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5-4

はたはたと血の赤色が滴っている。

ぼたぼたとくれないの色があたり一面に広がっている。

そこには蟲の残骸だったものが転がり、人であったはずの何かが転がっていた。

雪が降っていた。雪は湯気の立つくれないに溶けていき、茜はさらに際立った。

蟲の青緑の色も、くれないと混ざり合う事なく大地に広がり、そこは緑に覆われた花畑を連想する色合いが展開していた。

その中で一人倒れ伏していたのだ。

起き上がる。仲間は。

見知った顔がいくつもあった。見知らないもの、それでも見覚えのあるもの……つまり臓器が散らばっている。

かすれた声で友の名前を呼んだ気がした。同胞の名前を呼んだ気がした。

それでもその声にこたえはない。

答えが来るまで何度も、呼んだ。

呼べども呼べども、答えはない。

これは夢なんだ。必死にそう思うとした。そうでなければいけない、まだこんなに失うわけにはいかない、立てなくなるではないか。

自分たちは斥候だったのに。本隊はまだここに来ていないのに。

生き残ったのが自分だけなど、どんな悪夢だ。

痛む体を立ち上がらせる。ぎしぎしとどうしてか軋む音を立てそうな体。

その体で、周りを見回す。同胞の狼煙を探す。

空気の匂いを嗅ぐ。同胞の蟲寄せの匂いが近い。

仲間が来る、生きてくれている。

立ち上がり、転び、立ち上がる。

やがて現れたのは、求めていた仲間ではなく、本隊。

若く俊敏な足ばかりを集めた、斥候部隊ではない。

戦いに慣れた本隊は、この光景に息をのんでいた。

生き残りがたった一人の場所なぞ。

夢か幻か、気の迷いか。何かありえない事が起きている。

そんな情景だ。

声を上げようとした。聞いてほしい、これは夢だろう、夢だと言ってくれ。

その中で一人の男が近付いてくる。夜の髪をした男。そしてどこか赤みががっていて、それでももっと深く暗い色の髪をバッサリと断ち切った男が近付いてくる。

転び立てなくなっていると、近付き、体を持ち上げてきた。

「ついに、山神さまが新しい牙を選ぶことをしたらしいな」

哀しそうな声でそう言い、耳元で囁いてきた。

「我らの牙は、お前だ」

はっと、目が覚めた。

あれが過去の出来事だ。ルォヤがインユェだった頃の出来事。

話としては単純で、斥候部隊が壊滅し、生き残ったのは自分だけで、捕獲対象すら殺していたという事、それだけだ。

そしてインユェの、運命を変えた出来事でもある。

あの頃の事があったから、インユェは牙としての運命が決まったのだ。

それ以降、インユェはほとんど里に帰らない生活になった。

「先代様、おれは牙にはふさわしいままではいられなかったのに」

ルォヤはぽつりと呟いた。

牙は牙としてしか生きられないように、組み替えられるというのに、自分はほかの物に組み変わってしまった。

それを後悔はしないし、里にはもう新しき牙がいるから構わないとも思うのだが。

「あなたのようにはとてもなれない」

ルォヤは先代の牙の、大きく広い背中を思い浮かべた。

インユェが牙になる数年前に消えた、先代だ。

村では一時的に、牙のいない時期があった。その頃のもうけはあまりなく、かつかつの状態で暮らしていた事をルォヤは覚えていた。

牙が消えた理由は分からない。ただある時消え、戻ってこなかった。

それは牙の運命なのだと大人たちは言った。

牙は老いを悟ると山神のもとに還っていくのだと。

つまりそれは死だ。そうでない牙はあまりいないが、いないわけでもない。

事実このルォヤもそうだろう。山神のもとには帰っていない。

「皆どうしてっかな……」

もう戻れない故郷に思いをはせ、ルォヤが感傷的な気分になっていた時だ。

女官が扉を叩く音がした。

「ルォヤ殿、お支度は整っておりますか」

「あー、ちょっとまって」

ルォヤはバサバサと手ばやく着替え、扉から顔をのぞかせた。

やっぱり掃除を仕事としている女官だった。彼女は定期的にルォヤの部屋を掃除しに来る。

片付けがあまり上手ではないルォヤは、それを受け入れている。

机の鍵付きの箱に大事にしまってあるあの手紙以外、大事なものなどないのだから。

「いつもご苦労様」

「わかっていらっしゃるのならば、せめて脱いだ服をまとめて置く位の事はなさってくださいな」

掃除婦とは、もう軽口をたたくほどの間柄だ。ルォヤはそれが好きだった。

「じゃあお願いな」

ルォヤはそういうと、朝食を食べるべく大炊殿へ向かった。

廊下を歩けば、誰もかれもが忙しそうに歩き去っていく。ルォヤはその誰もに一度頭を軽く下げる。下っ端のルォヤはこれくらいがちょうどいいのだ。

