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5-5

「異動?」

むしゃむしゃとその辺に生えていた雑草を煮込んだものを、夜食代わりに食べていたルォヤは、ダーヤの言葉に目を丸くした。

この雑草はきちんと食べられる雑草である。それはもう、村ではこの時期限定で食べていた旬の味である。

見た目が簡素でどう見てもその辺に生えている雑草という見た目をしているが、実は滋養強壮にもいい栄養価の高い草だ。

それを都でよく使われている発酵調味料を微量だけ溶いた汁物につっこみ、くたくたになるまで煮込めば村の味である。

この発酵調味料も、村では自家製が作れない気温だったせいで、交易でしか手に入れられなかったものだ。

この都では、ルォヤのような下っ端でもそれなりに使える、万能調味料であるが。

こんなに味が複雑な汁物は村では食べられなかったと、ルォヤは内心で思うが、問題は別にある。ダーヤの言葉だ。

「おれ役立たず?」

ルォヤが問いかければ、ダーヤは手を振って否定を示した。

「違う違う! お前がこの花畑を手入れするようになってから、ここは一層見事になったと評判だ」

「じゃあなんですか?」

複数の雑草を混ぜて、少量の蕎麦の実と煮込んだそれを、同じように不平不満も言わずに食べているダーヤがため息を吐いて告げた。

「外の園で、かなり荒廃した場所があってな」

「おれは花を育てるのは専門外です」

「そんなのは俺も知っている! いちいち突っ込むな。ただな、そこに出るんだ」

「出るって誰が」

「あれだ」

「あれ」

遠回しに言われても、ルォヤには一向に理解ができない。当然だ、言い回しを理解する世界に彼女は生きていない。

「ダーヤ、おれの理解力を上に見過ぎです」

「そうか?」

「おれは一から言われなかったら何にも分からない頭わるいやつです」

「悪かった。そうか。じゃあ言うが」

ダーヤは声を潜めるでもない声で言った。

「蟲だ」

「蟲って、傾向で言うならどんなのですか」

「わからん」

「わからんって、誰もその判断がつかないんですか」

「お前の村ほど蟲だのに精通した村はない。俺も行った事がないから分からない」

「皇帝陛下は、そんな場所におれを置くのですか」

あれ、声が湿っぽくなった、とルォヤは思った。

皇帝まで要らないというならば、このルォヤはどこに行けばいいのか。

そんな考えを抱いた下っ端に、上司は言う。

「皇帝陛下はあまりいい顔をしていないんだがな、皇妃様が厄介だ」

「なんで」

ルォヤは言いながら、美しい皇妃を思い浮かべた。声も優しいし、無茶は言わない。時折視線が険しくなるのが少し不思議な、そういう美女だ。

年齢はそれなりに行っているが、それでも十分美貌をうたわれそうな女性が厄介という理由が皆目見当がつかないのだ。

この都で、同じ歳の同性とまともに交流せず、交流するのは宦官の老爺だの近衛の荒っぽい若者だのである、交友関係がおかしくなっている娘に、ダーヤは何と言えば通じるかじっくり考えた。

