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5-14

甲高い声、それを発したのは紛れもなく自分、インユェは高らかに笑う。

何という自由だろう!

蟲をおびき寄せる、牙のみに許された技法。蟲乞い。その音を聞いた蟲は、ことごとくその音に引き寄せられる。

絶対的強者でなければ、使うのは自殺行為である音の連なりだ。

それを許されているインユェは、それを余す事なく歌う。声帯を震わせ、まるで喜ぶように唱える。

インユェは慣れ親しんだ、もう数か月は触れていなかった愛用の武器をひらりと動かした。

それはいわゆる、鞭である。ただし鞭の紐の部分にも鋭利な刃が取り付けられており、その長さは普通の物のはるか十三倍はある。

それゆえ通称は十三倍という。

普通の人間では持て余すし、普通の蟲狩でも持て余す。

だがそれを使えるのがインユェだった。

彼女はすうっと金の瞳を細めた。笑う表情は誰が見ても凶悪で、清々しいほど美しい。

彼女はゆっくりと鞭の先端を振り始める。

だんだんと先端が全体になっていき、数分もすれば、鞭はまるで生き物のようにうねり、彼女の意思を忠実に反映するものになる。

それはたったの準備運動。

蟲が近づく。

インユェはひときわ高らかに蟲乞いを行い、行いながら跳躍した。

ばっと、蟲が相当な数、彼女に群がった。

それを恐れる彼女ではない。

彼女は鞭をしなやかに動かした。それは相棒の獣に、短く合図を送るようだった。

途端、踊っているだけに過ぎなかった鞭が、凶器に変わる。

鞭がしなやかに、獲物を捕らえる。たわむ様な遊びも、インユェの前では意味を成す。

鞭はことごとく蟲に絡みつき。彼女が少し鞭を引き寄せるだけで、蟲の体を引き裂く。

インユェは跳躍した結果として落下していく体を、同じように落下していく蟲の亡骸を踏み台にしてさらに跳躍させ、宙を舞い踊る。

蟲乞いは高らかに。鞭はいっそ残虐に。

一度に何匹もの蟲を屠るその技量は壮絶で、見た人間は彼女を、同じ人間だとは認識できないだろう。

蟲は我先に群がってくる。蟲乞いに魅了され、蟲乞いに引き付けられ、死神の御前に呼び寄せられているとは欠片もわからず、鞭の餌食となる。

インユェは、踊るように蟲を屠っていく。

あちこちから、討伐の知らせが指笛や口笛として知らされてくる。

それを聞きながら時折、的確で短い支持を飛ばす。

今回は皆腕の振るい甲斐があっていいらしい。

誰もかれもが、完全な討伐を行っている。

インユェは笑い、また高らかに口笛を吹きならす。

羽根や翼が生えているかのように。宙を舞い踊り、その鞭で蟲をことごとく、屠っていく。

そこに慈悲の欠片は存在していなかった。

彼女にとって蟲は狩るもの。容赦をする義理も道理もなく、ただ蟲狩としての本分を全うするだけだ。

二百三十を超えたあたりで、インユェはほかの方角の部下たちが、自分の持ち場での討伐を終えて、中央に向かってきている事を知った。

かまわない。

どうにせよ装甲や皮膚が柔らかい幼体ばかりという事が、有利に働いている。

巻き添えを食らうなと口笛で指示を出し、インユェはお出ましになった厄介な相手を見て、にいっと笑った。

それは大蜈蚣の中でも頂点の固さを誇る、通称鬼神蜈蚣である。

この蜈蚣は牙一人ではなかなか倒すのが難しく、他の狩人では死ぬ以外の選択肢を持っていないとまで言われている奴だった。

それでもインユェの血はたぎる。心が歓喜に打ち震える。

それはやっと出会えた恋人に対するような思いで、インユェは彼らの登場を待ち焦がれていた部分があった。

会いたかった、とインユェは蟲乞いをさらに甘ったるい音調に変えて唱える。

鬼神蜈蚣たちは、その声にうっとりとしたらしい。

里の石の刃がなかなか通用しない鬼神蜈蚣。

牙はどう倒す……?

