表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
龍吟の琴  作者: みなきら
プロローグ
1/34

波乱の幕開け

 日本ではかれこれ百二十年ほど、夫婦同姓を採用している。それに対して夫婦別姓を唱える人もいるが、子供の頃から母親が父親の苗字を名乗っていたこともあり、島崎 加代子は夫婦同姓であることに対してそこまで違和感を持っていなかった。


 しかし、それは「鈴木」とか「佐藤」とか、ありふれた苗字に変わるイメージであり、よもや「鷹司(たかつかさ)」と名乗れと言われる日が来るとは思ってなかったから、「鷹司 加代子」になると思うと、大層な苗字と自分の名前とのアンバランスさが気になってしまう。


「ねえ、雅。やっぱり《鷹司》って慣れないんだけど・・・・・・?」

「おや、お気に召しませんか? 《鷹司》は全国でも三十人余りしかいないと知って、途絶えてしまったら残念だなあと思ったのですが・・・・・・。」


 向かいの席でコーヒーサーバーから、ペアのマグにコーヒーを注ぎながら、「雅」と呼ばれた男は「それに鷹司(たかつかさの)大臣(おとど)と呼ばれていた時期もあるので、私は違和感がないんですよね」と話す。加代子が「そんな呼び名もあったの?」と聞くと、「ええ、京都の一条に住んでいたので一条殿とも呼ばれていましたよ」と雅は答えた。


 現在の日本において、結婚したら夫婦いずれかの姓に変わるのは一般的な話であるが、一見して新婚夫婦といった感じのこの二人が苗字を変えたのは少し事情が違う。雅がこれまで使っていた苗字は「時任(ときとう)」で、「鷹司」という苗字は追っ手から逃げる為に新たに使う事になったものだ。


 追っ手から逃げる為なら「名の方も変えた方がいいんじゃないか」と加代子は思ったのだが、雅は「普段の呼び名に使っている名前まで変えてしまうと、加代子さんに《雅》と呼んでもらえなくなるじゃないですか」と言って聞かなくて、任せていたら何だか豪勢な苗字になってしまったのだ。


「ほら、座って。コーヒー、冷めちゃいますよ?」


 そう言って、コーヒーの入ったマグを勧める雅は、その実、《人》ではない。


 彼は加代子の魂を狩りに来た《死神》で、その生前は「(みなもとの) 雅信(まさざね)」とかいう平安時代の人で、その頃から今までずうっと()()()いるらしい。しかも、その前は大国主命や八千矛神とも名高い「大己貴命」だと言うから、色々と規格外だ。


 それに二年も経てば、さすがの加代子も見慣れてきているものの、雅の容姿は「葦原色許男」の名も持っているくらいだから、惚れている点を差っ引いても美丈夫で、その黒曜石のような瞳に見つめられると、自分を含めて大抵の人は目が逸らせなくなるのではないかと思われる。


 加代子は雅に促されて、真新しいダイニングチェアに腰掛けると、「ありがとう」と雅からマグを受け取った。


 ここは東京某所のマンションの一室。


 部屋の中は真新しい家具ばかりで、モデルルームか何かのように生活感が薄い。


「ぜーんぶ新調しちゃって、大丈夫だったの?」


 加代子が心配して聞けば、株や証券、不動産投資などを運用しているらしく、雅は「多少、放っておいてもお金がお金を呼ぶ状態になっていますから大丈夫ですよ」と笑って話す。


「そもそも()()のお金なのかも心配なんだけど・・・・・・。」


 加代子が「時間が経つと木の葉に変わるとか無い?」と心配すると、「ちゃんと()()のお金ですよ」と楽しげに笑う。


「納税ももちろんありますが、その辺りは()()()に開示してない名前でちゃんと納税していますので。」

「まだ、名前があるの――?」

「ええ、こうなる事を見越して、二年前に名義を変えておいたのです。現世では同じ名で持つと不審がられますから。」

「この家を借りた時も思ったけど、住民票とかどうやったの・・・・・・?」

「それは純真な加代子さんにはお伝えしにくい内容ですね。」


 そう言ってにっこりとする雅の様子に、「さすがに公文書偽造になるんじゃ」と聞きたくなる。けれど、これ以上聞いても彼の底知れなさが明らかになるだけな気もして、加代子はそれ以上の事を聞くのを諦めた。


