4-2 チェーン
それは突如、天井から降って来た。
シュウシュウと獣じみた吐息を零し、濃密な呪力とハンマーのように重たい殺気を放ちこちらを睥睨する。
深くまで被ったフード。身体中から垂れる鎖。そして、喪失した右腕。
その全てがそれが黒だと立証している。姫野宮に住む多くの人を殺し、あまつさえ侑李を襲った張本人であると。
そう。余程の馬鹿じゃない限り、あれが鎖怪人だとわかる。
映像にあった通り全身を黒いローブで覆っているが、不格好に長い右足は折れ曲がりローブからはみ出している。よく見るとその足は繋ぎ目があり、余計に気味悪さを助長している。
「ほぅ。中々、珍妙な出で立ちをしておるのぅ。これが誰の趣味なのかはわからぬが、なるほど。どうやらこやつはまともではないらしい」
「まともじゃないのは見たらわかるがな」
俺の眼前に立ち平然と零すリラに俺は嫌味ったらしく返す。
「確かにの。だがあれの異常さは極め付けじゃよ。長いこと生きてきた妾でさえ、あのような醜悪な化け物は見たことがないの。で、お前様はあれが何か知っておるのか」
「知らない。あんな奇形の化け物は俺も初めて見た」
「ぬ、そうか。ならばあれは新種ということになるのかの。まあ、そんなことはどうでもいいんじゃろうが。ほれ、お前様。構えた方が良いぞ。あの化け物は殺す気満々であるぞ 」
瞬間。
鎖怪人の身体から伸びる鎖がまるで自意識を持った蛇のように襲いかかる。
鋭く重い鎖による攻撃と響く金切り音。
「――ア゛レ」
鎖怪人の困惑の声が漏れる。獲ったと思ったのだろう。
だが、それは足元から伸びる触手のような影によって妨げられ俺には届かない。
「助かったリラ。お前がいなかったら今頃また死んでたよ」
「たわけ。そう何度も主人を殺す従者がおるか。ところでな、主様。あやつの右脚に顔のようなものがないか」
言われて脚を見る。パッと見、膝のようだったと思っていたそれは人の顔だった。いや、正確には膝に顔にあると言った方が正しいのだろうか。膝になった顔は慟哭を湛えこの世を呪っている。
「なんだ、あれ」
「恐らくじゃが生きた人間を自身の肉体として取り込んでおるのじゃろう。どうしてそのよなことをするかはわからんがの」
淡々と考察を述べるリラの声が耳に響く。俺の視線は怨嗟をまき散らしている取り込まれた顔に固定されている。大きく見開いた目に抉られた頬肉。
訳も分からず殺された挙句、魔族の肉体の一部にされてしまったら世界を呪いたくもなるだろう。けど、まあ久しぶりに胸糞悪いものを見た。俺は見知らぬ人はどこで死のうが知ったこっちゃないし、同情もしない。一々、同情をしていたらこの世界はとてもじゃないが生きていけないからだ。
でも。死者を貶める行為だけは別だ。彼らは既にこの世にない生を終了させた者たちだ。尊重されることはあっても踏みにじることだけはあってはならない。それがどんな死に方であってもだ。
「おい、お前。意識はあるか」
苛立ちの余り呼びかける。鎖怪人の口がゆっくりと動く。
「ア、二……」
呼びかけに答える鎖怪人。どうやら意識はあるようだ。しかし、呂律が回っていないのか、声はひどく籠っている。
「お前、何人殺した?」
「いっぱい。でも数はワカラナイ。だってソンナ小ザナコト一々覚エテナイカラ」
「どうして殺した?」
「ワ、ガラアイ。デモ、いっぱいゴロシた。弱ッチイ人殺スノスゴク楽しいシ、ソウシロッテいわれダカラ」
「――誰にだ」
再度、問いかける。リラ曰く、こいつには飼い主がいるらしい。ならば、こんな醜い姿にした奴が必ずいるはずだ。
「ダレって……。白いスーツ……。アレ……ワガ、ワガラアイ。ワガラアイ。アア。アタマ、イダイ。ワガラアイぃぃぃイイイイイ!」
鎖怪人は頭を抱え咆哮する。
どうやらこいつは飼い主の顔も知らない癖に命令には忠実に従ってせっせと人を殺していたらしい。自らの脚を伸ばす為に。
死は誰にでも平等である。だからそれを貶めるような奴は胸糞悪いし吐き気がする。本気で殺したくなる。
「それじゃあもう一個だけ質問。その脚の顔、そいつはいったい誰だ?」
瞬間。今まで情緒不安定の子供のようだった鎖怪人の口元が卑しく歪み
「――ォ父ザン」
そう言った。
そして、俺の中の何かが切れた。
「リラ」
「わかっておるわ。妾もあの愚物を目にするのは耐えられん。しかしな主様。全盛期の妾なら一撃で殺してみせたろうが、今の妾じゃ逆に殺されかねんからそこんとこのフォローはよろしく頼むの」
「――ああ。」
そう言ってゆっくりと歩き出すとリラは胞子のように弾け俺の身体に同化していく。それは黒い雪が俺の体温によって溶けてしまうようで。
卑しく嗤う鎖怪人は、俺に対する殺意を昂らせている。誰かから奪い取った両足に力を籠めて――
そして、鎖怪人の身体が僅かに沈む。気づけば眼前から鎖怪人は姿を消し上空からこちらを睥睨している。それはもう一呼吸の間に。
「なるほど。速いんだな、お前。だったら――」
