪ませられるブラックホールの内ではなく、龍の君の治める外の世界であった。
「兄者の考えを形にするならば、この二億個の星のある銀河のいずこかの星系のいずこかの星に、ここと同じような環境を作る必要がありました。」
箱庭とする星系は銀河の腕の中にありながら、ブラックホールの放つ光からは影響を受けにくい程よい距離があること。
新たな自分たちに似た神を置く楽園の星は、主星とする恒星が生み出す風を直接的に受けぬようにすること。
また、他の星系の影響が出ないように、主星と楽園の星は、二重、三重に細かな彗星や惑星を配し、また、箱庭を守る囲いとなる星を置くこと。
それは気の遠くなるような計算だったと国常立尊は笑い、周りに影響が出ないように気をつけて少しずつ検証をしたことを話した。
「その予測結果を出せたのも、星を生み出す絡繰りが、龍の君の生み出す《渦》にあると気がついたからなんです。」
それを聞くと瑠璃の宮の姫は、黙ったまま琥珀色の瞳で国常立尊を見据える。
「どこまでご存知なの? 星の生まれ方について。」
「龍の君が《渦》を生むのを止め、天之御中主神に星を捧げなくなったなら、やがて数多の星は年老い、消え去り、ゆくゆくは天之御中主神も消えてしまうあたりまで。」
星が生まれるために必要な分子雲は、龍の君の生み出す《渦》によって纏まり、やがて輝く星となる。そして、その循環が途絶えれば、この銀河はゆっくりと壊れていくだけだ。
瑠璃の宮の姫は国常立尊の話を聞きながら、「そこまで突き止められたのですね」と伏し目がちに答えた。
「幾度となく模擬実験をなさったのであれば、私の宿命もおわかりになっているのかしら?」
「ええ、先程、お貸しくださった衣をお持ちの意味も。」
国常立尊が答えにくそうにすると瑠璃の宮の姫は「そう」と笑った。
「貴女の星は薄いガスを放出している変光星。」
長い尾を引いたガスは龍の君の中にあって、初めて光を放ったのがこの瑠璃の宮の姫だ。そして、それはやがては天之御中主神に飲み込まれる運命の非力な星の神でもある。
「そんな悲しい顔をしないで。いつかこの身が壊れるとして、それは今ではないでしょう?」
「ええ、そうですね。それにこの地に居られなくなるとしたら、恐らく私の方が早いでしょう。」
「あら、どうして?」
「このまま兄が箱庭計画を強行するならば、私は兄の言葉に従い、自ら作り上げた箱庭の星に身を沈めようかと思います。それであれば、万が一、この地に仇なす者が生まれたとして、内側からならば暴走を止められるかもしれませんから。」
黒曜石のような目を伏せて、「兄者が諦めてくださればいいのですが」と祈るように呟けば、瑠璃の宮の姫は表情を険しくし「魂を賭すおつもりですか?」と訊ねた。
「ええ、それが生み出してはならぬ星々を生み出した私の責務です。」
「兄様に、お助け下さるように、もう一度お話してみましょうか?」
「ありがとうございます。ですが、今はもうしばらくお休みなさいませ。まだお顔色が優れないご様子。」
「ですが・・・・・・。」
膝枕は気が引けて言葉を濁せば「起きている方が楽であれば、こうして肩に凭れていらっしゃればいい」と引き寄せられる。
「お休みになられている間、手持ち無沙汰であればお話した《箱庭の星》をお見せしましょうか?」
「見られるの?」
「ええ、瑠璃の宮に似た色の星なんですよ。」
そういうと国常立尊は「一度大きな失敗をしでかして、一時はどうなるかと思いましたが」と言葉を添える。そして、国常立尊が展開したホログラムには、ほんのり黄色く光る星系が映し出された。
「これが箱庭?」
「ええ、近くに映るこちらが兄の星。」
二つの差は歴然で、天常立尊の星の周りはない細かなガスや塵が国常立尊の星の周りには回っている。
「これは外の守り。中と外を隔てています。」
