2-3 バイト先にいた者
終業を知らせるチャイムが鳴ると早々に学校を出る。今日から部活動が完全中止なので帰宅する生徒の数はいつもより多い。黎原学園は中等部、高等部含め部活動に力を入れてるため帰宅部の生徒はほとんどいないのだ。
時刻は四時。いつも通りとのことなのでバイトは五時から。家に帰る時間はないのでこのまま行くことにする。校門を抜け坂を下っていると、背後から漂う祓魔師の香り。
またかとげんなりして振り返ると、いるのはやはり監察官、碧波由奈。さも当然だと言わんばかりに堂々と俺の後をつけている。
「今日は随分と堂々としてるんだな」
「昨日みたいに襲われる可能性がありますから。近くで待機させてもらいます」
「なんだそれ。それじゃあ、監視じゃなくて護衛じゃねーか」
「確かにそうとも言いますね」
嫌味のつもりだったのにまともに返されてしまったので返答に困る。
「――俺これからバイトに行くんだけど……もしかしてそこにもついて来る気か?」
「ええ、まあ。一応これも仕事の内ですから」
堂々と言い切る碧波さん。そのクソ真面目顔が腹立たしい。
正直、バイト先について来られても迷惑なだけだが、まあでも。幸いなことに碧波は祓魔師だ。年中、客足が途絶えてる雑貨屋のお得意様になってるかもしれない。
「……わかった。好きにしろ」
そう言って坂を下りる。すると背後からたったっと小気味良い足音が響くのだった。
◇
歩き始めて三十分が経った頃。国道沿いから逸れて田園地帯に入る。
そこは外灯が五十メートル間隔でしかないため夜になると闇に溶けてしまう田舎の中の田舎。そのため暗くなると外灯と点在する家屋から零れる光だけが貴重な道標となる。
けれど、今はまだ夕方だ。辺りを山に囲まれた田園地帯は六時過ぎには暗くなり始めるが、日没まではまだ一時間半もある。視界も良好だ。収穫されて稲株だらけの田んぼも、五月ごろには蛍が見れる小川もはっきりとこの目に映っている。
「だいぶ田舎ですね……」
不意に碧波がそんなことを呟く。この程度で田舎とは少しおかしかった。日本にはここよりも田んぼだらけの田舎があるのだから。
もしかしてこいつは真のど田舎というもの知らないのだろうか。
というかどこから来たのだろうか。
「碧波はここに来る前はどこにいたんだ」
俺からの質問に驚いたのか幾ばくかの間があってから
「一応言ったはずですけど……。まあいいか。東京です。東京の祓魔協会本部にいました」
呆れ気味にそう答えた。
言われてみれば聞いたような気もしないこともないが、人間生きてりゃ大半のことは忘れるので気にしないことにしよう。
「高校には通ってなかったのか」
「通ってはいました。協会の仕事が忙しくてほとんど行くことはできませんでしたけど」
ハハと空笑いを零して碧波はため息をついた。何だろう。いつもより歯切れが悪い。でも、俺がその歯切れの悪さの正体に気付くことはなくただ「そうか」と返しただけだった。
◇
タイマーに着いたのはそれから十分後。
変わり映えのしない田園地帯を進み、ようやく着いたのはいつ倒壊してもおかしくない二階建ての襤褸屋。建物の前には軽自動車なら二台ほど止められそうな小さな庭があり、その庭を囲むように植えられた白い花の名前は俺はまだ知らない。
「うわ……ボロ」
何の脈絡もなく呟かれる声。やはり、誰がどうみてもこの雑貨屋はボロイようだ。働いている最中に倒壊でもしたら嫌なので改修してくださいマジで。
心の中で文句を言いながらいつものように従業員用の引き戸を開ける。ここの扉も立て付けが悪く上手く開かないので少し浮かすようにして開けるのがコツ。
「おはようございまーす」
気の抜けた挨拶をしていざ室内へ。相変わらず室内は霊媒とやらのねっとりとした臭いが立ち込めていて鼻が利かない。
霊媒というのは所謂、主に怪異種の眼球やら内臓――つまり死体のことである。ここは祓魔師専門の雑貨屋なのでそういったゲテモノを公然と置いてる。まあ、そのゲテモノを使ってどんな儀式をするのかはさっぱりわからないが。
後ろを確認すると碧波も少し臭うのか顔を歪めている。どうやらこの悪臭。かなり性質が悪いようだ。俺はもう慣れてしまったので、そこまで気になることはない。
「晃成。ちょうどいいところに来たな。こっちに来い」
店長の野太い叫び声が響く。何だろうと思いつつ声の聞こえた売り場の方へ足を進め――戦慄した。
今思えばこの時ほどガチでタイムマシーンが欲しいと思ったことはない。
「久しぶりだな晃成。ん?だいたい二週間振りか。ところで、どうして私の電話にもメールに何も返さないんだ?そこんとこ、是非聞かせてもらおうじゃないか」
聞きたくない女性の声。
そこにはお客様用の椅子に足を組んで蛇の如く睨みを利かす茶髪の女性がいる。
ベージュのトレンチコートと黒いパンツが良く似合うこの女性こそ――俺の雇用主の一人、万屋の所長を務める天崎瀬那その人である。
店長を見る。すると舌をちょっとだけ出して茶目っ気アピール真っ最中。
はっ倒してやろうか。三十過ぎたおっさんのペ○ちゃんポーズは気持ち悪いだけである。
しかし、これが狡猾な罠であることがはっきりとわかった。
罠ならばこれからとるべき行動は必然的に決まる。
「やべえ」
俺は一目散に来た道を戻ろうとする。が、まあ待てと冷え切った言葉と共に伸びたゼリー状のぬるぬるした触手によって足を絡め取られ宙刷りにされる。
紛うことなく罠に引っかかる俺。最高にダサイ。
ああ。どうやら俺の命はここまでのようです。俺は蛙のように固まってそっと目を閉じた。まるで殺してくれと言わんばかりに。だって瀬那さんを無視した理由と言えば厄介事に巻き込まれるが御免だった訳で、特別な理由がある訳でもない。然るべきお仕置きを戦々恐々と待っていると
「――ああ、いい様だな晃成。これでようやく落ち着いて話ができるな」
そんな嬉しそうな声が聞こえてくる。悪魔だ!ここに本物の悪魔がいる!!