身も蓋もない言い方をすれば通じるだろう。

だがその言い方が、ルォヤの封じている心の鍵を開けてしまってはいけない。

瞳術とも呼ばれる、特殊で複雑かつ解ける事が難しい術をルォヤにかけている自覚のあるダーヤにとって、言葉は何のきっかけになるか分からないのだ。

些細な言葉が、ルォヤの封じている壊れた脆い部分を解放させてはいけないのだ。

そうなればルォヤはまた壊れてしまい、もしかしたら修復不可能な精神状態になるかもしれない。

皇帝はその時、ダーヤをどうするか。

それも薄ら寒い物があった。

「皇妃様は、面白くないのだ」

「何が?」

ダーヤはこう言っても全く通じていない下っ端を憐れみ、愛しく感じた。

壊れたらその時、自分がこの娘をさらってしまえばいいかとちらりと思う。

そして今度は時間をかけて、ゆっくりと壊れた部分に心を傾けてやり、じっくりと直してやればいい。ダーヤはそんな事を考えた。

自分も大概この娘の事になると、おかしい。

それは恐らく……

ダーヤはそんな考えを脇に置く事にした。

そして答えた。

「お前は若く美しい」

「きれいじゃない、だってこんなに泥まみれで薄汚れてて、六宮の才媛達みたいに飾ってないんだから」

困惑気味になるのは仕方がない。

着飾れば見られるものになると言われた事はあった。

だがそれは裏を返せば、着飾らなければ見られたものではないという事だ。

そして毎日泥や汗まみれになって日々を暮らし、宮中の下っ端中の下っ端という身なりをしている今、自分は見られたものであるはずがないというのが、ルォヤの認識だ。

きれいな着物を着ている時はきれいだと、褒められた事はあったけれども、この格好になってからはそういう物好きは全くいなくなった。

つまり自分は、豪華な衣装がなくなればそれなりでしかない見た目だという事ではないか。

「お前は着飾ればみられるやつだ。それ以上に、お前は飾らなくっても目を見張る美少女だ。そして女ってのは飾っていない美女にも敏感だ。何しろ敵だからな」

「敵……? おれが?」

女性たちの敵に対する認識はどうなっているのだ。ルォヤは知らず知らず疑問を口に出していた。

女性の敵とは、節度を守らない、良識のない異性というのが村の共通認識だったのだ。

後宮ではそれに加えて、夫の寵愛を奪う女性という相手も、敵認識されるが、自分はそれに当てはまらない。

だって誰の寵愛を奪うというのだ。

これが陪都であれば状況は違い、インユェだった時代は陪都公の寵愛を一身に受けているような見方もされていた。あくまでも役に立つ衝立として使われていただけだったのだが、お妃たちはインユェを、田舎から出てきた無礼な、寵愛を奪う相手だと認識していた。

その頃だったらまだわかる。的だと認識されても仕方がないと思う。

だが今は違うのだ。

花守り人の、ルォヤは誰かから誰かに対する愛を奪ってはいない。

愛を伝えるお手伝いはした事があるんだけどな、などと記憶をさらってしまう程だ。

あの武官はルォヤが選んでやった花で、女官に求婚してうまくいったらしい。

それも一時期後宮の話題に上るくらいに、乙女の心を刺激する展開として。

そんな思い出を思いだしている、のんきな部下に上司は説明をする。

「飾らないふりをして男を篭絡する美女ってのが、巷にひしめいているからだ」

「……都っていつも思うんですけど、魑魅魍魎でもいるのかよ」

ダーヤの語る女性というのは、どうしてだろう、悪意を感じるほど……何と言えばいいのか、人間を超えている気がするのだ。何故だろう。

言い方がそれっぽいのだろうか。

だがそれを言ってしまえば、もっと身も蓋もないい方をするのが自分だ。

自分の感想を言えば、上司は少し疲れた表情すら見せて続けた。

「都はそういうおっかない物を引き寄せる蜜がある。蟲狩だったお前なら覚えがあるだろう。なんでそんな蟲を引き寄せるか分からない華」

「あー。はい。それなりに知ってます」

ルォヤはそれを聞いて理解した。都はつまり、蠱惑的な花なのだ。恐ろしい蟲を引き寄せる、蔓魔薔薇のようなものなのだ。

北の山であの華が咲いている時期ほど、山を降りるのが恐ろしい時期はなかった。遥か彼方の遠くから、それを求めてやってくる凶暴な蝶々がいた。あれの鱗粉が水に溶けると、水は生のまま飲めなくなる液体になってしまうのだ。沸騰させれば飲めるが。

そういう時期に山を降りる場合は、いっそあの紅蝶々の体液を飲んでいた位だったっけ。

あの紅蝶々は肉こそ食えた代物じゃないのだが、体液はほのかに甘く、湧き水よりもおいしかった。

閑話休題。とにかく都は華なのだ。ルォヤは理解をした。

「都っておっかない場所だったんですねえ」

「話が逸れすぎた。戻るぞルォヤ。で、だ。皇妃様はお前を要注意人物だと認識しているのだ」

「なんで?」

「お前、この前皇帝陛下から一輪花をもらっただろう」

「……」

上司の指摘に、普段の記憶力はあまりよろしくない部下は、再三考えた。

「えーと……」

「忘れているのか? お前大丈夫か?」

「どんなお花でしたっけ……」

「赤い花だ。俺は武人だからあまり花の名前には詳しくない。赤くて花弁がいくつもあって、大輪だ」

「あー、あれ」

ルォヤは思いだした。もらった。赤い花をもらった。

皇帝陛下は、泥まみれで雑草をむしっていた自分に、盛りを迎えてもう、誰にもめでられる事なく朽ちていく運命だった赤い花を、折りとって渡してくれた。

匂いがいいから、その日のうちに風呂に浮かべて甘い香りを堪能して終わった気がする。

花の行き先を告げれば、ダーヤは溜息をついた。

皇帝自ら与えた花を、風呂の香りづけにできる神経の女は、滅多にいない。

普通は長く飾っているものだ。もしくは押し花にしたりして、寵愛を一層感じたりするのが常識だ。

忘れていたが、この部下はいろいろぶっ飛んでいたのだ。

最近はそのぶっ飛び方が大人しく、皇帝にどこまでも忠実であるがゆえに忘れていた。

「もらったあれが?」

「あの時期にあの花を贈るのは意味があってな。俺も都に来るまで知らなかった風習だが、あの季節にあの花の中でも、特に赤い花を贈るのは、相手にそれなりの思いがあると伝える行為なんだ」

