4-2
「姉さん、どう?」
女性がメイファに問いかけた。メイファは首を横に振る。
「だめよ……とても私には」
「姉さんでもだめなのね……」
「あなたの方こそ、失敗続きでしょう? ランファ」
彼女の言葉に、同じ顔をした女性が頷く。
二人はとてもよく似ていた。背格好も立ち振る舞いも、仕草も表情もそっくりなのだ。
辛うじて二人の判別ができるのは、目元のほくろの位置位だろう。
それと身なりだ。メイファは女官のお仕着せの恰好で、色味が赤い。ランファは青が基調の女官服だ。
二人が同じ格好をしたら、判別など全くできないに違いない。
二人はそろってため息を吐いた。そのしぐさすらそっくりである。
「そうなの、全くダメなのよ。毒は効果が無くて、寝込みを襲おうにもあの人、隙が無いの」
「普通に眠っているじゃない。起こす時ちょっと目覚めるのが早いだけで」
「姉さん、何処を見ているの? 私には想像ができないわ、得物を構えて振りかぶる。そうしたら……」
ランファの言葉に、メイファは想像をした。寝込みに得物を振りかぶる。
ぱっと思い浮かんだのは、その相手がパチリと目を開き、容赦なしに得物を弾き飛ばす光景だった。
「そうね……」
「私達でもどうにもできないとなったら、今度こそ里のあいつが動き出すわ。あいつが混沌を好むのは承知でしょう? 里の事が明るみに出るかもしれないから、何とかしなくっちゃいけいないわ」
「でもランファ、あの人を始末しなくっても、あの人がおうちに帰るように仕向ければいいんじゃないの?」
「それができたら苦労しないでしょう? 私たちに引き継ぎをした担当者たちの話を覚えてないの? 何の嫌がらせも効果がないのよ」
「そうだけれど……私、あの人にほだされているのかもしれないわ。あの人嬉しそうにご飯を食べるのよ。そしてありがとうっていつも言うの。だんだん手を出しにくくなってきてて」
「それわかる。……もしかしたら、あの人私たちの事にとっくに気付いていて、それでも何も言ってこないのかもしれない」
「そうかしら? 入れ替わりには全然気づいていないようだったけど」
「そこらへんが姉さんが私よりも劣っているって長老たちに言われるところだわ。……彼女はきっと気付いている。たぶん感覚的に気付いているわ。だって最初になんて言ったか覚えている? 姉さん元気って聞いたのよ?」
「そうね……」
双子の腕利きは頭を抱えた。
「このままあの人が陪都公の傍に居れば、確実にチュンリー様が怒り狂うわ。ただでさえあの宮殿に……陪都公が正妃をいれるという名目で作っている宮殿に迎え入れたのだから」
ランファが言えば、メイファが疑問符の調子で返す。
「でもあそこは作りかけだわ。そして彼女をそこに置いたのは、皇帝に見つかる可能性が高かったからよ。あの人、皇帝にも色々興味を持たれているらしいから」
「それでも。あの正妃のためだけに……愛する女のためだけに作られた、愛する女が幸せに暮らせるように整えられている宮殿に、少しだけでもいるあの人を、チュンリー様はそれはそれはお怒りだもの」
「でも、あの人は陪都公の思惑なんて何も知らないわよ」
メイファの言葉に、ランファが目をむく。
「え、真面目に言っている姉さん? あれだけ陪都公に特別扱いされていて、気づかないわけがないじゃない」
「でも気付いていないと思うわ。だって恋のイロハすら知らないのよ。あの人初恋もまだなんだわ」
「それってどうよ、あの人十八でしょう? いったいどんな生活していれば恋の一つや縁談の一つもない生活になるわけ」
「あの人は、それは厳しい世界で生きていたのよ。時々話してくれる事を聞く限りは。寒い北の魔の山で、あの人は税である蟲の皮をひたすら集めて、内臓を旅の商人に売ったり、巡回する何でも屋に売ったりして、生計を立てていたと言っていたから」
「北の魔の山? ……姉さんそれを先に言ってちょうだいよ。私にいい考えがあるわ」
「失敗しない?」
「少なくとも、あの人を追い出せるのは間違いない作戦を思いついたわ」
ランファが頭を回転させて思いついた作戦に、メイファは言った。
「それはある種、賭けね」
「でも姉さん、どうせだからやってみましょうよ」
「そうね、ランファ。……あまりチュンリー様にムチ打たれないようにしていてね?」
「塩梅はわかってるから大丈夫。打たれた時の衝撃の躱し方も、姉さんよりはうまいから」
彼女の形相はすさまじい物だった。
彼女の美貌がそれだけきりりと吊り上がると大変な迫力で、彼女は頭を下げる女官に言う。
「それで?」
「……皇帝陛下は、あの女をあきらめる事になさったようです」
「馬鹿をおっしゃい!」
彼女、チュンリーは声を高くした。
「皇帝ともあろうものが、陪都公の配下の女一人諦めるわけがないでしょう!!」
