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5-9


役人がやってきた。そして雑草を引き抜き、土にまみれたインユェの罪状を語る。

罪状は皇族への不敬罪、度重なると言われたそれに覚えがないのだが、まあそうなのだろうとインユェはそれを聞いていた。

あの花が、皇妃の気に入りだと知ってもなお、インユェは信念のために燃やした。

それの意味など、皇妃にとってはどうでもいいのだろう。

人の命などどうでもいいのだ。

人の命を簡単に奪う立場でありながら、その重さも何も知らない女性を思い浮かべる。

彼女を怒らせるのは重々承知していたのだ。

そしてその怒りの矛先を、自分だけにしたのだってわけがある。

これは自分の独断で、引っこ抜く時は誰にも手伝わせなかった。

そこに答えがある。

誰も巻き込みたくなかったのだ。そりゃ、人が多い方がずっと簡単に物事は進んだだろうけれど、この都というおかしな場所で、皇族を敵に回してはいけない。

ただの兵士や花守り人を、それには巻きこめなかった。

それに。

インユェは無抵抗に、役人や武人たちに引きずられていく。

その中で思うのだ。

あの花が蟲を呼ぶなど、自分の言っている事に過ぎない。

証拠はどこにもないのだ。

証拠がなくともこのインユェは知っているけれど、それを信じるかどうかは相手次第。

きっとヤンホゥは信じてくれるだろう。

でも、ほかの誰もが信じるかと言えば微妙だ。

そう言った事情の結末なのだろう。

ああ、いけないな、とインユェは引きずられながら、こいつら引きずるのも下手なんだなと内心で評価しつつ思った。

あの人は、ヤンホゥ様はまた来るとおっしゃったのに、あそこにはもう自分はいないのだ。

また約束を破ってしまうなあ。

「……あーあ」

ヤンホゥ様に、謝りたいと思った。しかし、ここで何か問題を起こせばまた面倒くさくなると、都や陪都での生活が彼女に知らせている。

結局は、ほとぼりが冷めるまで大人しくしていればいいのだ。

それができない自分でもないし、この体の頑丈さは折り紙付き。

北の山の奥深い場所で冬を越した、本物の蟲狩を舐めてはいけない。

彼女は知らない。牢に入れられたが最後、一生外に出られないで非業の死を遂げる人間が、あまりにも多い事など。

皇妃が、彼女をそう言った場所の中でも最も悪い環境に入れる心算だという事も。

人の心を読む事を苦手とするインユェには、分からない事だった。

次第に、郊外の満月園から街中に入っていく。

下町はいい匂いがした。

そういえば、ダーヤはおいしい豚の焼き肉をおごってくれると約束をしたのに、いまだに食べさせてもらっていない。

ほかにも、甘い酒を教えてくれるといった仲間は、まだ一種類しかお酒を教えてくれていない。

二十歳になったら、お祝いに婿を探してくれると言った上司の上司、それは陛下に決めてもらうのだと言ったら、爆笑された。

彼らは今のインユェを見たら、庇いようがないだろう。

それも悪い事をしたな、と思った。

彼らがインユェは好きだった。

もしも満月園にあの花があって、満月になってしまったら。駆り出されるのはあの仲間たちだ。

あの仲間たちは、あの花が呼び寄せる蟲の性質の悪さを知らないだろう。

インユェは熱い毒と、ばらばらと落ちるこれも猛毒の垢を持った蟲を思い浮かべた。

あれには、鋼が効かない。鉄という鉄が、あれの前では意味をなさない。

大蜈蚣よりも始末が悪いあれは、インユェ一人でもやっと斃せるほどなのだ。

……呼び寄せられるのは、そう言った北の山でも特に命がけになりかねない蟲ばかり。

だから燃やしたのだ。仲間が好きになったから、大事になったから、彼らを守るためだけに燃やしたのだ。

村のやつらは外に出るのがあまり好きではないから、都で心配をしなくったっていい。

でも、都の彼らは駆り出されるのだ。

死んで欲しくないからこそ、インユェは皇妃の怒りを被る決意をした。

守れるものは、意地でも守れ。守りたいものならば、指の一本でも動く限り抗え。

遠い昔に、まだ村に先代の牙がいた時代に言われた言葉だ。

ずたぼろになってぼろきれよりひどい状態の自分に向けられた、牙の冷たくも熱い言葉だ。

その牙の言葉を、インユェは貫く事にしたのだ。

覚悟なんてとっくにできている。

でも、これで仲間は守れる。蟲の襲撃からは。

そんな事を思ったインユェは、花をかすめた甘い香りに、目を見開いた。