「大丈夫ですよ。この容姿のおかげもあって、《普段は芸名を使ってるんです》と添えれば、おおよそが片付きます。」

「いや、私、芸能人でもなんでもないんだけど。」

「堂々としてれば、意外と不審がられないって事ですよ。」


 確かに一見すれば新婚夫婦といった雰囲気の二人だから、大人しくしていれば不審がられることはないだろう。


 とはいえ、「似た者夫婦」と言う言葉がある通り、加代子も「この夫にしてこの妻有り」と言われるくらいには自分がイレギュラーな存在だと最近は自覚し始めていた。


()()に住むって言うから、どうなるかと思ってたけど・・・・・・。よく素戔嗚尊(おもう様)が許してくれたね。」


 加代子の前世は、素戔嗚尊の愛娘であり、記紀に語り継がれるほど大恋愛の末、大己貴命に嫁いだ「須勢理毘売(すせりびめ)」だ。


 コーヒーを飲もうとしていた雅の手が止まる。そして、「実は、()()()完全には許してもらってないんですよね」とため息混じりに話した。


「以前、貴女を連れて逃げ出した時と同じ様に、皆様に協力してもらって、寄って(たか)って説得はしてもらったんですけど・・・・・・。」

「そうなの?」

「最終的に《三界の平定》と、色々片付いた後、《定期的に根の堅洲国に顔を見せに行く》事でご納得くださったようですし・・・・・・。」


 雅は「強制的に離縁と言われなくて良かった」と笑ったが、加代子は「《三界の平定》を了承する方もする方だけど」と苦笑いした。


 それでもこうして向かい合ってコーヒーを飲んでいると、ふと初めて会った時のような感覚になる。


「雅ってば、本当に肝が据わっているよね・・・・・・。」

「それは褒めてくれてるんですか?」

「どっしりと構えててくれるから、こんな毎日でも何とかなってる気がするし。」


 誰もが畏れる素戔嗚尊にも物怖じせずに渡り合うだなんて、思い出してみても大己貴命くらいしかいないようにも思える。


「あの時は雅とこんな風に過ごす日が来るなんて思ってなかったけど・・・・・・。」


 加代子として雅と初めて会った日――。


 加代子の日常は、あの日から一変した。


 現世、すなわち葦原中国以外にも別の世界があると知ったのは丁度その時だ。


 天照大神達の治める高天原、月読命の治める夜の食国(おわすくに)、素戔嗚尊の治める根の堅洲国、伊邪那美命の治める黄泉の国。そして、その複数の世界を支える中核にある《心の太柱》の中にあるという幽世(かくりよ)


 加代子はよもやその《心の太柱》の人柱として、自分が狙われるなど思いもよらなかった。


「ねえ、こうして新婚生活してるのも()()――?」

「そうですね。()()かもしれませんが・・・・・・、正直、イレギュラー続きで、毎回、暗中模索してますよ?」


 雅はそう言うと「《運命の書》など、全く役に立たない事態ですからね」と、静かにコーヒーカップを置いた。


 それでもこの二年余りで分かったことは、自分と雅との間はかなり強力で頑丈な運命の赤い糸で結ばれていて、何度切られても結び直して、こうして過ごしているということだった。


 ある時は人の子として、ある時は国津神として、ある時は黎明期の神として――。


「それで、これからどうするの?」

「まずは《龍穴》を封じた《籠目の封印》を解きます。」

「《籠目の封印》?」

「ええ、高天原が施した封印です。《龍穴》を開けば天照大神の力をこれ以上削がれますから、博打ではありますが、世界を支える《心の太柱》が倒れてしまっては元も子もありませんからね。」


 ある国では世界樹(ユドグラシル)とも呼ばれる《心の太柱》が折れてしまえば、世界は劫火に包まれ、空はその焔に黄昏れる。世界の黄昏(ラグナロク)とも、大峠とも呼ばれるそれは、高天原も雅たちも避けたい事態だと話す。


「正直、どんな被害が出るのかピンと来ないんだけど、それを防ぐのに《籠目の封印》を解けば何とかなるものなの?」

「さあ、それは分かりません・・・・・・。高皇産霊神も、だからこそ確実に《心の太柱》を支える方法として、新たな天疎向津媛として貴女を立てるつもりなのです。」


 龍の宝玉を盗み出し、賢木を撞き、今の《心の太柱》を生み出したように。


「《大峠》が起これば、神も人も獣も関係ありません。生きとし生けるもの、全てが滅びます。」

「生きとし生けるもの、全て――?」


 加代子は絶句し、表情を強ばらせる。その凍りついた表情を見ると雅は席を立ち、手を伸ばすと加代子の頬に触れた。


「だからと言って、加代子さんが犠牲になる必要は無いんですよ?」


 そして、厳しい表情で「決して高皇産霊神の甘言に耳を貸さないでください」と話す。


「高天原も必死です。貴女を神籬(ひもろぎ)とする為ならば、ありとあらゆる手段を使ってくるでしょう。」


 頬に宛てがわれた手が離れてゆく。


「高皇産霊神は貴女の()()()()()を奪っていますから、加代子さんも充分に気を付けて。」


 そう言うと「調べ物がありますので」と、雅はキッチンを後にする。加代子はその後ろ姿が見えなくなるまで目で追った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