そして、進んでいくと紺碧色の星、空色の星と見えてくる。
「綺麗・・・・・・。宝玉みたい。」
「この辺りに作った星はこの箱庭を作り始めた頃のものなのですが、神を降ろすには冷たすぎて向いていません。」
しかし、とても美しい色合いだったので、壊すのも勿体なくてそのままにしたのだという。
「これらを模擬実験で作っていったの?」
「ええ。この後にお見せする星二つをうっかり共鳴させてしまった時はどうなるかと思いましたが。」
「共鳴させてはいけないの?」
「ええ、星の動きが重なれば、主星と惑星同士の引力の釣り合いが崩れます。そうなったら内側は癇癪玉を中で破裂させたように大騒ぎです。」
国常立尊は「本当にあの時はどうしたものかと思いました」と笑い、今度は厚い輪を持つ萱色の星と、大きなマーブル色の星を見せてくれる。
「この萱色の星を作った時、細かな輪が出来たので、これはいい実験ができるぞと思いました。真ん中の萱色の星を主星に、輪の部分を箱庭の星に、そしてあの外に回っている衛星を先にご覧いただいた星に見立てて配してみたのです。そして、その結果があの輪に出来てしまった隙間。」
国常立尊によれば、星同士の引っ張り合う力が萱色の星に影響して輪を乱したのだと言う。
「そこで、次はあちらに見える大きな星に衛星をいくつか置いて、内のが四度回る間に、中のは二度、外のは一度回るように配してみたのですが、結果、内の小さな星が熱を持つようになり、中の星は凍てついた氷の下に海ができました。」
国常立尊が子供のような目をして楽しげに話せば、瑠璃の宮の姫はくすくすと笑う。
「随分と、色々とお試しになったのね?」
「ええ、兄の箱庭計画を聞いた時は、私も名案だと思っていましたからね。なんとしても箱庭の星を作れないものかと思ったのです。そして、その実験の最中、この萱色の星とあの大きな星の二つをうっかり共鳴させてしまったんですよ。」
そう言うと国常立尊は更に先に進み、細かな小惑星帯を越え、輝く主星といくつか回る星々が見せてくれる。
「あの細かな星の帯はその時の名残り。今は箱庭の星達に害のないものだけ第二の守りとして回っています。そして、この絶妙な調和を為しているのは、あの主星近くに放り込んだ小さな星ひとつ。」
少しでもバランスを崩せば、この星系は灰燼に帰す。瑠璃の宮の姫はそれを聞くと目を見開いた。
「最初は箱の星の候補を三つ作ったのですが、そのうちの一つは回転が反対になってしまい、もう一つの星は二つに割れる大惨事、更に外の星は当初の計画より外に回ることになり凍てつきました。」
「まあ・・・・・・。」
「しかし、悪いことばかりではなく、良きこともあって《箱庭の星》とするのには三つの条件が必要だと分かったのです。」
ひとつ、主星となる恒星からの過度な熱や風を適度に避けること。
ひとつ、大気を作り出す火山活動が維持出来ること。
ひとつ、星の内に固体、液体、気体の状態になる媒介があり、とめどなく《循環》させること。
「外を回る星は主星からの風に煽られ、大気保つだけの膜を張れなくなって火山活動が止まり凍てつきました。また、内を回る星は回転が狂った事で逆に火山活動が多くなり、厚い大気で覆われ熱を帯びました。」
その話に瑠璃の宮の姫は残念そうに「もうひとつは二つに割れたと言っていたわね? どれも失敗になってしまったの?」と訊ねる。すると、国常立尊はにっこりとして「それがそうでもないんですよ」と言って、瑠璃のガラス玉のような青い星と真珠のように白い星の番星だった。
「これは真ん中の星ですが、小惑星帯から飛んできた《水》を多く含んだ彗星が当たって、四分の一が吹き飛んでしまいました。しかし、瑠璃色の星は、それゆえ大きな水溜まりが生まれ、また、こうして少し離れたところに白い星が衛星として回るようになった事で、その水が体内を巡る血液のように循環するようになったのです。」
