1-4 元怠惰なる真祖 リーラ・リーベ
「お疲れ様です。お先に失礼します」
形だけの挨拶を済ませバイト先であるタイマーという名の祓魔師御用達の雑貨屋を出ると外は完全な闇。おまけに周りは森に囲まれているので風が吹くと不気味さ満載である。
いつもはもう二時間ほど早く上がれるのだが、今日から棚卸を行っていたため人手が足りず最後まで残らなければならなかったのだ。
タイマーは住宅街から離れた田園地帯に人気を避けるようにこぢんまりと建っている。一階建ての今にも崩れそうなぼろ屋敷で耐久度が心配になる外観なんで超目立つ。
いい加減改修しろと思うのだが店長が今の外観を気に入っている……というか極度の貧乏性のためそんな話にはならないのだそうだ。恐らく倒壊するまで建て直さないんじゃないだろうか。
建っているんだからそれでいいだろうって本当、どういう神経してんだろう。
瀬那さんにここのバイトを紹介されもうすぐ半年になる。
半年も働いていると仕事内容も覚え色々と任されることも多くなっていく。だが仕事を覚えたと言っても客が全く来ないから他の店舗に比べると圧倒的に暇。
レジ打ちなんてここ数日した記憶がないし誰かがやっていたのも見ていない。とはいえ店内に陳列されている商品のほとんどがここらじゃまず手に入らない貴重な儀式素材ばかりなので祓魔師が一か月に一人ないし二人は来店して大量に買い込んでいくのだ。
護符の登場により本来なら儀式の必要な祓魔術がお手軽に使用できるようになったため、昔ほど利用客はいないがそれでも頑固な爺さん連中には重宝されているらしい。
なので需要が全くない訳ではないのだが、かと言ってそこまで必要なのかは分からない。おまけにちゃんと売り上げはあるのかといった疑問は残るが今のところ遅れることなく給料は払い込まれているので些末な問題である。
そんなつまらない事を考えながら通い慣れた帰路に就く。肌に張り付く鋭い寒さは未だ健在だ。
一か月前までは値切りに値切って八千円で購入した自転車を使っていたが、不幸な事件のせいで大破してしまった。そのため五キロもある道のりを寒さに震えながら歩いて帰らなければならない。
二十分ほど歩き田園地帯を抜けるとちらほらと文明の光を拝むことができる。風景も田んぼから住宅街へと移り変わりちょっとした時代の移り変わりを実感する。
そして辺りは住宅街へ。俺の横を法定速度プラス十増しで、やかましい駆動音を響かせながら走り去る赤い乗用車。いくら人気がないからといっても危ないことこの上ない。
毎度思うが閑静な住宅街は街灯くらいしかなく殺風景に過ぎると思う。
立ち並ぶ家を見ても既に電気が点いていない家もありそれがシャッター街を連想させ寂しくなる。これも空き家が多いからなのだろうか。大災害以降日に日に増えている気がする。田舎町だから余計にひどく感じてるだけかもしれないけど。
錆びれた風景を見てもつまらないので空を見上げると十三夜月。そして月を中心に広がるように星たちが煌めいている。若干雲が出ていたが充分に夜空を堪能することが出来た。
とても綺麗だ。こんなにも綺麗に見えるのは田舎くらいだろう。星には詳しくないがそれでもこの美しさは得難いものだと思える。そこだけは田舎町のいいところ。
ふと昼休みの碧波との会話が蘇る。祓魔師、監視官、姫野宮大災害――
全くこの手の話は思い出すだけでしんどくなる。その中でも一番しんどいのは碧波由奈という名前の祓魔師のことだ。
碧波由奈。猪上麗華の後任として派遣された祓魔協会の監視官。
ここにきて監察官が変わるのは想定外だった。これではこれまでのように自由に動けなくなる。
