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4-5

誤字を訂正させていただきました。

インユェは見れば分かった。フーシャの表情を見間違えたりなどしないと自負する、その頭が災いした。

フーシャはヤンホゥに一目ぼれなるものをしたのだ。

それの名前だけは知っていた。たくさんもらってきた物語の中にはそういう話もよくあり、インユェは分からないながらに、想像を膨らませてみたりもしたのだ。

たった一目見て恋というものに落ちる心理はいかに、といったように。

たぶん自分はヤンホゥを愛しているのだが、その前段階には恋があるらしく、物語は真実の愛だの永遠の恋だのを高らかに歌う物もあった。

あれはあれで面白かったのだが、いまいち現実味を伴わなかったのも事実だ。

だが目の前でそれが起きたのだ。一目ぼれ。

「インユェ、この蟲の特性はいかに?」

ヤンホゥは食事のさなかだと自分で言いつつ、インユェに書類を見せてくる。文字はあまり読めない彼女でも、そこに書かれていた画から蟲の特徴くらいは割り出せる。

「それは、熊に寄生する種類で……大体人差し指くらいの大きさが成体です。熊の体毛に引っ付くために緑のべたべたを出して、それが傷の消毒にとても役に立ちます。食べると腹を下しますけど。あれはひどい目にあった。べたべたはヘラとかを使ってかき集めます。その時に蟲を細いはさみみたいなものでより分けていきますよ」

「ほう、これの分布は分かるか?」

「それは熊のいる地方じゃないといないので……あまり暑い地域にはいません。苔蛭がどうしました? これはあまり害をなさないたちなのに」

「何、今度の狩猟会の時に役に立つかと思ってな。……お前口元に気を付けろ。ついているぞ、何かは知らんが」

インユェは口元をなめた。確かにそういう味がした。

そこまで言ってから彼は、目をフーシャに向けた。心持開かれる瞳は、今まで出会った事の無い美しさのためだろう。とインユェは思った。

「その身なりは、ティエンシャンの所の下女の身なりだが。インユェ、どこから連れてきた」

「おれのフーシャです! 前にも話したでしょう? おれの、おれのフーシャ」

「お前の相方か」

彼はそういうと、フーシャを眺めて笑った。

微笑むといっていいくらいの笑顔だった。

「俺の飼い犬が世話になっていたらしいな」

いつ飼い犬になったのだろう。インユェはちょっと考え、犬って食べられるんだよな、などとずいぶん危ない事を考えた。

ヤンホゥ様は、そのうちおれを食べるんだろうか。

人間は人間をおいしいと思わないようにできているはず、なんだけどななどと思いつつ、頷いた。

「あの、その、ええ、インユェはいつも馬鹿ばかりして……ご迷惑をおかけしていませんか?」

真っ赤になったフーシャが慌てふためいた調子で言う。しかし村では当然の事実だった、フーシャに対してインユェがいつも迷惑をかけている、という等式はヤンホゥには通じない。