星を満たす水は満ち干きをする海となり、白い星が細かな彗星の衝突を請け負った。
「こういうのを怪我の巧妙というのでしょうね。」
海より生まれた霧は上昇気流に乗って雲となり、自らの重さに耐えかねると雨となり、地上に降り注ぐ。
国常立尊の映し出した星は、最初に見せてもらった「凍てついた星」と言われたものに比べると、濃い青色をしていて、いくつかの白い雲が渦を巻いている。
国常立尊から「この瑠璃の宮に似た星だ」と聞いてはいたが、瑠璃の宮の姫はホログラムとはいえ、あまりの美しさに言葉は出てこず、ため息をひとつ零しただけだった。
刻刻と変わっていく白い雲の形。いくつかの火山が噴火しているようで、所々、赤いところも見えるものの、何よりも目を引くのは青い海だ。
「気に入られましたか?」
「ええ、とても綺麗だわ・・・・・・。この青いのが《水》?」
「ええ、《水》です。薄膜となっている大気の部分は《窒素》。内側の熱い核の部分は《鉄》や《ニッケル》で出来ています。」
内側に熱を生み出す機構があるから、この星は周りには強い磁気が生まれ、恒星から絶え間なく吹き付ける風も、直接的に受けずにすんでいる。
また彗星の衝突で僅かに傾いた地軸は、星の内に大きな対流を作り、大気の循環と水の循環をスムーズにした。
「理論上、こちらの星は我々自身が降り立っても問題がないはずなので、先日、検証のためにこの星に降り立ってみたのです。内側の景色も圧巻でしたよ。」
そう言うと国常立尊が新たなホログラムを見せてくれる。
映し出されたのは、青い色の星の内側の景色で、沈みゆく日の光で空と砂浜がオレンジ色に染まり、海に残光が煌めく風景だった。
やがて日は海の中へと沈んでいき、空はオレンジ色から白へ、そして薄青色を経て、漆黒へと変わっていく。
そこにはぽっかりと浮かんだ白い光を放つ月と一面の星の光に溢れていた。
「足元に打ち寄せてくるのは漣。頬を撫でていくのは潮風。生き物たちはその身に渦を宿し、息づき始めていました。」
そう言うと小さく艶やかな宝貝の貝殻で作った首飾りを見せてくれる。
「綺麗・・・・・・。」
「ええ、このような星が出来るとは思いませんでした。驚く程に美しい。それゆえ、この地はこのままそっとして置きたいのです。」
それから「我らに似た神に任せた場合のこの星の行く末もお見せしましょう」と今度は地球を外から見た景色に戻し、時間を一気に進める。
そこには先程とは異なり、細かな砂のような光で覆われた地球の姿があった。
「これは・・・・・・?」
「分かりません。ただ分かるのは、これより先は我らの考えの及ばぬ世界だという事だけ。」
何度も計算しても、降ろした神々が技術的特異点を迎える。その後は、遅かれ早かれこの風景になる。
「考えられるのは、我らとて、扱いに困る《火》を克服した何かが現れる事。」
「《火》を操る神・・・・・・?」
「ええ。」
国常立尊はホログラムを消すとため息を吐く。
「そして、そのようなもの達がどうして火を操れぬ我らの支配下に置かれるでしょうか? 高皇産霊神や兄はそのような箱庭を壊そうとするでしょう。しかし、彼らを作ってしまえば、我らと同様に彼らは生きているのです。」
こちらの都合で作り、こちらの都合で消すなど、国常立尊にはどうしても出来ない。
それならばこの星はこのままにそっとしておきたい。
「そこまで試行錯誤をして作った星の行く末が見えていながら、どうして我らに似た者を降ろせましょう。もし、こちらの都合で殺すと言うなら、それは龍の君が天之御中主神に星を捧げる事よりずっと罪深いのではありませんか――?」
国常立尊は眉間に皺を寄せる。瑠璃の宮の姫は今にも泣き出しそうな国常立尊の固く握り締められた拳に、そっと柔らかな手を置いた。