そういえば猪上麗華が監察官に着任した当時は四六時中、つけ回して来ていたけど碧波は近くにいないようだ。
そんなことを空を仰ぎ考えているとコンビニの抗いがたい光が目に入る。暗闇の中でコンビニの明かり見つけると安堵してしまうのはなんでだろう。
まあいいや。ちょうど腹も減ったし晩飯でも買うことにしよう。つっても絶賛金欠中なので今日はおにぎり二つしか買えないけど。お腹いっぱいご飯が食べたい所だが自転車を買うために我慢しなくてはならない。通勤に一時間も掛かるとか正直割に合わないのだ。
そう思いつつ意気揚々とコンビニに入りちょっと漫画でも読んでいこうと思い――戦慄した。
開いた口が塞がらなかった。ええ。何でいるの、お前。
眼前には雑誌コーナーで少年誌を読み耽っている金髪に金色ジャージの女。しかも外人さんばりの高身長。胸が豊満すぎるせいでジャージがミシミシと悲鳴をあげている。
うーん、超目立つ。目立つったら目立つ。
インパクトが凄すぎてハリウッド女優がお忍びで遊びに来たって言っても信じるレベル。店員さんも気になるのかチラ見してるし。
とんだ業務妨害だな、これ。
まあでも。三十代っぽい金髪の外国人風の女性が金色ジャージを着こんで雑誌を立ち読みしてたらどんな人でも一回は振り向くだろうけど。つってもこいつはどれだけ人間に似てよう二が百年近く生きている化け物には違いない。
怠惰なる真祖。
リーラ・リーベ。
この街で行方知れずとなった≪黒炎姫≫を探して一年半前にこの街を訪れた挙句、自分で探すのは面倒臭いという身勝手な理由で少女を洗脳し人形に仕立てあげた人ならざる者。少年少女一斉行方不明事件の真犯人である。
姫野宮支部の所長と瀬那さんの手によって打倒され、悪魔に喰われた鬼の絞り滓。
今や使い魔にまで身と落とした純血種の元吸血鬼である。ちなみに吸血鬼は影ができないと言われているが、目の前にいるこの元真祖、普通に影があるので見た目だけで吸血鬼だと見抜くことはほぼ不可能に近い。
とはいえ本来こんな風に少年漫画を呑気に読めるような立場にはないはずだが……。つーか許してねえぞ。
などと。苛立ちながらリラを睨んでいると目が合った。
「おお、やっと来たか。待ちわびたぞ」
「――」
いや、待ち合わせなんてしてねーから。後、何でそんない尊大なんだよ。
「ん?聞こえておらぬのか?ふむ。仕方ないのぅ。もっと大声をださねばならなんようじゃの。だがしかし妾は喉が弱い。ここは一つこれを使うことにしよう」
そう言って地面に置いているバッグから何かを取り出した。
……なんで拡声器なんて持ち歩いてるんだよ。つーか、そんなものをここで使うな。普通に迷惑だろうが。
「――――何してんのお前。つーかあの胸元が開けまくってた紅いドレスはどうしたよ」
「何だ。聞こえておったのか。ならばさっさと返事をせぇ。妾に余計な手間を取らせるでない」
「無視すんな。俺の質問に答えろ。リラ」
口を尖らせ精一杯の負感情を表すがこの怠惰の真祖様は全く気にする素振りも見せない。むしろ快活に笑ってやがる。
「フハハハ。相変わらず器の小さい奴よのぉ。紅いドレスは飽きたのでなイメチェンというやつをしてみた」
そう言ってパタンと雑誌を閉じるリラ
イメチェンてお前。だからといってなんでジャージなんだよ。
そんなことが頭を過ったがもちろん口には出さず喉に押しとどめる。
「まあ、それは別にいいんだけど。リラ、お前何で外に出てんの?」
「それはもちろん、お主に話しておかねばならないことがあるからじゃ」
相変わらずの尊大な口調でそう言うリラ。心なしか、周りの目が物凄く軽蔑しているような気がして心がすごく痛かった。
◇
