4-4
フーシャをインユェは牡丹殿に引っ張っていった。手をつかみかなり強引に引きずっていく彼女は、フーシャが何も言わないが気になった。
フーシャはインユェに対して遠慮など欠片もなく話す相手だったのだから。
二人はお互いに容赦もなく相手に言葉が言える、インユェからしてみれば一番の相方だった。
その彼女が何も言えない状況とは、村はいったいどうなっているのか。
そんな事が気になった。
そして牡丹殿に引っ張っていったインユェは、目を丸くしているメイファに言った。
「ちょっと同郷の友達を見つけたから、連れてきた。お茶沸かすけど、台所使っても大丈夫?」
「それは構いませんが……あの、同郷?」
メイファはインユェの言っている意味が分からなかったらしい。当然だ。何せインユェの出身地は僻地中の僻地だ。
そこの友人がいるという確率は、非常に低いのである。
これが陪都出身で、陪都の友人が働きに来ているならまだ……理解はできただろうが。
「そうそう。おれの里の友達」
言いつつインユェは、まだ何も言わないフーシャをその辺に置かれていた綿入りの布袋、それも上質なものに座らせてから、言った。
「お湯沸かすから、ちょっと待ってて? 知らなかったお茶の淹れ方、覚えたんだ」
言いつつインユェは、明るくフーシャに笑いかけた。硬い顔つきの相棒が、少しでも顔を緩めてくれればいいと思っての笑顔だった。
インユェは台所に入ると、火打石と火打ち金を叩きつけて火花を散らし、あっという間に薪に炎をつけた。
燃える炎を調整して、鉄の薬缶を火にかけた。湯が沸く間に、お茶の用意をする。
そして沸いたお湯を使い、フーシャン前で手際よくお茶を淹れた。
そして相方に茶器を渡して、向かい側に座り込んだ。
インユェは、布袋を使用しない。どんな岩場であろうとも座り込めるインユェは、綿入り布袋など必要としないのだ。
フーシャはしばしインユェの淹れたお茶を眺めている。インユェはよくさましてから、お茶を口に含んだ。
いい出来である。ヤンホゥに出してもいいくらいまともなお茶だ。
インユェが笑った後で、ようやくフーシャが茶器を口に当てる。
「……おいしいわ」
フーシャはそこでやっと微笑んだ。
インユェが村で一番好きだった笑顔である。
「さっさと本題に入るけど、なんでフーシャがここにいるわけ」
インユェは先ほども問いかけた疑問を、フーシャに投げつけた。
フーシャの方は、茶器をそっと床に戻し、インユェに言う。
「わたしもよく分からないのだけれど……あなたが紫宮から出て行ってすぐかしら……そう聞いているからそうだと思うのだけれど。村に、領主様の使いが現れて、蟲に詳しい娘を陪都公に献上すると告げたの」
「だからフーシャが?」
インユェはじっくりとその言葉をかみ砕いた。
約束違反だ。インユェはそう思った。自分はここにいる。ならば村の誰一人として、この陪都に連れてこられないという約束を、たしかスイフーとしたのだ。
それなのに、一番来てほしくなかった村長の娘である、フーシャが来ている。
これは今すぐにでもヤンホゥを問い詰めなければならないな、とインユェは思った。
しかし先決するべきはフーシャの事だ。
「ええ。あなたのいない今、蟲に最もくわしい未婚の女はわたしだけだったのですもの」
「おかしいな……」
「何を言いたいのかしら?」
「おれはね、おれの後に、誰も村の人間が来ないことを約束して、ここに来たんだ」
「大方、欲の皮の突っ張った領主様の独断よ。皇帝が召し出さなくても、陪都公が召し出さなくても、献上という形をとって女性を差し出すという事は、よくある話なのよ、インユェ。わたしの事も、多分それ」
「え、そうなの?」
インユェは初めて聞く言葉たちに、目を丸くした。それを見て、フーシャが頷く。
「大きな、ほら夕陽ではそういう話を聞かなかった? あなた足の時代に、結構町によく行ったじゃないの」
「ごめんぜんっぜんそういう話覚えてない」
「あなたは忘れっぽいのね、しょうがない人」
インユェはそこで笑った。
「フーシャ、顔が溶けてきた」
「え?」
「さっきまで、凍ってたんだぜ。今、いつものフーシャの顔してる」
言いつつインユェは、片膝を立てて華奢な茶器を片手でつかみ、ぐいと無作法に中身をのんだ。
「インユェ、あなたもうちょっと礼儀とか作法とか、そういう物を考えて飲みなさいな」
「ごめんごめん、山にいた時からずっとおれこんな感じ」
「知ってるから言わせてもらっているのよ、あなたはそういう人だから」
フーシャはと言えば、山育ちとはとても思えない品のいい姿で、お茶を優雅に飲む。
「あなた元気そうでよかったわ」
「そりゃあ、おれはいつでも元気なのが取り柄でしょ、山神様も、おれだけは嫌って病一つよこさなかったんだから」
「単純にあなたの体が頑丈なんだと思うわ」
「容赦がない! フーシャいつも通りひどい!」
言いつつインユェは、問いかけた。
「どうする、フーシャ。今日はここに泊まる? ねえ止まって行ってよ。みんなの話が聞きたいし、フーシャがいままでどういう暮らしをしてきたか聞きたい」
「聞いても面白くないわよ」
「そうかな。おれ、バッテキされたから、普通の生活を知らないんだ」
