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5-10

どうして、インユェはここにいないのだろう。

第一にフーシャが考えてしまったのはそこだった。

ある夜、ヤンホゥがふらふらとお忍びで出かけてから、妙に機嫌がいい。

鎌をかけて見れば、何と言う事はなく、そしてフーシャだから隠す必要もないと思ったのか答えてくれた。

いわく。

インユェが見つかった。という、フーシャからして見れば待ちに待った知らせだったのだ。

本当だったらすぐさま居場所を聞いて、馬でも飛ばして駆けていきたかったのだが、そこはまだ直している途中の庭園で、誓い満月の時に宴が催されると言われたのだった。

フーシャは賢明だ。そんな状況の場所にいるインユェはきっと仕事が忙しく、自分が押しかけても邪魔になるだけだと判断した。

フーシャは相方の邪魔をしたいわけではないので、ならその宴の時に、あの金の髪を探せばいいだろうと思ったわけだ。

相方が経緯は何だかよく分からないのだが、花守り人で皇帝の近衛兵の下っ端だという情報は簡単に手に入ったので、仕事が終われば必ずその近衛たちとどんちゃん騒ぎをする。

絶対にする。なにせ周りはあの見た目を放っておかないのだ。

村でもそうだった。酒が好きではない牙を、酒呑みたちはその酔っぱらった頭の無謀さで引き寄せて、きゃあきゃあと騒いでいたのだから。

そして無理やり引っ張りこまれても、インユェは楽しそうだった。

それはそうだ。山に入ってばかりだから、村の情報があまり伝わっていない牙にとっては、些細な村での出来事も歓迎できる話題だったに違いないのだから。

フーシャは酒のみたちの輪の中で、嬉しそうに話を聞いて、薬草を煎じた汁を飲んでいた相方を、今でも思いだせる。

だから絶対に、インユェはここにいるはずなのだ。

しかし、近衛兵たちの中には、あの目立つ金色が見えない。髪が短くなっていたとは聞かされていたが、そんな色自体がないのだ。

フーシャは、下心満載で酌を頼んできた下級貴族の盃に、酒を注ぎ立ち上がった。

「どこへ行くんだい女官殿、まだまだ宴は」

「陪都公が何かご用件がないかうかがってまいりますの。わたくし、これでも勤めばかですの」

くすくすと笑う調子を作り、フーシャは彼らがなんだかんだと言いながらそれを許すのを聞き、颯爽と歩きだした。

底なし青の衣装を身に纏うフーシャの立ち位置は、誰が見ても分かるものだ。

それだけ底なし青の衣装は重要な役職を示している。

そのため、下心があっても階級がはるかに下である男たちは、彼女の後姿を眺めて残念な溜め息を漏らした。

「それにしても……この香りは何かしら」

フーシャは陪都公を探すふりをしながら、その実相棒を探しつつ、寒気を感じていた。

この甘ったるい香りは後宮の女たちが好むような香りだ。

それ自体はいいのだが、この香りは人工のものではない。

ならばここは庭園、植物の匂いなのだろう。

しかし何かが引っ掛かる。フーシャは中々思いだせない記憶にいらだった。

何だろう、こういうもので、とても危ない物があった気がするのだ。

「なにかしら……山では何と言ったかしら……」

フーシャが覚えていないのも無理はない。

彼女がそれを教えられたのは幼少時代にたった一回だけで、その現物を見せられたのもその時だけ。

危険だと思いだせる方がすごいのだ。

「庭園の植物はきっと、インユェが調べているだろうから、危ない物があるわけがないのだけれど、似た匂いの花があるというのかしら」

彼女はそう言いつつ、上級貴族や皇族が集まっている方に足を進めた。

彼らは何かを鑑賞していた。

きっと今が盛りで、特に美しい花を観賞しているのだろう。それも月の光の下で一番美しい花を。

そんな花をフーシャも十種類くらいは知っている。どれも陪都の庭園で、仲良くなった女の花守り人に教えてもらったのだ。

そんな風に思った矢先だった。

花の香りが、事のほか強く香った。もう、悪臭と言ってもいいくらいの強烈な香りだった。

フーシャは反射的に鼻を袖で覆って匂いを遮断した。それでも香る。

彼女は、主の背中をそこで発見した。聞いてみよう、本当にここにインユェがいたのかどうかを。

彼女はさりげなく、主の要件をうかがいに来た気の利く女官を装って、そちらに近付いた。

そして、見えたものに絶句した。

見開かれた瞳は、嘘偽りなくその光景を彼女に見せつける。

そこは一面、大輪の白い花が咲き乱れる光景だった。

花の花弁は真っ白で、玉のように透きとおるような透明感を持っていた。一点の曇りのない白さ。見事としか言いようがなく、月の明かりの元、それは光るようだった。

そんな大輪の華なのに、葉はきゃしゃな物で、それは貴婦人を思わせるものだった。

甘い臭いも、この花から漂っていたのだ。近付くほど、その匂いは強くなる。

後宮からきた貴婦人たちや、貴族の女性たちが、その美しい花を褒めているのも聞こえてきた。

可憐だ、美しい、艶やかだ、素晴らしい匂いだ。何と白いのか。月の光を切り取ったようだ。

そんな褒め言葉も、フーシャの耳には届かない。

どうして、どうして、どうして……

フーシャは足が凍り付いたように動かなくなった。

「どうして、インユェがいたはずのここに、あの花が咲いているの」

あの花を、あのにおいを、自分よりもはるかに五感が発達した相棒が、あんなにたくさん咲いているのに見逃すわけがない。

フーシャはただの村娘程度の五感しかもっていない。

それゆえ、近付かなければ分からなかったけれど。記憶さえあいまいで、見るまで忘れていたけれど、山でこれに何度も遭遇していたはずの、インユェだったら、分かったはずだ。

