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最終章1

静まり返った世界。そこで一人の男が、一人の少女を抱きかかえている。

獣の爪を持つ、人間なのかそれとも蟲なのか判別が難しい少女を。そしてそれを取り囲む、倒れ伏した蟲狩たち。

「……やはり」

一人の美貌の少女がそれを見て、静かに小太刀を構える。

「ヤンホゥ様、インユェを御放し下さい」

「離した途端に、首をかき切るつもりの女が何を言う、フーシャ」

「よくお分かりで」

フーシャと呼ばれた彼女は目を伏せた。手が震えている自覚は十分にあり、そして自分は果たしてインユェを屠れるのかという問題も彼女の中にはあったのだ。

「これは俺のインユェだ、ほかの何者にも何も譲らん」

男の抱きしめる手が力を籠める。瞳はらんらんと劫火の輝きを宿し、決意はおそらく誰よりも固い。

「譲ってたまるものか」

それは度し難いほどの独占欲で、たとえインユェが何者であってもその決意は揺らがないだろう。

それを如実に感じさせる言葉たちだった。

「俺はもう、手を離さない」

言いつつ、男は県を一振り拾い上げる。石の剣は恐ろしく重く、鉄よりもなお重い。厚みが違うのだから当然だろう。

「邪魔をするなら、フーシャといえども殺せるぞ、俺は」

瞳のきらめきが一層剣呑に尖る。フーシャはその、固すぎる意思に歯を立てる事が出来ない事実を知った。

しかしそれでも、フーシャは小太刀を捨てない。

「いいました、私たちの村では、蟲になった牙を殺すと」

「言ったな。だが俺はそれに諾とは答えていない」

男の瞳は燃え盛るように強い赤い光を宿し、言い切る。

「言っただろう。この女の全ても、生死も、俺の物だ。そして俺のすべてはこのインユェの物だ」

その思いの苛烈さに、フーシャはひるんだ。からんと、いつの間にか手から小太刀が滑り落ちた。

「邪魔をしてくれるな、フーシャ」

男は一層凄絶に笑う。

「お前の里で、人蟲を恐れたのは子供をなすからだろう? はて、人間と人蟲の間に子供が生まれる事があるだろうか?」

言って、彼はゆっくりとした歩調で歩き始めた。

「手当の人を呼ばせてもらおう、彼らは存分に戦ってくれた」

「……あなたに責任が取れるのですか、もし人蟲の子供ができてしまったら」

細い体を軽々抱える男の背中に投げかける、フーシャの声は震えていた。

「ああ、なに、その時は」

その時の男の表情はいっそ傲慢で、フーシャはその表情に言葉を失いかけた。

「この国自体を滅ぼしてでも、愛した女とその子供は守る、な」

それが間違いようのない本気だと、分かってしまったフーシャは、遠いお伽噺を思い出した。あれはいつ聞いた話だろうか。

異種婚類譚だった。

差とのお伽噺はいつでも人と蟲の物語で、あれはいつ聞いた話だったか。

天から下りてきた美しい人の姿の蟲と、地上の男の恋の物語。結末はたしか……

『これは禁忌の話だよ?』

笑った先代の牙の、無邪気な笑顔が思い浮かんだ。フーシャが、インユェが牙になるより一足早く、若頭になった時に聞かされたお伽噺だ。

『二人の子供は……』

笑う口元と、そこからぞろりと見えた鋭い尖った歯。そうだ、あの頃すでに、先代は人蟲になりかけていたのだろう。それでも正気を失わなかったから、まだ村の誰にもそれを気取られなかったのだ。

その口元が言葉を紡ぐ。村の禁忌の話を、村で知っている人間はもう、誰もいないかもしれないお伽噺の結末を。

『幸せに、人として暮らすのさ。山奥に、ひっそりと隠れてね。それが』





『俺たちの、ご先祖様なんだ、皮肉だろ、蟲の系譜が蟲を狩るなんてさ』





フーシャは今ここで、どうして牙だけがその力を覚醒させるのか、理解した。牙は先祖返りだ。どうして今まで、この禁忌の話を忘れていたのだろうか。

牙はおそらく、天から下りてきた蟲の血がことさらに濃いのだ。それが強さの一旦で、彼ら彼女らが人蟲になってしまう理由。

蟲の系譜が、人蟲を忌み嫌ったのは、恐れたのは、おそらく同族嫌悪に近い物であるのだ。

そして、人と交わるために必要な行為だったのだろう。人蟲は強すぎる。強さは松明のように明るいが。同じように恐ろしい物なのだ。異能が強すぎれば、人と交われない。

それは生物としての危機だ。子孫が残せないというのは致命的な物がある。それがあるから、里では人蟲と人の子供は認められないし、子供を作る行為をすること自体が禁忌なのだ。あの村が壊れないために長老たちはフーシャに、インユェを人蟲にしないようにと人里へ送ってよこしたのだ。

