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4-6

「作戦は順調かしら?」

彼女は微笑みながら言う。それによく分からない顔をする侍女たち。

彼女たちには、主の作戦が分からないのだろう。

しかし彼女の諜報員は、分かるらしい。こくりと頷く。

「はい、順調に」

「そうね、おじいさまに書簡を送ってよかったわ」

くすくすと笑う彼女の顔は美しい。

だがそれは脂粉にたっぷりついた舞台化粧のような美しさである。

この化粧の厚さゆえに、彼女は陪都公から少し距離を置かれているのだったが、陪都の流行をいち早く知る彼女は、その心には気付けない。

白い脂粉の顔に真紅の口紅を差した彼女は、その唇を微笑ませる。

「もう直だわ……あの女を追い出せる」

「しかし姫様、このような事をして、陪都公の不興を買いませんか」

「それはなくってよ。わたくしはちょっとおじいさまにお願いをしただけなのですもの。……あの女が自分から出ていく事に、わたくしは関与していなくってよ」

搦め手を利用し、あの忌々しい女を追い出す。

あの女さえ追い出せれば、あとはどうとでもなると計算している、彼女は確かに策略家だった。

彼女はそれを言うならば、確かに父親の血を引いていた。

惜しいものだと言われたものだと、彼女は思い出す。

惜しいものだ。この才能で男であれば。出世も自在だろうに。

そういいつつ、女の戦場である後宮に彼女を導いた父は、言った。

「決して、陪都公の寵愛をほかの女に許すな」

彼女はそれを実践してきたはずだったのだ。

時に権力を。時に彼女の実力を。時に彼女の美しさを。

彼女はあらゆる手段を使い、陪都公の寵が一転に集中しないように努めてきたのだ。

あの女が現れるまで。

あの女。牡丹の女。指輪の女。

彼女はあの女が泣き崩れるさまを思い浮かべ、くすりと笑った。

「馬鹿な田舎者の女には、退場していただかなくってわね」




朝だ。インユェは目を開けて隣に眠っていたはずのフーシャを確認した。

隣はぐっすりと眠っている。

その顔には、昨日は気付かなかった隈があった。たぶん陪都に来てからできた隈なのだろう。

彼女は苦労をしていただろう。

インユェは手を伸ばし、相方の髪を漉いた。滑らかな手触りの髪は、長くはらはらと光をこぼす。

髪を散らして眠る相方は……洒落にならないほど美しかった。

インユェはそれをじっと見ていた。

一晩考えて眠った。これからの事、これまでの事。

そして自分が選ぶべき選択はどこなのか。

即断即決のインユェにしては、珍しいほど考えたのだ。

だが答えは見つからない。

長い睫毛が生えそろった瞼を眺め、インユェは立ち上がる。

村長の娘という立場から一転して、下女となり下がってしまったフーシャ。

彼女がどれだけひどい待遇だったのかは知らないけれども、フーシャはフーシャだ。

相方であり、守るべき相手だ。

この陪都でも数少ない、インユェが守る相手。

「……殺せるかな」

インユェはふと口に疑問をこぼした。

今まで考えた事の無い事だ。

「フーシャ、おれは殺せる?」

支離滅裂な疑問の調子。恐らくインユェ自身も半分は分かっていない自分の心だ。

「……それでも、おれは君の幸せを願うんだ。君はおれにたった一人、手を伸ばして止めてくれた人だから」

こぼす言葉は誓いだった。もう三年も前になる昔に誓った事で、その誓いはそれまでの二人の関係を一変させたものでもあった。

そして村ではそれを誰もが当然だと受け取った。ほかでもない二人自身も。

それが陪都ではどれくらい通用するかなどわからないのだが。

インユェは立ち上がった。大きく伸びをする。欠伸が漏れた。

空が明るい。いいにおいがする。メイファがご飯を作ってくれているのだろう。

今日のご飯は何だろう。インユェはそんな事を考えた。

そしてそっと手を伸ばし、フーシャを揺さぶり起こす。

「フーシャ、朝だよ。起きなくちゃいけないだろ」

寝起きのいい相方は、それを聞くとゆっくりと瞼を開いた。きらきらと瞬く星空を切り取った瞳が、インユェを見て頷く。

