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1-3 複雑な街

 正門前――

 そこはまだ花を咲かせることのない桜の木が並んでいる。その袂にはお行儀良く佇む制服を着た白髪の少女の姿がある。

 これが満開の枝垂桜の下ならば幽霊と見紛いそうだ。それくらい碧波の存在は浮いていて、不思議な魅力がある。


 「遅かったですね。稲瀬さんとのお話はそんなに楽しかったですか?」


 …………。

 俺の顔を見るなり淡々とした口調でそう告げる碧波。

 どうやら使い魔を通して俺が遅くなった理由を知っているようだった。しかし、どうしてだろう。言い方に棘があるような気がするんだが。


 「楽しいってそんないい話じゃなかったよ」


 「そうなんですか。ちなみにですけどどんな話だったんですか?」


 歩きながら問い質してくる。どうやら音声までは拾えていないようだ。となれば、監視官である以上俺がどんな話をしていたのかは気になるところなのだろう。

 しかし――この話を碧波に言ってもいいのだろうか。出来れば今回の件は俺一人で解決したいと思っている。もちろん瀬那さんにも打ち明けるつもりもない。確かにあの人で相談すれば一発で解決するだろうが……。

 けれどその解決は、魔族側の死を意味するのだ。俺としては今はまだその魔族を殺すことは考えていない。理由はその魔族が人を殺したという確証がないこと。もう一つは――


 蘇る二日前に出会ったばかりの葛灘鉋(くずなだかんな)という女性の結末(まつろ)


 あの現実を知ってしまっているが故に俺は瀬那さんに報告することを止めたのだ。もしも。稲瀬が見たという魔族が二咲楓だったら。そう考えると瀬那さんに話すことは出来なかった――

 信頼も信用もしているが、あの人は腐っても祓魔師である。魔族を殺すことはあっても生かすという選択肢を取ることはない。


 「赤塚君?」


  鼓膜を揺する碧波の声。

  気付けば碧波は俺の横を歩きながら顔を覗いている。思考に埋没するあまり黙り込んでしまったようだ。


 「……ああ。すまん。呆っとしてた。で何だっけ」


 「……だから稲瀬さんと何を話していたのかということです」


 怪訝な顔色を隠そうともせず言う碧波。薄々思っていたが、こいつ時々思っていることが顔に出まくっている。いつも敬語なんでお堅い印象しかないが、もしかするとこいつ根は普通の女の子なのやも知れぬ。

 しかし――


 「何を話してた、か……」


 復唱する。碧波に言うかどうか答えはまだでない。

 だが、事実として監視官である碧波の目を潜りながら行動するのは難しいのはわかりきっていることだ。それに俺だけでは詰めが甘いのは先日の一件で再確認している。ここは色々、説明することになっても協力を仰いだ方がいいのではないだろうか。


 …………。


 よし。少し迷ったが答えは出た。あまり気は進まないが碧波には打ち明けることにしよう。この前も肝心な場面で助けてくれたし、まあ人手が必要なのは変わらないしね。


 「実は――」


 そんな感じで瀬那さんには打ち明けなかった話を碧波にするのだった。


 ◇


 事務所――

 名前はプウパア。変な名前であるが、意味も由来も知らない。というか、つけた本人も忘れてしまったらしい。

 瀬那さんの事務所は無人のJR駅の近くにひっそりと佇む四階建ての雑居ビルの三階にある。一階はおねえのお兄さんが営むカラオケ喫茶、二階は空き、四階も空きという見事な不人気具合。

 外観も高度経済成長期の末期に建てられたものなんでぼろいのだが、それに加え壁面を覆う蔦と黒く変色した雨染みのせいで幽霊マンションと言われてもおかしくない状態だ。

 まあこんな無人のJR駅の近くに店を構えてもよほどのことがない限り人は集まらないのであまり気にすることでもないことなのだが。


 只今の時刻は五時過ぎ。

 当然ではあるが暇を潰せるような娯楽は何処にもない。

 さて変わり映えのしない事務所であと三時間も番をしなくてはならないのは中々に退屈である。

 適当なソファに座ると、掌に収まったスマートフォンから声が流れる。


 「あの赤塚君。事情はわかったんですけど、仮に二咲さんの家に魔族がいると仮定してどうするつもりなんです?まさか家に押し入って確認するんですか」


 それは紛うことなき碧波の声だ。というのも今この事務所に碧波の姿はない。どうしていないのかというと、それは単純に瀬那さんが防衛のために事務所周辺に張った結界のせいであるらしい。