それがフーシャには今初めて理解できたし、納得できた。

「……インユェはそれでいいと言いますか」

「あとで聞けばいい。こうなるために、俺は都に来てからこちら、役職の後任を弟に譲る仕事をしていた」

インユェは笑うだろう。フーシャにはそれが分かってしまっていた。インユェは、男の言葉にそれは晴れやかに笑い、彼を抱きしめるだろう。

「こうなるためとは」

それでもフーシャは問いかける。彼はどこまで未来を予知していたのか。そう考えるとひときわ恐ろしく感じたのだ。

「何、簡単だ」

腕の中の少女以外に大事な物などどこにもない、そういうおもてで男が薄笑う。

「愛しいインユェと、人生を隣り合うために。俺の身分は邪魔でしかない。捨てる用意は簡単だ。もとより欲しかったものでもない」

ああ、とフーシャは思った。インユェは捕まってはいけない男に捕まった。

蟲取りの罠よりも粘着質な、質の悪い男に。そして。

「インユェは、あなたの隣をどこまでも喜びそうですわね」

「だろう?」

上機嫌の唇で笑みを形取りそう言って、男が踵を返す。そこでフーシャは我に返り、倒れ伏す部下たちの傷の程度を調べ始めた。

幸いなのか、意識を失うだけで、そこまでひどい傷を受けた蟲狩はどこにも見当たらなかった。






「よく、この都を救ってくれた。褒美をとらせよう」

皇帝はそう言って、包帯まみれの蟲狩たちを見やった。その中のもっとも功労者である女が見当たらない事実に、怪訝な表情をとりながら。

「褒美?」

「それって何? 何語?」

「親分がいれば通訳してくれるのに」

「ねえねえ、若頭もいればきっと通訳してくれるよ」

「どこ行ったんだか」

「親分、ちょっと見た目が変わっただけで中身はきっと何も変わらないよね。親分もこのあたりで見つけられないし、気配も辿れない」

蟲の襲来の中でも無事だった兵士たちは、彼ら蟲狩の言葉に気色ばむ。これはあまりにも無礼極まりないのだ。

しかし、彼らは口々に話すし、顔を見合わせて色々言いあっている。

蟲の襲来から数日がすぎ、都はある程度の秩序を取り戻し始めていた。

都の治安維持部隊はほとんどが蟲の餌食になったが、暇を持て余し気味だった城勤めの兵士たちをその任務に就かせる事で、人手不足をある程度解決したのだ。

しかし上層部は首も変わらない。当然だ、彼らは有数の権力を持った貴族たち。皇帝といえども簡単に首にはできず。そして今回の事はあまりにも異例だった。

皇帝も聞いた事がなかった、鉄の武器が通用しない蟲の襲撃など。

上層部も経験から、都を守ろうと尽力したのは事実なのだ。簡単に首を取り換える事は出来ない。この混乱の中、新しいメンツに変えるのはある意味危険だったのだ。変化は常に危険と隣り合わせなのだから。

しかし、だからと言って強力な戦闘能力を持つ蟲狩たちに何も与えないという選択肢はない。彼らには十分な報酬を与える事が必要だった。

そして、この都に留め置く事も懸案事項だった。何故ならば、彼らはあまりにも強すぎる。この集団一つで、国を一つ落とせるだろう。そんな危険分子は、皇帝の目の届く場所に置かなくてはならない。

褒美はある意味、彼らをここへ残すための餌だった。

だが。

褒美の意味すら知らない蟲狩たちは、顔を見合わせて意見を交換し始めている。

皇帝はインユェが、実は彼らの中でもまっとうな知識を持っていたという事実をここで知ってしまった。

「褒美というのは、身分の高い人間が、身分の低い人間に与える報酬ですよ」

文官が柔らかに説明をする。それを聞いたとたん、蟲狩たちはまた顔を見合わせて、ふっと武器を各々持つ。

その物々しさに、文官が腰を抜かしかけた時だ。

「悪いな皇帝サマ。俺たちの最上位は姉さん以外にいない。褒美なんてものはいらない。くれる物なら大体はありがたくもらうけどな、あんたを頂点よりも上だと思わないぜ、俺たちは」

右手を吊った青年がいいきり、彼らは一様に頷く。

「そうか、では」

「お役職はいらねえぜ、俺たちは身軽なのが信条だ。俺たちを何かしらで縛ろうと思ってそれができるのは牙一人だ」

ほかの青年が断言する。皇帝はある意味驚いた。彼らは皇帝である自分が、彼らを囲い込もうとした事実に気付いていたのだから。

彼らの半数は溜息を吐く。

「牙にゃいってないけどな、そう言う事をする領主や町の長は多いんだ。大体わかるぜ、あんたみたいな立場のやつの考えは」

言って、一人が瞳をきらめかす。知的な片眼鏡の青年だ。

「私たちは危険すぎるのでしょう?」

当たり前のような事実を彼はさらりと口にした。そして何がおかしいのやら、フフと笑う。

「私たちは蟲狩の最高峰の力を持つ集団、北の山の蟲狩ですから。それも精鋭を集めてここまでやってきましたからね、それは強いでしょうよ。しかし、これを御せるのはあなたではありませんよ、皇帝陛下どの」

「インユェだけなのじゃろう?」

「ええ、あの方が我らの無二の牙。たとえいかような姿であっても。呪われた宿命を持っていたとしても、我らの頂点は彼女一人。これは昨日全員で話し合った結果です」

皇帝の確認のような言葉に、青年は頷き、その言葉を当然と口にする。

そしてまた瞳を輝かせて、微笑み言う。

「下さるものはそうですね、減税が一番ですね、我々は毎年徴税前に、あのような命がけの相手と戦っているのです。それなのに、ほとんどを税として持っていかれてしまうので、わが村はかなり貧しいのです。我らの功績を認めてくださるのならば、税を半分ほどに減らしていただきたい」

「なっ……!」

文官が絶句する。彼らが納める蟲の皮は、貴重な、役人たちに与えられる給料の一部だ。

武官がこぞって好むもので、それを減らせなどとは。やっていい事ではない。

皇帝はしばし考え、言葉を発する。

「考えておこう」

くすくすと誰か蟲狩の子供が笑う。それはさげすんだ笑いだった。片眼鏡の青年が言う。

「ではほかの物はいりませんので。ほかの物を渡したから従えと言われたら、我らは侮辱と受け取りましょう」



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