「へー」

「お前ちゃんと分かっているか?」

「陛下がおれの事、気に入ってくださっているのだけは」

それなりの思いという事は、それなりの信用だ。

ルォヤは聞いてうれしくなった。あの方の信頼を得たのだと思うと、いっそう花守り人としての役職と、あの方の身辺の護衛に力を注ごうと思えたのだ。

これからはいつでも、あの方のお召しにこたえられるように、準備しておかなくては。

それなら何がいいだろう。そうだ、お出かけ用品をまとめて巾着袋の中に入れて、見える所に吊るしておこう。

「おれ、あの方のお役に立っているんだ……」

うっとりとしながら言い始めた、なにも理解していない部下に、上司は考えてしまった。

これに皇帝だけへの忠誠心を植えつけたのは間違いではなかったはずだが、皇帝のさりげない求愛のようなものを気付けないように仕込んだはずはなかったのだが……

元々なのか、これは。

そんな事を思わず考えてしまった。それほど、この部下は鈍いのだ。

いいや。鈍いのでなく、考えないのだろう。

一旦心に刷り込んでしまったら、そこから関係性が変わるという事がないのかもしれない。

陛下、俺はなにか選択肢を間違えましたでしょうか。心の中でダーヤは、吾が君に謝罪をした。

そして同時に、こいつはこのままの方が誰にとっても安全だと思ってしまう。

寵愛を後ろ盾にして我儘をするような部下ではないが、人間は変わってしまうのだ。

欲望が限りなく存在していて、なんでも思い通りになるという環境になると人格は変貌する。

身分の低い娘、それも美しく妙齢の娘となれば、後宮中の怨嗟の的になりかねない。

しかし、自分に寵愛があると思わず、我儘をしなければ、後宮の女性たちはこの娘の事についてはこう考える。

『陛下のほんの一時の気まぐれ』

皇帝が一時の気まぐれで、踊り子に飾りを送った事もあれば、歌姫に着物を送ってやった事もあるのだ。

後宮の女はそこに関しては目くじらを立てない。

一時、それもほんの一瞬だけの情まで気にしていては、精神を病むのだから。

ようは気に食わない事をしているかしていないかだ。

そしてこのルォヤは、このままこの性格ならば後宮の女性にとって些細で羽虫程度の認識でいられる。

何しろ皇帝が与えた花すら、価値が分からない田舎者として認識されるのだから。

こんな田舎者は相手にしていても無駄だと、普通は思われるのだ。

「いい加減そっちの世界から戻ってこい、ルォヤ。お前はまだ、花をもらった事のせいで皇妃様から、皇帝のそばに近付けてはいけない相手だと思われているのだ」

「おれは、あの人をお守りするのがお役目だっていったのは、ダーヤだ」

「そうだ、おれだ。だがお前はそれと同時に、後宮の数多の女たちにとって敵になっているのだ。だから俺は、お前だけを呼んで陛下のそばにはやらないだろう? うっかり二人きりだのにすると、後宮があれるんだ。あれは面倒くさい」

事実面倒くさかった事例があるのだ。ダーヤはその苦労を、この馬鹿正直な部下には伝えなかった。

その代わりに要点をまとめた。

「皇妃様が、お前を要注意人物だと認識しなくなるために、お前は外の園に異動になったんだ。半年もすればほとぼりが覚める。皇妃様も、お前という女を排除の対象だと思わなくなるはずだ。だから異動だ。これは皇帝陛下のためだ、分かったな?」

「皇帝陛下を、お守りするために、おれがそばにいられるようにするため?」

「そうだ、ルォヤ」

「わかった、じゃあおれ、外の園に行く!」

納得したらしい部下は、楽しそうに続けた。

「蟲、食べられるやつだとうれしいです!」

……皇帝陛下の趣味はどういう物なのか。ダーヤは少しだけ疑ってしまった。


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