 俺は気にしたことは一度もないのだが、碧波曰く非常に強力な結界らしく術者である瀬那さんが許可しない者が這入ろうものなら、意識を失い最悪死んでしまうのだそうだ。普通に怖いわ。

 しかし、まあそんな訳で碧波は監視用の使い魔を残し一旦帰宅。詳しい話は電話でするという形に落ち着き、五分程経ったのが今の現状である。


 「アホか。そんな面倒なことはしねえよ。碧波。お前、忘れてるのか?俺の鼻が特別性だってことを」


 「あ」


 電話越しに聞こえる間抜けな声。どうやら本当に忘れてたらしい。俺の鼻が魔族や祓魔師の存在を認知することということを。

しかし碧波は訂正することなく一度咳払いをしてそのまま言葉を繋ぐ。


 「なるほど。暴食の聖具の能力ですか。確かにその力なら便利ですね。それで、もしも二咲さんのお家に魔族がいた場合はどうするんですか」


 「魔族がいた場合は様子を見て会話を試みる。できなかった場合も出来るだけ殺したくはない」


 「会話を試みること事体は別に構いませんが……。殺さないってどういうことですか。魔族は殺しておかないといずれ私たちが殺されるんですよ。そのことはわかってるんですか」


 当然の指摘をする碧波。

 殺さないと殺される。それが長年争い続けてきた魔族と人間の在り方だ。人間が殺すこともあるし、殺されることもある。そうやって歴代の祓魔師は螺旋のような堂々巡りを繰り返してきたのだ。


 「もちろんわかってる……けど碧波。もしも二咲が魔族になっていたとしたらどうする?」


 「二咲さんが?眷属化の呪いにでもかけられたんですか?」


 碧波は取り乱すことなく冷静に尋ねてくる。

 人が魔族化する事例は今まで吸血鬼の真祖が扱う眷属化の呪いだけだ。確かにその可能性も否定しきれないが、現代段階でこの街にリラ以外の吸血鬼がいるという報告はきていないからその可能性は限りなく低いだろう。


 それに先日の葛灘鉋の件。

 見るも無残な姿に変質した彼女が元は人間だということを碧波は知らない。というか、教えていない。理由はわからないが、瀬那さんから口止めされていたので、魔族の正体に関してはわからないで通したのだ。


 「そうかもしれない。でもそうじゃないかもしれない」


 「どういうことです?眷属化の呪い以外で人が魔族化することなんてあり得ないじゃないですか」


 「確かにそうかもしれない。でも、先日の廃工場にいた魔族。あれが元人間だとしたらどうする?」


 「え。そんな訳ないじゃないですか。あの魔族は正体こそわからないままでしたけど、吸血鬼じゃありませんでした……。まさか、本当に?」


 驚きの余り碧波の目が見開く。


 「本当だ。原理はわからないが倒した魔族本人もそう言っていたから」


 「……どうしてそのことを黙っていたんです?」


 「すまない。あの時は言うべきじゃないと判断したからだ」


 正確には瀬那に口止めされていたからだ。なんでも今の段階で協会側に知られるのはマズいらしい。何がマズイのかは聞こうとも思わなかったのでわからないが、あの人が協会と仲が悪いのは知っている。


 「では、今は言うべきだと?」


 碧波が問う。その声はいつにも増して真剣だ。


 「そうだ。本当は言うつもりはなかったけどな」


 「どうして?」


 「碧波……お前、祓魔師だろ。祓魔師は魔族を狩ることを仕事にしている。そんな奴に魔族と話がしたいから時間をくれって言えば怪しまれるだろ。どうせで俺は曖昧な立ち位置なんだ」