彼は怪訝な顔になった。

「これが迷惑を? 冗談を。これはこちらが迷惑をかける事はあれど、他人に迷惑をかけるほど馬鹿をやったためしなどない」

「まあ……」

フーシャが目を見開く。そしてインユェを見た後にヤンホゥを見た。

「そうだったのですね、これは失礼をいたしました」

そして軽く下げられる頭。その髪が星をちりばめたようにきらきらと輝いて、インユェはこの髪も好きなんだよななどと思った。

フーシャはインユェ好みの見た目をしているのだ。

「ところでインユェ、お前は旧友をどうしたいのだ」

「どうしたいとは?」

「ほかの女の所の下女をいきなり引っ張り込んで、下女がただで済むと思っているのか?」

「だって、フーシャは意味もなく打たれていたんだ、そんなのおれが許せるわけがない」

「なるほど」

「今日一日は泊まって行ってもらおうと思ってます。そのあと、あんたに相談をしようと思ってました」

「何の相談だ?」

「たとえケンジョウ? された人であっても、ヤンホゥ様が一声言えば帰れるでしょう?」

「それはだめよ、インユェ!」

インユェの言葉にフーシャが言う。何故だろう。インユェはフーシャを見やって目を瞬かせた。

「どうして、フーシャ」

問われた相手は、どういえばインユェの頭が理解するかと悩んだように頭をふるい、言葉を紡いだ。

「そうやって後宮から返された女性という物は……悪い噂の種になるの。不貞とかならまだましだけれど、盗みを働いたとか、仕事をなまけたとか、……淫蕩を繰り返したとか」

「フーシャはそんな事しない!」

インユェが思わず言えば、フーシャが首を振った。

「あなたがそう思っていても。だめなのよ。人はそう思わない。私たちの村がいくら辺鄙な場所でも、私が帰ればそういう噂の種になるわ。お父様に顔向けもできない」

フーシャの言葉が事実なのは、メイファの顔を見ても、ヤンホゥの顔を見ても分かった。

そういったものなのか。

人の噂など欠片も気にした事がない、簡単に言えば人の話を聞き流すインユェからしてみれば、理解不能の考え方だった。

「でも、フーシャがいなくて村長どうするの」

「……後の事は、イーディンとサンディン兄弟に任せてあるわ」

「あの二人に、そんな大役が務まるわけが」

「あなたにとっては頼りない弟たちでも、彼らは牙に次ぐ蟲狩よ。あなたのいない今、二人が拒否しているからこそ牙を名乗らないだけなの」

インユェは目を見開いた。

「どっちかが、牙……?」

「あなたがひときわまばゆく突出していたから、誰もあなた以外の牙などいないと思っていたけれど。あなたをこちらにやってしまった以上、長たる牙を決めなくてはいけなかったのだから」

真顔のフーシャを見て、インユェは何も言えなくなってしまった。





「インユェ、あの方はどなたなの?」

砂利の床に毛皮を敷き、そこに座っていたインユェは、花のように開くお茶を眺めて目をキラキラとさせていたフーシャの問いかけに、わずかに遅れた。

「あの方って?」

「あの、燃える用の赤い髪の男性よ、いったいどなた?」

「ああ、陪都公たるヤンホゥ様」

「まあ……私は彼のためにここへ連れてこられたのに、ようやく彼の顔を見る事ができたわ」

フーシャはうっとりという。目は潤み艶めき、彼女の肌色はぽうと赤くなる。

彼女の周りだけ、星の光が降り注ぐようだ。インユェはそれを知っていた。

山神に愛されたフーシャは、他の人間よりも美しいのだ。神に寵愛された証として、彼女はたぐいまれなる美貌なのだ。

「素敵なお方だった……」

フーシャはそう呟くと、向かいに座る相方を見やった。

「あなたはこんな宮を与えられるほどの事をしたの?」

「これ前払い。おれの仕事はこれからも続くだけ。……ヤンホゥ様が愛する女性を見つけるまでは」

言いつつ、インユェはフーシャが何を言い出すかわかる気がした。

「ねえインユェ、かの方はどんな女性がお好みかしら?」

ほらきた。インユェは大体予想していた通りの事に、苦笑いをする。

「おれはよくわからないよ。でもやっぱり綺麗な人の方がいいんじゃないかな。あと優しい人でさ、女はちょっぴりやきもちやくくらいがかわいいと思うからきっとそうだと思うし、なんて言えばいいんだろうなぁ……」