インユェは宙を舞いながら少し考えた。

そこで中央に来た第一陣が、音で到着を知らせてきた。

「姉さん!」

「御大将!」

インユェは、地面に着地した。

「早いな」

「俺たちを誰だと思ってんだよ?」

「おれの可愛い部下たちだ。お前ら、恐ろしくって小便垂らすんじゃねえよ? 鬼神だ」

「でしょうねえ、あの煌く青緑の装甲! 毒々しい橙色の足! あの牙から滴る毒はまさしく鬼神のそれだ」

「攪乱を頼めるか? それとイーディン、お前はおれと一緒にあの鬼神を狩るぞ」

「それだけの腕を見込まれるって、気分がいいな」

「弟頼れないでどうすんだよ」

言いつつインユェは、傍らの相手に言う。

「紫」

「こちらに。でも御大将、あなた紫を原液で飲んで大丈夫なんですか?」

「鬼神相手には紫で能力かさ上げしにゃならない」

「……やっぱり御大将普通じゃない。あたしは攪乱すればいいんですね?」

「ああ」

「閃光玉、使っても?」

「いくらでも」

「やった、最新の調合の、桁違いの明るさの閃光玉開発してくれたんですよ。使うのが楽しみで」

「御託はあとだ、行くぞ、イーディン」

「いつでも、姉さん」

牙と有能な爪は笑い返し、そして同時に跳躍した。

閃光玉が破裂し、光が炸裂する。

鬼神蜈蚣たちがひるむ。インユェはそれを逃さない。

「イー! 右を行け! 眼をつぶすぞ!」

「得たり!」

インユェの凶暴な鞭が、一匹の鬼神蜈蚣の複眼を叩き落とす。それと同時に、イーディンの薙刀が他の鬼神蜈蚣の複眼を切り落とした。

三匹いるうちの二匹が、眼を失って暴れまわる。

その隙に、インユェは自分の手首を切り、血を鬼神蜈蚣の背中に滴らせた。

甘い女の血の匂い。

鬼神蜈蚣たちにはたまらない香りは、眼を失った彼らにとって甘美すぎる。

そして同士討ちが始まった。

インユェは領巾のような布で手首を縛り血を止め、言う。

「火」

その時だった。

「姉さん!!」

「? ……!」

鬼神蜈蚣の一匹が、血の出所に気が付いたらしい。

大口を開けて、彼女に迫ってきた。

とっさに回避しようとして。インユェは背後の家に気を取られた。

そこでは小さな子供たちが、息をひそめて様子をうかがっているのだ。

逃げられない。

インユェは、腕を持っていかれる覚悟をして、腰の小刀を抜刀した。

がぶり、と鬼神蜈蚣の大あごが、インユェの腕に食らいついた。

インユェは小刀に大量のつばをつけ、激痛をこらえながら、その頭部の神経の中心を、貫いた。

蜈蚣は人間のつばに弱い。唾が付くと、その場所がひどくもろくなるのだ。

小刀を深々と貫かれた鬼神蜈蚣はびくびくと震え、そしてぐったりと倒れ伏した。

顎が外れた。

インユェはどくどくと流れ始めた自分の血に苦笑いをし、駆け寄ってきた弟の腰から、赤の原液をひったくった。

「もらうぜ」

「もらってもいいけど、姉さん、その腕……!!」

「赤の原液つけりゃ治るぜ」

「……後で治癒蛞蝓の治癒を受けてもらうからな!」

「はいはい」

指笛や口笛が聞こえてくる。同士討ちをした鬼神蜈蚣はもう動けない。

それでも保険として、頭部の神経の核を貫き、インユェはよろよろと歩きだした。

途中で、弟に担がれ馬蟲に乗る事になったが。

「久しぶりすぎて、勘が鈍ってらぁ」

「姉さんは最高の牙だ。それは絶対だからな」

「ありがとうな、ほめてくれて」

軽口をたたいたインユェに、弟は怒った声で返した。





そこは戦場もさながらの状況だった。

「紫! それから緑青! 灰緑! 息が持たないわ! 急いで!!」

フーシャが運ばれてくる怪我人、それもほとんど城の兵士たちの治療を行っていた。

彼女についている蟲狩や、眼とも呼ばれている子供も、ものすごい勢いで治療をしていた。

彼らは大瓶を七つ用意して、そこに七色の液体を混ぜた。

そのあとがすごいもので、次々と液体を混ぜ合わせて、傷ついた兵士たちに飲ませていくのだ。

その効果は絶大で、多少の傷や怪我ならば、ほとんど治ってしまうのだ。

フーシャはそれでも傷口を洗い、その調合液を患部に塗り付け、布を巻く。

「こいつはだめだ、腹を持っていかれた……!」

「俺をかばって!」

何人も、凄惨な怪我をした兵士が運ばれてくる。

フーシャはためらいもしないで、怪我の様子を見て調合液を作らせ、叫ぶ。

「治癒蛞蝓!」

言って彼女も、転がるように走っていき、神経締めをさせられた、まだ生きている巨大な灰緑の蛞蝓の肉をえぐりとって、皮をはぎ、腹部の半分がなくなっている男にそれを押し付ける。