 「確かにそうですね……」


 そう言って碧波は考え込むように俺から視線を離す。そして、ため息をつき、


 「……わかりました。色々と言いたいこともありますし、眷属化の呪い以外で人が魔族になるなんて、にわかに信じられませんが……私はあくまで赤塚君の監視官です。赤塚君が嫌がろうが付いていきますよ。仕事ですからね」


 呆れた声で告げる。


 「ありがとう」


 この時の俺は素直にそう礼を述べたのだった。


 ◇


 三時間後。時刻は八時過ぎ。瀬那さんの言いつけ通り事務所番をしたが、案の定、お客の一人も来ず超がつくほど暇だった。


 事務所を出る。

 一面は闇。外灯と家々から零れる光だけで構成された暗い光景。夜の姫野宮は市街地を除くとどこも同じような景色である。

 そんな夜の街を歩き二咲の家へと向かう。目的はもちろん二咲家に住んでいるという魔族の存在を確認することだ。まあ、もしも本当に魔族がいるのなら家の中まで這入られなくても近くまでいけばわかるのでそこまで危険ではないし、いざという時の秘密兵器もある。


 そして今からその秘密兵器一号と合流すべく近くのコインランドリーに向かう。どうしてコインランドリーなのかというと瀬那さんの事務所がある大北町は碌な店がないからだ。最近までコンビニがあったのだが、需要がなかったのか潰れてしまった。そのためこの時間まで営業しているのはコインランドリーくらいしかないのである。


 国道沿いにある一際強い光を放つ白い箱。

 自動ドアを潜ると洗濯機の駆動音が響く。だが、店内には洗濯機を使用したであろう人はおらず、人影は碧波しかない。


 「お疲れ様です。赤塚君。これから二咲さんのご自宅に向かわれるのですよね」


 「ああ。二咲の家はここからだと徒歩二十分ってとこだな。稲瀬に訊いた話によると旧国道沿いにある住宅街にあるらしい」


 「わかりました。では道案内お願いしますね」


 平然と言う碧波。

 そう言えば。こいつ超がつくほどの方向音痴だったな。



 午後八時半。

 交通量が激減した旧国道沿いを歩き目的地である二咲家前に到着していた。初めて来た二咲の家は思っていたよりも古風で二階建ての木造建築だった。

 稲瀬の話によると二咲の部屋は二階の一番左。

 二咲の祖父母がいる一階の電気は点いているが、肝心の二階の電気は点いておらず、人気もない。そして魔族の醜悪な臭いだが……そんなものは全然なく綺麗な空気だけが漂っている。


 「リラ。室内にいる人の数ってわかるか?」


 姿の見えない吸血鬼に問う。


 「ふん。お安い御用じゃよ」


 暗闇に木霊する女の声。

 すると足元の闇が陽炎のように揺らめき、そこから金髪巨乳の女が現れた。

 腰まで伸びた長い髪にイギリス人のような顔立ち。瞳はブラウンで瞼は長い。

何を隠そう彼女こそが秘密兵器二号であるが、相変わらず胸が窮屈そうな金ジャージを見事に着こなしているんで箔なんて高尚なものは皆無である。これでかつて最強と謳われた吸血鬼だというんだから本当に見た目なんて当てにならない。