結局目的のおにぎりも買えず先導するリラの後を追って夜道を歩く。いや、買おうと思えば買えたのだがあんな注目を浴びたまま買い物をするクソ度胸は俺にはない。
とはいえすれ違う人が必ずと言っていいほど振り返ってるのであまり変わらないかもしれない。
「なあ、リラ。用があるなら家でもいいんじゃないのか?人目が気になってしかたねえ」
只今の時刻は十時前。
ちらほらとガラの悪い輩がたむろしているのが見えるがまだ塾帰りの健全な高校生が歩いている時間帯。一時間も経てば残業帰りのサラリーマンだったり、やんちゃな若者ばかりになるけど。
「妾は別にそれでも良いが困るのはお主であるぞ。まだ寒さが続くというのに宿なしにはなりたくないだろう?」
「……」
――どういう意味だよ。なんで家がなくなる前提で話してんだよ。俺はテロリストか何かに狙われているのか。
そんなことを思いながらリラについていく。十分ほど歩いてようやく着いたのは人気のない公園。外灯が一本だけしかなく真っ当な人間なら夜に近づこうとは思わないだろう。
外灯の下にはベンチがあり、その前にジャングルジムがあるが、その他には遊具と呼べるものはない。
もちろん誰もいないし臭いもない。リラはベンチまで歩きそして座る。俺もそれに倣い隣に座ることにした。
「さて。望み通り話をしようかの」
リラの口が開く。
別に俺は望んだわけじゃないが……。まあしかし、無視する訳にはいかないし、何も聞かずに家がなくなるよりは遥かにマシである。
「そうだな。それじゃあ簡潔に頼む」
「うむ。承った。では簡潔に話すとしようかの――。この街で何やら良くないものが蠢いておる」
リラは静かにそう呟いた。
先ほどまでの自由な雰囲気は鳴りを潜め、神妙さがある。こいつが真面目モードになるのは一か月前の怠惰の眷属が姫野宮に訪れた時以来なので嫌な予感がする。
「良くないもの?何だそれ。そいつは魔族なのか」
良くないものの正体を問う。
しかし、リラは長い金色の髪を揺らしながら首を振った。
「さての。お主には悪いがそれがよく分からんのじゃ。詳しいことは妾の力が弱まり過ぎていることもあって判断できんが。わかるのはあの気配は近い内に人を殺すということじゃの」
「それは間違いないのか」
「恐らくの。ほぼ確実と言ってもいい」
月を見上げながらリラはそう口にして目の前にあるジャングルジムまで飛び移る。体操選手みたいな見事な着地だった。
「そうか。ちなみに訊くがそいつがいつごろからいるかわかるか」
「詳しくはわからんが、はっきりと存在を知覚できるようになったのは三日前じゃな。お前様が墓地に行ったあの日からよ」
「なるほどね……」
どうしてそんな奴がこの街に現れたのかはさっぱりわからないが関わらない方が良さそうだ。最強と謳われた元真祖が良くないものだと言うくらいだし。
「まあ、何にせよ。この街で何かが起ころうとしておる。もし関わりたくないんじゃったら今日みたいに夜出歩かんことじゃ」
確かにそれが一番いいだろう。
「――そうか。わかった。一応心に留めておくよ。これで話は終わりか?」
「終わり……と言いたいところじゃが案の定、終わりではなくなったの」
突然訳のわからないことを言い始めたリラに俺は純粋に首を傾げる。
そういえば道中、家がなくなるみたいなこと言ってたけどどういう意味なのだろう。この程度の話ならクソ寒いのにわざわざ別に公園でしなくてもよかったんじゃねーの。
「なあ――」
などと。本気でそう思い始めた矢先、嗅いだことのある悪臭が鼻孔に直撃して――
身構える余地も何もなく無数の鋭利な何かが俺に叩き付けられた。
喪失する身体の感覚。激流のように流れていく体液を実感し――
意識は昏い底に落ちていく。無情にも強制的に暗転したのだった。