そう、インユェ自身も彼の事など何一つ知らないのだ。彼は詳しい事は何も語らない。

そしてそれで今まで済んでいたがゆえに、インユェはよく知らないのだ。

「素敵な人になればいいと思うよ、それにほら、フーシャは蟲にも詳しいんだから、きっと話を聞いてもらえるんじゃねえの?」

「私、あの方の恋人になりたいわ」

うっとりと夢を見る乙女の表情で言うフーシャ。

インユェはひどく胸が痛んでいた。

フーシャと並べば、“おれ”は勝てない。容姿も気性も頭脳も、まあ自分が突出しているものは陪都では必要とされないものだ。

衝立になったのは、フーシャや皆がこれ以上、ばかげた召し出しに答えないようにするためで、献上という形ではあるがフーシャが来てしまった。

村で、牙インユェと若頭フーシャの二人をささげたという事実はきっと痛い事だ。

インユェはそこまで考えた。だがいい方法が思いつかなかった。

「ねえ大嫌いなインユェ、協力をしてくれる?」

フーシャがいつもの調子で問いかけて、彼女を見つめる。インユェは笑いかけた。

「おれの大好きなフーシャ、喜んで」

それでも、フーシャには幸せになってほしくて、それだけは誰が何というとしたってインユェの中では当然の事実である。

遠い昔に、インユェはフーシャに救われたのだから。彼女のおかげで幸せになったインユェは、フーシャの幸せを願うのが当然だと自分で思っていたのであった。

お茶が冷めた。インユェは外がもう暗くなっているので、適当な布団を床に敷いた。

「あなたはどうして、敷布をちゃんと伸ばして広げないの」

なんだかんだ言いつつ、フーシャも手伝う。大きく広げた布団、インユェはそこにごろりと寝転がった。

「あした、ヤンホゥ様に相談してみよう」

「あなたの主だから?」

「うん。おれの、ご主人様だから」

インユェの提案に、フーシャが目をきらりとさせた。

「ティエンシャン姫は大丈夫かしら」

「その時は、ヤンホゥ様のご威光を借りてどうにかするさ。フーシャは安心してくれればいいの。……お休み」

「ええ、お休み」

隣の寝息が聞こえてきたので、インユェはその寝息が完全に眠ったものになったのを確かめ、立ち上がった。

「だぁからさぁ……なんで今日来るんだよ。フーシャが起きたら大変じゃないか」

彼女は言いつつ、その辺に立てかけておいた剣を引き寄せた。細石刃の刃の、その刃は澄み切った黒だ。木製の刀身にしっかりと埋め込まれたそれは、凶悪さにきらめいている。

それの長さは手の指先から肘までの長さに似ていた。それの重さを確認するように、インユェはとんとんと手首を振る。

これはインユェの自作である。一番最初に持ってきていた、あの剣はついに見つけられなかった。たぶん捨てられたのだろうとインユェは判断をしている。

あれは大事だったのに、惜しい事をした。長年使いこみ、重さも振るう時の微妙なずれも、何もかもがインユェの人生と重なる物だったというのに。

そんな事を思いつつも、インユェはやってきた相手たちを眺めた。武装をしている。

こうなったら、どんな手段を使ってでもインユェを排除しようと考えた誰かの差し金だろう。

彼女は五人ほどを目視し、たった五人でこの牙を殺そうとするとは、と逆にあきれた。

相手の事など何も調べていなかっただろうか。それなら馬鹿だ。

インユェだって、しとめる蟲の特徴はしっかりと把握するというのに。

彼女は目を細め、ひらりと足を踏み出した。

こちらが何も見えていないと思っていたのだろう相手が、突如迫ってきた彼女に対応できずにたたらを踏む。その顎のあたりに、剣の柄頭を叩き込む。ふらりとよろめいたその姿を、もう一人めがけて投げつける。投げつけられた方はと言えば、この華奢な女が人間一人を軽々投げ飛ばすとは思わなかったに違いない。そのさまをもろに食らって倒れる。インユェはその結末を見る前に動く。物音を立てないひらりとひらめいた足さばきで、三人目のみぞおちにこぶしを突き出し、宙に浮かせるほどの勢いのそれをお見舞いする。

四人目は刃物をインユェのがら空きになった胴体めがけて剣を突き出してきた。当然それは当たるかに思われるが、インユェ相手では意味がない。

彼女は何の感情も持たない瞳をし、その剣を人差し指と親指でつまんだ。

それだけ、しかしそれだけで四人目の動きは封じられ、動揺したその瞬間に、頚椎へ一撃を食らって倒れた。

最後の五人目はと言えば、転がるように逃げていった。上策だな、逃げた方がいいもの、とインユェは考えた。

そして四人を眺め、インユェは彼らひっつかむと外へ放り出した。

彼らの戦意は完全に喪失しただろう、と判断した結果であった。



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