天常立尊と国常立尊
「兄者、お待ちください!」
「付いて来るな!」
天之御中主神の大宮での神議りが終わると、天常立尊は怒り心頭な様子で大広間を飛び出した。
ここは銀河の中心、檜扇の実のようなブラックホールの内側にある時空の狭間。
いつの頃からこの時空の狭間にある天之御中主神の大宮を中心に離宮が立ち並ぶようになり、天常立尊や国常立尊が生まれた頃にはこの地に《神々の園》が出来ていた。
「少しでいいのです。どうか話を聞いてくださいませ!」
天常立尊の後を追ってきたのは双子として生まれた国常立尊。偉丈夫な天常立尊は異なり、国常立尊はいかにも学者肌と言った風の優男で、いつだって天常立尊の後を追ってくるのは常だった。
しかし、肝入りでプレゼンした提案を一番理解してくれていると思っていた国常立尊に反対されて、天常立尊は激怒していた。
「来るなと言っている! お前の顔など見たくもない!」
「今回の神議りで兄者のお立場を悪くした事は謝ります。しかし・・・・・・。」
「しかしも、だってもあるものか! 俺はよもや一番信を置いている弟に、あのように裏切られるとは思わなんだ。」
「裏切るなど! これは兄者の為に申し上げているのです。我らの紛い物を作り、それに全てを任せるというご計画はどうかご再考くださいませ。」
「そう言って取りなせとでも言われたか? 簡単に丸め込まれおって。」
天之御中主神の大宮の大広間を後にした天常立尊は、蜘蛛の巣を張るように離宮と繋がれた渡り廊下をずんずんと進んでいく。一方の国常立尊はその後を追い縋るようにして追った。
「兄者のお話について、龍の君も、瑠璃の宮の姫もご理解くださっております。それが何かの謀りからではなく、純粋に星を守ろうとなさってのご提案だと言うことも。」
「では、なぜああも反対する? 星の行く末を我らの手で操るという話が気に食わないのか? 何も龍の君のように星を喰らうわけでもないのに。」
神議りでの天常立尊の提案は「新たな神を箱庭の星の中で量産し、管理の行き届いていない星に派遣する」という内容だった。その提案は、龍の君の働きによって急激に大きくなった天の川銀河にとって、「人手不足」という大きな課題を解決するための足掛かりになるはずだった。
「このまま、手が足りぬまま管理しきれぬ星が増えれば、多くの星が消えてしまう運命にあるというのに、お前もそれを捨ておけというのか?」
「そうではございません。ただ、管理する方法は、他にも案を聞き、もう少し慎重に検討せねば、足を掬われかねなないと申しているのです。」
国常立尊は兄の主張を聞いてから、兄の構想を実現させた場合の模擬実験を幾度も繰り返して検証した。しかし、何度、計算し直しても、結果はいつも同じで多少の誤差はあれど「やがて技術的特異点を迎えてしまい、手に負えなくなる」事が割り出されたのだ。
「自ら学習し、最適解を出すようになさると仰せでしたが、そのような我らの紛い物に星を任せれば、彼らは目的遂行のために彼ら自身を再定義し直しかねません。」
それは人工知能に「星を守れ」とプログラミングした結果、「人間を滅ぼせ」と返してくる可能性に似ている。ましてや技術的特異点を迎えてしまえば、そこから先のことはどういう未来が待っているのか、常識すら疑って考えないといけない事態に陥りかねない。
「我らの紛い物が紛い物自身を再定義したとして、それがどうしたというのだ? 二億個ある星のうち、たったひとつの星の神に何が出来る?」
「分かりません。ただ予測の上で言えるのは、我らの考えの及ばない事が起こるとしか言えません。」
国常立尊が言葉を濁せば、天常立尊はフッと笑う。
