3-3 盛者必衰
葛灘鉄工株式会社七原工場。
それが田園地帯にひっそりと佇む放棄された廃工場の名前だった。
侑李の話していた通り高校の体育館くらいある工場は火事により一部の天井は崩落していて、外壁の一部は焼け焦げて黒く変色していたが、離れにある二階建ての社屋は全焼していて炭が散らばっているばかりである。
敷地内に関しては雑草が生い茂り昼間だというのに漂う不気味な雰囲気。
「ここを調査するんですか……。なんて言うか赤塚君。殺してくれって言ってようなものですよ」
事情を把握したばかりの碧波の不満げな声が上がるが、一々相手にするのは面倒なので黙殺する。
この工場が焼け落ちたのは今からちょうど一年半前の八月。
つまり俺が諸事情により入院していた時。通りで知らない訳である。
火事が起こる前の経営はかなり順調だったらしいのだが、火事の発生後、経営は大きく傾きそのまま倒産。以降、この土地は誰が管理するわけでもなく放棄され今に至るという訳らしい。
施錠された門の前で終わった廃工場を観察する。
パッと見、動画で見た光景と全く同じ。そして、今朝のニュースに映っていた工場と同じだった。やはり、ここが件の鎖怪人の寝床なのだろうか。
今のところ魔族の臭いは感じないが。
本格的な調査は強い人にお任せするので、今回は中に這入れる場所を探すことにする。
「さてと行きますか……」
そう言って施錠された門によじ登り、不法侵入。
いくら放棄されているとは言え他人の土地なので勝手に這入るのはいけません。しかし、今回に限りもしかすると連続殺人事件に終止符を打つことができるかもしれないので、そこは多めに見て欲しい。
という訳で雑草だらけの敷地内を動画を撮りながら歩く。
碧波も俺の後ろをついて来ている。
焼け落ちた社屋を通り過ぎ廃工場に向かう。
敷地全体としてはそこまで広くはなく、体育館二つ分程度の敷地面積。
正面玄関に到着。が、内側から厳重に締め切られていて中に這入ることはできそうにない。
付近の窓も内側から板か何かで厳重に封鎖されていて、人間が立ち入ることを何者かが拒んでいるかのような徹底ぶりだ。
仕方なく工場の裏手に回る。
裏手に回るための道は更に雑草だらけでズボンにひっつく泥棒草。正式名コセンダングサ。人や動物にくっついて子孫を運んでもらおうとする姿勢は逞し過ぎる。
自分で飛んでけ。穀潰し。
ほどなく歩き裏手の扉に辿り着く。
裏手の扉は正面玄関と違い壊れており、開きっぱなし。身を捩り中に這入ると奥から漂う据えた臭い。
そしてその臭い混じる悪臭を感じとり、改めてここがビンゴなのだと理解した。
「いたっ。赤塚君、急に止まらないで下さい。危ないじゃないですか!……ってあれ。もう帰るんですか」
「ああ。もう充分だ。後は強い人にお任せしよう」
ここに魔族がいるというのは確認できた。ならば今回の目的は達したことになる。
何事にも万全の状態で挑みたいのが俺の性だ。RPGをする時でさえ、入念に整えた装備とレベルで危なげなく攻略するのだ。
人によってはつまらないと言われそうな性格だが、実際の人生において行き当たりばったりというのは時に命取りになる。だから、侑李に頼まれた写真は安全になってからでいい。
正直な話、これくらい用心深い方がちょうどいいと思うのだ。
そうして、俺は何事もなく廃工場を後にした。
◇
そんな訳で無事帰宅。後処理のため瀬那さんの携帯に電話を掛けるが出やしない。人がせっかくお金になりそうな情報を教えようとしたのに何してんだろうあの人。やがて長い着信音の後に留守電に切り替わった。
「もしもし。赤塚です。昨日言っていた廃工場の件ですけど場所がわかりました。ついでにその廃工場には天理が睨んだ通り魔族が潜んでます。ちゃんと行って確かめたんで間違いありません。場所はメールで送っておくんで後はよろしくです。それじゃあ、また」
瀬那さんという保険をかけて時間を確認すると午後四時前。あと二時間もすれば辺りは闇に沈む。何となくテレビをつけてみたが、サスペンスドラマやバラエティ番組の再放送のオンパレード。つまらないし、眠気も襲ってきたので結局そのまま寝ることにした。
◇
――爆発音。
それは小高い丘にできた住宅街から聞こえてくる。
――住宅街。
その中にある自宅にたどり着くと俺の名前を呼ぶ声がした。声のしたのはお隣さんの庭からで、そこには迦条さん家の奥さんが下半身を灰に突っ込んで倒れている。
声に誘われるように庭に向かう。眠気に必死で耐えているようなか細い声は定期的に木霊する爆発音にかき消される。俺の声は喉で詰まって出てくれない。目の前の現実離れした光景が恐ろしくて頭が真っ白になる。
それでも迦条さんの奥さんは気にすることなく言葉を紡ぎ続けて妹に対する想いを俺に託す。そして、ようやく喉から声が出るようになった頃には奥さんはそこにはいない。
あるのは山のように盛られた灰だけである。
◇
チャイムの鳴る音で目が覚めた。何か夢を見ていたようだが思い出せない。室内は既に薄暗く、いい感じに腹が蠕動している。