寝乱れた髪を押さえ、手櫛でさっと直したフーシャはインユェを見て言う。

「ああ、夢じゃなかったのね」

それを聞いたインユェは、急に胸が痛くなって、ばっとフーシャを抱きしめた。

「うん、夢じゃないだろ、フーシャ」

「朝からどうしたの、インユェ。あなたまだ寝ぼけているのかしら」

「ううん、ううん」

「あなたがお腹すいたって文句を言わないなんて珍しいわ」

「メイファが用意してくれてるから」

「そう。……では私も、戻らなくちゃ」

「行くならいっしょに行く。それでちゃんと言ってくる」

「なんて?」

「フーシャを預かっていてごめんなさいって」

「謝る事をしていないわ、あなたは」

「うん」

インユェはフーシャの肩口に顔をうずめて呟いた。

「うん」




「インユェ、お前はこの女がティエンシャンの所の下女だと言っていたな」

「言いました。あとフーシャをこの女呼ばわりしないでください」

朝食を終わらせ、さあティエンシャンの所へ行こうとしていた時だ。

ヤンホゥが朝であるのに現れ、いきなり言った。

インユェはちょっと不快な思いを抱いた。相方をこの女呼ばわりされたくはない。

ふくれっ面になったわかりやすい衝立に、ヤンホゥが顔を緩ませた。

「ああ、悪かったな。ではフーシャの事だが」

「はい」

フーシャはと言えば、ヤンホゥが現れただけで紅潮し、目を潤ませ、自分の名前を呼んでもらった事にときめきを隠せないでいた。

そして胸がいっぱいになって、何も言えなくなっている。

乙女である。恋する乙女はこんなものなのだろう。実物を初めて見たインユェは、心の中がまたもやもやとした。

フーシャの幸せと自分の役割。天秤にかけてもどちらが優先かわからないインユェは、ヤンホゥの言葉を待った。

「俺の所の取次の侍女が、二日ほど前に妊娠して去っていったのだ。後釜を探していた。どうだお前。ティエンシャンの所ではなく、俺のところに仕える気はないか」

「まあ……」

フーシャは目を見張った。とんでもない大抜擢である。

何故ならば取次の侍女という者は、歴史的に見てその相手の嬪と同格の妾かそれ以上の女性という者なのだ。

そして陪都公が取次の侍女を指名したという事は、その女が特別だという証なのでもある。

もしかしなくても、衝立と言われているインユェよりも身分は高くなる。

理由は簡単だった。衝立であるインユェは、陪都公の奴隷という立ち位置なのだから。

「お前はインユェが信用しているのだから、それなりに有能なのだろう」

「フーシャはそれなり以上に優秀です、ヤンホゥ様」

「お前は口を挟むな。どうだ、フーシャ。俺に主を変える気はないか」

ヤンホゥの言葉に、フーシャは目を輝かせて、それから潤ませた。

はたりと涙がこぼれる。その涙のこぼれる肌は白く、涙は煌きを伴って流れた。

「謹んでお受けいたします」

「期待しているぞ、フーシャ。お前はこの阿呆よりはまともだろうからな」

言いつつヤンホゥはインユェの頭に手を伸ばし、ぐしゃぐしゃとなでた。

インユェはその手が触れた瞬間、わめきたくなってそれを押さえこんだ。

滅多に早鐘を打たない強靭な心臓が、インユェの知らない速度で打ち始める。

牙はこんな事で心臓をおかしくしたりしない。

インユェはそう自分に言い聞かせ、ふと思った。

それで早鐘を打つ自分はもう、牙という資格がないのではないだろうか、と。





インユェは執務室の中に入り、与えられた絵巻物や本を眺め、頃合いを見計らってお茶を用意するのが日常だった。

だがフーシャは、インユェよりもはるかに気遣いのできる女性なのだ。

集中力の切れた文官に目を温める手拭いを用意したり、散らかった書物を片付けたり。

疲れ果てた文官を寝椅子に寝かせたり。もっともこれはインユェが寝かせるように頼まれるのであるが。何しろフーシャは男を一人担げるほど力がないのだからしょうがない。

お茶の用意もお手の物。

そして取次としての役割も十分に果たす女性だった。

彼女はインユェと違い、言葉の使い方をよく知っているので、当たり障りのない言葉を操り、意味のない面会希望者を追い出すのもうまかった。

