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龍吟の琴  作者: みなきら
龍吟じて、雲を呼ぶ
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風、そよぐ

 春の麗らかな日差しが差し込み、邸の南面の池の水に反射してキラキラと輝く。鏡のようになった水面には垂れた桜が虚像として映り込んでいた。


 晴明の後について歩いていた柊吾は、向かっている先が、東の対のどこかではなく寝殿の方だと気が付くと渡殿を渡る手前で立ち止まる。


「いかがなさいましたか?」

「いえ、このままだと寝殿の方に渡ってしまいそうでしたので・・・・・・。」


 壺庭の遣水が静かに池に流れ込み、さらさらと音を立てている。晴明はにこりとすると「私もその心積りだったのですが、少彦名命と罔象女神が寝殿の方にお連れしろと仰せでして」と話す。


「寝殿の方に?」

「ええ、罔象女神も少彦名命も《熾久なら構わない。寝殿まで通せ》と仰せなのです。」


 ここは罔象女神の神域――。


 その女主(おんなあるじ)である罔象女神と、主人である少彦名命が通せと言っているならば、神域を間借りしているに過ぎない晴明としては確かに強くは反対できないだろう。


 しかし、柊吾はこれ以上進む事に酷く躊躇した。


 普通、寝殿の母屋まで来客を許すような事はしない。


 寝殿や北の対はこの邸の主たる罔象女神と少彦名命が使い、この空間を維持している晴明は東の対を使っている。それゆえ来客の時は東西の対の空いている局を使っていて、加代子たちをしばらく匿っていたのも西の対の局だ。


 まして自分は人魑魅に過ぎず、神域に立ち入るのさえ畏れ多いのに、古の身分差も考えると、罔象女神や少彦名命の申し出はすぐには受け入れにくい内容だった。


「私はしもびとにございます。対の屋に上がるだけでも畏れ多いこと。庭からの拝礼でかまいません。」


 眉間に皺を寄せて柊吾が言葉を濁すと、晴明は「そのように御自身を卑下なさいますな」と言う。


「御神使いとは神の手であり、足にございます。ましてや貴方は数多の神の加護をお受けになっている。」


 柊吾は国常立尊、大己貴命、火産霊神、大山咋神、少彦名命と複数の神に加護を受け、大己貴命と火産霊神に至ってはその力を代行する事を許されている。それなのに、自分を卑下する事は「加護をしている神に失礼だ」と晴明は話した。