時刻を確認すると六時半。二時間半は寝ていたらしいが、おかげで意識はかなりクリア。ついでに影の中のリラに意識を向けてみたが、まだ寝ているようだった。そういや起きるのはだいたい八時くらいだったっけ。
緩慢な動作でソファから起き上がり、インターホンのモニタを確認する。いたのは予想通り碧波だった。憂鬱だし何か用でもあるのだろうか。とりあえずモニタを切り替える。
「碧波か。どうした、なんかあったのか」
「え、ああいえ。特に用って程でもないんですけど。今時間大丈夫ですか?」
「まあ……大丈夫だけど。どうした?」
「えーと……。そうですよね、はい。赤塚君。晩御飯、一緒に食べません?一応、今日のお礼ということなんですけど」
上手い断り文句が浮かばず誘われるがまま碧波の自室にお邪魔していた。チョロイな俺。そして目の前のテーブルには炊き立ての白ご飯、味噌汁、ほうれん草のお浸し、肉じゃがが盛り付けられた皿が並び、食欲をそそる匂いが鼻孔を擽りさっさと腹に入れろと言わんばかりにぐう、と蠕動する。
「これ、まさか手作りか」
「はい。時間がなかったので簡単なものですけど。さあ、食べてください」
簡単なものって……。それにしてもガチ過ぎんだろ。美味そうだけども。毒とか入ってないかこれ。
「――それじゃあ、遠慮なく。いただきます」
そう言ってまずは味噌汁を啜る。うん、美味い。見栄えは完璧だけど味は壊滅的、みたいなことはないようだ。続いてほうれん草のお浸しと肉じゃがを口に運んだが純粋に美味しくて文句のつけようがなかった。
「どうですか」
「……うん。美味い。特に肉じゃがは味が染みてて絶品だ」
ありのままの事実を口にする。俺はこういうことは正直に言えるのだ。
「そうですか。それなら良かったです」
嬉しそうに微笑み碧波も肉じゃがを頬張り自画自賛。そして次々と並べられた料理が口の中に消えていった。侑李といい碧波といいよく食べるなあ。
……気付けば俺も割と腹いっぱい食っていたのだった。
◇
「それじゃあ、ご馳走様」
碧波に挨拶をして、部屋から去る。思いがけない出来事だったので今でも驚いているが、まあ腹いっぱい飯が食えたので良しとする。
自室に帰ったのは夜の九時。
何だかんだ言って三時間は碧波の部屋にいたことになる。時間の経過が思いの他早くて再びびっくり。
まあしかし。腹いっぱいまで食べると人間眠くなるが普通である。
眠るには少し早い気がするが、昨日から動きを顧みればそれも仕方ない気がする。普段そんなに動かないのにこの二日間動きすぎたわ。
そういう訳なので今日は風呂に入って寝ることしよう。
◇
風呂から上がりスマホの画面をつけると一件の着信履歴。ご丁寧なことに留守電まで残してくれている。
発信源は皆お馴染み、噂に憑りつかれた女、燎里侑李。
何だろう。すこぶる嫌な予感がするが、とりあえず再生してみる。
「あ、先輩。私です。あのですね、今やってる特番見てます?姫野宮で起こった連続殺人についてのやつです」
そんなものやってるのか。テレビを点けると本当にやっていた。えーと、何々……鎖怪人の謎を追え!……って頭の悪そうな番組だな、おい。
つーか、クレーム来るだろ絶対。
「最初は面白かったんですけど、いつまでたっても適当なことしか言わないので段々ムカついてきまして……。なんで、先輩には悪いですけどちょっとマジモンの鎖怪人を撮影してきてクレーム入れます」
ちょっと待て。今なんつった。
鎖怪人を撮影?冗談抜きで笑えない。
着信は十五分前。
侑李の家から廃工場までは自転車だと十分の距離にある。留守電を入れてから出発したと考えてもギリギリ到着してしまっている。侑李のスマホに電話。出ない。いったい何してる。
「クソ!」
このままじゃ埒が明かない。とりあえず廃工場に向かおう。
そう思い玄関まで到達した時、コール音は通話状態へ切り替わる。
「おい、侑李か!?お前無事か。今どこにいる」
「どこって廃工場ですけど……。あ、もしかして心配してくれたんですか!?もう、先輩ツンデレ過ぎ。オワコンですよ」
状況を理解していない侑李の明るい声に腹が立つ。お前、とにかくそこから離れろ。本気でヤバい。
「ヤバいって何がです?私的には先輩の方が怖くてヤバ……って、あれ。先輩、さっき何か聞こえませんでしたか」
そう言って黙りこくる侑李。スマホ越しに聞こえてくるのは侑李の息遣いと――
何かを引き摺る微かな音。
その音は冗談抜きに死神の足音のように聞こえて、心臓が痛い。
おいおい。ふざけんなよ。今すぐ逃げろ、頼むから逃げてくれ。
「あの先輩。よくわからないんですけど、逃げろってどういう――キヤァアアアアア」
唐突として上がる悲鳴。以降、侑李の声は聴こえない。聞こえるのは鎖を引き摺るような音とぶつくさを呟く小さな声。
「おい」
呼びかける。返事はない。今も聞こえる小さな声を聞き取ろうとして音を上げて。
「アナダノ右腕、私ニジョウダイ?」
そんな声を掠め取り頭真っ白。冷静な判断力を失った俺はそのまま家を飛び出した。