大炊殿の端にある、下級役人たちの食堂に入れば、そこは喧騒に満ち溢れていた。

食器のガチャガチャとぶつかり合う音、お代わりをよそる音。人々の声が満ちている。

「おう、ルォヤ」

顔なじみの一人が、ルォヤを手招く。そこに行けば、席を一つ開けてもらえた。

たちまち朝食のお粥とこまごまとした漬物などが出される。

「後宮に入れるってのはどうだ、やっぱり六宮の美女たちは美女か」

「お前は本当にうらやましい、あんな美女たちを間近に見られる職業だからな」

「お前に変わりたいとは思わないけどな」

「そうそう、ウーレンの配下とか怖いしな」

「ダーヤはそんな人じゃないぜ」

「お前が馬鹿だから気付かないだけだろうが」

「ふうん」

ルォヤはそんな事を聞きながら、お粥を口に運び続けた。朝は忙しいのだ。

食べ終わり、ルォヤは食器を戻して駆け足で後宮まで飛んで行った。





最初は、後宮の日当りのいい小さな邸を、与えられたのだ。

しかし、インユェはそれがつらかった。皇帝の優しさは分かってしまっても、彼女が求めていたのは仕事をする自分、誰かの役に立つ自分だった。

そして暇だと、碌な事を考えないのが人間の共通したものなのだ。

当たり前のように食事をもらい、日がな一日何もしないで暮らす日々は、インユェにとって針の筵に近かった。身体を焼く毒を飲まされ続けるような日々だったのだ。あまりにも苦しい。

心が体を弱らせていく日々でもあった。

皇帝はよく様子を見に来た。

そして、日に日に弱っていくインユェを見て問いかけたのだ。

望みは何だ、と。

そしてインユェは言ったのだ。

「仕事がほしい」

そして皇帝は、インユェをダーヤに預けたのだ。

それくらい、ダーヤが信用されていたという事でもある。彼の信頼はすごいもので、事実インユェは立ち直れた。

だから皇帝の采配は正しかったのだ。

そしてインユェはルォヤと名前を変えて、花守り人になったのだ。

ルォヤはほっかむりをして、花畑の雑草を引っこ抜いていく。時折いるちいさな虫は、口の中に放り込んでいく。花の蜜を吸っていたり、草の汁を吸っていたりする虫は、ほのかに苦みがあってこれはこれでおいしいのだ。

それでも蜜蜂は食べない。食べようとしたら。全力で止められたのだ。宮廷ではちみつをつっている奴らが、やめてくれと言ったので、その蟲は食べない事にしている。

草の中に、食べられる草を見つけた。

これは香りがいいから、薬味としてぴったりなのだ。特に鬼蛞蝓の和え物に混ぜると、魚を連想させる生臭さが少し薄まる。

このあたりでは鬼蛞蝓が取れないから、ちょっと残念だ。

だがこの草は、集めて汁を煮だすと、甘みがあっておいしいのだ。

そんな事を考えながら、ルォヤは草を引っこ抜いていく。

「花守」

呼ばれて立ち上がれば、女官がいる。

「新しい花ですか?」

いつもの事なので、ルォヤは問いかける。そうすると、女官が頷く。

「今盛りの花は?」

「ああ、束ねた方がいい?」

「ええ」

言われてルォヤは、花を剪定ばさみでぱつりと切っていき、美しい花束を作った。

「あんたの所のお姫さま、こういう花が好きだろう」

「いつもいつも、姫様のお好みの花束ですこと」

女官が微笑み、ルォヤに差し出したのは……干し肉だ。

「小腹がすいたらどうぞ」

「やったね、鶏の干し肉なんて久しぶりだ」

ルォヤは服の懐にそれを突っ込み、彼女を見送り、次に現れた女官にも花束を作ってやった。

日がな一日草木の手入れ。花を盗まれないように見張り、整え、後宮に花を渡す。

それがダーヤが見つけてきた、ルォヤの大きな仕事だった。

ほかにも小さな仕事はいくつかあるが、一番大きな仕事で、日々の仕事といえばこれだった。

「ルォヤ、ルォヤ。ちょっとおいで、手伝っておくれ」

養蜂を仕事にする老爺がにこにことしながら現れる。

「今日は何?」

小走りに近寄るルォヤに、老爺は言う。

「今日は蜜を採取する日なんだがね、巣箱が少し重くってな。持っておくれ、怪力ルォヤ」

「ああ、そんな事なら」

養蜂の老爺の手伝いも、ルォヤの仕事である。

彼女は巣箱をひっつかみ、持ち上げ、木枠に入った巣を機械に取り付けた。

ぐるぐると機械によって回される巣箱。細い口から滴り、瓶の中に入れられるはちみつ。

「後でルォヤにも分けてあげよう、ちょっとだけ」

老爺の言葉にぱあっとルォヤは顔が輝き、首が上下に振られた。

「なんだろうなあ、わしに孫はいないんだが、こう孫を見ているような心地になる」

宦官の老爺は微笑んだ。


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