「貴方は人の身にありながら、いまやトップクラスの御神使い。胸を張っていらっしゃるくらいでよろしいでしょう。」


 晴明はそう告げると踵を返して反り橋になっている渡殿を進んでいく。柊吾は再び晴明を追い掛けるようにして渡殿を渡った。


 コンクリートで出来た現代建築と違い、木の温もりを感じる建物の軒先には、意趣を凝らした釣り燈篭が下がっている。


 この景色丸ごとを、目の前を進む晴明が「呪」で作っているとは出来ない見事さで、柊吾はしげしげと辺りを見回していた。


「御見事でいらっしゃいますね・・・・・・。」

「建物の事ですか・・・・・・?」

「それもですが、これらを維持する事もです。細やかな細工を施した調度類も、全てを再現していらっしゃるのでしょう?」


 すると、晴明はくっと口角を上げて「そこまではしておりませぬよ」と笑った。


「全てをシュミレートして再現などしたら、この身がいくつあっても足りませぬ。」


 呪はある対象がある時に「それ」と認識させうるものだと晴明は話す。


「一番、短い呪は()。しかし、それだけで定まるものではなく、二つのソウゾウで補完されているのですよ。」


 対象をイメージする()()と、世界を創り出す()()と。呪はトリガーに過ぎず、世界は二つのソウゾウによって初めて完成する。


「どういう事です?」

「例えば、あの花。あの花は《桜》と呼ばれています。だが、《桜》の言葉に対して持たれるイメージは千差万別。」


 こんもりと雲のように咲く花か、垂れて咲く花か、咲き始めの花か、散り際の花か。その「想像」を持って見る事で、その者にとって見えるものが変わってくると晴明は話す。


「《名》は一番短い《呪》。《呪》はその対象を縛りますが、結局は我々は見たいものを見、都合の悪い事は見ぬようにしているのです。」


 晴明がこの世界で与えているのは、言わば《名》に過ぎないらしい。


「仮に《名》を失えばどうなるのです?」


 柊吾が問えば「博雅も、以前、同じ質問をしてきましたよ」と笑い、「《名》を失ったところで存在はなくなりはしません。ただその《名》が無くなるだけ」と話す。


「目に見えぬ物でも《名》があれば縛れますし、《ソウゾウ》する物が違えば知覚しているものは人によって違うという事です。」

「それは《緑色の信号なのに、なぜ青信号というか》に近しい話ですか?」

「ああ、やはり博雅より話が早いですね。おっしゃる通りです。」


 かつて緑も青も水色も「あをし」としていた世界においては、それらの色は区別なく「あを」である。


 例えば、青と緑の違いによって「緑」という《名》が生まれる前はその二色に違いはなく違いは認識されず、逆に「あを」の言葉を聞いてある人は「緑」を「青」と思い、ある人は「水色」を「青」と想起する。


「ですから、白い信号の絵に《青信号》の青を塗れと言われても、塗る人によって色は千差万別になります。本来の()()も同じ理屈で出来ています。ただし、本物は生きとし生けるものが各々の価値観で判断していますが、ここは箱庭。私の《呪》は選択肢を狭めて見えるパターンを狭めているのに過ぎないのですよ。」


 細やかな細工を施した調度類も()()見えるように《呪》は掛かっている。しかし、それは見る者にとっての「細やかな細工」なのだと晴明は種明かしをする。


「《呪》とは奥が深そうですね。」

「ええ、ですが、禁厭(まじない)については、やはり大己貴命と少彦名命でしょう。彼の神々の禁厭は私の知りうる禁厭とは一線を画しています。」


 漢字が伝来する前、離れた土地の意思疎通を図るのにあたって、どうしたって「文字」が必要で、あちこちを見聞した大己貴命は秦の始皇帝がそうしたように文字や度量の規格を決める事にした。


「文字を生む事は、それ自体が禁厭。しかも、度量を決めるのに、数学や天文についても明るい方ですから。それに何より真の始皇帝がして、大己貴命がしなかった事が《焚書坑儒》です。」


 文字や度量を統一し、各土地の長と意思疎通が図れるようになると、大己貴命は一気に国土を増やしていった。そして、先人の知恵たる書物を読み漁っては異国からの知識人を積極採用したのだ。


「少彦名命はその中で見出された稀有な存在でした。」


 農業、医術、鍛冶、治水、禁厭。流れる水に任せるようにして放浪していた少彦名命は、各地を逃げ回っていた大己貴命さえ知りえない知識を持っていて、その事は国作りに行き詰まってきた大己貴命にとって渡りに舟の状態だったらしい。


「禁厭と神威はまた別物なのですか?」

「ええ、別物です。神威は才能ですが、禁厭は知識ですから。天の理を読み解き、再構築し直したものなんですよ。」


 一足す一を二と定義して、数式を組むように、加算乗除の結果で成り立つらしい。


「大と出たら少を合わせ、七と出たら三を、六と出たら四を――。今世、須勢理毘売命が《加代子》なのは、大己貴命は《六》の星の巡りなのでしょう。」

「確か、大山祇神も千年前と同じような星の巡りになると仰せでしたね・・・・・・。三年の間に身の振り方を考えよと仰せでした。」

「なんと、大山祇神もお気づきであったか。」


 晴明は歩みを止めて、御簾の降ろされた局の前で、簀の子にゆるりと腰を下ろす。柊吾もそれに倣うようにして腰を下ろした。


 春の麗らかな日が背中にあたって心地よい。しかし、そののどやかな庭の雰囲気とは違い、晴明は難しい顔になっていた。


「どうやら星占は大山祇神と同じ答えを導き出したのですね。」

「同じ答え?」

「《大峠》はこの三年の内に起こります。しかし――。」


 そして、続けて話す晴明の言葉と柊吾の言葉が合致する。


()()()()()()()()()()()――。」


 晴明は片眉を上げると柊吾を見る。


「それも大山祇神が?」

「いえ、話を聞いていた私の感想に過ぎません。」


 大山祇神の話を聞いて千年前と今と同じような星の巡り合わせな事や、自分たちの父母が、自分を含め宝玉である加代子の《兄》として生まれてきた事を聞いてから、ずっと引っかかっている事がある。


