幕間Ⅰ
「それじゃ、また今度なー。次はあの馬鹿にも来いって言っておいてくれ!」
上がり切ったテンションのまま彼は終電に乗り込んだ友人たちを見送った。
駅を出ると辺りは無人でタクシーの一つも止まっていなかった。外灯の明かりだけのまるで静止画のような動きのない空間。
「あれーー?」
時刻はまだ零時を回ったばかりで夜はこれからだというのに。ちょうど出払っているのだろうか。
珍しい、こんなこともあるのかと思いつつ何の気まぐれか彼は歩いて帰ることにした。
なに、家は近いし酔い覚ましにいい距離なのだ。
◇ ◇ ◇
冬の肌に張り付く空気が酔った思考をクリーンにしていく。
久しぶりに会った友人たちと呑む酒は格別に美味く最高に楽しかった。最近、妻と離婚して人生どん底の彼を励まそうと忙しい中、友人たちがこうして集まってくれたのだ。
本当にありがたい。本当に恵まれている。
久しい間怒ることはあれど、感謝などしたことのなかった彼だったが今は心の底から人との繋がりの大切さを実感していた。
思えば妻には結婚してから仕事の忙しさにかまけて何もしていなかった。結婚記念日も、誕生日にも何もだ。きっと心のどこかで彼女ならわかってくれるという甘えがあったに違いない。
今なら自分が振られても仕方のないろくでなしであることが理解できる。
「ああーー!本当に俺ってやつは最低のクソ野郎だぁああ」
誰もいない夜道で叫ぶ。
近所迷惑もいいところだが今日くらいは勘弁して欲しい。明日からは心を入れ替えて生きていくのだから。
「――っ」
不意に路地裏から声のような音が聞こえてきた。いや。それは声というより悲鳴に近いものだった。
「ん?誰かいるんですかー」
彼は立ち止まり路地裏を覗き込む。
そこは明かりのない完全な闇。唯一の頼みの綱である月も厚い雲に隠れてしまっている。
「――てっ」
それは「たすけて」と聞こえたような気がした。気付けば酔いは完璧に覚めている。
彼は冷静にスマートフォンを取り出して警察に電話をかけようとして――魔が刺した。正確には出しゃばった。
そう。助けてから警察を呼んでも遅くないのではないかとそう思ったのだ。
もしかすると人に優しくされたため情に絆されたのかもしれない。
彼は暗闇に足を踏み入れる。
明かりがないのでスマートフォンで照らしながら前に進む。
路地裏は人がギリギリ一人通れるかどうかの狭さ。
「大丈夫ですかーー」
聞こえるように声を出す。けれどさっきまで聞こえていた声は聴こえない。
そして代わりに聞こえたのはじゃらじゃらとなにかを引き摺るような音。
怖いと思う気持ちを押し殺し彼は歩く。
そして――
「あ」
情けない声と共に終点に辿り着いた。
そこは完全な行き止まりでコンクリートで出来た無骨な壁が聳えたっていて。
その灰色の壁に浮かび上がる黒い染みともたれ掛かるように倒れる顔のない身体。
先ほど切られたばかりなのか首からは壊れた蛇口のように赤い液体が零れている。
「ああああああああ!!!!やばいやばいやばいやば」
我に返った彼は踵を返しきた道を戻ろうとして脚に何かがぶつかり盛大に転んだ。
恐怖の余り脚がもつれてしまったのだろうか。
理由はともあれ一刻も早くここから抜け出さなくてはならない。
そう思い彼は両手で身体を支え立ち上がろうとする。
けれど――
「な、なんで!!!????」
立ち上がれない。力が入らないというよりまるで――
恐る恐る視線を動かす。
そしてそこにはあるべきはずのものはなくどくどくと太股の付け根から赤い液体を零している。
「ああああああああああああああああああ!!!!!!」
必死に探す。けれど、近くにそれらしきものはない。
「何で!何で、ないんだ。俺の脚がない!!!!」
そうしている間にも彼の身体から血液は流れていく。
やがて意識は薄れ始めて訳がわからくなった。
いつ自分の脚が無くなったのかがわからない。わからないわからないわからないわからないわからないわから。
× × ×
ジャラ――。
その音は路地裏の入口から響いてきた。それは身体の至る所に鎖を巻き付けた奇妙な存在だった。
そして動かなくなった男の前に立ち
「アリガトウ。貴方ノ右脚、イダダキマス」
にっこりと口端を釣り上げてそう微笑んだ。