1-3 昼休み 屋上で
昼休み。
俺は諒子ちゃんの呼び出しをばっくれて閉鎖された屋上で昼食を食べていた。いつもと同じ購買部で買った焼きそばパン。
そろそろ飽きてきたな……。
本来はそれなりに温かい教室で食べたい所だけどクラス内ヒエラルキーの頂点に君臨する二咲楓がいるのでそれは無理。彼女がいるとおちおち昼飯も食べられないし、普通に居ずらいのだ。
――ガチャリ。
「あ、いたいた。やっと見つけたー。皆白先生怒ってましたよ」
扉の開く音と同時に響く声。
どうやって俺の居場所を知ったのか転校生、えーと……碧波が平然と現れた。ちなみに皆白先生というのは諒子ちゃんのことである。皆白諒子。二十九歳。同期の池田先生が先日、ご結婚されたので更に焦っているアラウンドサーティー。
「何でここに来るんだよ。立ち入り禁止だぞ」
「それはお互いさまでしょ。それに鍵開いてましたし」
……確かにその通りである。正論過ぎる。
碧波は俺の横に遠慮することなく腰掛ける。そして手に持っている袋からお好み焼きパン、たこ焼きパン、オムレツパンといった見るからにゲテモノの数々を臆面もなく取り出した。
なんじゃありゃ……。
見ただけでわかるわ。絶対不味いだろ。
お好み焼きパンならまだわかるが、まさか食べるつもりなのかだろうか。気になって声をかける。
「――それ食べるのか」
「え?そうですよ?パンにそれ以外の用途ってないでしょう?赤塚君っておかしなこと言うんですね」
心底不思議そうな顔をされた。確かにそうなのだが、普通に……イラッとした。
どうやらこいつの舌は特殊のようなので何も言わないでおこう。
以降、二人そろって黙々と昼食を齧る。わざわざこんな寒い所で飯を食わんでもいいだろうに。話があるならさっさとして欲しいので俺から振ってやることにする。
「碧波、お前祓魔師だろ。つーか、猪上の後任か?」
「なっ!んのことですか」
動揺したのか碧波はパンを喉に詰まらせる。
隠し事下手かよ。
「隠したって無駄だぞ。俺には誰が祓魔師なのかってことがわかるんだ」
そう。これが二年前の大災害で俺が手に入れた暴食の聖具の能力の一つだ。祓魔師、魔族の存在を臭いによって知覚することができる。
全く便利なのかどうか判りづらい能力だが、こういう時は確かに便利である。
碧波は観念したようにため息をついて、顔を上げる。
「まさかとは思ってたけど、本当にわかるんですね。正直驚きました」
「何だ、知ってたのか」
「ええ、まあ。実際に体感するまでは信じてなかったですけどね」
力のない笑いを浮かべながら碧波は首を振った。そして、
「私は祓魔協会から派遣された監察官です。赤塚晃成君。暴食の聖具の適応者であり真祖を使い魔にした貴方の監視の為に参りました」
そう力強く言う碧波由奈。どこかで聞いたことのある台詞だ。
「わざわざ遠いとこからお疲れさん。それで猪上麗華はどうしたんだ?傷の調子、良くないのか」
「――れい姉は昏睡状態です。目を覚ますのはいつになるのかわかりません」
「そう、か……。まさかとは思ったが、猪上の奴本当にリタイアしちまったのか」
「リタイア?」
「あ、いや何でもねえ。忘れてくれ。それで俺が監視される理由は捕食者であることと真祖を使い魔にしたことでオーケー?」
「――はい。その通りです」
真っ直ぐと俺を見て碧波はそう告げる。碧い芯の通った意思の強い瞳。
「そうか。だったらまあ、よろしく頼むわ」
「あの……すんなり受け入れ過ぎじゃないですか?普通もっと嫌がると思うんですけど」
「そうか?まあでも、猪上の時に抵抗しても無駄ってことは経験して無駄だと悟ったからな。どうせ今回もダメだろ」
そう言って一口大になった焼きそばパンを放り込む。
碧波がそういうものでしょうかと困惑しながら言うのでそういうもんだろと返しておく。
そう。人間諦めが大切である。妥協できることなら早々に諦めて、別の事にエネルギーを割いた方が実に効率的で生産的だ。
妥協九十パーセント、貫徹十パーセントぐらいの方が丁度いい。
