4-1 廃工場に潜む影
時刻は午後九時半過ぎ。
俺は道中で拾ったタクシーに乗り込み視察した廃工場に向かっていた。
夜空を覆う雲のせいで月明りは届かない。辺りに人影はなく、外灯の白光だけが舗装された道路を照らし続けている。
件の工場がある七原の廃工場まで十分ちょっと。それまでただぼうっとしておくのもなんだから少し状況を整理しよう。
まず動画に出てきた鎖怪人が魔族であるのは確定。それと同時に今、姫野宮を騒がしている連続殺人犯であることも確定した。理由としては、単純明快。祓魔協会姫野宮支部長である天崎天理が黒であると言っているからである。
本来なら鎖怪人が魔族であるとわかった時点で俺みたいな弱者はそそくさと逃げ出すのが賢い選択なのだが、今回ばかりはそうは言ってられない。
赤く点滅する交差点を通り過ぎ、住宅街を抜け田園地帯に這入る。数時間振りに足を踏み入れる七原は昼間と違い不気味で静まり返っている。
ここで殺人事件が起こったからだろうか、遠くで赤く光るパトランプ。
どうやら警察も警戒態勢を強化しているらしい。
どうして侑李を見つけて保護してくれなかったんだという理不尽な怒りが湧くが、過ぎたことを言っても仕方がないので奥歯を噛みしめるに留めておく。
葛灘鉄工株式会社七原工場。
その廃工場は二度目の来訪を快く歓迎した。昼間と同様、フェンスは施錠されたままだったがその前に止められた見慣れた赤い自転車。
どうやら侑李は本当にここに来てしまったらしい。
悪い夢であってくれという最後の希望はここで潰えた。
一寸先は闇。まともな人間なら周囲の景色は闇と同化していて視認できないほどの暗さ。けれど、俺には関係がない。真祖の力を喰った俺は夜目を手に入れているのだ。昼間と同様程度には鮮明に映っている。
夜目に頼りライトも点けずにずんずん進んでいく。
眼前には焼け落ちた社屋。その少し奥にドラキュラ城のように聳える廃工場。本能が近づくな、今すぐ帰れと警鐘をならしているが、そんなことおかまいなしに足を動かす。
正面玄関は閉まっているので予習通り裏手に回る。
開きっぱなしの裏口の扉。
そしてそこから漏れる嫌な臭いに変わりはない。据えた臭いと魔族の臭いの混じったよくわからないただただ不快な臭い。
やはりここには魔族がいる。鎖怪人と呼ばれる魔族が。傍から見れば好んで藪蛇を突っついているように見える気がするが、実際そうなので反論のしようはない。
息を飲み工場内に這入る。中は思っていたより荒れてはいなかった。壁には風化した安全喚起のポスターやら社内新聞が貼られている。コンクリートの廊下を音をたてながら歩いていると、不意に何か固い物がつま先に当たった。
何だろう。
そう思い視線を下にする。あったのは懐中電灯とこれまた見慣れたスマートフォン。
恐らく侑李はここで襲われたのだろう。
辺りを見渡してみるが、他には何もない。俺はスマートフォンを拾い上げ再び歩を進めた。
一分ほど歩きやがて鉄工所らしい設備は一つもないだだっ広い空間に行き着いた。どうやら設備は撤去されたらしい。
周囲を見渡すと窓は割れ、足元にはよくわからないものが転がっている。
「なんだ、これ」
転がっているものに目を向ける。それは布を纏っている棒のように見えるが、布の隙間から肌色が伺える。なんだろう。魔族の住処で肌色の何か。真っ当な思考の持ち主なら良くない想像が掻き立てられる。ここは手に取って確認する場面だが、良くない想像のせいで躊躇してしまうチキン野郎。
「これは……人の腕、じゃな」
唐突に響く淡々とした口調。気付けばリラが俺の後ろに佇んでいる。
そして、そのままの口調で続ける。
「恐らくではあるが、こやつが殺されてから一週間は経っておる。ま、あまりそのこと事体に意味はないかもしれないがの」
そう言ってリラは視線を逸らす。
改めてコンクリートの地面を見る。そこに転がる似たような切り取られた無数の腕や脚。ざっと数えただけで六人分にはなる。これをやった犯人はいったい何を目的としているのでしょう。考えてみても、猟奇的過ぎてわからないし、気分が悪くなる。
…………いや。
電話越しに聞こえた『アナダノ右腕、私ニジョウダイ?』という声。そして、地面に散らばるもぎ取られた人の残骸から鑑みるに、鎖怪人の目的は恐らく腕や脚を収集することにある。
いったいなぜ集めているのかという理由まではわからないが。
「リラ、行くぞ」
「うぬ」
