2-2 異変はいつもすぐそこに
「おはようございます。本当にふざけた身体をしてるんですね。昨日はミートパイみたいだったのに」
それが俺が下駄箱でスリッパを履き替えるのを見計らったように現れた碧波の言葉だった。
「――おい。昨日ってなんだ」
まるで俺が何者かに襲われたことを知っているかのような口ぶりに思わず動作が止まる。
そのことを知っているのは、一緒にいたリラだけのはず……。
そう思ったが、かつて監視官をしていた猪上麗華のことを思い出す。
確かあいつも始めのうちは使い魔を使って二十四時間ずっと監視を続けてたな……。そうなると二代目監視官、碧波由奈も同じことをしてくる可能性は高い。
「まさかとは思うがお前も使い魔を使って監視をしていたのか」
「ご明察です。赤塚君が魔族に不意打ちをくらって呆気なくやられるのも記録済みです」
平然と告げる碧波由奈。もといストーカー。
「お前な……そこまでしなくてもいいだろう」
「そうは言いますけど赤塚君。私が監視していなかったら今頃赤塚君は挽肉になって烏の餌になってましたよ」
「……」
思いがけない碧波の物騒な発言に言葉が喉が詰まる。
なんてことだ。どうやら俺を家まで運んでくれたのは目の前の監察官らしい。
「お前が――」
助けてくれたのかと言う前に碧波が口を開く。
「それから先は昼休みに屋上でお話します。ここじゃ誰が聞いているかわかりませんしね」
確かに下駄箱周辺には人で溢れかえっていた。
◇
チャイムが鳴り、教室に入って来た諒子ちゃんはいつにも増して不機嫌だった。青筋が立まくり。怒り心頭である。まあしかし、俺には関係がないので校長か教頭にセクハラでもされたのかくらいにしか気に留めず窓から外を眺める。
青空のない薄暗い天気。
しかし――
「赤塚君。どうして昨日の昼休み職員室に来なかったの」
物凄い剣幕で凄まれた。どうやら怒りの原因は俺にあったらしい。
――ああ、そう言えば昨日の呼び出しをばっくれたんだっけ。俺としたことがうっかりしていた。これも監視員とかリラのせいである。たった一日で許容範囲を超える情報が入ってきたのですっかり忘れていた。ちくしょう。
上手い言い訳も思い浮かばないのでとりあえず謝罪を口にする。
「すみません」
「謝るくらいならちゃんと来なさい」
正論過ぎてぐうの音もでない。返す言葉もございません。
しかし素直に謝るとため息をついて諭すような口調になるのが諒子ちゃん。いつも思うがこの人の感情抑制能力は半端ない。普通、人間の感情はそう簡単に切り替えできるようなものではない。それが怒りなら尚更だ。
「はい」
「それじゃあ、昼休み職員室に来るのよ。いいわね」
「はい」
如何にも反省している風に答えると諒子ちゃんは俺から視線を外した。クラスの反応は慣れたもので無関心。俺に限らず諒子ちゃんを怒らせる生徒は割といるので朝の説教は風物詩と化しているのが現状である。
委員長……ではなく副委員長に従いホームルームの挨拶をする。珍しく委員長である二咲は休みのようだ。
席に着き次々と連絡事項を伝達していくのをいつものように右から左へ聞き流していく。これが日常。堕落した今の自分の当たり前。
ほどなくして不意に教室内が騒めいた。何かと思って意識をホームルームに傾けるとクラスメイトの数人が、不満げな声をあげていた。
いったい何があったのだろうか。
「みんなの気持ちもわかりますが、殺人鬼が捕まるまで放課後の部活動は中止です」
なるほど。どうやら今朝のニュースでやっていた殺人事件の影響で部活動ができなくなったらしい。教育機関としては妥当な判断だろうが、部活動をやっている連中からすればいい迷惑なのだろう。
まあ、部活動を何もしていないので俺には何の関係もない話だが。
◇
昼休み。
流石に二日連続でばっくれる気にはなれなかったので職員室に向かった。
職員室内は昼休みだというのに慌ただしい。それは校長先生も例外ではなく鳴り響く電話対応に追われている。そのせいだろうか。
「晃成君。昨日来なかったことはもういいから、月曜日からはちゃんとしなさい」
昼休みの半分は無くなると覚悟していた悟りの時間はそんな小言だけで終わった。けどまあ、想定していたより早く終わったのはラッキーだ。購買部で何か買って行くとしよう。できれば焼きそばパン以外が余ってると最高だ。
◇
「あ、早かったですね」
いつものように昼飯を食べようと屋上に行くと我が物顔でゲテモノパン(スパゲッティパンミートソース味)をリスの如く頬張る碧波由奈の姿。
ブサイクである。
あまり近くに座りたくないので少し離れた場所に腰を下ろす。
「何でそんな距離あるんです?」
「一緒に昼飯を食べるほど仲がいい訳でもないだろう」
「ふうん。そうですか」
購買部で買ったメロンパンを食べながらそう答える。相変わらず太陽は雲に隠れていてかなり寒い。貴重な熱を与えてくれるものは缶コーヒーだけというのは心もとない。しかも今日は風も出ているから尚更だ。雪でも降るのだろうか。
寒いしさっさと話を終わらせよう。
「それで、今朝の話の続きをしたいんだけど構わないか?」