常に全力で突っ走ってる奴なんて人間じゃない。機械仕掛けの唐栗人形である。まあ、中には常に全力で駆け抜けている人間もいるにはいるが、そういう奴らは大抵悪魔に何かを売ってドーピングしているのであまり意識しない方がいい。
少し話がずれたような気がするが俺の言いたいことは要するにいい感じに手を抜いて生きろということだ。
◇ ◇ ◇
昼食を食べ終え冷え始めた缶コーヒーで喉を潤していると碧波に遠慮気味に話しかけられた。
「赤塚君、訊きたいことがあるんですけどいいですか」
「――なんだ」
「休み時間のあれってどういうことですか」
記憶を手繰る。
休み時間のあれというのは二咲とのやりとりを言ってのだろう。
「――それがどうしたよ」
「いえ。どういう意味なのかなって。赤塚君は人殺しって二咲さんが言ってたのが気になりまして」
「――そりゃ気になるとは思うけど別に本人に訊かなくてもいいだろ……。誰でも知ってることだし。まあ、別にいいけどさ」
少し皮肉交じりに言うと碧波は、誰でも知っているなら本人に訊いた方が早いと返してきた。
……言われてみれば確かにそうだ。
仕方なく俺はため息をついてから答えてやることにする。
「姫野宮大災害って知ってるか」
「――もちろん知っています。祓魔師であの災害を知らない者はいませんよ。姫野宮市の煌坂ヒルズで引き起こされた大規模災害。犯人は正体不明の真祖で、その権能である黒炎によって住人は灰となり、真祖の討伐を試みた祓魔師もまた灰となった。雪下咲奈の禁術によって事態は収束しましたがヒルズ一体の住人が忽然と姿を消すことになった」
死者を悼むように目を伏せて碧波はそう言った。ほとんど正解の一般人には隠された真実。あの大災害以前からこの街に住んでいる人にとって姫野宮大災害は癒えない傷そのものだ。友人を、家族を、恋人を原因不明の大災害によって奪われたのだから。
その怒りはいったいどこにぶつければいいのか。父親と妹、そして大切な人を奪われた怒りと悲しみは今も発散されることなく胸の裡に燻っている。
「そうだ。そして俺は災害時にヒルズにいた唯一の生き残りで二咲の姉ちゃんはお隣さんだった。苗字は迦条に変わってたけど」
「――」
相槌はないが続きを話すことにする。
「まあ、俺は二咲の姉ちゃんの……つまりは迦条さん家の奥さんの死に際に行き会った。そして俺は遺言と遺品を預かった。だから俺は退院するとすぐに二咲の元へ遺品と遺言を届けに行った。けど――」
そこで言葉が詰まった。思えばこのことを誰かに話すのはこれが初めてだったかもしれない。侑李にも瀬那さんにも誰にも言えなかったから。
「二咲は俺を人殺しと罵った。遺言を聞いている暇があるんだったらどうして助けないのよって、子供の癇癪みたいに泣き喚いてな……。二咲の爺さん婆さんもそれを止めようとはしなかった。だから、俺はあの時からずっと人殺しのままなんだ」
自分で初めて言葉にする人殺しの由来はずっしりとした重みがある。
「――そんなの只の言いがかりじゃないですか。それなのにどうして赤塚君は弁明しないんですか」
「そんな簡単なことじゃねーよ。実際、あの災害時ヒルズにいて生き残ったのは俺だけだ。それは普通に考えておかしいだろ。二咲以外は何も言わないがみんな思ってるに違いない。それに――」
「それに?」
思わず言わなくてもいいことが飛び出しかけた。浮かび上がる女性の微笑み。
「――いや、何でもない。忘れてくれ。兎に角、これで全部だ。これでいいか?」
「あ……はい」
丁度、五限の始まりを知らせるチャイムが鳴る。続けてばっくれるつもりだったけどそういう気分じゃなくなったので教室に戻ることにする。
見上げれば青空。けれど俺の心はずっと曇天模様のまま晴れることはない。
× × ×
由奈は五限目の始まりを報せるチャイムを聞きながら屋上から去る晃成を見送った後、空を仰ぎ大きく息を吐いた。
「想像していたのと全然違う……」
いくつか事前に得ていた情報と一致する部分もあったが、総合的に見ると彼がそう悪い人間に見えなかった。少なくとも残虐性はないと由奈は思う。
「彼は本当にれい姉に怪我を負わせたの?もう少し様子を見るか」
その声は誰にも届かず、そして消えていった。