「見事な物じゃのう」

皇帝の言葉が聞こえた。

「お前が植え直したがったわけも分かるようじゃ」

「あの無粋の極みの、暴挙がお分かりになりましたか?」

「そうじゃのう、これほどの花を引き抜いたのか」

「都中から、大きな株を集めたのですよ。大変でしたわ」

皇帝と、皇妃の話し声だけが、どうしてか聞こえた。

彼女ははっとした。

『花守り人が、皇妃様の不興を買ってしまったそうだ』

フーシャの美貌に舌が軽くなった兵士が、そんな噂話を披露してくれた。

まさかインユェがここにいないのは。

「花をどうにかしようとして……?」

ありえない話ではない。

いいやそれよりも。

フーシャは頭を振り、推測を飛ばした。今やらなければならない事は、決まったのだから。

彼女は無作法にも見えるほど裾をからげて、皇妃に話しかけられている主のもとに近寄った。

「陪都公!!」

「陪都公はわたくしと話しているのですよ」

皇妃が色っぽく微笑む。だが、フーシャという飛びぬけた美貌に、警戒心を見せている気がした。だがそんなものはどうでもいい。

フーシャは無作法は百も承知、後で罰せられてもかまわないと腹をくくり、陪都公に進言した。

「今すぐに、この庭園からお離れください!!!」

彼女の金切り声に似た声は、雅に還元を奏でて、優雅に花々を鑑賞していた貴族や皇族た力すれば、あまりにも無礼だった。

彼らの中でも、一人は手を振り近衛兵を使って、フーシャを下がらせようとした。

だがフーシャは、腕をつかんできた一人を蹴り飛ばした。男の急所を一撃された一人は、悶絶する。

自分のじゃじゃ馬っぷりなどはどうでもいい。

陪都公を、この庭園から逃がさなくては。

いいや、もしかしたら。

『都中から大きな株を集めた』

あれが正しいのならば、あの花は都中にあるという事で。

「この都は、危険です!!」

そういう結論に至るのに十分な要素だった。

怒鳴り、よく分かっていないのか動こうとしない主の袖を、フーシャは華奢な腕で引っ張った。

「今すぐに!! お逃げください、手遅れになる前に、あれが来る前に!!」

「あれ? お前は何を言っているの、気で狂ったかしら? それとも、お前は蛮族と通じているのかしら?」

皇妃が鼻にしわを寄せて言う。そんな疑いは今はどうでもいい。

陪都公たちさえ、逃がせれば。

フーシャは筆頭妃である、チュンリーを見やった。

「お妃さま、あなた様も今すぐにお逃げください、あれが、あれが」

焦るあまり、言葉が支離滅裂になる。

それでも、陪都公はフーシャをおかしいとは言わなかった。

「詳しく話せ、ふー……」

「陛下!!!」

その時だった。一人の衛兵が、血まみれた凄惨な姿をして走ってきた。

走るほどに、血が滴る。あまりのものに、女たちは悲鳴を上げた。

「なんじゃ?」

「蟲、が、大挙、してお、ります! 急ぎ、城にお、戻、りくだ、さい」

兵士はそれを言うのがやっとで、どうと倒れ伏した。血液の赤がこれでもかと流れだし、助かりそうになかった。

凍り付いた誰もよりも、フーシャは冷静だった。その衛兵に、最後の言葉と言わんばかりに言ったのだ。

「肉食?! 草食!? どの街道の方角!?」

「肉……にしの、かい、ど」

衛兵は最後の力を振り絞り、フーシャの問いに答えた。

その目が閉ざされる。

フーシャは決然と顔を持ち上げた。

「陪都公、今すぐに東の街道および北の山を超える手段を用いてお逃げください」

「高々蟲じゃないの。兵士たちは戦い慣れておりますわよ、陪都公の女官殿、あっという間に討伐は終わりますわ」

皇妃が何を言うのだ、と言わんばかりに言う。

フーシャはそれを無視した。

「お急ぎください。陪都公様、チュンリー様」

チュンリーはよく分かっていない表情だ。

「フーシャ、都の兵士たちはどこよりも訓練をしているわ。間違いなく。それなのにどうして逃げるというの? 都が一番安全だわ」

フーシャは唇を噛みしめた。

ある事実を言わなければならない。だがそれは、皇妃を非難する言葉だ。

信じてもらえる可能性が、少なすぎる。

ただの女官のいう事は、皇妃の前では覆る。

それでも。

フーシャは腹を決めた。

「そこの、花」

「月夜花がどうしたの?」

「山の蟲狩でも手を焼くような、肉食の蟲ばかり呼ぶのです」