「お前の言い様では、我らの紛い物は、その内、与えた安寧の星を抜け出して、我らが元に近付かんとしそうだな?」
国常立尊は「ようやく分かって貰えたのだ」と思って「ええ、極論、そう言うことなのです」と話した。
「このまま、箱庭計画を進めてしまえば、そうした事が起こる危うさを秘めています。」
にっこりとする天常立尊の様子に国常立尊は安堵して「ですからご再考をと申し上げたのです」と話す。しかし、返ってきたのは「それで?」という失笑だった。
「それで・・・・・・?」
「それで、その話が我が考えにご賛同くださった高皇産霊神と宇摩志阿斯訶備比古遅神への申し開きになると思うてか? 恩を仇で返すような真似をしおって。」
「兄者・・・・・・?」
天常立尊は冷ややかに国常立尊を見下ろす。
「国常立尊よ、お前は誰かの意見に追随しているに過ぎぬ。」
天常立尊は「お前はそういう星の元に生まれたのだから」と言う。
「いいえ、いいえ、兄者! 今、申し上げたことが真実なのです!」
「先程の夢物語を信じろと? お前の言っていることは、龍の君の横暴を見過ごせと言っているのに等しいことぞ?」
「横暴などと、龍の君は天之御中主神の命に従っているだけではございませぬか!」
「それが真の話ならばな・・・・・・。」
先程までの神議りでは、高皇産霊神が龍の君を名指しで「星葬りの神」と言ったことで、かなり紛糾した。天常立尊も「そんな龍の君を庇い立てするのか」と背筋が凍りつくような眼差しで言うから、国常立尊は言葉を飲み込む。
「お前があちら側に付いたのではないというならば、お前の星々を箱庭として差し出してみるがいい。そんなに心配ならばお前自身が新たな神の管理者として降ってもいいのだぞ?」
そう蔑むように言うと、天常立尊は国常立尊をその場に残して去っていく。国常立尊はその去りゆく背中を見ながら、「なぜ分かってくださらぬのだ」と独り言ちた。
やがてコツコツと硬質な足音が近づいてきて、自分の少し後ろで立ち止まる。
「そのご様子では、天常立尊はご納得くださらなかったのですね?」
鈴の転がるような声に振り返ってみれば、そこには腰くらいまである榛摺色の艶やかな髪を結い上げ、琥珀色の眼には憂いを湛えた《龍の珠姫》こと、瑠璃の宮の姫が立っていた。
「お見苦しい姿をお見せしてしまいました。」
国常立尊は不格好に倒れていたのから居住まいを正して、瑠璃の宮の姫に頭を垂れる。瑠璃の宮の姫は光沢のある青色の本繻子をたっぷりと使った衣の上に、こちらは薄葉紙のような薄青色の肩巾も纏っていた。
「国常立尊、頭を上げてくださいませ。」
そう話す瑠璃の宮の姫の背後には、銀の長い髪をひとつに結んだ瑠璃の宮の主である龍の君も立っている。しかし、その目には苛立ちが露わで、龍の珠姫とは違い冷たく蔑むような目を向けられた。
「形ばかりの礼なら不要だ。そなたも《星葬りの神》と思っているのであろう?」
天叢雲剣をその腰に佩き、魚鱗甲を身に付けた龍の君はその不機嫌さを隠そうともせず、「高皇産霊神に尻尾を振るなど、お前の兄は飛んだ痴れ者だな」と冷笑を浮かべて国常立尊を見下ろしてくる。
国常立尊はそのひと睨みだけでも身のすくむ思いをして、再び「申し訳ございません」と頭を下げた。
「謝ると言うことは、お前もそのように思うているという事か?」
声色は先程と変わらないのに、周りの温度がグッと下がったかのように感じて、国常立尊は生唾を飲み込む。滝のような汗がドッと出てきた。
(飲み込まれる――。)
一瞬でも怯めば、龍の君の力に喰われてしまう。国常立尊はなんとか「違う」と返そうとして、口を開き、しかし、上手く言葉が紡げず難儀していると、ふわりと何かで覆われた感覚がして不意に重苦しさが軽減した。