なんでこんなに、あの花の匂いがする。

下町を通っている間は全く香らなかった匂いだ。

貴族の区画に入ったとたんに、むせ返るほど強いあの花の匂いが漂った。

「くっ……あははははははは!!!」

インユェはあまりの事に笑いだした。

無駄だったのだ。皇妃の怒りをかぶってまで実行した事は、無駄だったのだ。

だってこんなにも花の匂いがする。

それも開花前の匂いだ。満月になれば満開になって、その臭いほど甘い蜜の匂いを漂わせるだろう。

これが笑えなくて何とする。

こんなに多いのならば、満月園程度は無視しても問題ないほど香る。

「こいつ、気が狂ったか……?」

突如笑い出したインユェに、役人たちは不気味さを感じたらしい。

インユェは何も知らない相手に同情した。

「なあ」

声はどこまでも明るかった。

「あんたら、いい事教えてやるよ。すごく大事だ。覚えておいて損はない」

「は……?」

「この都、満月の時に終わる。あんたらも自分や家族が大事だったら、荷物持って逃げるんだな」

「は……? この都の守りは万全だぞ?」

「気が狂った人間の戯言だ」

ああ、信じてもらえないか。

それも仕方がないのだろう。相手はインユェを知らない。知らない相手の言葉を信用できる胆力の人間は、そうそう転がっていない。

「じゃあさ、お願い。これやるから」

インユェは、懐からとっておきの物をとりだした。

ぴかぴかと輝く、親指ほどの大きさのかけらがいくつもはまっている石ころだ。

「金……?!」

それは金だった。それも加工されていない、貴重な物だった。

なぜこんなものを持っているのかと言えば、皇帝が何もいらないと言った彼女に渡したのだ。いざと言う時に使うように。

そして、インユェにとっていざという時とは今以外なかった。

「何を願う?」

「インユェが、逃げろと言ったと、陪都公に伝えてほしいんだ。どんな手段でもいいけれど、伝えてほしい。なあ、出来ないか?」

彼らは顔を見合わせた。

てっきり逃がしてくれと言われるのかと、思ったのだ。

しかしそれとはまるで違う。

伝言のためだけに、こんな貴重な物を使うこの花守り人は、頭がおかしいのか。

それとも、その言葉がそこまで重要なのか。

彼らは視線を交わして返した。

「わかった、伝えよう」

「はい、どうぞ」

インユェはそれを聞いて、彼らにその金の塊を渡した。





真っ暗な牢に放り込まれるが、インユェにとってこの暗闇は暗闇ではない。

音がする。かすかに日の光を感じる。息をすれば反響が帰ってくる。

明りがなくとも、インユェはここを苦痛だとは思わない。

「まるで狩の最中の穴だな」

彼女はむしろに転がった。狩の時はこんないいむしろはないし、地べたに毛皮を敷くのがやっとだった。

夏なんか、毛皮だって敷かない。

雨漏りだってしないのだし、もしかしたらここは都の中で一番安全かもしれなかった。

「ここは蟲が来ても気付かないしな……」

ここは腐った匂いが強すぎる。

このまま朽ち果てた人間も多いのだろう。

そして蟲のほとんどは、腐った匂いをことのほか嫌う。

この牢獄がある場所に、蟲はこない。

それも食べる物がいっぱいあるなら尚更だ。

「あー、もう考えても無駄だ。ねよ」

ここを抜け出すのは造作もない。だが抜け出せばその事で咎められてしまう可哀想な人がいる。

インユェは、誰かの人生を狂わせたいわけじゃないのだ。

瞳を閉じようとした時だ。

甘いむせ返るほど臭いにおいがした。人工の香りだ。

「無様な事」

「あんたが来る方がおかしいんだろうな」

牢の格子越し。そうでなければ言葉も気を使っただろう。

この格子が、相手を守る境界線だ。

蝋燭の明りを持って現れたのは、女性だ。

間違いようもなく、皇妃その人である。

「何の用事だ、いまさら不敬罪重ねたからって、おれは怖くないぜ。なに? 笑いに来たならどーぞ勝手に笑ってな」

相手はくすくすと笑った。

「あらあら、あなた自分がどうなるかも分かっていないのでしょうね、かわいそうに」

「この程度でどうこうなる、やわな精神してねえし」

インユェは相手を淡々と冷え切った眼差しで見つめながら、口だけは軽快に答えた。

「あなたは一生ここから出られないわ」

「あーそう」

「徐々に食事も減らされて……餓死するのよ」

「ふうん? それは知らなかった」

相手はこちらをおびえさせるために言ったのだろう。