「女官殿、こんな可憐な美しい、いい匂いの花がそんな恐ろしい物を呼ぶわけがありませんわ」

そうだそうだ、と同意の声が上がる。

ほとんどの人間が、現実を理解していない。

いいや、知らないから分からない。認めたくないから認めない。

フーシャの頭は冷静に計算を始める。

彼女は立ち上がった。

「では、陪都公様。あなた様は、それを知ってる北の山の女と、無知蒙昧な馬鹿な都人と、どちらを信じますか」

暴言だ。貴族や皇族たちが色めき立った。

フーシャは焦っていた。どうしようもなく焦っていた。時間がない。来てしまう。

そして……皆、喰われてしまう。

ヤンホゥは、躊躇わずに言った。

「お前だ、フーシャ。どういう装備が一番逃げやすい?」

チュンリーが、皇妃が、ほかの皇族たちが、庶出の男の言葉に絶句した。

フーシャは答えようとして……ひきつった。

来てほしくなかったものたちが、庭園の壁を超えて来ていた。

時間がなさすぎる。フーシャの視線の先を見て、誰もかれもが悲鳴を上げる。

悲鳴を聞き、酔っぱらいの兵士たちが駆けつけてくる。

「勝てるわけがないわ!! 逃げて!」

フーシャの忠告も聞いていない。

彼らは、平野の弱い蟲に慣れていた。それと同程度だと、思ったのだ。

その結果どうなったか。

剣や武器が、そいつらの装甲の前では意味をなさない。剣も槍も、武器という武器は使いものにならなくなる。

兵士たちは我先に逃げ出した。しかし逃げ遅れたやつもいる。

最初の一人が頭から胴体まで食いちぎられたその瞬間、フーシャは覚悟を決めた。

「陪都公、時間を作ります。お逃げください」

「お前はただの女だ、フーシャ!」

鉄の剣が意味をなさないので、ヤンホゥは戦いに加われなかった。そして何より、鑑賞の宴という事もあって、武器を持っていなかった。

彼は悔しさに歯がみしながら、女官を止めようとした。

だが、彼女は不思議な微笑をもって、言った。

「私は、インユェの相方だわ!」

その誇りのきらめきは、知らない人間には意味のない言葉の羅列だった。

「陪都公、私がつかいものにならなくなったら見捨ててお逃げください」

「お前を殺せば、インユェに顔向けができん。俺は見届ける」

「優しい方。……では、お聞きくださいな。そして皆を逃がしてください。私が果てるその時まで」

フーシャは息を吸った。

そして。

人間どころか、蟲の耳さえ壊しかねない、不快な音が彼女の喉からほとばしった。

蟲たちは動きを止めた。

「今のうちに逃げろ!」

ヤンホゥの怒鳴り声を聞き、我に返った人間たちが逃げ始める。

フーシャの声は恐ろしいほど大きい声で、蟲たちは凍り付いたように動かない。

「陛下、今のうちに。……あの女にすべて任せれば、いい」

誰か打算に満ちた貴族がそういう。

フーシャは五分は歌っただろうか。

彼女は咳き込んだ。びしゃびしゃと口から血が滴る。

「フーシャ!」

ヤンホゥは彼女を抱えた。彼女はその眼に強烈な意思を閃かせて、声の限りに歌い続ける。

吐いた血で、底なし青の服は激しく変色する。

それでもやめない。

「やめるんだフーシャ!」

ヤンホゥの言葉も無視して、フーシャは続けようとして、とうとう声が出なくなった。

残されているのは、彼らばかり。

蟲たちは、だんだんと威力が落ちていく音のためか、動けるようになってきている。

そのうちの一匹が、彼らに襲い掛かった。

フーシャは、ヤンホゥを巻き込んだ事を後悔した。

だって、インユェの、相方がやっと出会えた、愛せる男だというのに。

「ごめんなさ……いんゆ……」

最後の謝罪を口にしようとした時だ。

「あっれー!!! 皆、若長が倒れてる! 止まって止まって!!!!!」

「若長たしか陪都だろ?!」

「でもあれ真面目に若長だ! 血ぃ吐いてる!」

「リンシュー、ソングィ、ジャー! 頼む!」

「「「応」」」

妙に軽い声が響き、蟲の一匹は三本の武器によって、胴体を捕らえられ、頭部のあたりを貫かれ、最後に神経系を切り裂かれて頽れた。

蟲の体液を浴びたヤンホゥは、見た事のある蛮族衣装に、月に煌く様々な石の武器を携えている集団を目にした。

「北の蟲狩、推参!」

誰かが高らかに宣言をした。


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