「何やってんだ!」

見ていた兵士が悲鳴を上げても、フーシャはかみつく勢いで怒鳴る。

「黙ってちょうだい、邪魔よ!」

治癒蛞蝓の力は尋常ではなく、治癒蛞蝓の肉に患者の血が混ざっていくと、損傷していた内臓が再生を始める。

それを確認してから彼女は、調合液を患者に飲ませて、腹に布を当ててしっかりと固定する。

「この人には、一週間はかるく風呂に入らないように言っておいてね」

「あ。ああ」

「布を外しちゃだめよ、絶対に。治りかけの内臓が落ちるわよ」

「は、はいぃ……」

そうやって損傷の大きい兵士たちを治し、彼女は目からも王都の現状を確認し、必要な蟲を蟲狩たちに伝えていく。

そして二十匹も治癒蛞蝓を持ってきてもらい、彼女は血まみれになりながらもやり切った。

「これで最後か?」

「最後ですね」

最初からずっと、彼女の手伝いに回っていたヤンホゥの問いかけに、彼女は答えた。

「蟲でのけが人はこれで全部。目にはもう、怪我人が見えません」

目の子供が報告をする。

その子供に、思わずヤンホゥは頭を撫でてやる。

「ありがとう、よく視てくれた」

子供はへにゃりと笑った。

「えへへ、牙様のお相手に褒めてもらったよう!」

「よかったわね、目」

怪我人は一段落した。

「陪都公。あのものは、お主でなければ動かないのじゃない」

一段落し、ほっとした空気の中で、皇帝が呟くように言った。

それに、陪都公は笑った。

「いいえ、陛下」

「なんじゃ?」

「あの阿呆は、あなたの命令を待っていたのですよ」

「何……?」

「あの阿呆は、身分の高い誰かに誓ったとは言いました。ですが、あれは知っていたはずです。この場所で最もえらいのがあなた様だと」

陪都公は事実を語る。

「あれは、あなた様がその誓いを覆し、たった一言救えと言ってくれるのを待ち焦がれておりましたよ」

「……」

「あなた様は、あれのそういう部分に、気付くべきでした。俺でも気づいたのですから」

言って、ヤンホゥはフーシャに近付いた。

「……あのバカ、大怪我したみたいだわ」

不意に聞こえてきた口笛を聞き、フーシャが呆れた溜息を吐く。

「久しぶりすぎて勘が鈍ったのかしら。それでも、あのバカならもつわね。大瓶に調合液は残っているかしら? あったらそうね、蘇芳を調合しておきましょう」

「はーい」

その時だった。

不意に目が顔を上げて、呟いた。

「来る」

「え?」

「人でも蟲でもない物が来る……怖い、こわい、若長、怖いよう」

「そんな相手が……まさか」

その言葉を聞いた瞬間にフーシャは青ざめ、目に問いかけた。

「その人はどんな風に見えるの? インユェじゃないでしょう?!」

「牙様じゃない、男の人、蟲の目をした男の人……血まみれだよう、人が食い殺されていってる……蟲も食われてる」

フーシャはもう、完全に血の気が引いていた。

「人蟲が、もう一人……? そんな馬鹿な」

言ってから、フーシャは残された体力をかき集め立ち上がった。

「インユェと接触させてはいけないわ、馬蟲を借りるわよ!」

彼女はそういい、ふらりとよろめいた。

「フーシャ、何をそんなに慌てている」

「いけないのです、人蟲とインユェを会わせては」

「ならば俺も行くぞ、お前はふらふらだ」

「申し訳ありません……」

二人は馬蟲にまたがり、そちらを目指した。






「なんだ、あいつは」

インユェは弟の言葉に、顔を上げた。毒が体を回っているせいか、少し熱っぽい気がした。

だが。弟は引きつった声を上げている。

「どうした」

「人間が人間を食ってる」

「そんなわけないだろう」

言いつつインユェもそちらを見て目を見開いた。

「……ダーヤ?」

その見た目は、インユェの大事なダーヤと同じものだった。

だが、瞳が決定的に違っていた。煌く複眼は蟲特有のもので、その男は蟲の亡骸も人間の亡骸も、ぐちゃぐちゃと大口を開けて食らっていた。

「ダーヤが、どうして」

「逃げよう姉さん!」

言った時だ。

その、ダーヤらしき相手がこちらを向いた。

そして、長く吠えた。

「求愛の呼び声……」

どうしてその鳴き声がそうだとわかったのか、インユェでもわからなかった。


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