どちらにせよ、俺は進まなければならない。あの馬鹿を見つけるまでは。
◇
ほどなく散策してこの工場は大きく四区画に分けられていることがわかった。腕を発見した区画が一番広く、その他の三つの区画は一回り狭く感じた。そして、今俺がいるのは工場の裏口から最奥にある四区画目。つまり正面玄関から一番近い場所だ。備品は相変わらずなく、寂しいものだったがこの区画は他の区画とは違うことがあった。瀬那さんが使用するのを一度だけ見たことのあるソレは。
魔法陣と呼ばれる大規模儀式の際に用いられる高位術式である。
そしてその上に鎖で簀巻きにされた侑李が横たわっている。
「おい、侑李。大丈夫か!?」
身体を揺する。起きない。けれど、呼吸は普通にしているから一応無事と言える。
身体をばらされてないか、確認したが五体満足。どこにも欠損は見られない。いったいどうして侑李だけがばらされていないのかは疑問ではあったが、今はそれよりもここから立ち去ることにしよう。
「リラ。今すぐここから離脱する。俺は侑李を担ぐから、その間の護衛は任せた」
「別に構わぬが。妾は弱体化していることを忘れるでないぞ」
「わかってるよ」
侑李を背中に担ぎ少し進むと聞き慣れた電子音が鳴り響いた。瀬那さんからの連絡か。ようやく気付いてくれたらしい。遅すぎるわ。
でも、ちょうどいい。今すぐ来てこの状況を何とかしてもらいたい。
「もしもし。瀬那さ――」
瞬間、魔族特有の悪臭が鼻を衝く。
「お前様!!どけ!!!!」
唐突に張り詰めた声が工場内に響き襟首を捕まれ後方へ紙の如く吹っ飛ばされる。そして。一秒前までいた場所にズズンという衝撃が地面を揺らし、埃が舞い上がった。
状況が理解できないままソレを見る。
身体中から鎖を垂れている黒いローブの影が殺気を放ってこちらを睨みつけていた。
× × ×
「それでは姉さん。道化師の件、よろしくお願いしますね。あと……晃成が暴走しないように手綱はちゃんと握っておいてください」
支部長室から立ち去ろうとした瀬那の背中にそんな気の抜けた言葉が投げ掛けられた。瀬那はその場で立ち止まり首だけ振り向いて声の主を見る。
少年は黒の法衣を身に纏っている。まだ垢抜けない顔に襟足まで伸びた黒髪。
「――お前ね。もう子供じゃないんだからいつまでも喧嘩してないで、自分の口で言いなさい。そういうことは」
「わかってますよ。そんなことは。俺にだってタイミングってやつがあるんです」
そう言って抗議する少年に目を眇める瀬那。その顔にはまたか、と書かれている。
「そう言ってもう二年になるだろう。天理」
「う……。と、兎に角今はそんなことはどうでもいいんです。いいですか。晃成と道化師のことは任せましたからね」
「お前が振ってきた話題だろうに……。まあ、いいか。言われた通りちゃんとそいつのことは探しておくよ。気は乗らないが一応仕事だからね。あ、私からも一つ言うが振込みは遅れるなよ。電気止められるから」
言って瀬那は再び歩き出す。だが、その脚はすぐに止まり天理の方へ顔が振り向く。
「――っと、そうだ。天理。前々から思っていたんだがお前、知的さを出そうとしてるかは知らないけどその気色悪い敬語やめろ。逆効果だ。より馬鹿っぽいし何より聞いてて鳥肌が立つ」
「なっ……」
瀬那がひらひらと手を振りながら天理の元を去ったのは午後十時三十分を過ぎた頃。そして、不在着信とメールに気付いたのはその十分後だった。差出人は二件とも赤塚晃成。いつもは連絡しても返信の一つも寄越さない癖にいったい何用だと悪態をつきつつ瀬那は音声メッセージを再生する。
「もしもし。赤塚です。昨日言っていた廃工場の件ですけど場所がわかりました。ついでにその廃工場には天理が睨んだ通り魔族が潜んでます。ちゃんと行って確かめたんで間違いありません。場所はメールで送っておくんでよろしくです。それじゃあ、また」
瞬間、瀬那は頭痛に見舞われる。あれほど無茶をするなと言ったのに魔族の住処に片足を突っ込むとは。どうやら馬鹿は死んでも治らないらしい。
苛立ちのまま瀬那は晃成に電話をする。
「もしもし。瀬那さ――お前様!どけ!!!!」
呑気な晃成と鋭い元真祖の叫び声。
そして。
遅れて轟音が響き、電話はそのまま切れた。その瞬間、瀬那は晃成が廃工場に向かったのだと理解した。
「おい晃成!何があった!?返事をしろ!……クソッ!」
声はなく聞こえてくるのはツーツーという電子音だけ。
苛立ちを隠さず吐き捨てて瀬那は黒い愛車をかっ飛ばした。