甘いことだけでは世の中を渡れませんの
新しい侯爵家を早期に乗っ取るには邪魔な子供。
侯爵家を名実ともに手に入れるには囲い込む必要のある子供。
それが私。
セシリアーナ・エル・ナクタリアージュ。
ナクタリアージュ侯爵家唯一の子供。
公爵家三男の父が入婿になり、伯爵家から侯爵家へとなったナクタリアージュ家の娘。
私の見る夢はいつも同じもの。
「愛しいセシリー。貴方が幸せでありますように」
そう言って父と私を狙う凶刃を身に受けて、天に召された母。
あと一歩届かないところで母を引き寄せようと手を伸ばした父。
呆然と見ることしか出来ない私。
母が倒れてから凶徒を捕縛する騎士団。
何故、私は、母を助けられなかったのだろう?
何故、父は、母を守れなかったのだろう?
何故、騎士団の方々のは、母が害される前に凶徒を捕まえてくれなかったのだろう?
その答えを探しながら、私は自分を鍛え磨き続けることしかできない。
母と父は貴族には珍しい恋愛結婚だったそうだ。
父は公爵家、母は伯爵家の生まれで、平穏に身分でも反対されず婚姻関係を持てる間柄だった。父が公爵家三男で、母が没落寸前の伯爵家唯一の直系でなければ。
公爵家の三男ではあるものの、騎士や上級文官ではない父は未開拓の分野を専門とする研究者。
伯爵家令嬢の母は優しく領民に慕われるものの、特に目立つ才能はない。
伯爵家の領地で父が植物の採集をし、母と出会ったのが全てのきっかけだそうだ。
貴族としては穏やかすぎるふたりはお互いに引かれ合い、恋仲となる。しかし、公爵家は没落寸前の伯爵家令嬢を嫁にしたいとは思わないし、伯爵家も唯一の直系を嫁に出す訳にはいかなかった。
しばらくして、父の研究が王の称賛を得て褒美を与えられることになる。それまで見向きもされなかった父が女性から狙われるようになるが、父は褒美に母との婚姻、そして自分が入婿となり研究の功績を母と、そして伯爵家と分かち合うことを望んだ。
結果、王は願いを聞き届け、没落寸前の伯爵家は父を入婿にして侯爵家となった。
体の強くない母は私を身籠り、出産して更に体調を崩すようになっていく。
辛そうにしていても、私を眺める母の目はとても優しかった。
父は王より研究者として励むことを求められたため、侯爵家の当主としての仕事はほとんど母が行っていた。
母が執務に掛かりきりになるのが寂しく、わがままを言った記憶もある。苦笑しながら抱き締めてくれる母のため、私自身も執務の手伝いをしようと思うようになるまでに時間はかからなかった。
当時五歳。年齢としてはかなり早熟だったかもしれない。
文字の読み書き計算は既にできていた。幸いなことに専門的なことは母と補佐の者達に聞き、必要な項目を確認することができる程度の能力はあった。
午前中は変わらず教養を学び、午後は母と共に執務を行う。
そんな幸せな日々はわずか二年で幕を閉じた。
新たに侯爵家となったナクタリアージュ家を憎く思う輩が父と私を葬ることを望み、その暗殺を庇った母が天に召された。
侯爵家になれたのは全て父の功績であるから好きなようにしてほしいと、年齢のために当主の立場を退いた祖父母が涙ながらに語る母の葬儀。
慰める言葉を並べながら、自分の息のかかった後妻をと勧める貴族達に吐き気と絶望を覚えた。
父は母を深く愛していたため、どれ程勧められても後妻は取らなかったが、侯爵家当主としての執務を肩代わりできる人材は必要だった。
昔からいた補佐達はそのままに、私が当主代行をすることもなんとかできる程度にはなっていた。ただし、私は先々貴族の子として学園に入らなければいけない時期が来る。ほんの数年しか携われないなら、最初から任せるしかなかった。また、私が当主代行を担えると知れば再び命を狙われるだろう、と最も信頼している補佐達は悲しげに言った。
外部から入ってきた執務官は自分にとって都合のいい仕事しかしない。私と補佐達で父を説得して、最終的な判断は補佐達の中で経験の豊富な者に委ねる、とすれば明らかに越権行為をし、脅すような執務官も出た。定期的に父に報告される職務態度や問題行為によって、何度となく執務官を解雇することになった。
周囲は母と同じく婿をとり、夫となる方が次期当主となることを望んだ。父の意向は知らないけれど。
私と婚姻を結べば侯爵家当主になれる。そんな欲を隠しもしない男達の見合いなどしたくなかったが、ナクタリアージュ侯爵家をどのように見ているかが分かる試金石にもなった。
なんとか防げているが、このままではナクタリアージュ侯爵家が貪られ傀儡となってしまう。
そんな焦りを抱え、他家からの圧力に耐えうる力をつけようと励む日々。
出口のない暗闇をさ迷うような、恐怖があった。
母を可愛がってくれた、とある女性に出会うまでの、最も辛い時期の話。