俺は隙が出来るまで防御に徹することにしよう。とは言え防御をしてくれるのはリラだ。俺は喰った魔族の権能と呼ばれる能力を自在に使えることができる。でも、それは能力の半分の性能しか発揮できない紛い物だ。
だから、俺はリラにその能力を制御させている。そうすることで、権能を最大限とはいかないものの八割に近い状態にすることができる。要するに俺だけでは権能を使うにはスペック不足なのだ。リラはそれを補ってくれる外付けのハードディスクのようなものである。
「それでも、発動させてるのは俺の魔力だから長時間は使えないんだが」
潜在魔力量は凡人よりちょっと多いくらいなのでそれが限界なのだ。一時間も使えば気絶する。瀬那さんなら丸一日は余裕らしいからあの人の化け物具合がはっきりとわかる。
まあ、でも。俺の潜在魔力量でもこいつ一体を殺しきるには充分だ。
上空から落下しながら長く伸びる鎖を鞭のように振るう鎖怪人。しかし、それは俺には届かない。俺の足元から伸びる黒い触手がその衝撃を相殺し少し後ろに立つリラが不敵に嗤う。
「甘いのう。貴様の攻撃は単調に過ぎる。弱り切った妾でもどうとでもなるわ」
「ナ、んデシナナイノ……」
そう呟きながら鎖を振るい続ける鎖怪人。どうやら、あいつの武器はあの鎖しかないらしい。しかし、その悉くが黒い触手によって阻まれているのだけど。
「ナんデシナナイノォォォォ!」
「うるせぇよ」
なんで死なないかなんて殺そうとしている本人に訊くな。胸糞悪い。
お前が俺を殺せないのは単純に俺よりも弱いからだろうが。
地面に降り立った鎖怪人は絶叫しながら距離を詰めてくる。一跳びで十メートルも跳ぶのは流石に驚いたが、俺はあくまで冷静さを保ち攻撃に転じる。
「リラ」
「わかっておる」
そのリラの言葉と同時に、俺の右腕に足元で蠢いていた触手の一部が纏わりつきそして柄のない青竜刀に変形。まるで手品のような出来事だと俺自身思う。
「さて、幕引きだ。その胸糞悪い在り方は我慢できないし、正直お前に興味はないからね」
さあ、鎖怪人。攻守逆転のお時間ですよ。
◇
鞭のようにしなる鎖を紙一重でしゃがんで避け俺は懐に踏み込み、黒い青竜刀に変形した右腕を振り抜いた。ブチブチと切れる肉の感触。素面なら耐えられそうにないが今はそんなことは関係ない。
「イタ、イタいぃぃぃいいいいい」
喚声が上がる。鎖怪人の右脇腹から噴出する血液。
赤黒い液体が飛び散り工場を汚すのはいつも自分以外だったのだろう。籠った声には困惑の色が染み付いている。
「まあ、そんなの知ったこっちゃないけど」
もはやあの鎖怪人の鞭のようにしなる鎖も脅威ではない。馬鹿の一つ覚えで振り回すだけじゃ、どれだけ殺傷能力が高くても意味はない。とはいえ、光速で振り回される鎖はコンクリートの地面を砕く程度の馬鹿力を備えてるんでそう迂闊には近づけないし、あれの脅威は別に鎖だけじゃない。片足で五メートルは跳ねる脚力もそうだし、左腕、牙も当たれば一撃必殺になりかねないのだ。それが魔族の基本スペック。下等だろうが人間にとって災害とそう変わらない。
鎖怪人が咆哮しながら跳躍する。どうやら少しは学習したらしく鎖を鞭のように扱うのを止め隠していた鉤爪を振りかざす。相変わらず一跳びで五メートルも進むのは跳躍力には脱帽するばかりが、俺はそれを青竜刀と化した右腕で迎え討つ。
少し、というかかなり危険だったが今が勝負時だろう。俺の潜在魔力がみるみるうちに無くなっているのだ。早めに終わらせないとマズイ。
青竜刀と鉤爪が交錯し金属のぶつかる金切り音が工場内に響く。
「ナンで、ナんデ……。ナンデアタラナイノぉ。シナナイノノォォォ」
「下ばっかり見てんじゃねーよ。タコ。お前の攻撃が当たらないのは単に俺がお前よりつえぇだけじゃねぇか」
「ア、ア、ア、アアアアアアアアアアアアアアアア!ウルサイ、ウルサイよ。オマエ!ワタシハ強いの!だって、私ハ化け物ナンだカラ!簡単に人を殺セナクチャいケナイの!」
瓦解する。鎖怪人の常識が崩れていく。人は弱者であるという常識が崩壊する。人は弱く殺されるだけの存在だと。だから、私が殺されたのは仕方がないことだったのだと信じたかったのかもしれない。
同情はしない。哀れだとも思わない。だから。
「もう終わりにしよう」
言って俺は交錯する鉤爪を弾くと反動で仰け反る鎖怪人の上半身。決定的な隙。少なくとも人間だったら為す術なく終わっている。それでも鎖怪人は諦めない。
「イヤ。イヤイヤイヤ!私ハ鎖怪人!人間ナンカニ殺サレナイ!ソレジャア、私は――」
鎖を足払いの要領で振るい俺の足を切断しようとする。でもそれは、足元から伸びる黒い触手に遮られ封殺される。
「な、ンデ……」
「これで終わりだ」
「イ、ヤ……!!!!!ワダジはマダジニタクナイ!!!!!!」
その嘆きと共に鎖怪人に取り込まれた人の顔が爆音と共に弾け飛び――
光速で飛来する肉片が直撃する。
その想像を絶する家族愛に俺の意識は暗転した。