陪都公の取次として、どんな女性や男性、宦官とも一騎打ちをするフーシャに、敬意の視線は自然と集まっていく。

対してインユェは、夜の衝立としての役割以外は自由人だ。

執務室にも入るが、やる事はほとんどない。

この女のいる意味は何なのだ、と人々が思いだすまで時間の問題になりつつあった。

そしてそれはインユェ自身が、肌で感じているものだった。

牙は視線に敏感でなければならない。生きていけない。捕食者たる蟲の視線に気づけなければ終わる世界で生きてきて、視線を向けられ、それが負の感情を伴っていると気づけなければならない。

それが牙だった。

それでもインユェは気にしない事にしていた。

理由など単純明快で、ヤンホゥがそれを望んでいると知っていたからだ。

それに、自分がいなくなったらいけない、となんとなく思っていたのだ。

彼女は他人を気にしないが、町に降りてきてから多少はそれを気にするようになった。

夜、女性たちを牽制する役である衝立の自分がいなくなれば、取次であるフーシャに皆仕事が回ってしまう。

フーシャが恨みを持たれるくらいなら、おれがそれを全部引き受ける。

それが彼女の矜持の一つだった。決してフーシャを見捨てない。守り抜く。

……真実を言えば。

フーシャを殺す事はできるのだ。インユェがたった一人殺められないのはヤンホゥ一人で、それ以外の誰もを殺める事ができる。

それでもフーシャは特別で、殺せるけれど殺したくない、そんな相手だった。

ずっとずっとそうだった。これからもそれは変わらないだろう。



そして今晩もインユェは衝立として扉の前に陣取っていた。

今日は誰も来ないので暇だ。まあ時々そういう日はある。

そのため少しだけ目を閉じ、体力を温存させていた。

周りの視線もいつもの面子で、彼らはインユェと格が違う事を知っているのか知らないのか、手を出してこないから気にしない。

片手に棍を握り、耳を澄ませる。ヤンホゥが書類をまくる音が、止まる。休憩だろうか。彼は遅くまで明日の執務の準備をする人だったから。

そんな事を思っていた時だ。

扉の内側から声が聞こえてきた。

「インユェ。俺は少し出かけてくる」

「おれは」

「お前は目くらましとして、ここに座っていろ」

窓から出るのだろうか。おれもついていきたいけれど、ここにいろと言われた以上それを守るだけだ。

「わかりました。お気をつけて」

少ししてから、窓が開く音がして、彼がひらりと出て行ったのが分かった。

インユェはその音をなんとなくたどっていった。ただ音をたどるのは、蟲狩としての癖の一種だった。目を閉じているから余計に、音を拾いやすいのだ。

彼の足音は間違わない。あの重いようで軽いような音は、ちょっと独特だ。

その足音が草を踏んでいく。シャリシャリという音がした。そしてどんどんと歩いていき……

あれ、とインユェは思った。牡丹だ。あの人が牡丹に行く。

そこに今いるのはフーシャとメイファのはずだ。

何なんだろう……インユェは音に集中した。

扉が開く音。驚くフーシャの声が聞こえた。

(ヤンホゥ様……今日はどうなさったのですか?)

(お前に会いに来たのだ)

その言葉を聞いたインユェは、酷く喉を潰したくなった。息が苦しい。

(まあ……私に?)

(そうだ。お前に会いに来た)

……わかっていたじゃないか、とインユェは思った。

フーシャと自分と、天秤にかければ誰だってフーシャに傾くのだ。

こんな蟲狩以外に特技のない女よりも、ずっと色んな事がよくできるフーシャの方が好ましい人がほとんどだ。

誰だってそうだ。

(お前の住んでいた村の話が聞きたい)

(語れる事はあまりありませんが)

(お前の口からききたいのだ)

(では、どうぞ中で)

住んでいた村の話くらい、いつだってできたのに。

どうしてフーシャに聞くのだろう。

そう思ったインユェの頭に、声がささやく。理性の声だ。

  フーシャと話がしたいからに決まっている。

インユェは耳をふさいだ。もう声を聴きたくなかった。




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