「私にはもう一人、真珠子という妹がいるんです。」

「まみこ?」

「ええ、漢字で真珠の子と書きます。奇しくも私が考えた名前が採用されたんです。」


 加代子の時はそこまで年が離れていなかったから父母が付けたが、十余り違う妹が産まれると、命名に参加するくらいの分別がついていた。


「父は俺の名前を、母は加代子の名をつけていましたから、加代子と私がそれぞれを案を出し、最終的にはジャンケンで決めたんですよ。」


 今までならそんな名前の付け方など他愛ない笑い話になっていたのに、《呪》と《名》の関係を聞いてしまうと、どうにも気にかかってしまう。


「私も加代子も因果なもので神様にご縁があるようですが、そんな家庭にいて真珠子だけ違うのかと、気にかかっているのです。晴明殿はどう思われますか?」


 すると、晴明はにっこりとして「実に興味深いお話ですね」と話した。


「ちなみに須勢理毘売は何と名付けられたのです?」

「真珠子の生まれが七夕の頃だったので、織姫から一字とって《霞織》と付けたいと言っていました。」

「かおり・・・・・・?」

「ええ。それであればと母が《霞に織る》としてはどうかと言い出して《霞織》と。今では妹本人も含めて三人とも《霞織》の方が良かったのにと言っているくらいです。」

「《霞織》、ですか・・・・・・。」

「ええ、真珠子が被服関係の道を選んだのも一因な気がしていますが、女心はわかりませんね。」


 それを聞くと晴明は愛想笑いではなく、本当に面白かったようで相好を崩した。そして「所用が出来てしました」と言い出す。


 やがて罔象女神の所から先程の式の童子が戻ってくると、悪びれたふうもなく「代わりに話を聞いておいておくれ」と言い出したから、柊吾は「一緒に聞かれぬのですか?」と訊ねた。


「ええ、妹さんのお話を伺って思うところがありましてね。ただ、あとは占盤がなければできぬ事。少彦名命がいらっしゃる内にお伺いしておきたい事が出来てしまいましたので、この場は失礼致します。」

「そうですか・・・・・・。」

「式に話を聞かせますが、この者は要点しか話しませぬ。後でお話を教えてくださいませ。」


 柊吾が「構いませんよ」と頷くと、晴明は御簾の内に一礼して去っていく。そして、その姿が建物の陰に隠れた頃に、しゃらしゃらと御簾の揺れる気配がして、その下から五衣の裾が見えた。


 水の神だからか、いずれも青系の色合いが多いものの、差し色で所々、黄色や薄桃など春らしい色合いが見えている。


「晴明はいかがした?」


 傍に控えている女房だろうか、年配の女性の声がして答えに窮していると、見た目は子供だというのに式は晴明の声色で「所用にて部屋におります」と返事をした。


「晴明殿、断りを入れておきながら来ぬとは礼に欠けるのではないか?」


 思っていた通りの反応が御簾の内から返ってきたが、感情を揺らすことのない様子で「話を聞くのは式で出来ますが、占は本人でしか出来ぬのです」と澄ました声で返ってくる。


「滝山、良いのです。先程、御簾越しに目が合いましたが、何か面白い事に気が付いた様子。占が終われば戻るでしょう。」

「御方様・・・・・・。」


 漏れ聞こえる罔象女神の声色は、滝山と呼ばれた女房と違って面白がるようで、「それで天疎向津媛の事でしたよね?」と訊ねてくる。「はい」と返せば、「御方様より近くに侍るようにとの事である。庇まで参られよ」と前へ進む事を促された。

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