何を玉の緒にせむ
「真珠子に見つかったあ?!」
「ちょっと、柊吾兄、声が大きいって!」
晴明の庭から呼び戻された柊吾は頭を抱える。
「いや、まあ、隣町なんだから、見かけられる可能性はゼロじゃないとは分かっていたんだが、こんなに早くとは思わなかったもんだからさ。」
それについては加代子も激しく同意する。
「だいたい真珠子のやつ、隣町に何の用があっていたんだか・・・・・・。」
「うーん、いつも通ってる手芸店は反対方面だもんね・・・・・・。」
でも、地面に落としたのは色とりどりの布とミシン糸だった事を考えると、近くにいい店を発掘したのかもしれない。
「とりあえず今後は土日祝に駅前には近付かない方が良いかもな。上手く誤魔化して下さっているとは思うけど、二度目は厳しいだろう?」
「うん・・・・・・。」
そう答えながら、加代子は浮かぬ表情になる。柊吾は口籠もる加代子の様子に「どうした?」と訊ねた。
「私ね、雅に隠れるか、真珠子を引き込むか、どっちか選べって言われて、真珠子まで巻き込みたくなくて咄嗟に隠れる事を選んじゃったんだ。だけど・・・・・・。」
こうして兄の柊吾がどっぷり関わっている所を見ていると、真珠子が関わっていないとは思えない。だけど、それを口にしてしまうと、なんだか悪い事が起きるような心地がして、加代子は黙り込んだ。
「真珠子が《関係者》かどうかは俺も気になっている。」
本当はその辺りのことも、あの後、晴明に説明してとらう予定だったのだが、その前に加代子からの連絡が入り、土曜日の昼下がりに現世に戻ってきた状態だ。
「大己貴命に仕えていた頃は幾ばくも思い出せてないんだが、彬久としての生はあらかた思い出した。加代子も父さんの事は分かっているだろう?」
「滋野井弁、源 公忠。前世でも私のおもうさまでしょう?」
よもや今世も自分の父になっているとは思わなかったと加代子が言う。
「昔、ギターだか、ベースだかやってたって聞いたけど、今もやらせたら、存外上手いのかもね。」
加代子が軽口を叩くと「そうだな」と柊吾も笑う。
「ちなみに、母さんも前の世の縁者だ。」
「そうなの?」
「ああ、母さんは前の世の俺の母親。つまり、君の乳母だった人だ。」
柊吾は「不思議な縁だよな」と話す。
「ただ、どうしても《真珠子》との繋がりが分からなかった。」
「分からない?」
「ああ、関わりがあるのか、そうでないのか。だから、晴明殿に相談しに行っていたんだ。」
加代子は「それで連絡してからカフェに現れるまでが妙に早かったのか」と納得した。
「それで晴明はなんだって?」
「それを聞こうとしたところで、お前に呼び出されたわけだが?」
「う・・・・・・っ。」
「どうせ、お前のことだ。真珠子に見つかって、しらばっくれる素振りも見せなかったんじゃないか?」
「うう・・・・・・っ。」
柊吾は「図星か」と頭が痛そうな顔をすると、「我が君のご苦労、いかばかりか」と溜息を吐く。
「ちょっと、柊吾兄。彬久の時とキャラ違わなくない?」
「キャラは変わってない。が、立場は変わったからな。前世はどうあれ、今は《加代子》の兄。しかも、実兄だ。時が時なら、妹は文句も言えない立場だろう?」
「じ、時代錯誤だし、横暴だッ!」
「何とでも言え。今の俺に身分差の壁はない。」
「くぅ・・・・・・ッ。」
そんな話をしていると、後ろからくすくすと笑う気配がして「兄妹、仲良しなんですね」と声が降ってくる。加代子は後ろにいるのが雅だと分かると、満面の笑みで振り返り、それから心配そうな表情に変わった。
「雅、大丈夫? 顔色があまり良くない。」
「少し休めば大丈夫ですよ。」
雅はにこりとしたが、加代子は険しい表情をすると、隣の席をトントンと叩いて座るように促した。
「雅がそういう事を言う時は、大抵、大丈夫じゃない時でしょう?」
それを聞くと柊吾も「無理は禁物です」と言い、「何か買って参ります」と席を立つ。それから加代子に「これ以上、問題を起こすなよ?」と告げる。
「さすがに、起こさないよ――。」
「どうだか・・・・・・?」
「なによう。」
そう言うとムッとして、ふくれっ面をする加代子を余所に、柊吾はレジの方へと向かっていった。
雅はころころと表情を変える加代子の様子に「ちょっと妬けますね」と笑う。
「へ?」
「兄妹、仲が良いのは八嶋士奴美や五十猛ともでしたが、柊吾さんとは砕けたご様子ですから。」
「いや、あれは砕けたというか、壊れたというか。半分、柊吾兄のままで、半分、彬久に見えるから、私もすっごくモヤモヤするよ・・・・・・。」
加代子が「甲斐甲斐しいのと、口煩いの、あと、雅至上主義なのは彬久のままだよ?」と言えば、雅が「ははッ」と屈託なく笑う。
「それに《柊吾さん》なんて言ったら、きっと恐れ多いとかなんとか言い出しそう。」
