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春と夏のあいだに  作者: 山下ひよ
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 俺の名前は深田夏希。

 春にめでたく志望の大学に合格し、勉学に勤しむ十八歳の大学生だ。

 自分で言うのも何だが、これまでに挫折を感じたことがない。勉強もスポーツも、やってみればすんなり出来たし、学校生活も常にリーダーシップを発揮し、皆に慕われた。


 弟の名前は深田春馬。

 俺より三つ下の、高校一年だ。

 俺と違って、引っ込み思案で人見知りで、勉強もスポーツも人一倍努力したってうまくいかない。いつだって自分に自信がない。


 小さい頃は仲がよかった。

 なかなか友達が出来ない春馬は、いつも俺の後をついて回っていた。俺も自分が頼られる兄だというのが自慢で、よく弟の面倒を見ていた。

 だけど、小学校に上がると俺の世界は広がっていき、弟よりも友達と遊ぶ方が好きになっていた。それでも俺と遊びたがる春馬がだんだんと鬱陶しくなり、ある日、春馬にかくれんぼだと言って隠れさせ、そのまま放って遊びに行った。

 家に帰ると春馬はわんわん泣いて、母に「お兄ちゃんに置いて行かれた」と主張していた。

 叱られると思った俺はとっさに「かくれんぼするなんて言ってないよ。春馬が寝ぼけてたんじゃないの」と嘘をついた。母は、春馬より俺を信用し、しつこく泣き続ける春馬を「いつまでも泣かないの」と叱り始めた。

 その日から、春馬は俺の後を付いて回るのをやめた。それどころか、俺の言うことを全く聞かなくなった。

 追われれば鬱陶しいが、去られると何だか悔しくて、言うことを聞かない春馬に悪態を付くようになった。それがいつの間にか普通になって、すぐには埋められない溝が出来てしまっていた。



 あの朝から四日間、俺は大学を休んだ。

 とても行く気になれなかったし、家族が交代で春馬に付き添っていたからだ。

 特に母は、なかなか休もうとしなかった。ほとんど眠らず春馬に付き添い、時々声を殺して泣いていた。

 三日目に見かねた父が無理やり家に連れ帰り、ようやく横になったくらいだ。

 父も初めは取り乱し、病院では植物状態になった春馬を放心したように見つめていたが、立ち直るのは一番早かった。

 何とか母と俺を落ち着かせ、なるべく早く元通りの生活を取り戻そうとしているように見えた。その姿は、見方によっては春馬のことを忘れようとしているように感じられ、俺は春馬に酷いことを言った事実を棚に上げて、父に対しての不信が募った。

 だが、付き添いを父と交代するために着替えを持って病室を覗いた時に、父がベッドに横たわる春馬に向かって、小さな声で何度も謝っているのを聞いてしまってから、そんな気持ちもなくなった。



 俺達はごく普通の、どこにでもいる家族だった。

 父は大手電気メーカーの新規開発部部長だ。幼い頃から厳しい教育を受けてきた人で、父自身厳しい人だ。俺と春馬にも、常に成績などにおいてトップになることを求めてきた。

 俺はその点優秀だったから、父のお気に入りだったし、春馬はもちろんうまくいかないためにいつも父に怒られていた。

 母は、父に従順な専業主婦だ。いつだって、「お父さんの言うとおりにしなさい」と言う、だが俺達にとってはめったに怒らない優しい母親だ。父に叱られると、その後に必ず慰めてくれるような母だ。

 しかし父がどんどん春馬に対してつらく当たるようになり、母も次第に春馬と距離を置くようになってしまった。いや、春馬が父の味方である母を避け始めたと言った方が正しいか。そして俺と春馬の関係は言うまでもない。



 春馬が自殺する十日前、春馬の高校から電話があった。

 最近、度々春馬が授業をサボっているという内容だ。

 これに父が激怒し、春馬を殴り、ひどく叱った。もともと志望の高校に落ちて、滑り止めで受験していた、父にとっては「三流」の高校だ。それだけでも許し難いのに、そこで真面目に過ごしていないと聞いた父の怒りは相当のものだった。

「こんな息子を持って恥ずかしい」と春馬に怒鳴った。母も俺も、同じ部屋にいたのに、まるで何も聞こえていないかのように沈黙していた。春馬はしかし、父に謝らなかった。父が「もういい。顔も見たくない」と言うまで、黙っていた。


 それから春馬があんなことになるまで、父は春馬と一度も口を聞くことはなく、また母もそんな父に随従し、何となく春馬とぎこちなくなっていた。

 きっと二人は、春馬が自殺したことを自分のせいだと思っている。

 俺と同じように。




 春馬が入院した二日後、俺は春馬の着替えを病院に持ってくるよう父に言われ、春馬の部屋のドアを開けた。

 部屋の時間はあの日以来止まっていた。未だに空の薬瓶とワインボトルがカーペットに転がり、こぼれたワインが赤いシミを作っていた。

 俺はしばらく部屋に入ることが出来ず、立ち尽くしていた。血の気のない弟の顔を思い出す。

 どんな思いで、大量の薬を飲んだのか。

 ひどく暑い初夏の日にも関わらず、俺は冷や汗をかいた。

 ひとつ息をつき、覚悟を決めてそっと部屋に入り、クローゼットに近づく。

 だがふと違和感を感じ、一瞬視界に入ったゴミ箱の中を思わず見、息を呑んだ。


 ゴミ箱の中に、春馬の携帯電話が捨てられていた。




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