幕間Ⅱ
姫野宮市は人口が二十万人弱の地方都市であるが、零時を過ぎると大半の店が閉まり眠りに就く。
開いてる店といえばカラオケと限られた居酒屋、ファミレス、そしてコンビニくらいだ。
そんな閑散とした地方都市に住む若者の楽しみといえばファミレスや居酒屋で仲間と明け方まで騒ぐことで、その青年も一般的な若者の一人である。
特に今日は姫野宮で賑わしている件の殺人鬼、鎖怪人について語り明かした。正直、そんな奇怪な殺人鬼がいてたまるかというのが青年の素直な感情であったが、仲間と話すネタとしてはいい題材だったのだ。
その日も青年は明け方まで仲間と騒ぎ明かし、仕事がある者もいるということで解散した。
青年は地元の鉄工所で働く労働者である。
元々、近所にある鉄工所で働いていたのだが、その鉄工所が火事になりそのまま倒産。それからしばらく無職としてフラフラとしていたが、つい最近再び鉄工所に就職することになった。
彼としては別にこのまま無職でも良かったのだが、先立つものがなければ何もできない。
真面目に働いていた時に貯めていた貯金も底を尽いた。そういう訳で仕方なく彼は再就職をしたのである。
静かな住宅街をゆったりと歩く。
大通りから外れているため街灯はほとんどなく暗い。
少し道を踏み外すと農業用の用水路にものの見事に足を突っ込むことになる。
不意に。
――ジャラ。
どこからともなく鎖を引き摺る音と共に前方から現れる影。全身を黒いローブで覆っており深くまで被ったフードのせいで顔を窺うことはできない。
身体の至る所に鎖を巻いており、これが今の最新のファッションだと主張されても到底受け入れがたい出で立ちである。
影は脚が不自由なのか右脚を引き摺っているが、その右脚からも巻き付いた鎖の余りが垂れていた。だが何より目を引いたのは肩から下がバッサリとない右腕だった。
まるで戦争から帰ってきた兵士のように身体がボロボロで。
その余りにも現実味のない不気味な存在に青年は息を飲んだが、同時に意識が高揚する。
気付けば脚は止まり影の動向を固唾を飲んで見守っている。正確には今、姫野宮で噂になっていると思しき鎖怪人に遭遇して少しテンションが上がっていたのだ。
「もしかしてお前が噂の鎖怪人か?」
問いかける。好奇心の赴くままに口を滑らせる。
そして――
「オ願ィ。貴方ノ右腕、ワダジニチョウダイ」
耳に張り付く聞き取りづらい濁声。瞬間。
青年の身体から汗という汗が噴出した。怖いという感情が全身を突きぬけ、心臓の鼓動を高鳴らせる。
その恐怖は人間がまだ自然の中で暮らしていた時の名残なのだろうか。
詳しいことはわからないが、何はともあれ青年は踵を返し一目散に逃げ出した。
「やばいやばいやばい。何なんだよ、あれ!?」
生まれて初めて出会った真正の恐怖に青年はパニックになりながらそう呟いた。
子供の頃からホラー映画は大好物であった彼であったが、映像越しではなく実際に体感する恐怖はまるで比べものにならず気付けば走り出していた。
兎に角、今の青年はあの鎖怪人から逃げ出したくて、逃げ出したくて仕方ない。
青年はどこに向かっているのかもわからず、懸命に足を動かし続けた。
◇
もう何分くらい走っているのだろか。
少なくとも五分間は走っている。
そろそろ足も肺も限界だと悲鳴をあげている。流石にもう走ることはできない。
そう思い彼はゆっくりとその脚を止めようとし――
――ジャラ。
背後から鎖を引き摺る音を聞いた。
「何なんだよ!ちくしょう!」
青年はあるはずのない安全な場所を求め再び走り始めた。
◇
逃げ始めてから三十分が経った頃。
青年の短い逃亡劇はクライマックスを迎えた。
場所はどこかにある公園。昼間は子供たちの社交場である砂場に足を取られ青年は盛大に転び、以降彼は極度の疲労のため立ち上がれなくなった。
「クソクソクソクソクソクソクソがあ!!!!!!!!!!!」
荒い息のまま叫ぶ。
だが、既に青年に再び走る体力はおろか立ち上がる気力は残されていない。
既に限界を超えた身体は休息を求め、砂場に根を張ろうとする。それが、命の終わりであると知ってなお身体は動こうとしない。
砂場の上に仰向けに横たわり、来るべき時を待つ――
そして――
その時は一瞬だった。
まず始めに聞こえたのはやはりジャラという鎖を引き摺る音。
次に、ドンといういう右肩に走る衝撃。
何かと思い首だけ動かし、
「あ」
右肩から先の腕が無くなり、血が砂場を赤く染め上げているのは視認して、そのまま彼の意識は暗転した。
× × ×
鎖怪人は青年から奪い取った右腕をまるで吟味するかのように万遍なく見つめていた。
奪い取った右腕からは今もなお鮮血が零れており、黒いローブに染みを作っているが気にする素振りはない。
そうしてしばらくの間、眺めていたのだが唐突に奪い取った腕から視線を外し――
「違ウ。コレハ私ノ腕ニ相応シクナイ」
そう言って血が滴る右腕をぽとりと砂場に落とし、再び夜明け前の姫野宮の街に溶けていった。