自由という苦痛
たいした長さじゃないので水増ししたい。悪い文章の見本だと思う。ただなんていうのだろうか、自分の中で面白いものが書きたい。それは今の時流の短く分かりやすい文章じゃないと思う。その逆で読み応えみたいなものになる。私は何故書くのか?の動機がとても大事だと思ってる。そこにやっぱり共感して欲しい。
動機は一つの狭い事象を極めることによって、それを広い事象に敷衍するためになる。本当は広く深く知る事は重要だけど、有限の人間にとってそれは合理的な選択じゃない。こういった私の哲学の披露も重要な動機になってる。それタイトルに対して脱線的で悪いのじゃないのか?ならそういう意味では悪いと思う。
ただ抽象的な哲学の披露より具体的な何かに混ぜて話すほうが面白いからになる。創作論に完結するなら多分私のテーマじゃない。私はもっと敷衍するような話題ばかりにしている。それは私の関心が物語に無いからになる。悪い意味では物語の道具化になる。目的動機は別にある。ただそこで薄っぺらだと面白くない。その点は悪い意味になってない。
たまたま私に話せるレベルのものが物語しか無いだけになる。それだけ私が徒手空拳で知識経験の武器が無いとなる。なんでこんな事語るか?と言うと、今回文章量が少ないので、一度まとめて書いておきたかったからになる。もっと突っ込むと私は物語が特に好きじゃないし、関心も薄いんだと思う。でなけりゃ私は一貫してライト層の立場で語るのがおかしいと思うはずである。
何故マニアックな視点もあるのに、一貫してライト層の立場なのか?ミイラ取りがミイラにならないのは、私は特に物語にも小説にも関心が薄いからになる。たまたま材料として豊富な経験知識考えがあるのが物語だからに過ぎない。そこをファンとして共感で誤解されたくない。冷たく軽蔑してもらって構わない。もっと言えば私はオタクじゃないんだ。
一貫して私はオタクじゃないと言ってるのはここにある。冷めてるんだ。昔からじゃない、アニメにもう昔ほどの面白さを感じてない。でもそれが重要だと逆に思えなくなったからになる。漫画がそれに当たる、漫画ってもっと気軽な楽しみでしょ?それは究極の様な強い刺激じゃなくて良い。ただの雑多な選択される娯楽の1つに過ぎない。
だがその軽さを語る人って居ないんだ。これ不味いんじゃないの?って見てる。オタクってそういう意味で特殊だし、漫画アニメをただ触れるだけでオタクにはならない。そういった視点のディープな漫画アニメ論が無かったんだ。それ矛盾じゃない?だから動機=強い感情は別にあると書いてる。
ずっと書いてきた無料と有料の違い。だがこれ安易に同一視してはならないと書いたがちゃんと共通点もある。相違点とは共通点と違う点両方を指す。共通点も書いてきた。ただ違う点を強調しすぎて埋もれてるんじゃないか?と見てて、そこを重点的に捉えたほうが良いと思ってる。
違う点はズット書いてきたが、無料と有料って単純じゃなくて、値段がキーになってる点で、それが無料に近づいていく事で内容も変わってくると書いた。何故アニメのBDは漫画などの単行本の売上げに比例し無いのか?のキーがここにある。じゃなろうの無料なんて有料について学ぶ時、意味が無いんじゃないか?となる。
すでに値段で性質が全く異なるからになる。それを繋ぐ1元化の方法が実はある。ただ大きく分けるとまずは有料と無料に分けて、1作品の値段で見ると良いと書いた。ちなみにこれは、密度にしてはいけない。例えば、映画は良く売れるがTVアニメは売れにくい。何故か?最低1シーズンを全部買うと映画の何倍もするのに、映像は映画の方が良いからになる。
その分長いから良いでしょ?そうはならない。単純にそこは密度じゃなくて、金額の大小で決まってしまう。映画はライト層も多く買うんだ。BDビジネスとは何か?と端的に答えると、多数派=ライト層の経済的な合理性の下になりたってないとなる。うわこれやばいんじゃない?となる。
そうやばいんだ。BDを変え買えと馬鹿みたいにブラックアニメ企業を改善しようと言う人が多いが、まともな金銭感覚を持っていたらあれは買わないのが映画で現れてるんだ。密度じゃなくて金額で見ないのは、ノーマルな経済的合理性が壊れてる部分があるんだ。んまー趣味ってそういうものなんだけどね。
だがそれをまともに考えたら助けるべきだとか考えるのは間違ってるんだ。まともな多数派は今までどおり、このイカレタビジネスモデルに付き合わなくて良い。
これが無料を浮かせてしまう理由になる。ここで大胆な見方を教える。無料と有料を繋ぐものは人気だ。これには金額の大小というもので一元化可能だ。無料は実はそれ以下が存在する。人気は作る側がお金を払ってやっと0に向っていく。それが宣伝というものなんだ。無料で人気を得るためには口コミ以外必ずコストが掛かっている。
それゆえに無料の人気は有料の人気を知る一つの材料足りえる。これを知らない人が多すぎる。もちろん値段による購買層の行動の違いをしった上でになる。
無料だからできの悪いものでも人気になってるのじゃないの?というシンプルな結論は間違っている。人はタダでも関わりたくないものとは距離を置く。作品の金額の背景には、それに関わる人気のための宣伝と言う作る側のコストが無視されている。これはTVも同じとなる。受け手にとっての作品の金額が値段と人気が最低ラインじゃないんだ。
それゆえに無料の人気はある程度金額が安いものに限るが有料の人気を知る上で意味がある。子供じゃないんだから、自分の時間をどう使うか?で大人には金銭以上の重要性があるわけだ。金額の大小だけに帰結するのは扶養者である幼稚なガキの経済原理に過ぎない。
前置きくそなげーっとなるが、ここからが本題。何故改善案なのか?ライト層=多数派=アザーな人々=無党派は作品の選択肢が広いのを嫌うんだ。これがランキングの重要性の正体になる。逆にマニアやヘビー層は、選択肢が多くて能動的に選択できる上京を好む。この原理を解き明かすと時間と関わる手間に帰結する。
テンプレ批判がどうして不毛なのか?がここにあるんだ。改善案は、この2つは分けるべきだと言う点を言いたいためだ。省略しすぎ?論理的帰結で、選択肢が少ない=テンプレ化するでしょ?になる。