怖過ぎる。何が怖いって宙刷りになった俺を見て楽しんでいる瀬那さんが怖い。
「いやいや瀬那さん、相変わらず冗談のセンスがぶっ飛んでますね。こんな状態じゃ落ち着いて話なんて出来ませんよ」
「そんなことはないだろう。お前ならきっと出来る。私が言うんだから間違いないよ」
……傲慢過ぎる!!誰だ!こんなジャ○アンに力を与えた愚か者は!!
ちくしょう。だから苦手なんだよ!
だが、ここで騒いだところで瀬那さんを喜ばせるだけなのでここは大人しく話とやらをすることにしよう。いや、どっちにしろお仕置きは確定なのだが、どうせされるならぱっぱと済ませたいという魂胆である。
「……わかりました。これで我慢します。で、話って何ですか。もしかして電話に出なかったことですか?」
「わかってるじゃないか。そうだ。お前が電話に出なかったせいで私は久しぶりの仕事に失敗した。全くなんてことをしてくれたんだ」
知らねえよ……。
というか何もしてねえよ。まあ、そんなことを口にすれば殺されるので死んでも口にしないが。
「それは災難でしたね。ちなみにですけどどんな依頼だったんです?」
「人探しだよ。娘が夜中になっても帰って来ないから探してくれっていう。まあ、昼過ぎには見つかったらしくキャンセルされたけどな」
そう言って舌打ちをする瀬那さん。
どうやらそのせいで今機嫌が悪いようだった。だから報酬は半分前払いにしろって言ってるのに。
「まあ、それは別にいいんだ。先ほどちゃんとした依頼を回してもらったからな。……でだ。ずっと気になっていたんだがその子は誰だ?」
瀬那さんのそんな声が響く。瀬那さんの三白眼が碧波のことを射抜いている。
「ああ、そいつはただの――」
「私は祓魔協会本部第一派遣隊所属の碧波由奈と申します。暴食の聖具の適応者である赤塚晃成の監視のために姫野宮に参りました。貴方は天崎瀬那様ですよね。お噂は伺っております。お会いすることができ光栄です」
…………。
困惑する俺。
つらつらと碧波の口から流れる敬語の数々に俺は少し面食らう。そういえば瀬那さんって実はエリートだったっけ。俺の中では年中金欠に喘いでいる美人なお姉さんのイメージが強いのでちょっと新鮮。まあ、祓魔師としての実力がトップクラスなのは知ってたけど。びっくりしたわ。
だが瀬那さんは慣れたように手で応えてから勘弁してくれと言わんばかりのため息をついた。
「止め止め。碧波さんだっけ?私にそんな謙らなくていいよ。確かに天崎の姓を名乗っちゃいるけど天崎家とは絶縁状態だ。だから、今の私に敬られるほどの権力もないし謂れもない。敬うんだったら支部長やってる弟の方にしな」
「――いえ、そういう訳には」
碧波が恭しく頭を下げる。すると瀬那さんは少しはにかんでから
「それで、碧波さん。あなたが猪上さんの後任の監察官らしいけど。そこの馬鹿弟子について何かわかった?」
「今のところは何とも言えません」
碧波はきっぱりと言い切った。
「ふーん。そう。他にはない?晃成の危険なところとか」
「経過観察中です」
「なるほどね。それじゃあ、あなたの本当の任務が何なのかはきちんと把握している?」
「……本当の任務ですか?」
困惑した様子で瀬那さんの顔を見る碧波。
どうやら瀬那さんの言っている意味がわからないらしい。ちなみに俺は詳しいことまでは知らないし、知りたいとも思わない。
「そう。とぼけている訳でもないみたいだし、本当に知らないのね。……いや、気付いてないだけか。猪上さんはそこら辺の察しが良かったし。なら碧波さん。今のうちに言っておくけど、もしも私達に敵対するようなことがあればその時は覚悟しておいてね」
瀬那さんはそう言うと口を開けたまま驚いている碧波を置き去りにしてこちらに向き直り、さてと前置きをして
「晃成。お前の今の状況はわかった。しかし、だからといって私の連絡を無視した言い訳にはならない。まあ、そう言う訳でついて来なさい。一か月振りの魔族退治だ」
いつも通り。悪魔のような微笑みを湛えながらそう告げるのだった。