「兄様、八つ当たりはお止めくださいませ――。」
先程の心配そうな声とは違い、びっくりするほど、冷たい、凛とした龍の珠姫の声が響き渡る。龍の君が狼狽した気配がした。
国常立尊が恐る恐るあたりの様子を伺えば、自分の頭から背中に掛けて、瑠璃の宮の姫が纏っていた薄葉紙のような薄青色の肩巾が、自分をすっぽりと覆っていて、その布越しに二人が対峙している姿が見える。
「天常立尊と国常立尊は別の方。まして、国常立尊は我らを擁護下さった御方ではございませぬか。なぜこのように無体な事をなさるのです。」
「そなた、肩巾を外してまで、その者を庇い立てするか?」
「当然です。この方を喰らうと言うなら、私を喰らってからになさいませ。さすれば、本当の《星葬りの神》になれましょう?」
それを聞くと龍の君はふんと鼻を鳴らし「気に食わぬ」と言う。
「吾妹子が言うなら致し方あるまい。今回は救われたな。」
龍の君はそう言うと「先に宮に戻っている」と言って国常立尊の横を通り過ぎ去っていく。国常立尊はその姿を見送りながら、被かされていた肩巾に手を伸ばした。
「咄嗟に大蛇の肩巾で覆いましたが、もう苦しくはございませぬか?」
「え、ええ・・・・・・。」
「それなら良かった。龍の君の気をまともに受けたなら、死にこそしないものの、昏倒してしまう者はございますから。」
そう話す龍の珠姫の顔色はとても悪く、ふらりとバランスを崩すから、国常立尊は咄嗟に彼女の身体を支えた。
「もしや、その龍の君の気に当てられましたか?」
国常立尊は瑠璃の宮の姫が「大蛇の肩巾」といった羽衣を、彼女に掛けると驚いた様子の彼女をそのまま抱き上げる。
「な、何をなさるのです?!」
「この廊下を渡ったところに東屋がございます。ひとまずはそちらへ参りましょう。少しお休みになられた方がよろしい。」
国常立尊が視線で指した先には、小さな石造りの東屋があった。
「本来なら瑠璃の宮にお運びしたいところですが、先程の龍の君のご様子。少しお怒りが落ち着かれた頃がよろしいでしょう?」
龍の愛でし珠姫でさえ、龍の気をまともに受ければこのような状態なのを見れば、彼女が助けてくれなければ自分なぞ消し飛んでいてもおかしくないように思えてくる。
姫は顔を赤らめて大人しくしている様子だったから、国常立尊は彼女を東屋まで運ぶ。そして、そっと腰掛けに彼女を下ろし、それが当然と言わんばかりに膝枕を貸した。
「あ、の・・・・・・。」
困り顔で頬を赤らめる姫は、何とも愛らしく、国常立尊は目を細めると「これくらいはさせてください」と答える。
「先程までと同じ方には見えませんね。」
龍の珠姫は気恥しいのか、顔を背ける。国常立尊はフッと笑みを零して「お助け下さり、ありがとうございました」と耳打ちした。
姫は居心地悪そうに「礼には及びません。御礼を申し上げねばならぬのは我らの方ですから」と話す。
「龍の君も宇摩志阿斯訶備比古遅神を味方に率いれたのはご存知でしたが、よもや高皇産霊神が目を掛けている天常立尊が、あそこまで好戦的な態度をとるとは思っていなかったのです。」
対立の立場を示したとしても、それは言外に出すような物ではなく、鞘当て程度になると思っていた。それがあのように「星葬りの神」と罵られるとは思ってもいなかったのだ。
すると、国常立尊は「龍の君がお怒りになるもご尤もなお話。」と話す。
「《星葬りの神》などと罵られては、ご心中いかばかりかと察するに余ります。龍の君は《星生みの神》であらせられるのに。」
龍の珠姫は国常立尊の言葉に驚いた様子で上体を起こした。