「あなたは村でも普通の生活をしていなかったものね……」
「だって牙だし。山に分け入って蟲を狩る事だけをやっていく牙が、一度山に籠ったら半年は里に戻らない牙が、普通の生活と縁があるかと言えばない」
胸を張ったインユェに、フーシャはくすくすと笑った。
それはこぼれるような鈴の音色の声で、インユェはどうしようもなく懐かしくて、笑いたくなった。
「あなたはいつでも事実しか言わないのね、インユェ。あなたは何も変わらない。そこがあなたのいい所だわ」
「十八年も山で育っていて、たった半年で性格とか人格と関わったらそれこそすごい」
「そうね、あなたならそういうわ」
同意しようとしたインユェは、そこでお腹がぐうぐうとなり始めた。
「……ご飯まだだった」
「あらそうなの? ねえ、ここにはどんな材料があるかしら?」
フーシャの言葉に、インユェは身を乗り出した。
「もしかして、フーシャのご飯?!」
そのあからさまに期待した顔に、フーシャがころころと笑った。
「あなたほんっとうに、変わった所がないわね、作ってあげるわ、腕を振るってあげる、あなたの大好きな蕎麦薄餅の肉料理。でもここには、蟲はないでしょう?」
「ない。ないよね、メイファ?」
インユェは、隣の部屋の扉に張り付いて聞き耳を立てていた女官に声を投げかけた。
ややあってメイファが、ちょっとばつが悪そうな顔をして姿を見せる。
「蟲はありませんよ、豚があります。牛はありませんし、牛は年取りすぎていておいしくありませからね。そうだ、鶏でも締めますか?」
ばつの悪さを隠すように、メイファが言う。
その女官の言葉を聞いて、フーシャがあら、と目を輝かせた。
「豚があるの? インユェ、豚ならおいしい焼き方があるの」
インユェはその言葉を疑いもしない。フーシャの方を見るや否や、頷いた。
「じゃあフーシャ、楽しみにしてる」
そう言った後、あ、とインユェは問いかけた。
「おれ、手伝える事ある?」
インユェは自分の家事能力の低さを知っていた。だがフーシャだけに料理をしてもらうのは、武器の手入れなどといった仕事をしない今はいけない気がしたのだ。
そんなインユェの葛藤を読み取ったのか、フーシャはさらりと言う。
「あなたはそうね、捌くのを手伝ってもらおうかしら」
「おれ、切るくらいしか能がないもんね」
「そういわないの、あなたの包丁さばきだけは、素晴らしいんだから」
言いつつフーシャは立ち上がる。そしてちらりとメイファを見やって言う。
「すみません、メイファさん。ここの貯蔵庫を見せていただけませんか?」
メイファは頷いた。
肉を絶妙の厚さで切っていく。それを見事な手際の良さを発揮して、フーシャがたたき筋を取り、大きな器の中に入れた調味料に絡めていく。
「これ、お祭りの時だけの料理じゃないか」
「食べたくないの、インユェ?」
「ううん、食べたい。でもお祭りじゃあないのに」
「あなたに食べさせてあげたいんだもの。この前の祭りの前に、あなたは行ってしまったでしょう?」
肉に味をしみこませている間に、フーシャは蕎麦の粉を練り、薄くのばして焼き始める。
それを皿に大量に載せていく。
手慣れているものだ。
インユェはたちまち漂ってきた懐かしいにおいに、つばを飲み込んだ。
「インユェ、よだれ」
「あ、ごめん」
よだれをぬぐい、インユェは焼きあがる肉を待ち構えていた。
丁寧に炭火で焼かれた豚肉は、それだけでもうインユェがじっとしていられないものの一つに挙げられただろう。
豚肉を焼き終わったフーシャが、最後に木の芽を微塵に切ったものを振りかけた。
「さあ食べましょう」
インユェは待ち構えていたので、それっとばかりに飛びつこうとして、フーシャに視線で制された。
「何?」
「せめていただきます、くらいは言ってちょうだいな、あなたは山では祝詞を唱えるのに、村では不信心の塊みたいな態度だったんだもの」
「そう?」
「そう」
「はあい」
インユェは言い、両手を合わせていただきますと唱えた。
そして蕎麦薄餅を破って肉をつまみ、口の中に放り込んだ。
豚肉だから食感も味もかなり違う。
だがそれは、インユェが村で心待ちにしていたお祭りの料理だった。
蕎麦薄餅ももちもちの絶妙な味をしている。
フーシャが二口食べた時点で、インユェは軽く五口は食べていた。
「おいしいですね」
メイファが感心した声で言う。
「フーシャはおれができない事が全部できんの」
インユェは誇らしい声でメイファに言った。
「あなたができても、わたしができない事は山とあったわインユェ」
「だから相方でしょ」
「ふふ、あなたそういう単純な所が大好きよ」
「おれもフーシャの面倒くさいところ大好き」
三人で食事をしていた時だった。
「インユェ、いるか」
声がかかり、扉を開けて入ってきたのはヤンホゥだった。
インユェを除く二人は手を止めた。インユェは手を止めず、口の中に豚肉と蕎麦薄餅を放り込み、木の芽のピリリと苦い味に顔をほころばせ、顔を上げた。
そして目を丸くした。
「蟲の特徴を聞きたくてな。食事のさなかだったか」
インユェは口いっぱいにほおばったまま、隣を見ていた。
隣にいたフーシャが、顔を赤らめていた。
それは恋をする乙女の、それは輝いたきれいな顔だった。