 しかしまあ、侑李辺りが同じ格好をするとただの引きこもりになってしまうので、やはり見た目がいいと何を着ても様になるのは疑いようのない事実ではあるが。


 「……なんじゃ晃成。じろじろと見おって。妾に何か言いたいことでもあるのかの」


 「ねーよ。というか言いたいことはいつも言ってるけどほとんど意味ないんで諦めてる。それで、どうだ。家の中にいる人の数はわかるか?」


 「妾を誰と思うておる。これでも昔は最強の名を思いのままにした真祖であるぞ。力を失おうともその程度、造作もないわ」


 そう意気込むリラ。

 足元から触手のような影が家まで伸びる。まるでクトゥルフ神話に出てくる名状しがたきもののような気色悪さ。


 「ふむ。家の中にいるのは三人。二人は明かりの点いている部屋……恐らくリビングかの。もう一人は二階の一室。ベッドで丸まっておるようじゃ」


 「何かおかしな点はないか」


 「ないの。まあ自身を持っては言えんがおおよそないと言えるじゃろう」


 「そうか。まあ、でも稲瀬が件の魔族を見たのは十時過ぎだ。それまでは張り込んでおこう。それでもし、異変がなかったら今日は解散だ」


 「好きにせい」とそっけなくリラが呟き、「わかりました」と碧波がいつも通りの返しをしてくる。かくして、残業代のでない根気強いお仕事が始まったのだった。


 × × ×


 同時刻。

 晃成たちがいる姫野宮市の隣に位置する釘田市のとあるパーティ会場で華やかな披露宴が行われていた。

 この披露宴の主役である新郎新婦は幸せそうな笑顔を浮かべ、参列者も今日という日を祝福する。

 そしてその参列者の中に胸元が大きく開いた青いドレスを着た天崎瀬那の姿がある。が、その表情は暗く、退屈そうにグラスに注がれた白ワインを煽っている。


 どうして退屈そうなのか。


 それは単純に瀬那にとってこんな金に物を言わせたパーティは肌に合わないからだ。これでも天崎家の次期当主と期待されていた頃は週一で訳もわからないパーティに連れ回されていた。もっとも瀬那のパーティ嫌いはこの時から相当なものだったが。


 「ちっ。こんな式を挙げる金、どっから引っ張ってくるんだか。資金源が羨ましい限りだな」


 悪態をつき更にもう一杯飲み干す。

 年代物のワインらしいが、こんな気分ではせっかくの酒の味も落ちてしまう。だが、こんないい酒を飲む機会などそうそうないし、飲めるだけ呑んでおこう。


 そんな感じでもう一杯と近くにいたウェイターに声をかけようとしたその時――


 「瀬那」


 呼び捨てで名前を呼ばれる。

 それだけで誰が声をかけてきたのか、一瞬で理解した。

 振り返るとそこにいたのはやはり想像通りの人物で瀬那は思わず顔を顰める。


 「ちっ。お前か、クソ御曹司。お前の顔を見ると不味い酒が更に不味くなる。用がないのならとっとと失せろ」


 「ハハっ。相変わらず口が悪いね。瀬那は。僕のことをクソ呼ばわりするのは君ぐらいだよ」


 愉快そうにはにかむ金髪の青年。背は高く、百八十は優に超えているが、やせ形な為か棒のようなそれこそ典型的なお坊ちゃんという印象である。

 白いタキシードは着た彼は現在の瀬那の仕事相手の息子であるが、瀬那にとって彼はどうでもいいに過ぎず名前も知らない。

 つまり話しかけてくるので仕方なく応対しているに過ぎないといった何とも冷たい間柄だ。


 「うるさい。お前のその作り笑いには虫唾が走る」


 吐き捨てるように本音をぶちまける瀬那。

 それを冗談として受け取ったのか青年は微笑みを絶やすことなく口を開く。


 「酷いな。これでも君のスポンサーの息子なんだけどな。もうちょっと丁重に扱おうとは思わないのかい」


 「お前それ本気で言ってるのか。この際、はっきりと言わせてもらうが私達の活動を支援してくれるところなどいくらでもある。それこそ腐るほどな。だから、お前がスポンサーの息子だからって媚を売ったりし、そもそもお前はあの狸の息子ってだけで今の地位に成り上がった不能だろう。そんな奴を丁重に扱おうなど微塵も思わんよ」


 「本当、ほれぼれするくらい格好いいね君は」


 にっこりと笑う金髪の青年。侮蔑されたというのに感情を表に出すことなく微笑み続ける青年の姿はどこか不気味で歪だ。

 瀬那は更に不機嫌そうに鼻を鳴らす。


 「――それで要件はなんだ。私と雑談をしに来たわけではないんだろう」


 「ああ。お父様が例の件について君と話したいそうだ。VIPルームで待ってるから行ってくれ」


 「そうか。まあ、そんなことだろうとは思ったよ。わざわざどうも」


 そう言い残し足早に立ち去る瀬那。

 その後ろ姿を赤い双眸が値踏みをするように不敵に見つめていた。


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