「大丈夫です。それでどこから聞きたいんです?どこからでもいいですよ」
葡萄ジュースを飲みながら告げる碧波。
気付けばゲテモノパンは綺麗に胃袋に収まっていた。マジかよ。どんな胃袋してやがる。
……いや、今はそのことに気をしてる場合ではない。
「んじゃ、まずは簡単な質問から。碧波、お前が家まで運んでくれたのか?」
「はい。そうですね」
「助けてくれたのもお前?」
「はい」
「それじゃあ、俺を助けたって言ってたがリラは――元真祖はちゃんと消滅してたか?」
「ええ。赤塚君が無様に気絶した後、真祖はその姿を消しましたけど。赤塚君――」
そこまで言って碧波は言葉を区切った。まあ、どうやらリラは無茶をしなかったらしい。それがわかっただけでも充分である。
そして碧波は続ける。
「あの女性は本当に真祖なんですか。街一つ程度なら易々と滅ぼすことのできる真祖があの程度の魔族に後れをとるとは思えません。赤塚君、あれは一体何なんですか」
「なにって言われてもな。あれは正真正銘、吸血鬼の元真祖だよ。碧波。暴食の聖具の能力は知ってるだろ」
「ええ。もちろん知ってます。魔族、祓魔師の霊力を喰らう呪具ですよね」
「そうだ。今のリラは俺が喰いきれなかった残り物。真祖の形をした何か。真祖としての能力の大半を俺に奪われた吸血鬼の元真祖だ。そして吸血鬼としての権能……高い再生能力や変態能力は俺に引き継がれている」
「それじゃあ、あの女性には何の戦闘力もないということですか」
冷静な口調で問い質してくる碧波に俺も落ち着いて答える。
「いや。ある程度は残っている。つっても、ご存知の通りかなり弱体化してるがな」
「――では、今の赤塚君は吸血鬼の再生能力を保有している限りなく真祖に近い存在であると?」
「残念ながらまあ、そうなるな。それがどうした」
正確には暴食の聖具で真祖を喰った後遺症であるが。
まあでも。そのおかげで身体の強度は並みの人間だが、再生能力が群を抜いている
とはいえ、この再生能力も真祖本来の再生能力には到底及ばず、万能という訳ではない。
頭を吹き飛ばされたら流石に死ぬし、身体を再生するのにも時間が掛かる。権能を引き継いだといっても全盛期のリラのように無くなった腕が一秒後に生えてくるみたいなことはできない。
「いえ。特に意味はありません。ただ、赤塚君が元真祖を使い魔にしている理由がわからないなと思っただけで」
「……」
確かにそれは極めて真っ当な疑問点だ。しかし、それに答えるつもりはないので黙殺させてもらう。
「話を戻すぞ、碧波。俺を襲った魔族はどんな奴だった?」
「人狼のように見えました。でも正確にはわかりません」
「わからない?それはどういう意味なんだ」
対魔族のスペシャリストである祓魔師がわからない魔族なんて果たして存在するのだろうか。
「――外見的特徴はまさしく人狼そのものでした。ですが、逃走時に使用したのは翼でした。あれは恐らく天狗の翼だと思います」
「何だそれ。そんな魔族がいるのか」
それじゃまるでファンタジー小説に出てくる合成魔獣そのものじゃねーか。
いつから姫野宮は異世界になったんだ。
「実際にこの目で見ましたからそのような魔族が存在するのは確かかと。ですが、あれが一体何なのかは私にはわかりません。すみません、不勉強で」
「いや、別に謝るようなことじゃないだろ」
そもそも教会本部から派遣されるような祓魔師が知らないというのなら誰も知らないはずだ。
あ。いや、瀬那さんならワンチャン知ってるかもしれない。
とはいえ、連絡すると後が怖いので聞いたりはしないが。
まあでも。俺を襲った奴の外見がわかっただけでも僥倖だ。全くの無知であるよりかは対策の取り様はいくらである。
そして昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り、俺と碧波は教室に戻っていった。
◇
五限と六限の休み時間。
トイレに向かう途中、唐突にスマートフォンのバイブが振動した。発信者は店長。今日はバイトのシフトは入れてないはずだが、どうしたのだろうか。
校内での携帯電話の使用は禁止されているので人気のない屋上付近の踊り場で電話に出る。
「もしもし。赤塚です」
「あ、赤塚君。お疲れ様です」
「お疲れ様です。どうしたんです。こんな時間に」
「いや本当に申し訳ないんだけど、今日はバイトに来てくれない?ちょっと想定外の仕事が入っちゃって人手が足りないんだよ」
なるほど。そういうことか。まあ、放課後はいつも暇なんで別に行ってもいいが……。何だか今日の店長の声がいつもと違って聞こえる。
風邪でも引いているのだろうか。
「構いませんよ。ちゃんとお給料が頂けるのであれば」
「もちろん。ちゃんと払うよ」
「良かった。どこぞの万屋所長とは違いますね」
「ア、ハハハ。そうかな。そ、それじゃあいつも通りに来てくれればいいから。また」
言って電話は切れた。
やっぱり少しおかしな感じはしたが、些末な問題だ。きっと勘違いだろう。
兎に角、放課後は二日連続のアルバイトに勤しむことにしよう。