加代子が「私にはちっとも敬意を払ってくれないけど」と拗ねて言うから、雅は目を細めた。
「あ、そうだ! 私の母も前の世の縁者らしいの。」
「前の世の縁者?」
「あ、あと、父もだけど。」
「どういう事です?」
首を傾げる雅に、加代子は父が琴子の父の源 公忠で、母が彬久の母だと話せば、目を丸くする。
「滋野井弁と、乳母殿が?」
「ええ。母の事はさっき柊吾兄から聞いたんだけど。」
「そうでしたか・・・・・・。こうした身の上でなければ、もう一度お会いしたい方々ですね。」
「うん・・・・・・。」
島崎 加代子としての生を終えてなければ、上手くすれば雅を彼氏として紹介できたのかもしれないなと思う。そしたら、二人は記憶がなくとも、いずれも雅を大事にしていた人達だから、きっと歓待してくれただろう。
「お父さんにお母さん、それから柊吾さんに妹さん。合わせて五人ですか?」
「うん、そう。さっき出くわしたのが真珠子。」
柊吾とは十歳、自分とは七歳、年が離れている妹だという。
「でも、真珠子の事は、柊吾兄も関係者なのか分からないって話してたところだったの。」
「関係者なのか分からない・・・・・・?」
「うん、思い返したんだけど、前の世にいた人の中に真珠子のような人が思いつかないの。」
「まみこ、それが妹さんのお名前ですか?」
「うん・・・・・・、そうだけど?」
そこへ戻ってきた柊吾がコーヒーを机に置きながら「こら、加代子」と咎める。
「げ。」
「おい、げ、とはなんだ。」
「そのままの意味。お邪魔虫が帰ってきたなっていう反応。」
あからさまに嫌な顔をする加代子の様子に、雅は笑いを噛み殺しながら、「ありがとうございます」と柊吾にお礼を言う。
「お疲れな君を、煩わせるな。」
「煩わせてないもん。余計なお世話。」
「柊吾さん、私なら、大丈夫ですよ?」
と、雅に「柊吾さん」と言われた事に柊吾が固まる。加代子がちらりと雅を見ると、口の端を上げていて、揶揄しているのが明らかだったから、必死に笑いを堪えた。
「柊吾さん、どうなさいました?」
「柊吾さん、など、恐れ多いことにございますッ!」
「ですが、今世は加代子さんのお兄さんですし、今の私たちは身分差も主従関係もないわけですから。私の事も、どうぞ雅と呼んでください。」
雅がにこりとして言えば、柊吾は目を白黒させて「え、いや、そんな事は!?」と軽いパニックになる。それを隣で見ていた加代子は、小気味よさに、「ぷはっ」と吹き出すとそのまま「あはは」と声を立てて笑った。
「加代子・・・・・・。」
柊吾にギロリと睨まれると加代子は「雅、助けて」と雅の陰に隠れようとする。
「加代子さんの予想通りの反応でしたね。」
「あ、ちょっと、私のせいにしないで! 雅も面白がったんでしょう?」
雅に促せれて、柊吾は席に座ったものの、「二人して、おからかいになったのですか?」と憤然としている。
「少しだけね。私と乳兄弟の時はそこまで、気の置けない雰囲気は出ていなかっただろう?」
「当然です。母にそう躾られたのもありますが、私にとって、君はご自慢の兄でしたから。過去はどうあれ、今は不出来なそこの妹とは違います。」
「んなッ!? 酷いッ!」
加代子は目を三角にすると、ふいと柊吾から顔を背ける。雅は「本当に仲が良くて羨ましい」と言い出すから、二人して「どこが?」と口を揃えた。
「柊吾さん、《過去はどうあれ》と仰るなら、今は私とも身分差もなければ、主従関係でもないですよ?」
その言葉に加代子は勝ち誇った顔をし、柊吾が「ぐぬぬ」と言葉を詰まらせる。雅はくつくつと笑って「まみこさんともこんな感じですか?」と柊吾に訊ねた。
「真珠子ですか? あちらは年が離れてますからね。加代子ほど、口喧嘩になりませんね。」
「そうなのですか?」
「ああ、真珠子は誤魔化せましたか?」
「一応は。ですが、彼女が関係者か分からないと聞きました。」
「え、ええ。それを晴明に聞きに行っていたところ、呼び戻された具合です。」
それを聞くと、柊吾はアイスコーヒーを持ってきたお盆に余分に置かれている紙ナフキンを手にして、ジャケットの内ポケットからボールペンを取り出すと、《真珠子》と《霞織》と書き付ける。
「これが真珠子の漢字と、生まれた際にもうひとつ候補に上がった名前です。」
「霞に織る・・・・・・?」
「はい、それで、かおり、と読みます。」
雅は二つの名を見ると、途端に険しい表情になる。加代子は不安げに雅を見ると「どうしたの?」と訊ねた。
雅はどう返事をしたら良いものかと逡巡し、それから真珠子の落としていった赤いミシン糸をポケットから取り出して机に置いた。
「片糸を こなたかなたに 撚りかけて・・・・・・。」
雅は「まさか彼女が加代子さんのすぐ近くにいらっしゃるとは」と苦々しげに呟く。
「彼女は多紀理。運命の糸を操る方です。」
加代子と柊吾は顔を見合せた。