「すみません……知り合いが聞いていたのですが、『月は手にもてないからこそ美しいのだ』 と言ったとか」
「あんなものが月であってたまるものですか!」
チュンリーははっきりと言った。
そう。
あの女がある日突然牡丹殿を出て行き、それから修繕工事が行われた。それは改築工事と言っても差し支えない工事で、新しい女を後宮から引き抜くためだと皆噂をした。
牡丹殿には加持祈祷が捧げられ、あの数代前の呪いを払った事もあって、今度こそ陪都公は……とも言われたのだ。
しかしそれに続いて、四条のあたりの空き地で始まったのは、新しい宮殿の建築だ。
街の人間たちは、そこが並々ならぬ気合の入れようだから、こちらに最も愛する女を陪都公は連れて来るのだろうと口々に噂をした。
当然、我こそはと思う女性たちがいるわけだ。彼女たちは皆似たり寄ったりで、陪都公の寵は自分にあると思い込んでいた。
彼女たちは牡丹殿の名誉は望まなくとも、新しい宮殿の中の主になれるのは己だと思っていた。
そしてまことしやかに囁かれたのは、こういう噂だ。
「牡丹殿の女性は飾り物。薔薇の宮には寵姫が」
そしてさらに、チュンリーが怒り狂う理由があった。
「あの女が天女などあってたまるものですか!!」
そこだ。
チュンリーは自分の美しさを知っている。化粧のうまさも知っている。自分以上に陪都で見目麗しい女性はいないと考えているほどだった。
しかし。
薔薇の宮には天女がいる。民草はそう囁き、そしてあの儀式の日。
行列を眺める民衆は口々に彼女の美しさ、麗しさをほめた。
それに気分を良くしたチュンリーが視線を、薔薇の宮に向けた時だった。
そこにはあの女がいた。
あの女は……忌々しいほど整っていた。
チュンリーが内心で認めてしまう程、領巾を風にあそばせ髪を結い上げたあの女は際立っていた。
そこがチュンリーを怒らせる。
彼女は負けを認めるのが嫌だった。そしてその、魔性のような美しさに、神々しいまでの麗しさに、地団太を踏みたくなった。
そして彼女は知っている。見た目がいくら天女のようでも、あの女はそれとは真逆の、もしかしたら羅刹の様な粗暴さがあると。
隠密たちの報告からそれを知り、どの毒も効かなければどの嫌がらせも効力を発揮しない図太さを聞いていた彼女にとって、あの女がそうやって噂される事すら腹立たしかったのだ。
「あの女さえいなければ……」
チュンリーは嫉妬に染まった声で言った。
「あの女さえいなければ、陪都公は私の物だったのに」
それは若干の間違いだが、それを訂正する女官はいない。
誰もここで、チュンリーの怒りを買いたくないのだ。
そしてその言葉は、ある意味彼女の自負だった。
彼女は誰よりも優先されるべき身分の女性。
間違っても、あの粗雑にがさつ、蛮族の女が寵愛を独占するなどあってたまるかという意識が、女官たちの中でも働いていたのだ。
「姫様、じきに陪都公も間違いに気づきましょう」
「それを待てと言うの? 悪いけれど私、それを待てないの」
「あれは人間ではありませんよ。人間を外れた物です」
「そうだと言っても、あの女に陪都公は夢中だわ」
「そんな熱はじきに冷めるでしょう」
チュンリーは女官をじろりとにらんだ。お気に入りの女官は目を丸くする。
彼女は口を開いた。
そして、噂されている事実を語った。
「実は、あの女のためにあの新たな宮殿は建てられていると聞いているわ」
それをどこから聞いたのか、チュンリーは語らない。彼女に秘密を申告する人材はいくらでもいるのだ。
「そして、牡丹の改築すら、あの女を迎え入れるためだとか」
「一人の女に二つの宮を? あの陪都公はそんな事をなさるわけがありません」
女官がいぶかる調子で言う。チュンリーもうなずいた。
「普通はそうだわ。でも。陪都公はあの女のために、別荘を作ったという事を教えてくれた人がいるの」
「あの宮殿が別荘だというのですか?!」
まさかの言葉に、女官たちがざわめく。
寵姫に新しい宮を贈るのはよくある事だ。
だが。別荘まで贈るなど、今まで一度も聞いた事が無い。
前例などない。それを行った皇帝はいても、陪都公では存在しない。
「それ位、あの女に陪都公は夢中なのだわ」
歯ぎしりをしそうになりながらも、冷静を装いチュンリーは言った。
「あの女さえ引きはがせれば……皇帝が見初めたというから、安心したのに。まったく、あの蛮族、男の転がし方だけは上手なのかしらね。淫売だわ」
「……恐れながら、姫様」
その時ふっと現れた隠密が、言った。
「一つ、策を講じました。あの女を追い出すという一点だけに集中した策ですが……」
「あの女さえいなければ、どうにでもできるわ。やってちょうだい」
チュンリーは隠密の作戦を聞き、ころころと機嫌を良くした。
瞳が不気味にきらめく。
「陪都公は、渡さなくってよ」