だが、未来が分かってしまったインユェは、内心で笑いたくなった。

期限があるなら耐えられる。期限があるなら、我慢もできる。

だが、期限がないというのならば、インユェが我慢する道理はない。

相手が何者であろうとも。

相手はそれを知らないのだろう。自分がなにに情報を与えているのかも、全く分かっていないだろう。

「そりゃこわいな」

「今なら考えてあげてもよくってよ」

「おれは具体的に言われないと、何がいけないのかぜんっぜん分からない頭の悪いやつでね」

「陛下に近付くなんてもってのほか、自分の分をわきまえなさい? 陪都公にまで媚を打って、男のくせに汚らわしい」

「おれにあの人たちと関わるなって言いたい?」

「おまえ、自分の立場を分かっていないのね。今すぐに首を落として差し上げてもよくってよ。ああ、でもそれでは徐々に迫る恐怖なんてものはわからなさそうね、頭が悪そうだもの」

インユェは、息を吸い込んだ。

「あんた、おれの誓いを聞いてくれる?」

「あなたは私に命令できる立場ではないわ」

相手の言葉をインユェは無視して口を開く。

「あんたの言う通り、おれはもう、都の誰にも関わらない。何にも。まあ、この牢の中で死んでいくんだから当然だけど」

インユェは、彼女をまっすぐに見つめた。居たたまれなくなるほどに。

「たとえ何があっても。おれは関与しない。何もしない。おれはあんたに、たった今そう誓った。これを、絶対に破らないとおれは誓う」

「だから自由にしろというの?」

「いんや、もう誓ったからどうでもいい。あんたは陛下の次に偉い人だってのは知ってる。あんたよりも身分の低い誰が何を言っても、あんたに誓ってしまえば覆らないんだろう?」

インユェはけらけらと笑った。

彼女が一歩身を引いた。彼女に従う女官たちが言う。

「この男は気が狂っています、これ以上近くにいれば毒にあてられましょう。皇妃様、行きましょう」

「そうね」

彼女はインユェが命乞いをしたと思ったのだろう。どうでもいいと見せかけて、興味を失わせて、助けてもらおうとしたと思っているのだろう。

事実はかなり違うし、インユェはその事実を語らない。

インユェは笑い続けた。明かりは遠のき、暗闇は戻ってきた。

そこでぴたっと彼女は笑い声を止めた。

「あんたは何にも分かってない。おれの誓いの意味なんて」

たぶんこの誓いは、ダーヤあたりが聞いたら絶叫し、その誓いを取り消すようにいうだろう。

ヤンホゥ様だってそういうだろう。

それほどの意味を持つ誓いを、皇妃は自分の利益だけで見のがした。

「お若いの」

声がかけられた。牢の向こうからだ。

「なあに、爺さん」

それは老爺の声で、インユェは返す。

「あの美しい方相手に、よくぞそこまで無礼な口を聞けるものじゃのう」

「そういう爺さんはとっても運がいいぜ」

「おや、この爺の運がいいのかのう? こんな牢獄に閉じ込められて朽ちていく爺が」

「ああ、もう直あんたも、この牢獄から堂々と出ていけるぜ」

「それは何故かのう?」

「簡単だよ」

インユェは笑った。

「この都は満月の晩に、滅んでしまうんだから。誰もあんたが出ていくのを咎めない」

言いながら、それでもと思った。

たくさんの仲間を殺すだろう。見殺しだ。

だがそれが都のやり方なのだ。そう、インユェは教わった。

あの女性から教わったのだ。

だからインユェは、都の人間らしく行動する。

それでも、伝言が伝わっているはずなのだから、ヤンホゥ様とフーシャは難を逃れる。

「それはおもしろいのう」

老爺もくすくすと笑った。

「なあ爺さん、おれすっげえ暇なんだ、おしゃべりしようぜ、あんたどこの誰なんだい?」

頬からこぼれてくる、熱い雫は無視をした。

さようなら、皆。おれはあんたらを見殺しにしてしまう。

守りたくても守れないなら、手を出さないほうがいい。

守り切れなかった時の苦痛は、それ以上だから。

「牙様、おれはあなた様との約束を、守りません」

小さく呟く。ひどく苦い味がした。





「なあ、本当にやってみなくていいのかよ」

「俺達みたいな下っ端が、陪都公様ほどのご身分の方に近付けるか。それにあの男は牢獄だ、一生出てこない。伝えなかったからって、恨まれたりしないさ、だって知らないんだからな!」

男たちは、金塊を見つめながらそんな話をしていた。


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